可菜の気持ちは透き通る

文字数 10,000文字

 笹月可菜は思わず「ミイラ?」と口走った。右隣の糸井紗理奈が「何あれ包帯?」、左隣の小田村圭子が「大丈夫?」と呟いたのに比べたら、かわいげのない反応をしたものだ。
 埠頭の一画に設けられた撮影スペースに現れた男子達は、今まで番組で見られたような横並びではなく、縦の列だった。二人目の子が一人目の子の肩に両手を添え、三人目の子は二人目の子の背中に両手を添えている。そして最も異彩を放つ三人目の子。目にぐるっと包帯を巻いている。しんがりの子は金髪碧眼だけど、包帯はそれ以上のインパクトだ。
「びっくりしてるやろうけど、とりあえず自己紹介しよか」
 先頭の男子が関西弁で切り出した。異存なし。
「大阪から来た林邦一、高二です。リンと呼ばれてるけど、好きなように。よろしく」
 中肉中背で肌は日焼けしている。前髪の一部をカフェオレ色に染めているが、アクセサリーらしき物は見当たらない。女子側から見て左横に一、二歩と退いた。
 続いて二人目が口を開く。皆の視線が上を向くのは、彼がゆうに百八十センチを超す長身だからだ。
「福岡から来た橋倉乙彦、高一です。先に断っておくとバスケやバレーはやってません。乙彦と呼んでください」
 色白で年少のせいか大人しそうだが、耳に丸くて水色をした大ぶりなアクセサリーをぶら下げていて目を引く。身体を折り曲げるようにしてお辞儀した。
 その拍子に三番目の子が「わとと」とバランスを崩す。長身の橋倉の背中を頼りにしていたため、壁が消えたように感じたみたい。
「あ、ごめん」
「いや、こっちこそいつまでも背中を借りて悪い」
「手、握っとくよ」
 林とは反対側、向かって左に一歩退いた橋倉が言葉の通り、三番目の子の手を掴む。すると林までが「手持ち無沙汰やから自分もつないどこ」と手をつなぐ。
「藤崎徹です。十七歳、高二。神奈川在住。包帯はあとから説明があると思います。チケットを無駄にしたくなくて来ました。よろしくお願いします」
 口元から八重歯が覗き、かわいらしい印象を醸す。身長は林と同程度。気持ち、藤崎が頼りなく見えるのは包帯のせいか。
 四人目は自ら林の隣まで移動し、自己紹介に入った。
「皆さん初めまして。川西格之進です。十七歳。ドイツと日本のダブルです。お目にかかれて嬉しいです。ホルストと呼んでください」
 流暢にしゃべる。ホルストとは当然ドイツの人名に違いない。身長は橋倉には及ばないものの、他の二人よりは頭半分ほど高い。
「改めてよろしく! で、そちらも名前を教えてな」
 林がせっかちに言って、女性陣に自己紹介のバトンが渡る。
「小田村圭子、高二の十七です。名古屋から来ました。ケイと呼んでください。どうかよろしく」
 異性の視線を受けて落ち着かない様子で瞬きが忙しない。お洒落や化粧もあまりしていないことから、遊び慣れていない雰囲気があった。ストレートの黒髪に大きな眼鏡と真面目そうな佇まいだ。
 次は自分の番。
「宮城から来た笹月可菜と言います。高校二年生です。呼び方は可菜で。短い間ですがよろしくお願いします」
 内心もうちょっとアピールしてよかったかもと考えた。『ササカナって呼ばれて困ってる。仙台名物の笹かまみたいだから』とか。
「糸井彩莉奈です。東京の高校一年でーす。彩莉奈って呼んでね。漢字だと割と難しげだから、片仮名でもいいよ」
 ジョーク混じりに言った糸井は栗毛色の髪に、耳にはピアスがいっぱい、浅黒い肌にネイルはカラフルと比較的遊び慣れた雰囲気があるが、実際は分からない。垂れ目をメイクで隠そうとしている感があり、逆に損をしている。
 自己紹介が済むとスタッフから説明が入る。もちろん藤崎の目の件についてだ。二日前に目に違和感を覚えて病院で診てもらったら逆まつげとの診断が出、辛抱しきれなかったため手術を受けたとのこと。
「今回場所が場所だし、やばくね?と思ったものの、本人の意向を汲んでね」
 責任を負いたくないのか、スタッフは苦笑交じりでそんな言葉を付け足した。もちろん実際にはそんな無責任なことはない。事前の説明会で、今回は初めて尽くしでとても慎重になっているんだとチーフの人が請け合ったのを可菜は思い起こしていた。
 この度感染症の流行がようやく落ち着き、番組再開を期しての特別イベントという位置づけ。番組のフォーマットをイベント会社に貸し出して、豪華客船クルーズを舞台に催されるのだ。収録はポイントを抑えた極短いものになる。
 無論基本は通常と変わらない。毎週末、一泊二日の船旅を通して参加メンバーは互いを知り、仲を深める。チケットのルールも一緒。なお行き先は毎回着いてみてのお楽しみ。
 こうなった経緯には、クルーズ船を所有する会社からの働きかけも大きかったという。感染症の猛威が吹き荒れる中、クルーズ旅行も軒並み中止を余儀なくされた。他業種同様、今は復活したものの、定員の半分以下での運航を求められている。それでもなお集客に苦戦しているとの報道があった。日本では、最初に感染者を出したのがクルーズ船というイメージが強いからかもしれない。
 そこで安全のアピールと宣伝をかねてのタイアップ。だから不満があっても口にしないようにねと言われたっけ。尤も、前もって調べた限りではこれから乗るシー&サンヤマトを体験して不満を抱いている人なんてごくわずか。だから少なくとも今は期待しかない。
「安全に配慮してこの一週目のクルーズ中、彼は外には出ないことを条件とした。中を動くときも一人スタッフを付ける。寄港地では別だよ。それに次週にはもう包帯が取れる予定だそうだから」
「じゃ、今回の一泊二日では顔全部は見られない?」
 早口で聞いた彩莉奈。遠慮のない仕種で藤崎徹の方を指差している。
「写真があるから見てもらってもいいんだけど、折角のレアなパターンだし、隠しておこうかという話にはなってる。次の週には分かるんだしいいでしょ。とまあ、かような事情ですが、特別に彼のことを気にする必要はなし。これまで番組で見てきたような感じで過ごしていい。ただ、藤崎君が危ない場面や難儀している場面に出くわしたらサポートしてやって欲しいとは思う。あと、彼と一緒に行動するんだったら無用ないたずらは危ないから絶対にやめること。嘘の誘導をしたりとかね」
「それは当然」
 その他諸々の確認事項のチェックも済んだところで、いよいよ乗船となる。イベント関係者以外に乗客はいない、完全貸し切りだ。
「部屋に手荷物を置いたら、とりあえず男女別に指定の場所に集まって、緊急時の避難訓練を受けてください。これは決まりだから。場所は部屋のテーブルに用紙があるので分かると思います。訓練のあと正午までに最上階の展望レストランに移動。ビュッフェ形式のランチをしながらスタートとなります。以上、よろしく」

