辻呉服店

文字数 3,308文字

 翌日、僕たちは大樹さんが運転する車に乗って加賀にある辻呉服店へと向かった。
 ここだ、と言われて降りた先に見えたのは、聞いていた通りの広大な敷地を有する歴史ある建物だった。それほど遠くないところに成田組の看板を掲げた建設現場が見える。
 僕たちは家政婦さんに案内され、客間へと導かれた。
「女将を呼んで参りますので暫くお待ち下さい」家政婦さんはお茶を淹れたあと、そう言って奥に消えた。
「立派な建物ですね」僕は大樹さんに言う。
「そうだろう。あちこち老朽化してるから、このまま維持することは難しいが、社長の言うように雰囲気を壊さず、リフォームや建て替えをしたいんだ。成田組に渡ればどこにでもあるマンションになってしまうだろうからな」
「何としても幽霊の正体を暴かないとね」とヒナが同調する。
「お待たせして申しありません」
 そう言って入ってきたのは加賀友禅の着物に身を包んだ40代くらいの女性だった。
「女将を務めております、辻 佳代子(かよこ)と申します。この度はこのようなことになりましてご迷惑をおかけしております」そう言って深々と頭を下げた。
 後ろの(ふすま)の隙間から小学生くらいの女の子がこちらを覗いているのが見えた。
 大樹さんは心霊現象の解明のために僕たちを連れてきたと説明して、女将に紹介した。
 それを聞いた途端、女の子は叫んだ。
「何しにきた! 帰れ! お前らなんて呪われたらいいんだ!」
香澄(かすみ)! 何てことを言うのよ  謝りなさい」女将が女の子に叱る。
 女の子は走ってその場を去っていった。
「うちの子が失礼なことを言ってしまって申し訳ありません」女将は再び頭を下げる。
「そんなに気を使わないでください。大丈夫ですよ」ヒナが女将に言う。
「早速ですが、詳しく聞かせてもらえますか?」
「はい、私は先祖代々続くこの店を守りたくて主人と一緒に頑張ってきました。その主人は三年前に交通事故で他界してしまいました」
 女将は仏壇の遺影を一瞥したあと僕たちに視線を戻す。
「あの人は事故の時、身を呈して香澄を守ったんです。そのおかげであの子は無傷ですんだのですが、やっぱりショックは大きかったんだと思います」
「心中お察しします」大樹さんが鎮痛な面持ちで言う。
「それでも、私はこの店を畳むわけには行かないと思ってやってきたのですが、職人も高齢化で引退して、その後を継ぐものもいない現状です。何か手はないかと模索しているのですが、……」
「もういいんだよ」言葉に詰まる女将に、声を掛けたのは80代くらいの老女だった。
「お義母(かあ)さん! いけません寝てないと」と女将が言う。この人が社長のいっていた大女将ということだろう。
「いいんだよ、今日は気分がいい。ずっと寝てるのもかえってしんどいからね」大女将は座椅子に腰掛けた。
 年はとっていても、その所作には品格を感じさせる。
「私は大女将の絹代と申します。この子、女将は本当によくやってくれた。店だけでなく私の面倒まで見てくれてね。実の息子の蒼太(そうた)は二言目には金貸してくれしか言わないのにね」
「蒼太さんというのは長男で、主人(あるじ)のお兄さんですか?」と僕は大女将に尋ねる。
「ご存知でしたか。ええ、そうです。家督を継がず家を飛び出して、たまに帰ってくるかと思えば金目のものはないかと物色するくらいです」大女将は寂しそうに続ける。
「店を守りたい気持ちは私も同じです。でも、女将は主人(あるじ)が亡くなった後もこうして残ってくれた。この子にこれ以上重荷を背負わせたくないの」
「そんな、私に帰る場所などありません。娘同然に接していただいたご恩を忘れたことはありません」女将の声に力がこもる。
「いい子でしょ、それで私は前田さんに相談したのよ。そしたら商業施設の話を頂いて、女将も一旦は納得してくれたんだけどね」
「そして心霊現象が始まった」ヒナが言う。
「そうなの、最初に気づいたのは香澄でね。父を亡くしてから地下室に入り浸るようになったの。そしたらある日、仏像が動いてるって言い出すようになったんです」
「お義母さん、そろそろお休みになった方が」女将が気遣う。
「大丈夫だよ。それで女将が確認したら、いつも東側を見ている仏像が北側を向いていると言ってね」
「香澄ちゃんが動かしたのでは?」僕は大女将に尋ねる。
「確かに仏像は子供でも向きを変えるくらいはできるかもしれない。でも不思議なことに香澄がいない時だけ動くのよ。学校にいる時とか、歯医者に行っている時とかね」
「まさか!」大樹さんが驚く。
「防犯カメラとかつけたら良くない?」とヒナが僕に提案する。
「工事はさけたいので、ビデオカメラを設置したことがあるんです。そしたら、本当に誰もいないのに仏像が動いたんです。私もう気味が悪くて」女将が答える。
「その映像をあとで見せてもらってもいいですか?」と僕。
「持って参ります。是非ご確認ください」そう言って女将は部屋を出て行った。

