High School Dropout

文字数 1,828文字

 用意された天国ではなく自分で進む地獄を選んだ。後悔はきっとどんな道を歩もうがついて来る物だと気がつくのにどのくらいの時間を要しただろうか。堂々巡りを繰り返す思考や目の前に横たわる虚無が俺の精神を蝕む。ジリジリとそれは侵食していき、いつかは全てがそれになる日が来る。どうせ人間いつかは死ぬんだから全部無駄になる。しかしその無駄が俺自身を生かしている事も理解している。まとまらないない思考を一度窓から放り投げ、脳味噌を空っぽにする。
 埃が積もったピアノの上にある飲みかけの紅茶を覗くと薄く濁っている。水面に反射している見慣れた顔は知らない人の様に見えた。
 床に所狭しと積んである古本の山をかき分け、乾いた血が着いている使い古しの注射器を手に取った。天国の扉を叩くための許可証を中に詰めシャツの左腕をめくる。腕を慣れた手つきで軽く叩き正確に静脈へと針を刺す。それを押し込むと全身に脳髄が垂れる程の快楽が響き渡る。先程までの混乱に満ちた何もかもが宇宙の果てに飛んで行き一人宇宙空間に投げ出された。
 鮮明過ぎる意識の中ベットから立ち上がり、窓辺に置いてあるレコードを漁る。The Beatles、Oasis、Queenと名だたるロックバンドのジャケ写に挨拶を済ませ、クラシックのアルバムを手に取る。交響曲第玖番 ニ短調 作品百弐拾五(第九)と迷ったがパブロ・カザルスが演奏する無伴奏チェロ組曲を聞くことにした。レコードプレイヤーの蓋を開けターンテーブルに埃が無いか念入りに確認する。トーンアームを慎重に持ち上げ、取り出したレコード盤をゆっくりと載せる。針を降ろすと焚き火の様な音がうっすらと聞こえ始めた。湿気で少したわんだレコード盤の溝をクラシックカーで走っていると助手席に乗ったバッハが何かを必死に伝えようとしている事に気がついた。耳に水が詰まっている様な感覚に襲われてしまいよくわからなかった。
 狭い部屋で乱反射する音に酔いしれながら去年誕生日に友人から貰ったラルフローレンのアウターの内ポケットを物色する。少しよれたハイライトを取り出し、火をつけ煙を吸い込むと緊張していた体がほぐれた。煙草を吸いながら、再びベットに横たわると多幸感が更に押し寄せてくる。
 ふとカレンダーを見ると明日が自分の誕生日であることを知らせる赤字の丸が旅に出ると言い、部屋を徘徊し出した。明日十七歳になることを完全に忘れていた。高校を中退してからもう一年経ったのかと驚く。
 高校を辞めて、旅に出ようと思い立ったのは確か入ってすぐの昼休みにいつも食べている明太子チーズパンの断面を見た時だった。毎日意味の無い事を学び、決められたキャラクターを演じる。それらが全てくだらないと感じ始めていたのだろうか。思い立ったが吉日という言葉通りに食後すぐに担任の先生に相談して数日後、晴れて自由の身となった。親にはひどく怒られたが、最終的には好きにしなさいと言われた。ある程度の資金はあったのであてもなくリュックサック一つで旅に出た。約一年近く、自分探しの旅をして得たものは注射器の使い方とクールスモーキングのコツくらいだ。その対価として多くの物を失ったが思い出したくないので忘却の彼方に葬り去った。今思えば長年暮らした地元にすら自分(探しの旅の自分)が無いのに、他所に行って自分が見つかる訳が無いので結局は現実逃避に近い物だったんだと思う。そして長い旅を終えて帰宅後、こうして愛と勇気では無く虚無と堕落と共に楽しく生活している。
 ふと寝返りを打つと視界に埃被ったピアノが写った。昔は天才だ、ベートヴェンの再来だ。なんて持て囃されたが、蓋を開けて見ればこの体たらく。確かに才能はあったが天狗になれば努力する者には抜かれる。俺には必要ないと目を閉じ世界を拒絶した。しかし当時の習慣だけは残り続け、未だにクラシック音楽だけは好きで聞いている。
 今夜も寝れないのでゲームをしようと思い、PlayStation2の電源を付ける。『ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇』のタイトルがテレビに映し出され、ラジオ体操に遅刻しそうな主人公が走る場面からゲームが始まる。何も考えずに釣りでもするかと考えているとスマホが鳴り出した。相手は中学時代からの数少ない友人。要約すると今渋谷にいるから一服でもしようぜとの事だった。特に予定も無いので、準備をして家を出る。駅に向かう途中、テニスコートの隅に黄色のゼラニウムが咲いていた。
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