第3話 最果ての地

文字数 6,836文字

 そうだ。僕はようやく辺りが一変していたことに気がついた。
目覚めたときは、雷らしい音に怯え、慌ててクレアへ声をかけ、夜空を見上げたりして、
周りを観察する余裕もなかった。

(この場所、なんだか変だ)

 何が変なのか。
雨は降っていない。周りは意外に静かだ。今しがたの雷鳴は遠ざかり、別の唸るような音が遠く
から微かに聞こえてくる。それと虫の声だけはあちこちから耳に来る。
 
 僕は目を凝らして周りの様子をうかがうと、石の板みたいなものが立ち並んでいる。
僕は直感した。ここは墓地だ。それも見たことのないような形のものだ。
 それだけでない。家の屋根ほどの高さから、意識がなくなる直前に見たような白い光も近くで輝いてる。
そして、その光は僕たちがいる場所を少しだけ照らしていた。

(どうしようかな。周りを見に行こうか。でもクレアを置き去りにできないし)

 僕は動けずにいた。すると、遠くからいままで聞いたこともない、甲高い言葉が聞こえてきた。
僕は、ヒトの言葉をどの国のものでも理解できる。

その声は、だんだんと僕たちに近づいてきた。

「ちょっと! やだ、やだ! 返して!」

 かなりの速さでこちらに走って来る者がいて、その後ろを追いかける小さな人影も見えた。
 初めの人物は修道女みたいだが、白い布らしいモノで顔半分を覆い、次に現れたのは幼子で、
やはり顔半分に白い布を付けていた。
 初めの人物は手にしていた布袋をクレア近くに投げつけ、すぐ森の中を走り抜けて行った。
次に来た幼子はクレアと僕を見て、

「え? 何、何、何? ……やだ、やだ」

 その幼子は腰をかがめ、投げつけられた袋を右手でそっとつかみ、クレアをのぞきこみ

「え? 死んでるわけないよね……え、どうしよう……」

 そして僕の方を見て

「やだ、フクロウって……怖っ」

(この子、僕が見えるんだ)

 僕は、短い髪の幼子を男の子みたく感じたけれど、声やしぐさから女の子だと確信した。
この子の髪の毛は黒い。瞳も黒色だ。
 幼子は服から小さな板を取り出して、板の上を指でなぞり、その後で板を耳に当てた。
そして何やら独り言を始めた。

「あ、叔父さん、私。あのさ……女の人が倒れてるんだけど、どうしよう……うん。
え? いま青山墓地。墓地真ん中の通り、交差点近く。……叔父さん近くだし、来れるよね? 
……チャリなら、すぐじゃん。……私? ……塾の帰りだよ。……だからぁ、わけわかんない。
救急車? ……うまく言えないよぉ。……うん。待ってる。ソッコーで、早くだよ!」

 幼子はクレアと僕から離れ、拾い上げた袋を肩にかけ、来た方角に小走りに戻って行った。

(あの子、帰っちゃうのかな)

 しばらくして、幼子は一人の男と共に再び現れた。男は25歳ほどだろうか。顔に白い布をつけている。
それに、車輪が前後に一つずつついた不思議なモノを両手で支えながら押してきた。

(あの二つの車輪がついた見たこともないモノ、なんだろう?)
 
 僕は改めて観察した。幼子も男もフランクの人々とは言葉や服が違う。異教徒らしかった。
僕の過去の記憶にはない、見たこともない姿格好だ。
 男は幼子とクレアを交互に見て

「この人かい?」
「そうだよ。シスターぽい人にバッグ盗られて、追いかけたら、ここにこの人が倒れてたんだよ」
「この人は完全にシスターだね」
「ガチ、死んでないよね?」

 男は、背中に背負っていた大きな袋を下ろし、小さなヴェールみたいなモノを取り出して、
それをクレアに向けた。
 次の瞬間、そのヴェールみたいなモノは突然、白い光を発した。
 僕は驚きで飛び上がりそうになったが、なんとかクレアの背中にとどまった。

「もしもし。だいじょうぶですか?」

 男は、クレアの顔近くで彼女に声をかけた。そして右手でクレアの左手をそっと握った。

「息はしてる。体から大きな出血はないし。うつぶせになってる右頬のとこ、少し擦り傷ぽいかな。
それと……この人、服があちこち濡れてるなぁ。雨は降ってないのに、どうしてだろう。
……確かにフクロウいるね。この人の背中に。おとなしいからペットかな。珍しいけど」

(この男も僕が見えるらしい)

