第7話 洗礼者
文字数 5,292文字
基地から隊員が消えた。交代に向かった隊員も帰ってこない。
緊急会議が開かれ、問題の基地へと隊員を派遣することが決まる。
経験豊富な隊員が選ばれるのは間違いない。バートはいてもたってもいられなくなって、家の力を使った。
派遣当日、隊に加わったバートをグレコは心配そうに見つめている。
ルイスを隊長に、総勢十三名の隊員からなる特別編成の捜索隊はカウクリッツを出立した。中継基地をへて、問題の基地へと向かう。バルカンの助言で、ジープとバイクのエンジン音は随分とおとなしくなった。
前線基地まであと一つ。名前も知らない街の廃墟につくられた基地は小規模で、身を縮こませて日中に休みを取った。夜のとばりとともに起き出し、支度をする。
そこへ街の外で警戒していた隊員が駆け込んできた。
「敵襲! 三台の車で向かってきます!」
ルイスは力強くうなずいた。
「やはり本腰を入れてきたか。引くぞ。経路をCにとる」
「あの……!」
「なんだ」
「それが、奴らは我々の信号で……」
「なに? なんと送ってきた」
「一年前のコードに従えば、ジョーの識別信号と、話すという符号が」
ジョゼフ。ジョーと呼ばれるその男は、一年前に行方不明になっていた。彼の率いていたたいは丸ごと行方不明になっていた。
「皆は退避しろ。私が行く。デイブも来い」
副隊長のヒースが何か言いかけたところへ、反対方向から別の隊員が戻ってきた。
「敵襲!」
「囲まれたようだ」
ルイスは隊員を二手に分け、撤退を指示したその時、ふらりとジョゼフが現れた。
驚きながらもアクセルを踏み込んだ隊員は、動かないことに気がついた。急いで確認する隊員に、ジョゼフは声をかけた。
「逃げられないよ。逃げる必要なんかないんだ」
一人、また一人と、ジョゼフと共に行方不明となっていた隊員が姿を現した。後から現れた五人がそれぞれ明かりを灯す。
カウクリッツのやり方を熟知している彼らが忍び寄っていたことに、ルイスたちは気づかなかった。隊員たちは戦う姿勢をみせ、ルイスの指示を待っている。
真新しい軍服を着たジョゼフはみんなに呼びかけた。
「ラミアは敵ではなかった! ルイス。君の父は判断を誤ったんだ」
冷静にルイスは言った。
「私が話を聞く。みんなを帰したいがいいか?」
「みんなに聞いてもらいたいな。真実を。みんな騙されていたんだ。ヘンダウ家の妄執に。ラミアはーー吸血鬼は確かに人間の血を必要としている。でもそれはほんのわずかだ。国は豊かで、血液の提供は大した負担ではない。彼らは人間を保護しているんだ。暮らしは平穏で、生活のために働いている。カウクリッツと何が違うっていうんだ? 食材が豊富で、健康に暮らせて、少しの血をおさめる国と、片や貧しくて一人当たりの負担が大きく、ヘンダウ家に命を捧げている。大した違いじゃないか!」
ヒースが声を荒げた。
「戯言を! むしろ統治者として重い重積を担ってきた。忘れたとは言わせないぞ!」
ジョセフの目には怒りと悲しみが浮かんでいる。
「キャシーが死んだ。仕方ないと思っていた。同じ病気で、たくさんの仲間を失ってきたから。でも、国では同じ病気が簡単に治療できた! 死ななくてもよかったんだ! 何がみんなのためだ! 人間の尊厳を守りたいんじゃない! 自分の権威を守りたいだけだろう!」
ルイスは問いかけた。
「ジョー。お前は本当に吸血鬼の国を知っていると言えるのか?」
ジョセフの顔が苦しそうに歪んだ。
