大神殿への切符
文字数 2,888文字
空に浮いている空中浮遊世界『ウェルファー』。
ここは比較的平和で裕福な世界である。五つに分かれた浮島は常春の春島、常夏の夏島、そして秋島、冬島、と分かれ、中央に四季の巡る主島がある。それぞれは飛行船で連絡しており、主島には創造主が、各島には季節の主、季主 がいる。
そんな平和な世界でも貧民層、という者はいた。怪我や病で働けない人々が安いアパートや路地で生活し、食べ物を得るための犯罪があった。
しかし主島の中枢機関、大神殿ではそれに対する対策を何もしていない。
大神官のバレル・クレウリーも無視してきた。
日々の糧を得る為に必死になっている人々がいる事は、富裕層は見て見ぬふりをする。
『働けばいい』と。
病や怪我で働くことの出来ない人々を無視していたのである。
そして、ここ数ヶ月でさらに貧民街は困窮していた。人口が増加したことが原因と思われる。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
「おい、あれが大神官バレル様の息子だって」
「ええ! わりとかっこいいじゃない」
「でもバカだって話だぜ」
「そうなの? かっこいいのに……がっかりだわ。でもそんな人が次期大神官なの?」
「大神官は世襲制だからな。バカでもいいんじゃね」
クレスとすれ違った恋人同士が振り返りながら彼の噂をする。
ここは神官学校の廊下である。最終試験を受けに来た生徒でごった返している校内でクレスはさっきの話を小耳にはさんでしまった。
(何かいうなら俺の聞こえない所で言ってくれよ。大神官がバカでいいわけないだろーが)
溜息をついてクレスは思う。
神官学校の制服を着ているクレスは、ブレザーにズボン、それに首にタイを巻いた、堅苦しい格好だ。半年前のクレスはそれを着崩して雑に着ていた。今はきっちりとタイを結び、一分の隙もない見事な格好だ。
もともとクレスは見目がいいので、そのような格好をするとさっきの女の子の言っていたように「格好いい」のだ。
実際、四季の浮島をめぐる旅をする前は本当にガキだった、とクレスは自分で思う。
次期大神官という立場にありながら、その自覚が全くなかった。
それが旅を終えて、ここ一年でクレスは大分変わった。
幼さが抜けて落ち着きが出てきた。
一年前までの神官学校でのクレスの評価は、いわば「不良」だった。
父親の威光と立場に甘えた生意気なガキだった。
しかし旅先で出会った色々な人たち、それとこの国の重要事項を知って考えが変わった。みんな、この国の生きとし生けるものは、懸命に生きている。それらを支えるには力が必要なのだ。大神官になることをはっきり自覚したクレスは、あれから猛勉強した。もともと成績は悪くなかったので、クレスの評価は上がっていった。
そして今日は神官学校での総決算、卒業試験の日だった。
ここでいい成績を出さないとクレスは次期大神官候補として示しがつかないのだ。
大神殿や各浮島の神殿へ勤務できるのは、成績の優秀なものだけだ。
あとは地方の神殿へ回される。
クレスは実力で大神殿への切符を手に入れなければいけない立場だった。
だけど今までの素行が悪かっただけに、ここ半年のクレスの成績の上がり具合を、他の生徒は不審に思った。それはクレスの努力のたまものだったのだけれど、『大神官の息子はやっぱり特別な待遇をされるのだ』との噂がたって、それがある事ない事まわっていた。
以前だったら一発ぶんなぐってすっきりするところだったが、クレスはぐっと耐えた。
そして面と向かって自分を非難した者にはクレスはこう言った。
『悔しかったら俺を超えてみせろよ。もっと本気になってな!』
休憩時間終了の鐘が鳴る。
それを合図にクレスたち生徒は教室に入って試験を始めた。
その結果、クレスは首席で神官学校を卒業し、卒業の答辞を述べ、大神殿への勤務が決まったのだ。
夜、自室の中でクレスは机に向かって本を読んでいた。その最中に片耳に提げている耳飾りが熱くなる。
レイから預かった、大事なもの。一生大切にすると約束したクレスは、それをレイのように耳に入れた。その耳飾りは片耳にひっかけてぶら下げるように作られており、留め金のようなものが付いていて落ちないようになっている。
サファイアの耳飾りは熱を持って青く光っている。
中から小さな声が聞こえた。
「今そっちに行ってもいい?」
「レイか。いいよ、来いよ」
久しぶりに会う恋人にクレスは胸が高鳴った。
自分のすぐ横、耳飾りのある側にゆっくりと人の影があらわれる。
飴色の腰までの長い髪、ほっそりとした長い四肢、「綺麗」という言葉がしっくりとくる、いつものレイの姿だった。
