第1話
文字数 1,767文字
【フィジカル・エリート】《(和)physical+elite》フィットネスやジョギングなどでからだを鍛え、運動が得意で、健康的なからだや雰囲気を誇れる人。また、心身ともに鍛え上げたビジネスパーソン。(デジタル大辞泉 から引用)
高齢者は何かにつけて、個人差が大きい。これは健康面でも同じだ。90歳でピンピンしている高齢者もいれば、70歳代前半にして肺炎後、寝た切りになってしまう老人もいる。
入院患者さんの中で、大正生まれの人は少なくなった。大正15年生まれだと、今年で満97歳になる。そんな大正生まれの高齢者で、病院に入院して治療して元気に退院していく患者さんを診ていると、(嗚呼 、この人こそが「フィジカル・エリート」なのだ)と感動させられる。若い頃、身体を鍛えたかどうかは分からないが、その年齢まで元気に生き延びた事実だけでも十分に身体的なエリートだと思う。
ある夜、100歳に近い老婆が、嘔吐 、眩暈 で救急搬送されてきた。意識は清明で、麻痺もなかった。外来血圧が 264/80 mmHg で、高血圧緊急症の診断で入院となった。掛りつけ医などの通院歴はなかった。100歳近くまで未治療の高血圧症である。
「もう、吐き気なぐなったから、家さ帰る!」
「だめだぁ、帰せねぇ。入院して、血圧下げる薬さ点滴して血圧を下げなばだめだぁ。」
そして、入院してからが大変だった。もちろん彼女は、独歩可で身の回りの生活も自立していた。
「ちょっと! こっちゃこいっ!!」「実家さ電話してくれ。あんたの役目だろ?! 何だなやっ!」
病室から廊下に出て、腹の底から出す大声で看護師を呼びつける。気合、迫力満点だ。要点は、ここに居ても何も治療をしていないので家に帰るとのことだった。実際は降圧剤の持続静注から離脱し、内服薬に切り替えた直後で、病棟血圧は 200 mmHg と依然、高値である。斯 く斯 く然々 でまだ、入院が必要だと説明し理解された。(と、皆は思っていた。)
が、数分後、「おいっ! こっちゃこいっ!!」と同じことがまた始まった。認知症の短期記銘障害の症状だ。認知症の患者が、先ほど食事を取ったことを忘れて2度、食事を食べるのと同じ症状だ。
ところが…。
年配のベテランの看護師が、
「この患者さん、難聴よ。左耳元で大きな声で言わないと聞こえないから。」
と、患者の左耳元 5~6 ㎝ の所で絶叫に近い大声で、
「あのねぇ! 聞・こ・え・ま・す・かぁぁぁあああ~~~っ?!」
と尋ねる。
「んだ。」
と普通の顔で答える患者。まさに
この100歳に近い老婆は運動機能は正常で、身体的なエリートである。また、少なくとも数十年以上、未治療の高血圧があったであろうにもかかわらず何ともなかった。幸運でもあるが、内臓もエリートである。残念なのは難聴になったことだ。難聴で周囲との意思疎通ができない。認知症の症状と間違えられる。その内、本当の認知症に進んで行く。
何よりも大切なことは、言葉によるコミュニケーションなのだ。
「補聴器 30万すんな。なくすっどわりがら(失くすと悪いから)家の人さ渡してくれ。」
退院の前日、患者は担当の看護師に言った。
今この難聴の老婆にとって、最後まで完璧な身体的なエリートであり続けるための最大の武器は補聴器だ。その補聴器を、持っていながら日頃から使っていなかったことを、その時初めて知った。本当に勿体 ない限りだ…。
んだ。
さて、写真は 2017年6月24日、羽越本線越後寒川 - 今川 間で撮影した上り貨物列車である。