「騙されているって言いたいんだろう? わかるよ。俺も同じように考えていたから。今では自分の卑しさを認められるようになった。わかっているんだ。逆恨みだって。でも、信じていたから。みんなのために、最善の選択をしてくれていると! なあ、ルイス。君も認めてくれないか。間違っていたと。ラミアは人間の敵ではないと。俺は彼らを何人も殺していたというのに、そんな俺を受け入れてくれた。彼らは人間よりも優れていると、素直に認めようじゃないか。俺たちの目的は人類の存続だろう? ルイス、俺が心変わりをしたと思うか?」
ジョセフはナイフを取り出した。他の五人も、ナイフを取り出す。張り詰める現場。彼らはナイフを自らの首筋に押し当てた。血を滲ませながら、ジョセフは言った。
「俺たちはカウクリッツのみんなのために命を捧げる覚悟だ。交渉は公正に行う。ただし、カウクリッツのみんなは正しい情報を知らない。ルイスだけを窓口にするわけにはいかない。そのためには多くの証人が必要だ。今から、リシャール侯爵様が直々にお話しされる。侯爵様はお気になさらないが、俺たちとしては武装解除してほしい。拒否するというのなら、今ここで自決する。選ぶといい。ルイス。自らの保身のために俺たちを見殺しにするのか。それとも、より多くの人間を救う道を開くのか」
ヒースがルイスに注進する。
「罠です。話に乗るのは危険です」
ジョセフのいうとおり、ルイスは吸血鬼のことを知らない。けれど、仲間のことはよくわかっている。ルイスはしばし沈黙すると、眉を開いた。
「ありがとう、ヒース。ーー武装解除だ。銀製のものはすべて一箇所に集めろ!」
反対しようとしたバートの肩を、グレコが先んじて強く引いた。小さい声で叱りつける。
「隊長の命令だ。従いなさい」
隊員たちは武器を捨て、銀を仕込んだ衣類も可能な限り脱いだ。ジョセフは勝手を知っている。下手に武器を温存すれば、人間同士の戦いになるだろう。ジョセフの指示で整列しているところへ、吸血鬼たちの車が到着した。
降り立った吸血鬼たちはハットを被り、マントを身に纏っている。皆若く見え、顔立ちも似ていた。装飾や髪型が違いから、明確な上下関係がうかがえた。豪華な衣装に隙間はなく、手も手袋で覆われ、肌は顔しか出ていない。
バートは初めて見る吸血鬼たちを睨みつけた。
どいつもこいつも無表情だ。
後方に腰のひけた吸血鬼がいることに、バートは気が付かなかった。シモンの後ろで、エルベルが必死に気持ちを抑えていた。
レイピアを腰に下げた一際麗しい装いの吸血鬼が歩でた。
「私はリシャール・ド・ラミア。諸君の話を聞く用意がある」
相対するルイスも名乗る。
「私はルイス・ヘンダウ。隊長だ」
「そうか。無益な戦いに終止符を打とうではないか。我々は諸君をより良い環境に導くことができる」
「それは願ってもないことだが、確証が欲しい」
「お仲間の言葉は信用に値しないかね?」
ルイスは厳格な態度を崩さない。
「この目で確かめたい」
「いいだろう。君を招待しよう」
「かねてより、尋ねてみたかったことがある。外の人間をすべて手中に収めるつもりか? 血が足りないのか? 君たちはどうして人間を必要とするんだ?」
「神がそのようにおつくりになられたからである。我々は人類を守護する者。血は契約の証だ。我々が人間を救うのは神の思し召しだ」
バートは堪えきれずに叫んだ。
グレコがバートの腕を引き、口を塞ごうとする。
揉み合う二人に、リシャールは言った。
「喋らせてかまわない。疑問があるというのなら、聞こうではないか」
バートは立ち上がって糾弾した。
「俺は知っているんだぞ! 何が人間の守護者だ! 人間との間に子どもを作ってた! そいつは人間を食うんだ! 化け物め! 何が人間を救うだ!」
リシャールは動じることなく、ルイスをいちべつした。