男も幼子同様に服から小さな板を取り出し、板に触れた後、耳に当ててしゃべりだした。

「救急です。女性が倒れてまして。意識は無いです。呼びかけには反応ありませんので。
ええ、呼吸はしてます、普通に。体全体を見たところ、出血とかはないようです。
年齢ですか? ……18歳前後かな。白人の女性です。発熱の感じはないです。……はい。
場所は青山霊園の中央通り、青山陸橋通りと交差する場所のすぐ北側です。僕は園田と言います」

 男は独り言を終えると、幼子に向き直り
「救急車来るから。僕は通りで誘導、同乗するよ。優乃は僕の自転車をマンションに持ち帰って」
「えぇ! やだよ。叔父さんのタイヤぶっといし重いし、ムリだよ」
「ここに置いてたら盗られちゃうよ。一昨年、一カ月待ちで30万したやつだよ、これ」
「私のチャリもあるんだよ。両方の運転できないよぉ」
「二台のハンドル支えて、ゆっくり歩けば動かせるよ」
「でも……」
「臨時のお小遣いだすから」
「……わかったよ……」

 男と幼子は来た道をゆっくりと戻って行った。

 それからのできごとは、僕には衝撃的で簡単には理解できないものだった。
幼子と話していた男は、別の男三人と戻ってきて、三人は折りたたんだ台を伸ばし、それにクレアを乗せ、
森から少し離れた道に置いてあった車輪が四つついた箱に彼女を乗せ、その箱は驚くべき速さで動いた。

 僕はクレアの後を追うように飛んだ。墓地があった森を抜けると、そこは光の花畑のようだった。
いろいろな色の光が輝き、車輪が四つの同じような箱が道にあふれ、激しくあちこちで動いていた。
それに、長方形の石壁のような建物が隙間なく立ち並んでいた。
 森で聞いた唸るような音は、車輪が四つついた箱と関係があるらしかった。

(ここは何だろう……天の国……でもここの人たちは異教徒だ)

 夜なのに昼のような明るさを感じた不思議な道を、クレアを乗せた箱は進み、やがて一つの建物前で
とまった。
 
 建物は七層で、フランク王国で見た、地位が高い騎士の居城ほどの高さがあった。
クレアはその建物中へと運ばれた。僕は誰にも気づかれないように、クレアのお腹辺りに素早くとまった。

 一つの部屋にクレアは入れられ、墓地に来た三人とは違う男が入ってきて、彼女の体に触れようとした
直前、僕は飛んで、部屋の窓の縁にかろうじて留まった。
 
 男はクレアの体、あちこちを見て、触れた。そのとき、クレアが両腕に巻いていた革と板金に
気がついた。男は隣にいた女に声をかけた。
 女は、クレアの腕に巻かれていた革と板金をどうにかはずし、それを不思議そうに眺めた後、
すぐそばの木の台みたいなところに置いた。
 男は、クレアの右の指先に何か小さなモノを挟み、彼女の額には何か小さなモノを近づけた。
やがて、指先に挟んだモノをはずし、額に近づけたモノを手にした男は、それを見つめていた。

 男のそばにいた女は、クレアの体を横向きに変え、クレアの服、袖をまくり上げ、腕に何かを巻いた。
これには紐のようなモノがついて、その先の楕円の形、小さな黒パンみたいなモノを女が握ったりした。
 その後、腕に巻いたモノを取りはずし、その後で男は女に何かを話していた。

 少し経ってから、クレアを乗せた動く台は女二人で別の部屋へと運ばれた。
 
 この部屋には別の女がいて、この女はクレアの左腕に細長い棒についた針のようなモノを突き刺した。

(痛そう! ……あれ? クレアの血を抜いてる! 吸血するつもりか!)

 近くの箱の上に留まって成り行きを見ていた僕は、阻止するため飛び込もうとした。
でも思い止まった。女が血を抜くのをすぐ止めたからだ。
 またクレアの鼻の穴に小さく細ながい、先の少し丸くなったモノを差し入れた。

(何やってるんだろう。クレア、眠ったままで、やられ放題だよ……)
 
 女は、クレアの血が入った小さく細長いヴェールみたいなモノと、鼻の穴に入れた棒を、
小さな箱のようなモノに入れて、その部屋から奥の部屋へ運んで行った。
 
 クレアは動く台に乗せられたまま、また別の部屋に入れられた。
 ここは小さな部屋で、寝床らしいモノと、その横に木の台も置かれていた。部屋には誰もいなかった。
クレアを乗せたままの台を運んできた女二人は、クレアをこの寝床に移し替えた。
 またクレアの腕に巻かれていた革と板金、それにクレアが腰につけていた袋も持ち込まれ、
寝床横の台の上に置かれた。
 
