第1話「世界の終りの日」

文字数 2,448文字

 世界の終わりが近づいているらしい。
 最近、朝のニュースはそんな話で埋まっている。

 宇宙という広大な暗闇を切り裂く隕石に、各地で発見される謎の飛行物体。
 現実味のないSFチックな原稿を、個性のない化粧で顔を埋め尽くした女性アナウンサーが丁寧な口調で読んでいる。

 江本は淹れたばかりの熱々のコーヒーに息を吹きかけながら、無心でニュース見る。

 黒縁眼鏡の似合う宇宙に詳しい専門家が、謎の飛行物体について早口で解説している。江本には全く聞き取れない。しかし、ある一つの言葉だけは聞き取れた。
「エイリアン…… 」
 映画でしか聞いたことないような得体の知れない言葉に驚いたのか、「エイリアン」という言葉が江本の脳内を循環している。

 脳内に響き渡るエイリアンと一緒に、ほどよい温かさになったコーヒーを飲みこむ。苦みが舌を優しく包み込んだ瞬間、脳内からエイリアンは消え去っていた。

 時刻は午前九時半。くたびれたソファの上でくつろいでいた江本は、アルバイトに行く時間が近づいてきたことに気づく。
「やべ、バイトだ」
 憂鬱な気持ちを抱えながら、愛用している黒いポーチに必要なものを雑に詰め込む。
 家を出る前に父親の遺影に手を合わせる。
 江本の父親は五年前に亡くなった。膵臓癌だった。江本はその時、受験前だった。

 父親はどんなに辛い状況でもずっと穏やかな表情をしていた。遺影を見るたびに思い出す。喧嘩や争いが嫌いで平和主義者な父親は、いつも母親の尻に敷かれていた。そのせいか、家のリビングの家具はいつも母親が好きなアンティークだった。父親は北欧風が好きだったのに。
 
 そんなことを思い出していると、なぜか自然と笑みがこぼれた。
「お父さん。行ってきます」
 江本は父親の写真にそう言って、家を出た。

 空はまるで別世界かのように青く澄んでいて、雲一つない。

 江本は坂道に通りかかった。傾斜はゆるやかだが、とても長い坂道だ。通り過ぎる頃には脚は爆ぜたような痛みに襲われる。毎日のようにこの坂道を登っているせいか、江本の脚は慢性的な痛みに寄生されている。

 立ちながら自転車のペダルを勢いよく踏み込む。中間地点に差し掛かると、息をしてもしても足りないくらい身体中の酸素を奪われる。
 達成感と共に坂道を登り終わると、心地のよい涼し気な風が吹いてきた。江本の熱を帯びた身体は一気にクールダウンされる。

 アルバイト先のコンビニに着き、制服に着替える。鏡を凝視しながらくせの強い髪の毛を整える。眼鏡を外すと、覇気のない真っ黒な目が露わになる。眼鏡を掛け直し、バックルームから出てレジのある方へ向かう。
「おはよーえもっちゃん」
 低い声が耳を素早く通り抜けた。
「おはよう長谷川」
 派手な金髪に、銀色の大きなピアス。そして小麦色の肌。どこか真夏の海を思わせる風貌のこの青年は長谷川だ。

 長谷川は江本と同い年で二十歳だ。四六時中勉学に励んで合格した大学を中退してフリーターしているらしいが、長谷川も無意味にフリーターをしている訳ではない。

 このまま大学を卒業して、就職して、社会の荒波に揉まれ、ただ寿命を消費するというよくあるレールの上を走るのが嫌だと言うのだ。
「俺、人生振り返ってみるとずっと親の言いなりだったんだよな」
 長谷川にちょっとしたお悩み相談をすると、必ずと言っていいほどこの言葉を口にする。

 店内は朝のピークが過ぎ去り、静まり返っていた。

「そういえば漫画賞どうなった? 」
 長谷川は客がいないことを確認し、江本にそう耳打ちをした。急な耳打ちだったので、江本は驚いて身体に電気が走ったように驚いた。
「いやー落ちちゃったよ。自身あったんだけどな」
 江本が苦笑いを浮かべながらそう答えた。
「えぇ、俺面白いと思ったのになぁ。特に設定」
 長谷川がそう言うと、江本の悲しい気持ちはなぜか倍増した。

 江本は高校卒業後に漫画家を目指しながらフリーターをしている。漫画を描くための時間を増やすためアルバイトのシフトは最低限。金銭面では常にギリギリの生活を送っている。

「次の漫画の題材、エイリアンとかどう? 」
 長谷川が嬉しそうに言った。
「エイリアン? 」
「そう。最近ニュースとかでよくやってるじゃん」
 江本は困ったような顔をした。
「俺エイリアンとか飛行物体とか隕石とか好きなんだよな。なんかワクワクするっていうか。興奮するんだよな」
 江本の困ったような顔はより強くなる。
「か、考えてみるわ」
「完成したらまた見せて」
 二人の会話を遮るように、次々と店内には客が増えてきた。

 アルバイトが終わる頃、空はいつのまにか暗くなっていた。夜の冷たい風を感じながら、江本は自転車を走らせる。
 久々の長時間のシフトのせいか、疲労が溜まり、気を抜くと固いアスファルトの上で寝てしまいそうだ。
 
 街灯がほとんどない夜道を、自転車のライトで照らしながら進む。

 ペダルが突然重くなった。強い風が吹いている訳でも、チェーンが絡まった訳でもなさそうだ。時間の流れが鈍くなったような感覚に陥っている。まるで空間が操られているようだ。
 違和感を感じながら進んでいくと、黒い影が見えた。
 その黒い影を自転車のライトが徐々に露わにしていく。
「う、嘘だろ…… 」
 黒い影の正体を認識した瞬間、江本の額から汗が吹き出し、鼓動が早くなる。
 苔色の肌に、細長い手足。大きな頭に、真っ黒な瞳。よく見たら身長が二メートルほどある。
 その得体の知れない光景を目の当たりにし、江本には一つの言葉が浮かんだ。
「エイリアン…… 」

 この場から逃げ去ることも考えたが、迂闊に動けばエイリアンに危害を加えられるかもしれないという恐怖に苛まれ、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

「ばばぎ、ばばだぞ、ぞーでば」
 エイリアンは不協和音のような濁音の多い謎の言葉を発した。
 当然、江本には理解はできなかった。
 江本は思う。
 世界の終わりの日があるとすれば、おそらく今日だろうと。


 
 


 
 
 
 


 
 
 
 

 

 
 
 
 

 
 
 
 
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