お椀に映る少女

文字数 2,022文字

 私は料理が苦手だ。いや、むしろ嫌いだ。掃除も面倒、できる限りしたくない。この二言だけで世間一般のいい女からはかなり外れてしまっていることだろう。

 そんな私が、なぜか訪問介護という仕事をしている。主な仕事内容は、自宅で生活をしている障害者や高齢者の食事や排泄の介助であったり、料理、掃除等の家事援助を行うことである。
 
 この仕事は苛酷だ。排泄物や血液の処理、ごみ屋敷に近い家の掃除、言い始めたら切りがない。「プロ意識を持てばじきに慣れる」そう言った先輩だっていつの間にか退職していた。

 思えば長く続いている方だ。初めての訪問では、初っ端に怒られたっけ。あの人のことは忘れもしない。目は吊り上がっていて、顔つきは童話に出てくる魔女みたいだった。

 東田さんは高齢者の女性で、足腰が悪い。加えて心疾患があり、日常生活を過ごすのに支障が出てきている。最近では気力も減少し、動かないためさらに足腰が弱くなってきているとのことだった。そんな生活を支えるために、訪問介護を利用していた。

「初めまして、これから支援に入らせてもらう胡桃沢(くるみざわ)と言います。これからよろしくお願いします」

「くるみざわぁ? 変わった名前で嫌ねぇ」

 東田さんは口が悪い。初めましての返事がこんなの、人生で最初で最後ではないだろうか。私の表情が固まっているのなんて気にもせずに、東田さんは続ける。

「まぁいいや、今日の夜に食べるから、おみおつけを作ってちょうだい」

 オミオツケって何だ。私が知らない漬物か? 頭の上に疑問符が浮かんでいたのがバレたのか、東田さんは語気を強めながら話す。

「味噌汁のことだよ! 若い女はそんなことも知らないの? とにかく私は身体がだるいし、向こうで横になってるから」

「ご、ごめんなさい! わかりました」

 東田さんは私の謝罪の言葉を聞き、大きく溜息を吐いてから寝室へと入っていった。

 初めての訪問でこんなに怒らすなんてやばい。とにかく早く作ってしまわないと。
 焦り始めた私は大きな音を立てながら台所を捜索する。鍋はどこだ。味噌はどれを使う。出汁はどうするの? 人の家に何があるかなんてわかるはずないじゃない。

 自分の手際の悪さに辟易する頃、東田さんは台所にやってきた。

「何をガタガタしとるんよ。泥棒が来たかと思うたわ!」

「ごめんなさい、出汁ってどうすればいいですか?」

 私の質問に再度大きな溜息を吐いた東田さんは、台所の椅子に座って指示を始める。

「出汁はそのまな板の横にある入れ物のを使ってちょうだい。具はわかめと玉ねぎ、味付けは薄くしすぎないでね。心臓の病気だからって、水っぽすぎるのは嫌だからね」

 その日の私はまるで東田さんの指示に従う忠実なロボットのようだった。
 どうにか、味噌汁を無事作り終えて、支援は終了した。

「今日は色々と教えていただいて、本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げて礼を言う。
 東田さんは頬に手を当て、心配そうな顔つきをしている。

「胡桃沢さん、料理がだめねぇ」

「はい、そうなんです……。なので、また教えてもらってもいいですか?」

 そう話すと多少の間があったあと、東田さんはニヤリとした笑みを浮かべた。

「ああ、わかったよ。またおいで」



 次の利用日、玄関を開けると東田さんは仁王立ちをしていた。

「こ、こんにちは」

 驚いた私に東田さんは不適な笑みを浮かべる。

「待ってたよ」

 その日は東田さんも一緒に台所に立ち、具材の切り方や味噌の溶き方を教えてくれた。途中、足がだるくなっても、椅子に座りながら熱心に私に料理を教えてくれたのだ。
 もちろん、私が知っている知識もたくさんあったが、東田さんのその調理にかける思いや工夫、こだわりが料理のなかで見えてきてなんだか嬉しくなった。それと同時に気付く。この人は料理がしたいのに、できなくなったんだと。

 東田さんは味見に使っていたお椀を撫でながら、話してくれた。

「でも、こうやって誰かに教えることができたり、一緒に何かをしたり、こういうのってやっぱ嬉しいもんだね」
「胡桃沢さんはまだわからないかもしれないけど、歳を食うとね、注意されること、怒られることがだんだん増えていくんだ」
「味付けを薄くしろ、転ばないようにしろ、もう危ないから座っててなんてね」
「ヘルパーさんに来てもらって、テキパキと料理や掃除もしてくれて、私の居場所がもっとなくなったみたいだった」
「家族は安心したみたいだけど、私は毎日が息苦しくて」
「だから、胡桃沢さんにこの前、ありがとうって言われたのがすごく嬉しかったんだよ」
「私もまだ出来ることがあるって言われたみたいでさ」

 そう話す東田さんを見つめていると、かつて少女だったその女性の面影と、現在の孤独がお椀の中に映り込んでいるかのようだった。


 あの頃の優しい悪態を吐く東田さんに想いを馳せると、私はまだこの仕事を頑張れる気がした。

 今日もありがとうを届けるために、私はこの街を走りだす。


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