「素晴らしい教育の成果だね」
グレコも声を上げた。
「私も見た。嘘じゃない。バルカンという男の研究所で見たんだ。知っているはずだが?」
リシャールの表情に変化はない。
「バルカンという男は問題が多くてね。彼は己の欲望のためならば手段を選ばない」
バートは怒鳴った。
「しらばっくれるきか!」
動じることなく、リシャールの口からよどみない言葉が発せられた。
「聞きたまえ。君たちが我々よりも人間の言葉を信じたくなるのは無理からぬことだ。だが、あの男の言葉に耳を貸してはならない。人間には寿命がある。天命と受け入れる者もいれば、バルカンのように抵抗する者もいる。あの男は自らの寿命を伸ばすことに執着している。確かに、彼の薬で命を繋ぐ者もいたが、それ以上に余計な苦しみを与えられた者のなんと多いことか。故に我々は彼を国から遠ざけた。けれども、彼に一縷の望みを託す者たちは、悪魔に魂を売り渡してしまうのだ。人間が子を産むことに関して、少なくない問題が起こる。その危機に乗じて、哀れにも母子を実験台にしているのだ。バルカンが怪物を生み出したとしていても私は驚かないが。彼がその犠牲者を我らと人間の子であると偽ったのは、君たちにとり入るための方便だ。考えても見たまえ。自ら怪物を生み出したと、白状すれば君たちはどうしたか」
バートはリシャールへと向かっていく。
「それはあんたたちも同じだ! 認めるわけがないよな」
「栓のない話だ。君にはぜひとも国を見てもらいたい。その上で信じないというのであれば、仕方あるまい」
ルイスは思う。想像していたよりも吸血鬼は人間の心理を理解している。ただ、感情への理解は示すが、共感が伴っていない。
ルイスはリシャールに詰め寄ろうとするバートを手で制した。
「下がれ、バート。ジョセフの言葉を忘れたのか? お前の行動はヘンダウ家のおごりだ」
「承服できません! 僕はバルカンのことだって信用していません。しかし、吸血鬼にはあの男以上の狡猾さがーー」
ルイスは右腕を振り上げた。
「歯を食いしばれ!」
渾身の力で、ルイスはバートの頬を打った。尻餅をつくバートを、ルイスは叱責した。
「恥を知れ! 私の決断は街一つの命運がかかっている。お前の行動は総意を歪める専横だ。そんなに私が信用ならないか?」
バートは定まらない目でつぶやいた。
「そんなつもりは……」
頭がくらくらして、バートは立ち上げれなかった。
ルイスはリシャールに向き直った。
「失礼した」
具体的な交渉が始まった。
ルイスを筆頭に四人が吸血鬼の国へ視察に行き、残りの隊員はジョセフとともにカウクリッツに戻る。ルイスたちが帰還後、会議をすることが決まった。
話がまとまって、みんなが動き出した。
警戒するジョセフを刺激しないように、グレコはゆっくりとバートに歩みよった。バートの肩に手をかけようとしたその瞬間、バートは瞬時に立ち上がって、武器が捨てられた場所へと駆け出した。
そんなバートの腹を、重い衝撃が襲った。
「かはっ」
えぐられるような痛みに、バートは膝から崩れ落ちた。咳き込みながらうずくまる。地面に額を擦り付けながら、バートはその姿を探した。
シモンに見下ろされていた。
駆けつけたグレコが、身体を気づかいつつ、バートを押さえ込む。
エルベルが近づいてきて、シモンを小声でいさめた。
「シ、シモン。暴力はいけないよ。さっきも殴られていたじゃないか。かわいそうだよ」
「甘いよ。エルベル。下手に手心を加えれば、より強い制裁が必要になる」グレコに視線を移した。「君ならわかるだろう?」
グレコは返事をしない。
シモンはその場を立ち去ろうと、エルベルを手で促した。