 可菜の第一印象では藤崎が気になった。顔を見てみたいという興味が半分以上ではあるが、声が気に入ったのも確かだ。
 ずっとサポート役が必要なら立候補してもいいと思ったものの、スタッフが付くというのならそう出しゃばるのも気が引ける。積極的に出られるかどうかは、このあとの流れ次第だ。
 彼の何枚持ってるんだろう?とふと気になる。可菜の恋チケットは六枚だった。
 もし仮に明日、赤チケットを使う女子がいて、藤崎に告白、OKをもらったとしたら、他の人達は彼の顔を知らないままお別れか。ちょっと面白いけど、受け狙いだけでそこまでする勇気はさすがに誰も持たないだろう。
 逆に、藤崎が明日赤チケットを使うなんてことはもっとあり得ない。次週からが勝負と考えているはず。
 藤崎が恋チケットを四枚しか持っていないとしたら大変だ。次週からではなく、次週だけが勝負の場となる。
 ということはやっぱり今の内から積極的に動いた方がいいのかな。

「何でも食べる、と言いたいところだけど」
 見えない状態だけど顔をこちらに向けて藤崎が言った。少し恥ずかしいらしい。
「小さなときからピーマンが苦手。他にひじきもだめなんだ」
「じゃあパプリカは?」
 料理を取ってきてあげると申し出た可菜は、類似した食材を思い浮かべて聞いた。
「……意識して食べた覚えがない。一応、選ばないで」
「分かった。それからこんにゃくは?」
「あー、ひじき入っているのもあるんだっけ。元々、あんまり好きじゃないし、こんにゃくも除外で頼みます」
「了解。行ってくるから動かないでね」
 席を離れた可菜の耳に、「奥さんかいな」とちょうど戻って来たリンの声が届く。
 広いレストランのどこで昼食を摂ってもいいのだけれども、初日の顔合わせの場という位置づけでもあるし、大きな丸テーブルに七人揃って食べることになった。今はめいめいが料理を選びに動き回っている。
「奥さんなら旦那さんのことが分かってるから、食べ物の好き嫌いなんて聞かないよ」
「お、言うね」
「そういうリン君こそ、可菜さんに気があるのでは」
 テーブルに着くなり率直な見方をしたのはホルスト。さすが西洋の血のなせるわざ?
 これ以上付き合っていると料理を取ってくるのが遅れるので、可菜はさっさと離れた。頬を若干赤くしながら考える。まだ分からないけど、リン君は自分の思い描く彼氏ってタイプではないなと。持ち前のにぎやかさで場を盛り上げるのに一役買っているが、その点を割り引いてもちょっと騒々しい。
 藤崎の好物だというチーズは山ほど多種類あってこれを全部持って行くのはさすがに多いんじゃないかと思ったが、まあ余れば私が片付ければいい。全種類もらった。他に食べ易いであろうパスタと揚げ物をいくつか、サラダも取った。が、ドレッシングを掛ける段になってはたと困る。
「サラダに掛けるの、ごまだれと和風とスパイシー、どれがいい?」
 丸テーブルの方を振り向いて声を張る。すぐに返事があった。
「生がいい!」
「生って、何にも掛けないってこと?」
「そう」
 へえ~、意外。自分は味付けなしでは駄目な口なので妙に感心してしまう。
 選び終えて戻って来ると、他の六人はもう揃っていた。二人分を選んだだけあって、可菜が一番最後になった。
「それではいただきます」
 リンが音頭を取って唱和してから、食事スタート。並びはそのリンを起点にして彼の左から彩莉奈、ホルスト、ケイ、乙彦、可菜、藤崎となっている。
「一人で食べられる?」
 取ってきた料理の説明とどの位置に何があるかをざっと説明してから、可菜は藤崎に聞いた。
「大丈夫。飲み物だけこぼすとやばいから頼むかも」
「なら俺に言うてくれてもええで。コップは左側にあるからな」
 リンがすかさず口を挟む。本気で目配りしているらしく、
「寸胴っちゅうか上から下まで同じ太さのコップで割と直径はある。簡単にはこけんと思うけど念のため慎重にな」
 と言いながら一度コップを藤崎に持たせてやった。
「分かった。サンクス。しばらくは女子とおしゃべりに夢中になっていてもいいよ」
「では遠慮なく。言うとくがおまえの召使いやないぞ。――あとは頼むな」
 可菜にウィンクしたリンは宣言通り、左隣の彩莉奈に話し掛けた。彩莉奈はホルストの日本語のうまさに感心していたらしく、リンにもしきりに聞かせようとした。
「ね? うまく食べてるでしょ」
 藤崎の声で意識を戻す。可菜は彼の口元を見て答えた。
「食べられているけれども、あとで口の周りを拭かなくちゃ」
「そんなに汚い?」
「汚くはないけど、全部を食べ終わる頃には」