 ほどなく、この部屋に来た別の女は、長い棒を手に、これを押してきた。この下には棒状のモノが
五本、等間隔で五角形に延び、その棒の先、下部分にはそれぞれ小さな車輪がついていた。
 長い棒の上部には、左右にまた棒で延びる部分があり、その先は穴が開いた輪になっていた。
 女は右手に持つ袋をその輪に引っかけ、さらに袋の下、黒いところに、左手に持っていた紐状の
先端を突き刺し、全体を両手で伸ばし、紐の反対、先端の針のようなモノをクレアの左腕に突き刺した。
 棒に吊り下げられた袋には、水らしいモノが入っているように見えた。棒は寝床わきに留められた。

(クレア、起きないな……それにしても、この建物にいる男女は、みんな白い布を顔につけてる)

 眠ったままのクレアから離れ、僕はこの建物の中を見て回ろうと思った。
 部屋を出ようとしたら、クレアのいる部屋のすぐ外で、墓地でクレアに声をかけた男と、別の男二人が
何やら話し込んでいた。
 僕は近くで話し合いを少し聞くことにした。

「あなたは倒れてた方に疑問がおありとか」
「ええ。どうも中世ヨーロッパの人みたいな感じで」
「中世の人、ですか?」
 この男は隣の男と顔を見合わせ、小声でわらった。

 クレアが倒れてた森で、初めに声をかけた男は真顔で続けた。
「彼女、腰に巾着つけてましたけど、あれはオモニエールというモノで、中世フランスで使われてます」
「似せて作られたモノでは」
「それと。なめした革靴は足の甲を紐で結んで包むタイプです」
「それもレトロ趣味では。いま異世界なんとかって、流行ってますね。そちら系では」
「彼女はコスプレイヤーじゃないですよ」
「まあ、何とも」
「刑事さん。彼女が身に着けていた巾着の中身を見ましたよね?」
「詳しいことはお話しできません」
「ともかく、ローマ教皇庁大使館に照会したほうがいいですよ」
「それはこちらで対処します。園田さんでしたね。名刺も頂きましたし、今日はもう結構です」
「はあ……」
「今後、事件性ありと確認されましたら、後日、また聴取をお願いすることになります」
「……わかりました」
「それと、あの方のコロナ検査は陰性だったそうです」
「それは良かった」
「では、そういうことで。本日はご協力ありがとうございました」

 薄笑いを浮かべた男二人を残し、森でクレアに声をかけた男はその場を離れて行った。
 
 僕は男たちを見送ることなく、この建物中を飛べる範囲で、くまなく調べてみた。それで理解できた。
 どうやらここは、病やケガで困ってる人たちを助ける場所らしい。
そして建物で働く人や、この建物に来る人たちは、みんなあの白い布を顔につけている。
初め僕はお祭りの仮装かと感じたけれど、どうも雰囲気は暗い。喜びで満ち溢れた顔は見えない。

(これは……嫌な予感だよ。もしかしたら疫病かもしれない)

 僕はクレアを残し、建物から外に出て、あちこちを飛び回った。
 
 ヒトは歩く。馬にも乗る。でもそれは地面だけの移動だ。僕みたいに空を飛べば、自分の元いた
居場所をすぐに特定し、思い出すのは難しいだろう。空から下を見るというのはそういうことだ。
 空から見る地上は、誰でも日頃見る周りとは違うはず。でも僕はすぐ分かるんだ。
それで、どこに出かけても、すぐ元の場所へと帰って来られる。

 異国の言葉も、人々の話し合いや表情、それに書かれた本、そこに記された文字を読み解くことも
僕にはできる。その理由はいまは言えない。神のご加護、とでも言っておこう。
 それで驚くべきことが判明した。
 ここはフランク王国から遠く離れた、東も東、フランクで知られていない国だった。
それだけならまだいい。もっと深刻な状況も見えてきた。

(クレアはどう思うかな。僕もいま混乱して、どうすればいいか、考えつかない)

 僕は夜通し飛び回り、調べ、頭を使い、この地を解釈しようと試みた。
 ふと気がつくと、夜明けの太陽が辺りを照らし出している。僕は大急ぎでクレアのもとへ帰った。

 
 僕がクレアの眠っていた部屋に戻ると、クレアはまだ寝息を立てていた。

(クレア……眠りの病、ではないよね)