線路脇の狭いスペースで三脚が立てられず、望遠レンズで手持ちで撮影した。国指定名勝天然記念物・新潟県立自然公園に指定されている笹川流れの海岸線にそびえる奇岩と、海岸線まで迫った山との隙間から現れる貨物列車を狙った。
周囲には踏切など列車の接近を知らせるものは何もない。「そろそろ来る頃だ」という貨物時刻表の大雑把な時間と、後は列車が近づく気配を感じ取るしかない。耳を澄ませる。微 かにするゴォ~という唸る音。カメラを構える。(あれっ? まだ来ない?)とその時、ファインダーの中に機関車が現れた。
耳、大事。
んだんだ。
(2023年7月)
高齢者は何かにつけて、個人差が大きい。これは健康面でも同じだ。90歳でピンピンしている高齢者もいれば、70歳代前半にして肺炎後、寝た切りになってしまう老人もいる。
入院患者さんの中で、大正生まれの人は少なくなった。大正15年生まれだと、今年で満97歳になる。そんな大正生まれの高齢者で、病院に入院して治療して元気に退院していく患者さんを診ていると、(
ある夜、100歳に近い老婆が、
「もう、吐き気なぐなったから、家さ帰る!」
「だめだぁ、帰せねぇ。入院して、血圧下げる薬さ点滴して血圧を下げなばだめだぁ。」
そして、入院してからが大変だった。もちろん彼女は、独歩可で身の回りの生活も自立していた。
「ちょっと! こっちゃこいっ!!」「実家さ電話してくれ。あんたの役目だろ?! 何だなやっ!」
病室から廊下に出て、腹の底から出す大声で看護師を呼びつける。気合、迫力満点だ。要点は、ここに居ても何も治療をしていないので家に帰るとのことだった。実際は降圧剤の持続静注から離脱し、内服薬に切り替えた直後で、病棟血圧は 200 mmHg と依然、高値である。
が、数分後、「おいっ! こっちゃこいっ!!」と同じことがまた始まった。認知症の短期記銘障害の症状だ。認知症の患者が、先ほど食事を取ったことを忘れて2度、食事を食べるのと同じ症状だ。
ところが…。
年配のベテランの看護師が、
「この患者さん、難聴よ。左耳元で大きな声で言わないと聞こえないから。」
と、患者の左耳元 5~6 ㎝ の所で絶叫に近い大声で、
「あのねぇ! 聞・こ・え・ま・す・かぁぁぁあああ~~~っ?!」
と尋ねる。
「んだ。」
と普通の顔で答える患者。まさに
ど
難聴だった。他人が普通に話す会話は聞こえていないのだ。この100歳に近い老婆は運動機能は正常で、身体的なエリートである。また、少なくとも数十年以上、未治療の高血圧があったであろうにもかかわらず何ともなかった。幸運でもあるが、内臓もエリートである。残念なのは難聴になったことだ。難聴で周囲との意思疎通ができない。認知症の症状と間違えられる。その内、本当の認知症に進んで行く。
何よりも大切なことは、言葉によるコミュニケーションなのだ。
「補聴器 30万すんな。なくすっどわりがら(失くすと悪いから)家の人さ渡してくれ。」
退院の前日、患者は担当の看護師に言った。
今この難聴の老婆にとって、最後まで完璧な身体的なエリートであり続けるための最大の武器は補聴器だ。その補聴器を、持っていながら日頃から使っていなかったことを、その時初めて知った。本当に
んだ。
さて、写真は 2017年6月24日、羽越本線
線路脇の狭いスペースで三脚が立てられず、望遠レンズで手持ちで撮影した。国指定名勝天然記念物・新潟県立自然公園に指定されている笹川流れの海岸線にそびえる奇岩と、海岸線まで迫った山との隙間から現れる貨物列車を狙った。
周囲には踏切など列車の接近を知らせるものは何もない。「そろそろ来る頃だ」という貨物時刻表の大雑把な時間と、後は列車が近づく気配を感じ取るしかない。耳を澄ませる。
耳、大事。
んだんだ。
(2023年7月)