「うーん、そうか。もっとお上品に行かないとだめか。あ、可菜さんもこっちばかり気にしないで食べてよ。全然、食べてる雰囲気がない」
「うん。あ、可菜でいいよ。さん付けはいらない」
「じゃあこっちも徹と呼び捨てで」
「分かった」
「あと、他の男子とも話さないと損だよ」
「え? 私のこと興味ない?」
「違う違う。僕は来週一気に追い上げるつもりでいるから。そのときうるさいくらいにつきまとうかもね」
「それじゃ、来週つきまとわれる分、今週は私の方からつきまとっちゃおうかな」
 自分でも不思議なくらい、積極的な言葉が出る。顔全体が見えない相手に一目惚れしたのかしらと、戸惑いすら感じた。
「僕みたいなミイラでいいの?」
「あ。聞こえてたんだ。ごめんなさい」
「こっちこそごめん。謝ってもらおうとしたんじゃなくて、ミイラ取りがミイラになるよってつなげるつもりだったんだけど」
 滑り出しとしてはなかなかいい感じで会話が弾み、食事も楽しく進められた。
 もちろんこの段階で他の男子とのつながりをいきなり断ち切るようなことはせず、右隣の乙彦やリン、ホルストとも言葉は交わしているのだが、やはり藤崎との方が波長が合うようだ。
 ただし、藤崎の方がどうかは分からない。彩莉奈ともケイとも楽しげにおしゃべりしている。
「ねえねえ、徹は声だけ聞いて、女子の中の誰が一番美人だと思う?」
 彩莉奈がいたずらげな笑みを浮かべて聞いた。可菜とケイが互いに目を合わせる。そして藤崎の返事に注目が集まった。
「いや、全員間違いなく美人さんでしょ。本家の番組何度か見たけど、かわいい人ばっかりだった。個性きつめの人はいたけど」
「うまいこと逃げよったな」
 リンはそう評して藤崎の肩をぽんと叩いた。それを藤崎は全然見えていないせいか、びくっとなった。
「今の、リン? 誰かに背中叩かれたのかと思って焦った」
「おっとすまん。ついいつもの癖が出た」
「全然見えてないのね」
 ケイが心配そうに言って、「だったら」とホルストへ視線を向ける。
「さっきホルスト君がやっていた声の物真似も、より本物らしく聞こえるのかしら」
「ケイ、それを試したいのなら最初に言っちゃあ駄目でしょうが」
 彩莉奈が笑いながらたしなめる。「あっそうね」と肩を縮こまらせた
ケイに、藤崎は「いや、ホルストの物真似ならさっきのが聞こえてたよ」とフォローに回る。
「目隠し状態のせいか、普段に比べて耳が敏感みたいだ」
「本当ですか。ヤバイヨヤバイヨ」
 ホルストがいきなりタレントの物真似をした。
「分かるって。だいたいこの場にいきなり芸能人が来たらおかしい」
「いやいや分からないわよ。夜はショーがあるそうだからそのゲストかも」
 彩莉奈が粘るが、嘘であることがバレバレだ。だけれども藤崎は真摯に対応した。
「少なくとも今のは聞き分けられる。本物の声とはちょっと違うから」
「言うわねえ。じゃ、他の男子も含めて今から同じ物真似をやるから、ホルストの声を当ててみせて」
 打ち合わせなしに無茶振りされたリンと乙彦が「げっ」という表情になっている。それでもノリがいいので、すぐに応じた。聞こえてくる方向でばれないようにと、席を移動する念の入れようだ。
 こうして三連続「ヤバイヨヤバイヨ」を聞いていると、別の意味でヤバい気がしてくる。
「どう?」
 一番楽しんでいる彩莉奈が嬉々とした銚子で尋ねる。藤崎は首を傾げた。
「分からん。本物じゃないことは分かるけど、誰が誰やら。ああ、二番目は乙彦?」
「お、当たり。何で分かったんです?」
 年下の彼はびっくり眼になって、丁寧語を交えながら聞いた。
「悪いな。声そのもので当てたんじゃなくて、聞こえてくる高さが他の二人に比べれば高いように感じた。それだけだ」
「なーんだ。でも鋭い」
 もう一度、今度は乙彦の代わりに彩莉奈が加わって同じことをやってみるもあっさり看破。結局、残り二人の区別はできなかった。
「悔しいです」
 それなのに何故か悔しがるホルスト。ちなみに今の「悔しいです」は芸人のネタを真似たのではないみたい。
「僕が一番得意な物真似しますから聞いてくれます?」
「日本人なら聞くよ。ドイツの有名人を物真似されても意味不明なんで」
「もちろん日本人です。皆さんも聞いて判定を」
 そうしてホルストが披露したのは、日本一のテキトー男の異名を持つタレントの物真似だった。これは正真正銘そっくりでみんな絶賛。さぞかしホルストもご満悦かと思いきや、肝心の藤崎が「ごめん、その人よく知らない」と来た。
「嘘やろ。大ベテランやけど子供にも結構知られとるはず」
「多分、うちの親が嫌いなタレントなんだろうな。見せてもらえないってことがあるから」
 なるほど。