 僕が心配して彼女の顔を覗き込んだ瞬間、クレアは目を開けた。

「クレア! ああ、良かった。目が覚めたのかい?」

 クレアは少し起き上がった。顔をしかめて声を出した。

「痛い……何、これ?」

 クレアは左腕に刺された針と紐のようなものに気がついたらしい。

「まだ、それは触らないほうがいいよ」
「マラク……ね。これは……ここはどこ? ……腕に巻いた革や板金も無いわ」

クレアは自分の腕を触り、部屋の中を見回して不安そうな顔で訊いた。
「革と板金、腰に下げてた袋は、クレアの横の台に置かれてるよ」
クレアは顔を向けそれを見たが、狼狽したように僕に言った。

「ああ! 短剣が無いわ!」

(そう言われてみれば……)

「僕も少し意識なかったけど。目覚めた後、クレアの持ち物、誰も盗んでないよ」
「どうして消えたの……」
「もう一度、ゆっくり、思い出してみようよ」
 僕はクレアを落ち着かせるように静かに話した。

 彼女は一呼吸おいて、
「そうね……部屋から出て、廊下を駆け抜けて、厨房に入って……小窓の前で……私の手が
窓に届かないから、近くの小さな木の台を引っ張って踏み台にして、持ってた長剣は置いて……あっ
そのとき木の台は腰に当たった感じがしたわ。それよ」
「それもそうかも。だけど、僕はやっぱり、あの縦に細長く横が狭い窓に、クレアが体を押し込んだ
ときだと思うよ」
「……それも、あるわね」

窓からクレアが飛び降りた後、雨が強かったし、僕もあのときは気がつかなかった。

「後でまた考えるわ……」
「それがいいね。それより大変だよ、いま」
「そうよ。ここは何?」
「ここは病の者を助ける場所だよ。それにここはフランクではない別の国だよ」
「フランクでないって、どういうこと?」
「細かな説明は後でするよ。いまは……クレア、どうしたの?」
「ちょっと……用足ししたいの」
クレアはお腹辺りを右手でさすった。

そこに女が入ってきた。僕は急いでクレアから離れ、窓の縁に留まった。
女はクレアを見て

「だいじょうぶですか? どうされました。……ああ、トイレですね」

 クレアは部屋に突然現れた女に戸惑いながら、僕をちらりと見て、寝床から体を起こした。
そして、女が差し出した右手を恐る恐る握った。
 女はクレアが足を床につける前に、クレアの靴を揃え彼女の足にはめ、足の甲に靴紐を結んだ。
 クレアの左手につながったままの紐。それを支える棒は、寝床からはずされ、五本の棒についた
小さな車輪で動かされ、女は棒を握り支えながら、寝床から出たクレアと共に歩き出した。
 女は、壁にあった戸を手前に開けた。僕も再びクレアの右肩に急いで留まった。

 そこは狭い小さな部屋だった。
 目の前に白い楕円の石の台みたいなモノが見えた。女は壁にあった小さなつまみに触れた。
突然、小部屋はあの白い光に包まれた。

「ああ! これは……まぶしいわ! ……大天使ミカエルの光……」
 クレアが大声で叫んだので、女は驚いたようだが、すぐにクレアに優しく、
「だいじょうぶですよ。ただのトイレです」
女はクレアのフランク語を理解できていないようだったが、とくに動じるふうはなかった。
 
 女から穏やかに言われても、クレアは立ちすくんだままだった。
クレアは動けない。それで女は、楕円の石の台を上に持ち上げた。上は蓋だった。

「どうぞ」

 女は小部屋を出て行った。
 ここが用足しの場所らしい。

「これをどうするの? あなた、どう思うかしら」
「この台を見ると、中に少し水がたまってるよね。ここでいいと思うよ」
「こうするの?」

 クレアは背中を戸の方に、石の台には馬乗りになるように、その上にまたがった。

「どうも違うなぁ。逆じゃないの?」

 クレアは腕につながった紐と棒を気にしながら、戸を真正面に見るように、両足を揃えて台に座った。

「そうだよ。それだと合ってる」
 クレアは目覚めてから初めて、笑顔で僕を見た。

(そう、その笑顔でいいんだ。クレア)

「じゃ、僕は外に出てるよ」
「ここにいて」
「でもなぁ、女の子の……」
「後ろ向いてくれればいいの。あなたがいないと不安よ」

 クレアにとって、最果ての地は、用を足すのも一苦労だった。
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