バートはむせながらその姿を目で追った。
「かわいそうだと……うっ」
バートは激しく咳き込むと血を吐いた。驚いたエルベルが駆け寄る。
顔を上げた時、バートは口に小さな銀の粒を含んでいた。奥歯の欠損部に挟んでいたのだ。舌で取り出し、唇に押し当てる。
奴らが最も油断するのはいつか。
バートの目に宿った殺意を、シモンが感じ取った。
瞬時にエルベルの手を引いて、マントを翻す。
銀粉を使った攻撃を知っていたシモンは、風圧で吹き飛ばそうとしたのだ。しかし、一足遅かった。
すっと、銀の粒がこめかみを掠める。
ああ、シモンは悟った。
軽装の人間相手に全力は出せない。
無防備なエルベルの手を引くのにも気を使いすぎた。
小さなつぶて一つ。
選択を間違えた。
子どもが軍役についているとは予想外だった。
子どもは嫌いなんだ。
シモンの目はリシャールを捉えた。
顔に傷を負ったまま生きたくない。
「シモン!」
シモンはマントで顔を隠すと、しゃがみ込んだ。
「すまない。エルベル」
倒れるシモンの身体を、エルベルが抱き止めた。
「シモン! ああ……!」
「君はーー」
シモンの身体はみるみる軽くなり、エルベルの腕には服だけが残った。さっきまでシモンだったものは、砂ぼこりと一緒になって風に吹かれて飛んでいく。
愕然となるエルベルの目から、涙がこぼれ落ちた。
「僕のせいだ……。僕が余計なことをしたから!」
グレコはバートを抱えて後ずさった。報復を恐れたからだ。初めて見る光景だった。
泣き叫ぶエルベルを、人間たちは驚きを持って見つめ、吸血鬼たちは無視している。
興奮が過ぎ去ると、寒気のような震えがバートの身体を揺らした。
吸血鬼は仲間の死を悼んだりしないんじゃなかったのか? 馬鹿にするんじゃないのか? 周りの吸血鬼と同じように。
どうしてこいつは泣いているんだ?
まるで、人間みたいにーー。
緊急会議が開かれ、問題の基地へと隊員を派遣することが決まる。
経験豊富な隊員が選ばれるのは間違いない。バートはいてもたってもいられなくなって、家の力を使った。
派遣当日、隊に加わったバートをグレコは心配そうに見つめている。
ルイスを隊長に、総勢十三名の隊員からなる特別編成の捜索隊はカウクリッツを出立した。中継基地をへて、問題の基地へと向かう。バルカンの助言で、ジープとバイクのエンジン音は随分とおとなしくなった。
前線基地まであと一つ。名前も知らない街の廃墟につくられた基地は小規模で、身を縮こませて日中に休みを取った。夜のとばりとともに起き出し、支度をする。
そこへ街の外で警戒していた隊員が駆け込んできた。
「敵襲! 三台の車で向かってきます!」
ルイスは力強くうなずいた。
「やはり本腰を入れてきたか。引くぞ。経路をCにとる」
「あの……!」
「なんだ」
「それが、奴らは我々の信号で……」
「なに? なんと送ってきた」
「一年前のコードに従えば、ジョーの識別信号と、話すという符号が」
ジョゼフ。ジョーと呼ばれるその男は、一年前に行方不明になっていた。彼の率いていたたいは丸ごと行方不明になっていた。
「皆は退避しろ。私が行く。デイブも来い」
副隊長のヒースが何か言いかけたところへ、反対方向から別の隊員が戻ってきた。
「敵襲!」
「囲まれたようだ」
ルイスは隊員を二手に分け、撤退を指示したその時、ふらりとジョゼフが現れた。
驚きながらもアクセルを踏み込んだ隊員は、動かないことに気がついた。急いで確認する隊員に、ジョゼフは声をかけた。
「逃げられないよ。逃げる必要なんかないんだ」
一人、また一人と、ジョゼフと共に行方不明となっていた隊員が姿を現した。後から現れた五人がそれぞれ明かりを灯す。