 午後、明るい内はデッキに出て、テニスやペタンク、ミニボーリングなどで遊んだ。藤崎は約束通り出られないため六人になったが、チーム分け・コンビ分けしやすくなったと思うことにした。
「やっぱ徹が気になるん?」
 ゲームが終わり、テニスで組んだリンが話し掛けてきた。コンビは頻繁に組み替えており、可菜が見るところリンは彩莉奈と気が合っているようだった。ただ、好きな野球チームの違いで揉めているみたい。
「私そんなに上の空だった?」
「いやそこまでやないけど。俺らの方ももっと見て欲しいわとは思う」
「まだ先は長いんだし。少なくも明日と次回がある」
「次回は顔を出した徹のところ行くんやろ」
「言われてみればそうかも」
「あんなんずるいわ。包帯巻いて気を引くのが許されるんなら、俺かてくいだおれ人形の格好したわ」
 熱っぽく語ったリンだが、その顔つきを見ると冗談だと分かる。
「このあと三時のおやつ……じゃなくて何だっけ。アフタヌーンティか。そのときにはまたあいつの世話を焼くん?」
「そりゃまあ。途中でやめたらおかしいでしょ」
「女子で交代制にしてもいいんと違う? 徹だって他の女子のこと知りたいと思ってるだろうし」
「……うん。分かった」
 可菜がしっかりうなずくと、リンは目をしばたたかせた。
「案外、簡単に同意したなあ」
「初日だし、お見合いパーティみたいに組み合わせを機械的に変えていくのもありと思って」
「……その分なら話してもええかな、あの計画」
「計画?」
 おうむ返しに問うた可菜に、リンはにやりと笑った。

