海開きおじいちゃん

文字数 1,974文字

「ひゃっほい!」
 5月5日、こどもの日の砂浜に響き渡る叫び声、その主は、海開きおじいちゃんの声だ。





 話は少し前に戻そう。
 また今年も海開きおじいちゃんが、僕の民宿に泊まりにやって来た。4月22日のことだ。
 今年で88歳になるとは思える体つき、ガリガリの骨と皮、ブルブル震える手足、薄い髪、しかしスタイル抜群の10頭身の190cm。
 開口一番に海開きおじいちゃんはこう言った。
「しゃ、しゃ、しゃもじを、くれんか、ね……」
 出た、しゃもじ好きアピールである。これはただのアピールであって本当に欲しいわけではない。
 最初にここへ来た10年前、とりあえずしゃもじを渡してみたところ、
「おい、おい、本当に、渡したら、ワ、ワシが、ストレッチ、するとでも、思った、かねぇ」
 と言った。
 しかしその時はまだ、ただのアピールとは気付かなかった。
 僕はついつい
「して下さるのですか?」
 と言ってしまった。
 それを聞いた海開きおじいちゃんは背伸びをし、さらに僕を見下ろし、
「ワシは生粋のしゃもじいさんじゃ! ストレッチはせん!」
 と非常にスラスラしゃべった。
 これを聞き、あれはただのしゃもじ好きアピールだということと、モタモタしゃべるということはキャラだということを知った。
 その時、僕は少しキュンとしてしまったことは、まだ誰にもしゃべっていない秘密。





 今年の話に戻そう。
 海開きおじいちゃんはいつもの部屋に入り、またいつも通り一切出てこなくなった。
 しかし、いつの間にか台所に来て、冷蔵庫を開けているので油断ができない。
 去年は傑作だった。





「しゃ、しゃもじが、冷蔵庫、の中に、冷やしてある、ぞえ」
 そう、僕は毎年そういう行動を取るので、冷蔵庫にしゃもじを入れといてみたのだ。
 案の定、海開きおじいちゃんは驚いた……ことは驚いたのだが、やはり冷静な人だった。
 そのしゃもじを取り出し、それで1回自分の頬を叩き、
「これくらいの冷たい手でビンタされたい……」
 と言ってから、しゃもじを冷蔵庫の上に置き、自分の部屋に戻っていった。
 その後僕は、手を氷水の中に入れ、キンキンに冷やし、手が冷たくなったら、急いで海開きおじいちゃんの部屋へ行き、何度もビンタした。
 海開きおじいちゃんはビンタをされながら、
「若き英雄よ、ついにここまで来たか……」
 と言った台詞は、何度も夢に出てきている。
 ちなみに夢の中では、何かデカい犬みたいなのが言っていて、海開きおじいちゃんではない。





 今年の話に戻そう。
 23、24……3、4、そして、5月5日。
「ついに、今日じゃ、じゃ、じゃあ、今年も、よろしく、頼もう……」
 僕は海開きおじいちゃんを部屋から肩車し、砂浜へ向かって走り出した。
 天井に頭をぶつけないように屈む海開きおじいちゃんは、これをアトラクション感覚でいる。
 実は僕もアトラクション感覚なのだ。
 全身震えるおじいちゃんをバランスよく運ぶゲームなのだ。
 いつも通り、10回くらい、地面に叩きつけながらも砂浜についた。
 今日の海はとても静かで、まるで、永眠した時の海開きおじいちゃんのようだった。
 僕は一旦、海開きおじいちゃんを降ろし、服を脱がしてあげた。
 Tシャツは優しく脱がし、ズボンは激しく脱がし、ブラジャーは口で外す、これはもう通例行事になっている。
 そして、ブラジャーを口で外されると必ず海開きおじいちゃんは、
「アメリカ軍……」
 と言い、まだ日本が世界に負けていなかった時代のことを思い出すのだ。
 全裸になった海開きおじいちゃんをまた肩車し、僕は海に足を入れた。
「ひゃっほい!」
 5月5日、こどもの日の砂浜に響き渡る叫び声、その主は、海開きおじいちゃんの声だ。
 僕の肩の上で大ハシャギの海開きおじいちゃん。
 もうクライマックスである。僕は前のめりに倒れこむ。
 海開きおじいちゃんは激しく地面に叩きつけられる。
「ぶひゃひゃひゃっ! 殺す気かい!」
 とびっきりの笑顔でこう言い、海開きおじいちゃんは僕のポケットからしゃもじを取り出し、自分の頬を強く叩く。
「痛い、ということは、生きてるんじゃ! ……あぁ、素晴らしい……生って素晴らしい……」
 海開きおじいちゃんは涙を流した。
 ここの海が他の海に比べ、しょっぱいのは、海開きおじいちゃんの涙のせいだ。
 最後に海開きおじいちゃんは、
「日本が戦争に負けていなかったら、どう違っていたのだろうか」
 と今年も同じ問いを出した。
 僕はいつもこう答える。
「僕たちは出会っていなかったでしょう」
 と。
 それを聞くと海開きおじいちゃんは満足げに笑い、海の中で人間とは思えないほどにコミカルなウンコをした。
 そして今年の僕もこう思ったのであった。
 『何でこんなに少年向けのテレビゲームみたいな可愛いウンコを出せるんだ』と。

(了)
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