カウクリッツのやり方を熟知している彼らが忍び寄っていたことに、ルイスたちは気づかなかった。隊員たちは戦う姿勢をみせ、ルイスの指示を待っている。
真新しい軍服を着たジョゼフはみんなに呼びかけた。
「ラミアは敵ではなかった! ルイス。君の父は判断を誤ったんだ」
冷静にルイスは言った。
「私が話を聞く。みんなを帰したいがいいか?」
「みんなに聞いてもらいたいな。真実を。みんな騙されていたんだ。ヘンダウ家の妄執に。ラミアはーー吸血鬼は確かに人間の血を必要としている。でもそれはほんのわずかだ。国は豊かで、血液の提供は大した負担ではない。彼らは人間を保護しているんだ。暮らしは平穏で、生活のために働いている。カウクリッツと何が違うっていうんだ? 食材が豊富で、健康に暮らせて、少しの血をおさめる国と、片や貧しくて一人当たりの負担が大きく、ヘンダウ家に命を捧げている。大した違いじゃないか!」
ヒースが声を荒げた。
「戯言を! むしろ統治者として重い重積を担ってきた。忘れたとは言わせないぞ!」
ジョセフの目には怒りと悲しみが浮かんでいる。
「キャシーが死んだ。仕方ないと思っていた。同じ病気で、たくさんの仲間を失ってきたから。でも、国では同じ病気が簡単に治療できた! 死ななくてもよかったんだ! 何がみんなのためだ! 人間の尊厳を守りたいんじゃない! 自分の権威を守りたいだけだろう!」
ルイスは問いかけた。
「ジョー。お前は本当に吸血鬼の国を知っていると言えるのか?」
ジョセフの顔が苦しそうに歪んだ。
「騙されているって言いたいんだろう? わかるよ。俺も同じように考えていたから。今では自分の卑しさを認められるようになった。わかっているんだ。逆恨みだって。でも、信じていたから。みんなのために、最善の選択をしてくれていると! なあ、ルイス。君も認めてくれないか。間違っていたと。ラミアは人間の敵ではないと。俺は彼らを何人も殺していたというのに、そんな俺を受け入れてくれた。彼らは人間よりも優れていると、素直に認めようじゃないか。俺たちの目的は人類の存続だろう? ルイス、俺が心変わりをしたと思うか?」
ジョセフはナイフを取り出した。他の五人も、ナイフを取り出す。張り詰める現場。彼らはナイフを自らの首筋に押し当てた。血を滲ませながら、ジョセフは言った。
「俺たちはカウクリッツのみんなのために命を捧げる覚悟だ。交渉は公正に行う。ただし、カウクリッツのみんなは正しい情報を知らない。ルイスだけを窓口にするわけにはいかない。そのためには多くの証人が必要だ。今から、リシャール侯爵様が直々にお話しされる。侯爵様はお気になさらないが、俺たちとしては武装解除してほしい。拒否するというのなら、今ここで自決する。選ぶといい。ルイス。自らの保身のために俺たちを見殺しにするのか。それとも、より多くの人間を救う道を開くのか」
ヒースがルイスに注進する。
「罠です。話に乗るのは危険です」
ジョセフのいうとおり、ルイスは吸血鬼のことを知らない。けれど、仲間のことはよくわかっている。ルイスはしばし沈黙すると、眉を開いた。
「ありがとう、ヒース。ーー武装解除だ。銀製のものはすべて一箇所に集めろ!」
反対しようとしたバートの肩を、グレコが先んじて強く引いた。小さい声で叱りつける。
「隊長の命令だ。従いなさい」
隊員たちは武器を捨て、銀を仕込んだ衣類も可能な限り脱いだ。ジョセフは勝手を知っている。下手に武器を温存すれば、人間同士の戦いになるだろう。ジョセフの指示で整列しているところへ、吸血鬼たちの車が到着した。