 午後のお茶を七人で摂ったあとは夕食まで自由時間。入浴はこの間に済ませておくようにと言われた。身体を動かしたあとでもあるので、女子三人で早速、最上階に設置された大浴場へ入りに行った。
「計画、聞いたんでしょ? 賛成した?」
 頭を洗おうとしたところへ、左隣の彩莉奈から話し掛けられた。
「リン君の? うん、まあ」
「だったらもうこの場で形を決めちゃおう。ケイも聞いて」
「形?」
「誰が誰に告白するかっていう形」
 予想外の話だが、計画に乗るからには当然とも言えた。

            *          *

(おかしいな)
 部屋で待っていた藤崎徹は時刻を知ろうと、テレビを入れた。今回のイベント参加中は携帯端末の類は持ち込み禁止とされ、乗船前に預けてある。元々、目隠し状態で参加すると決めた時点で、スマホを紛失する危険性を考えて持って来るつもりはなかったが。
 船上で入る一般的なテレビ放送はNHKのBSぐらいだから、あまり参考にはならなかったが、だいたい午後十時前だと当たりを付けた。
 夕食のコース料理は六時から七時半までたっぷり時間を取ってあった。その後八時からショーをライブで観覧し、終わったのが午後九時前。そのあとみんなで船内設備の疑似カジノを体験しようかという話になっていたのだが、約束した九時二十分を大幅に過ぎても誰も誘いに来ない。
 手探りでベッド脇の電話まで行き、付き添いスタッフに電話してみた。
「つかぬことを伺います、今何時でしょうか」
「九時五十分てところだね。どこか寄りたい場所でもあるの?」
 池辺という若い男のスタッフが答えた。
「いえ。他の面々はどうしているか分かります?」
「分からないな。僕は今日は君の担当だから。それに分かっても、参加者の動向を他の参加者に教える訳にはいかないんだ」
「そうでしたね。すみません。参加者の部屋に電話するのもNGでしたっけ」
「うん。どうしてそういうペアになったのかが分からなくなる場合があるから」
「困ったな」
 今回分は捨てるつもりで参加した藤崎だったが、約束を反故にされるのは気に入らない。目の見えない状態の自分を入れない方が、事がスムーズに運ぶ場合もあるだろう。それならそれでかまわないから、説明だけはちゃんとしてくれよ。
「池辺さん。女子の部屋があるフロアに男子がいるのは何時までOKですか」
「一応見張りを立てるけど、中に入りさえしなければ、つまり廊下にいる分には二十四時間OKだよ。尤も、二十三時には寝るように推奨してるから戻ってもらうことになるが」
「じゃあいいです」
 可菜に訳を尋ねようと思い、女子のフロアなんて言ってしまったが、自室で待っていても男子三人が各部屋に戻って来るのは気配で分かるはず。
「おっと、誰か来たようだ。もう電話いいかな。何か用事があれば、あとでまた掛けてくれればいいから」
「分かりました」
 電話を切ると、包帯を取ってしまいたい衝動を何とか抑えながら、藤崎は考えた。
(寝てしまわないように頑張るしかないか)
 決心して、備え付けの冷蔵庫からペットボトルを取り出した。濃い味のお茶なので眠気覚ましに少しでも役立つと思った。