くっきりとレイの体が像を結ぶのをクレスは椅子に座って黙って見ていた。
夏島の季主の衣装を着たレイは長い髪を後ろに一つに結わえ、青を基調とした長衣を着ていた。
はっきりと体が形を成すとレイは言った。
「卒業おめでとう、クレス」
にっこり笑いかけられる。相変わらずレイは美しい。
それにクレスは照れてあごを少し掻いた。
「ありがとう。俺、無事に大神殿の勤務に就けたよ」
「うん。知ってる。これからは頻繁には会えなくなっちゃうかもね」
「なんでだ? いつもみたいにレイが逢いにきてくれれば済むんじゃないか」
「それでもいいけど、クレスが疲れると思ってさ。少し寂しいかな」
レイの言葉にクレスは胸を突かれた。レイが『寂しい』なんて口にするなんて。
確かに季主は寂しい存在だとクレスも思っていた。死ねない体を持って夏島を何千年と守ってきたのだ。
しかしそれを言ってもどうにもならない事だからだろう、レイは寂しいと言った事は無かった。
それをレイが言ったことですこし感傷的になったクレスは、彼の顔を見上げて軽くくちびるに口づけをする。
レイは意表を突かれて少し怒った表情でクレスを見たが、クレスは笑ってレイを見た。
「レイはいつもどおりでいい。俺が頑張るから」
レイは目を細めて愛おしげにクレスを見た。
「クレスはたのもしくなったね」
「そうか? まあ、成長期だしな」
「そういう意味じゃないんだけど、まあいいか。で、配属先はどこになったの」
そう聞いたレイにクレスは顔をしかめた。
「ほら、俺、いまも大神官の候補だから10年くらいいろんな部署をたらいまわしにされるみたいだ。その後に四季の浮島に一年ずつ留学するんだと。で、栄えある第一の部署は『財務部』だ」
「お金の出し入れをする部署だね」
「そう。一応首席で学校を卒業できたから金銭管理の部署に回されたらしい」
『財務部』
主島の行政に関するあらゆる金銭管理を引き受けている所だ。
税金からお祭りまで。それと主島の神官たちの給料なども。
「明日から出勤だ。レイ、俺、頑張るから。だから見てろ。そして惚れ直せ」
いたずらっぽくそう言ったクレスにレイはにこりと笑った。
「うん。応援してる」
「ああ」
クレスはそっとレイの頬に手をあてた。
「俺、もっともっと大人になって、この世界を護る。レイみたいに」
「ああ、期待してる」
レイはクレスの手に自分の手を重ね、目を閉じてクレスの体温を感じた。
ここは比較的平和で裕福な世界である。五つに分かれた浮島は常春の春島、常夏の夏島、そして秋島、冬島、と分かれ、中央に四季の巡る主島がある。それぞれは飛行船で連絡しており、主島には創造主が、各島には季節の主、
そんな平和な世界でも貧民層、という者はいた。怪我や病で働けない人々が安いアパートや路地で生活し、食べ物を得るための犯罪があった。
しかし主島の中枢機関、大神殿ではそれに対する対策を何もしていない。
大神官のバレル・クレウリーも無視してきた。
日々の糧を得る為に必死になっている人々がいる事は、富裕層は見て見ぬふりをする。
『働けばいい』と。
病や怪我で働くことの出来ない人々を無視していたのである。
そして、ここ数ヶ月でさらに貧民街は困窮していた。人口が増加したことが原因と思われる。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
「おい、あれが大神官バレル様の息子だって」
「ええ! わりとかっこいいじゃない」
「でもバカだって話だぜ」
「そうなの? かっこいいのに……がっかりだわ。でもそんな人が次期大神官なの?」
「大神官は世襲制だからな。バカでもいいんじゃね」
クレスとすれ違った恋人同士が振り返りながら彼の噂をする。
ここは神官学校の廊下である。最終試験を受けに来た生徒でごった返している校内でクレスはさっきの話を小耳にはさんでしまった。
(何かいうなら俺の聞こえない所で言ってくれよ。大神官がバカでいいわけないだろーが)
溜息をついてクレスは思う。
神官学校の制服を着ているクレスは、ブレザーにズボン、それに首にタイを巻いた、堅苦しい格好だ。半年前のクレスはそれを着崩して雑に着ていた。今はきっちりとタイを結び、一分の隙もない見事な格好だ。
もともとクレスは見目がいいので、そのような格好をするとさっきの女の子の言っていたように「格好いい」のだ。
実際、四季の浮島をめぐる旅をする前は本当にガキだった、とクレスは自分で思う。
次期大神官という立場にありながら、その自覚が全くなかった。
それが旅を終えて、ここ一年でクレスは大分変わった。
幼さが抜けて落ち着きが出てきた。
一年前までの神官学校でのクレスの評価は、いわば「不良」だった。
