第18話:太陽光発電、119歳女性の話

文字数 2,056文字

 ちなみに2500万円から4000万円で、敷地が広いから、2つ家を建てることができると言われた。そこで、188坪で5千万円の土地を値引きとして大きな1軒屋の建物の解体と庭の聖地、駐車場の整備をサービスすると言われ購入を決めた。整地後、8月初旬、大手の格安木造メーカーでの住宅の総2階建て建坪40坪の家を3千万円で建て10月末完成で契約した。

 樋口兄弟が不動産屋に太陽光発電装置も付けたいと言うと実は、近くのS銀行が、広大な土地を持ち、研修所、計算センターがあり大規模な太陽光発電装置を計画し1口100万円の太陽光発電ファンドを売り出していると教えてくれた。資金があるなら直接、S銀行に連絡して交渉したらいかがですかと言われ、興味を持ち、電話すると翌日14時に事務所に来て下さいと言われた。

そこへ樋口兄弟が行き、太陽光発電装置の話を聞いた。すると応募していますが、個人での申し込みは数人と少ない。むしろ若い人達の株や投資をしているベンチャー系の投資家が静岡と神奈川県から8組から話が来てると言った。

 しかし、予定配当が、最低3%で最高10%なので、投資としては、今ひとつ魅力がないのかもしれないと担当者が語った。最低3%で最高10%とはと聞くと電力料金と天候による発電量のばらつきで変動すると言った。もちろん最低でも元金は、銀行で保証しますと告げた。実査に全国でのこういう試みの配当は、どの位と聞くと太陽光発電では5%前後、風力発電は10%近い。

 それでも最近、アメリカ、中国の太陽光発電装置メーカーの装置の販売価格が下がっていますので初期費用は、ずいぶん下がっていると打ち明けた。この話を聞いて弟の樋口昭二は、前向きになった。しかし、樋口秀夫は、迷った。そして、樋口秀夫が、彼らは、どの位の投資しているのかと聞くと100万円から一番多いグループでも1億円と答えた。

 予算はどの位ですかと聞くと、最初は、30億円で開始するつもりだと言った。行政からの補助金はと聞くと、合計10億円と答えた。すると、S銀行の負担は5~10億円ですねと聞くと詳しくお答えできませんが、良い線ですと笑った。さすが銀行さんは商売上手だと言い返すと、そんなにほめてくなくても結構ですと言った。

 それに対して、ほめてるのでなくて、商売上手だと感じただけですと言い返した。それに対して銀行は、長く継続することが第一の使命ですから、当たり前ですと答えた。席を立とうとしたとき、担当者が、ところで、もし参加すると予算はと聞くので、1~2億円と言うと、それは、助かります。是非、宜しくお願いしますと、さっきと急に態度を変えた。

 その様子を見て、樋口秀夫は、内心、
「なめてんじゃねえぞ、俺たちだって、ずっと投資家として危ない橋を渡ってきているんだ」
「地方銀行なんかに、なめられたまるかと思うと心の中から熱いものがこみ上げてきた」
「その結果、銀行を出る時に投資という気持ちに傾き昭二にやろうと言うとわかったと答えた」

 10月末、樋口兄弟の家が完成。樋口兄弟の株投資資金から5500万円ずつ支払い残金が、11936万円となった。2020年12月29日、朝、証券会社の担当者から樋口兄弟に電話が入った。キーエンス株の気配値が58330円と高いから売りと言われ全株、5千成り行き売り注文を出すと売れ、税引き後利益が25929万円で残金が37866万円となった。

 投資成功で銀行の太陽光ファンドに樋口兄弟が、別々に2億円ずつの出資を決めた。その結果、樋口兄弟の投資資金は、約4億円ずつとなった。 こうして2021年が明けた。1月2日、ギネス社より「存命中の世界最高齢」に公式認定されている福岡市の田中カ子「かね」さんが119歳の誕生日を迎えた。樋口兄弟は、この女性の生涯に興味を持ち詳しく調べた。

 田中さんの生まれた年1903年は、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功した年で、翌1904年に日露戦争が開戦している。彼女は、12歳で子もりとして奉公に出た。1922年1月6日、19歳の時に1歳年上のいとこの田中英男と結婚。家族で「田中餅屋」という店を営み、餅やぜんざい、うどんなどの店頭販売を行った。

 加えて、松葉「燃料」、砂利、縄の販売、船舶による運送、店舗「乾物屋」の賃貸など経営は多岐にわたっていた。戦時中、博多海軍航空隊内にうどん店を出店した。英男との間に4人の子「2男2女」を授かった。長女の悦子が1929年1月23日に生後1カ月で夭折「ようせつ」「意味は早すぎる死」した後、自身の姉である堺ハナの次女のハツエ「当時7歳」を養女として引き取った。

 さらに戦時中は早世した英男の妹夫婦の子供3人も預かって育てていた。しかし、養女ハツエは1945年2月19日に23歳で死去した。戦後に次女の和子を授かったが、1947年9月26日に1年3カ月で死去した。夫の英男は、1923年1月に徴兵検査を受け甲種合格となり入営したものの同年10月に病気により除隊した。
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