降り立った吸血鬼たちはハットを被り、マントを身に纏っている。皆若く見え、顔立ちも似ていた。装飾や髪型が違いから、明確な上下関係がうかがえた。豪華な衣装に隙間はなく、手も手袋で覆われ、肌は顔しか出ていない。
バートは初めて見る吸血鬼たちを睨みつけた。
どいつもこいつも無表情だ。
後方に腰のひけた吸血鬼がいることに、バートは気が付かなかった。シモンの後ろで、エルベルが必死に気持ちを抑えていた。
レイピアを腰に下げた一際麗しい装いの吸血鬼が歩でた。
「私はリシャール・ド・ラミア。諸君の話を聞く用意がある」
相対するルイスも名乗る。
「私はルイス・ヘンダウ。隊長だ」
「そうか。無益な戦いに終止符を打とうではないか。我々は諸君をより良い環境に導くことができる」
「それは願ってもないことだが、確証が欲しい」
「お仲間の言葉は信用に値しないかね?」
ルイスは厳格な態度を崩さない。
「この目で確かめたい」
「いいだろう。君を招待しよう」
「かねてより、尋ねてみたかったことがある。外の人間をすべて手中に収めるつもりか? 血が足りないのか? 君たちはどうして人間を必要とするんだ?」
「神がそのようにおつくりになられたからである。我々は人類を守護する者。血は契約の証だ。我々が人間を救うのは神の思し召しだ」
バートは堪えきれずに叫んだ。
グレコがバートの腕を引き、口を塞ごうとする。
揉み合う二人に、リシャールは言った。
「喋らせてかまわない。疑問があるというのなら、聞こうではないか」
バートは立ち上がって糾弾した。
「俺は知っているんだぞ! 何が人間の守護者だ! 人間との間に子どもを作ってた! そいつは人間を食うんだ! 化け物め! 何が人間を救うだ!」
リシャールは動じることなく、ルイスをいちべつした。
「素晴らしい教育の成果だね」
グレコも声を上げた。
「私も見た。嘘じゃない。バルカンという男の研究所で見たんだ。知っているはずだが?」
リシャールの表情に変化はない。
「バルカンという男は問題が多くてね。彼は己の欲望のためならば手段を選ばない」
バートは怒鳴った。
「しらばっくれるきか!」
動じることなく、リシャールの口からよどみない言葉が発せられた。
「聞きたまえ。君たちが我々よりも人間の言葉を信じたくなるのは無理からぬことだ。だが、あの男の言葉に耳を貸してはならない。人間には寿命がある。天命と受け入れる者もいれば、バルカンのように抵抗する者もいる。あの男は自らの寿命を伸ばすことに執着している。確かに、彼の薬で命を繋ぐ者もいたが、それ以上に余計な苦しみを与えられた者のなんと多いことか。故に我々は彼を国から遠ざけた。けれども、彼に一縷の望みを託す者たちは、悪魔に魂を売り渡してしまうのだ。人間が子を産むことに関して、少なくない問題が起こる。その危機に乗じて、哀れにも母子を実験台にしているのだ。バルカンが怪物を生み出したとしていても私は驚かないが。彼がその犠牲者を我らと人間の子であると偽ったのは、君たちにとり入るための方便だ。考えても見たまえ。自ら怪物を生み出したと、白状すれば君たちはどうしたか」
バートはリシャールへと向かっていく。
「それはあんたたちも同じだ! 認めるわけがないよな」
「栓のない話だ。君にはぜひとも国を見てもらいたい。その上で信じないというのであれば、仕方あるまい」
ルイスは思う。想像していたよりも吸血鬼は人間の心理を理解している。ただ、感情への理解は示すが、共感が伴っていない。
ルイスはリシャールに詰め寄ろうとするバートを手で制した。
「下がれ、バート。ジョセフの言葉を忘れたのか? お前の行動はヘンダウ家のおごりだ」