「よぉ、お袋。金貸してくれ」
 入れ違いに男が入ってきた。
「こんな時に何だい! お前に渡すものは無いよ。出ておいき!」
 男は僕らを睨んだあと部屋を出て行った。
「お見苦しいところをお見せしました。本来なら敷居を跨がせるべきではないのですが、それでも突き放すことができないんです。お恥ずかしい話です」大女将はそう言って目を伏せた。
「お待たせしました」女将が戻ってきた。
 ビデオカメラをテレビに繋いで映像を確認する。
 仏像は東を見ていると言っていた。北を向くということは左に回るということか。しばらく見ていたが、特に変化しているようには見えない。
「あれちょっと動いてない?」ヒナが声を上げた。
 あまりに少しずつなので変化に気づかなかった。確かに最初の位置と違う。そのまま見ていると120度くらい左に回転している。
「なるほど、それでその視線の先にあるのが鼎さんの絵ということですね」僕は女将にそう言った。
「その名をお聞きになっておりましたか」女将はそう返事をした。
「その名前に心当たりはありませんか?」今度はヒナが聞く。
「一族にそのような名は確認できませんでした」大女将は首を横に振る。
「先程も申し上げましたが、香澄は地下室が気に入っているんです。もともと本を読むことが好きで、本と見れば説明書なんかでも読み漁る子なんです。今では地下室で本を読むか、自分の部屋でパソコンを触っているかなんです」と女将が言う。
「パソコンを使えるってすごいですね」とヒナ。
「私が買い物に連れてってあげられないのがいけないんですが、ネットで買い物をしてるみたいです」と女将が述懐する。
「それからなんです。香澄がおかしくなったのは」女将はそう言って続ける。
「突然、重貞(しげさだ)、鼎って叫んだり。私が守るなんていって泣き出すんです。霊感があるとでもいうのでしょうか」
 女将は言うべきかどうか思案しているようすを見せたあと、再び口を開いた。
「それで、お祓いしてみたり、お医者様にみてもらったりしたのですが、変わらずで。私はあの子を地下室に行かせたくないのですが、行かせないと癇癪(かんしゃく)を起こして手に負えないんです」
 女将がハンカチで涙を拭い続ける。
「早くに父を亡くしたショックなのかも知れません」
「あの、重貞というのは?」女将に声をかけづらかったので僕は大女将に聞いた。
「ご先祖様です。私も詳しいことは分かりませんが、何か訳ありなのだと思います」
「訳あり?」僕は反射的に尋ねた。
「一族の亡骸は菩提寺にある先祖代々のお墓に納められているのですが、その方だけ長男であるにも関わらず別のお寺にお墓があるんです。子はおらず、家督は弟の鑑三(かんぞう)様が継がれております。勘当ということではないのでしょうか」大女将は咳き込みだした。
「お義母さん、そろそろお休みしましょう」女将が大女将に寄り添う。
「そうさせてもらおうかね。私にもお手伝いできたら良いのだけど、この老いさらばえた身体では足手纏いになるだけだしね」
「いえ、貴重なご意見ありがとうございます。お体お大事に」僕は立ち上がり頭を下げた。
「部屋を用意してありますので、後で案内させます。どうぞごゆっくり」そう言って大女将は女将に支えられて部屋を出て行った。
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