 三十分強が経った頃、ドアが遠慮気味にノックされた。
 藤崎が返事する前にドア越しに、大人の男性の声が届く。
「藤崎君、起きてるか? 木島だけど」
 今回のイベントの現場責任者だ。背の高い名物プロデューサーで、逆まつげの件でお詫びを入れた際、辞退しようとする藤崎を熱心に誘ってくれた人でもある。それにしてもイベント中に話があるとは珍しい。鍵を開け、「何でしょう?」と問い返しながらドアを開ける。
「言いにくいんだが、ある意味緊急事態だ」
 部屋の内と外にいる状態まま、立ち話が始まる。木島の声が早口になっていた。
「実は今日、赤いチケットを行使した者がいてね。それも三名も」
「嘘っ。初日から赤?」
「我々も驚いている。その上、三名がうまいこと被らないように告白して、しかも結果は全組成立ときた」
「……へ?」
 話の内容を理解するのに若干時間を要し、理解してから頭を抱えた。
「嘘でしょ……あの、可菜さんは誰と」
「リン君が可菜ちゃんに告白してOKが出た」
「リンが。彩莉奈といい感じだったのに」
「応援する野球チームの違いが溝となり、埋められたなかったようだ。彩莉奈ちゃんはホルスト君に行って成立。乙彦君はケイちゃんにアタックしてこれまた成立だ」
「そんな偶然……」
 力が抜けた。その場にへたり込むも、どうにか顔を起こし、木島の顔があるであろう高さに向ける。
「きついなぁ。次回、六人総入れ替えされてたあともしばらく引きずりそう。もっとみんなのこと知りたかった」
 特に可菜。そう思った刹那、鼻筋を涙が伝うのが分かった。慌てて押さえようとしたけれども、包帯のトンネルを抜けてしまう。
「せめて可菜に告白してふられてからにしてほしかった、この仕打ち」
「泣いてる?」
「泣ける」
 声が裏返ったがどうしようもなかった。
 そのとき、船の床がゆっくりと傾いた。外海に出てからは多少荒れると言ってたっけ。
 立っている木島は揺れの影響をもろに受けたか、「うわ」という声が聞こえてきた。  ――おかしい。声がさっきまでと違う。それに聞こえてくる高さも急に低くなった。藤崎は素早く思考を巡らせ、全てを理解した。
「おまえら!」
 怒りにまかせてもし包帯を剥ぎ取っていたら、藤崎は目の当たりにできたろう。組体操よろしくホルストを太ももの上で支えようとする乙彦とそれをサポートするリン、そして男どもを見守る女子三人を。

「ごめんね。最初は私反対してたのにリン君の計画に乗ったのは、早々と徹一人に絞ったと見られたくなかったから。リン君達も悪気はなかったの。リン君が言うには包帯でアドバンテージを稼いだのがずるいからちょっと懲らしめようとしただけだって。ホルスト君は物真似を徹に認めさせたかったみたい。乙彦君は巻き添え」
「しょうがないな。実際、一番早くできあがったように見られてたみたいだし」
 藤崎は可菜の方を向いた。まだ見ぬ彼女はどんな顔をして説明したのだろう。
「そういえば徹、さっき泣いてたみたいだけど」
「うん」
 今さら隠しようがない。
「私にふられたと思ったから?」
「……答は君が告白してきたときに教えるよ」

 終わり
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