「承服できません! 僕はバルカンのことだって信用していません。しかし、吸血鬼にはあの男以上の狡猾さがーー」
ルイスは右腕を振り上げた。
「歯を食いしばれ!」
渾身の力で、ルイスはバートの頬を打った。尻餅をつくバートを、ルイスは叱責した。
「恥を知れ! 私の決断は街一つの命運がかかっている。お前の行動は総意を歪める専横だ。そんなに私が信用ならないか?」
バートは定まらない目でつぶやいた。
「そんなつもりは……」
頭がくらくらして、バートは立ち上げれなかった。
ルイスはリシャールに向き直った。
「失礼した」
具体的な交渉が始まった。
ルイスを筆頭に四人が吸血鬼の国へ視察に行き、残りの隊員はジョセフとともにカウクリッツに戻る。ルイスたちが帰還後、会議をすることが決まった。
話がまとまって、みんなが動き出した。
警戒するジョセフを刺激しないように、グレコはゆっくりとバートに歩みよった。バートの肩に手をかけようとしたその瞬間、バートは瞬時に立ち上がって、武器が捨てられた場所へと駆け出した。
そんなバートの腹を、重い衝撃が襲った。
「かはっ」
えぐられるような痛みに、バートは膝から崩れ落ちた。咳き込みながらうずくまる。地面に額を擦り付けながら、バートはその姿を探した。
シモンに見下ろされていた。
駆けつけたグレコが、身体を気づかいつつ、バートを押さえ込む。
エルベルが近づいてきて、シモンを小声でいさめた。
「シ、シモン。暴力はいけないよ。さっきも殴られていたじゃないか。かわいそうだよ」
「甘いよ。エルベル。下手に手心を加えれば、より強い制裁が必要になる」グレコに視線を移した。「君ならわかるだろう?」
グレコは返事をしない。
シモンはその場を立ち去ろうと、エルベルを手で促した。
バートはむせながらその姿を目で追った。
「かわいそうだと……うっ」
バートは激しく咳き込むと血を吐いた。驚いたエルベルが駆け寄る。
顔を上げた時、バートは口に小さな銀の粒を含んでいた。奥歯の欠損部に挟んでいたのだ。舌で取り出し、唇に押し当てる。
奴らが最も油断するのはいつか。
バートの目に宿った殺意を、シモンが感じ取った。
瞬時にエルベルの手を引いて、マントを翻す。
銀粉を使った攻撃を知っていたシモンは、風圧で吹き飛ばそうとしたのだ。しかし、一足遅かった。
すっと、銀の粒がこめかみを掠める。
ああ、シモンは悟った。
軽装の人間相手に全力は出せない。
無防備なエルベルの手を引くのにも気を使いすぎた。
小さなつぶて一つ。
選択を間違えた。
子どもが軍役についているとは予想外だった。
子どもは嫌いなんだ。
シモンの目はリシャールを捉えた。
顔に傷を負ったまま生きたくない。
「シモン!」
シモンはマントで顔を隠すと、しゃがみ込んだ。
「すまない。エルベル」
倒れるシモンの身体を、エルベルが抱き止めた。
「シモン! ああ……!」
「君はーー」
シモンの身体はみるみる軽くなり、エルベルの腕には服だけが残った。さっきまでシモンだったものは、砂ぼこりと一緒になって風に吹かれて飛んでいく。
愕然となるエルベルの目から、涙がこぼれ落ちた。
「僕のせいだ……。僕が余計なことをしたから!」
グレコはバートを抱えて後ずさった。報復を恐れたからだ。初めて見る光景だった。
泣き叫ぶエルベルを、人間たちは驚きを持って見つめ、吸血鬼たちは無視している。
興奮が過ぎ去ると、寒気のような震えがバートの身体を揺らした。
吸血鬼は仲間の死を悼んだりしないんじゃなかったのか? 馬鹿にするんじゃないのか? 周りの吸血鬼と同じように。
どうしてこいつは泣いているんだ?
まるで、人間みたいにーー。