父親の威光と立場に甘えた生意気なガキだった。
しかし旅先で出会った色々な人たち、それとこの国の重要事項を知って考えが変わった。みんな、この国の生きとし生けるものは、懸命に生きている。それらを支えるには力が必要なのだ。大神官になることをはっきり自覚したクレスは、あれから猛勉強した。もともと成績は悪くなかったので、クレスの評価は上がっていった。
そして今日は神官学校での総決算、卒業試験の日だった。
ここでいい成績を出さないとクレスは次期大神官候補として示しがつかないのだ。
大神殿や各浮島の神殿へ勤務できるのは、成績の優秀なものだけだ。
あとは地方の神殿へ回される。
クレスは実力で大神殿への切符を手に入れなければいけない立場だった。
だけど今までの素行が悪かっただけに、ここ半年のクレスの成績の上がり具合を、他の生徒は不審に思った。それはクレスの努力のたまものだったのだけれど、『大神官の息子はやっぱり特別な待遇をされるのだ』との噂がたって、それがある事ない事まわっていた。
以前だったら一発ぶんなぐってすっきりするところだったが、クレスはぐっと耐えた。
そして面と向かって自分を非難した者にはクレスはこう言った。
『悔しかったら俺を超えてみせろよ。もっと本気になってな!』
休憩時間終了の鐘が鳴る。
それを合図にクレスたち生徒は教室に入って試験を始めた。
その結果、クレスは首席で神官学校を卒業し、卒業の答辞を述べ、大神殿への勤務が決まったのだ。
夜、自室の中でクレスは机に向かって本を読んでいた。その最中に片耳に提げている耳飾りが熱くなる。
レイから預かった、大事なもの。一生大切にすると約束したクレスは、それをレイのように耳に入れた。その耳飾りは片耳にひっかけてぶら下げるように作られており、留め金のようなものが付いていて落ちないようになっている。
サファイアの耳飾りは熱を持って青く光っている。
中から小さな声が聞こえた。
「今そっちに行ってもいい?」
「レイか。いいよ、来いよ」
久しぶりに会う恋人にクレスは胸が高鳴った。
自分のすぐ横、耳飾りのある側にゆっくりと人の影があらわれる。
飴色の腰までの長い髪、ほっそりとした長い四肢、「綺麗」という言葉がしっくりとくる、いつものレイの姿だった。
くっきりとレイの体が像を結ぶのをクレスは椅子に座って黙って見ていた。
夏島の季主の衣装を着たレイは長い髪を後ろに一つに結わえ、青を基調とした長衣を着ていた。
はっきりと体が形を成すとレイは言った。
「卒業おめでとう、クレス」
にっこり笑いかけられる。相変わらずレイは美しい。
それにクレスは照れてあごを少し掻いた。
「ありがとう。俺、無事に大神殿の勤務に就けたよ」
「うん。知ってる。これからは頻繁には会えなくなっちゃうかもね」
「なんでだ? いつもみたいにレイが逢いにきてくれれば済むんじゃないか」
「それでもいいけど、クレスが疲れると思ってさ。少し寂しいかな」
レイの言葉にクレスは胸を突かれた。レイが『寂しい』なんて口にするなんて。
確かに季主は寂しい存在だとクレスも思っていた。死ねない体を持って夏島を何千年と守ってきたのだ。
しかしそれを言ってもどうにもならない事だからだろう、レイは寂しいと言った事は無かった。
それをレイが言ったことですこし感傷的になったクレスは、彼の顔を見上げて軽くくちびるに口づけをする。
レイは意表を突かれて少し怒った表情でクレスを見たが、クレスは笑ってレイを見た。
「レイはいつもどおりでいい。俺が頑張るから」
レイは目を細めて愛おしげにクレスを見た。
「クレスはたのもしくなったね」
「そうか? まあ、成長期だしな」
「そういう意味じゃないんだけど、まあいいか。で、配属先はどこになったの」
そう聞いたレイにクレスは顔をしかめた。
「ほら、俺、いまも大神官の候補だから10年くらいいろんな部署をたらいまわしにされるみたいだ。その後に四季の浮島に一年ずつ留学するんだと。で、栄えある第一の部署は『財務部』だ」
「お金の出し入れをする部署だね」
「そう。一応首席で学校を卒業できたから金銭管理の部署に回されたらしい」
『財務部』
主島の行政に関するあらゆる金銭管理を引き受けている所だ。
税金からお祭りまで。それと主島の神官たちの給料なども。
「明日から出勤だ。レイ、俺、頑張るから。だから見てろ。そして惚れ直せ」
いたずらっぽくそう言ったクレスにレイはにこりと笑った。
「うん。応援してる」
「ああ」
クレスはそっとレイの頬に手をあてた。
「俺、もっともっと大人になって、この世界を護る。レイみたいに」
「ああ、期待してる」
レイはクレスの手に自分の手を重ね、目を閉じてクレスの体温を感じた。