第1話

文字数 1,966文字

    【0】
 
「あれ、大学病院の中まで来ちゃったよ」
鈴野リンは待合室の真ん中でスマホを握り締め、キョロキョロしながら地図アプリを再度確認する。
「矢印はこの先だから、合っているけど。
あっ」
彼女と目が合った受付の女性は、見慣れた光景らしく軽く微笑んで左手で行き先を指してくれた。りんは申し訳ない思いで頭をぺこりとした。
「ネットカフェがこんなところにある? 」
放射線治療室の先に『ネットカフェ・アンダーゼロ』と書かれた黒板が見えた。
「人いるの? 」
扉のノブを握りしめて恐る恐る中に入ると、赤い生地にホワイトチュール・レースを施したメイドの女性が突如現れ、硬直するリンに言った。
「アイスキャン認証完了。リンちゃんね」
「フォログラム? 」
「ママにそっけないこと言わないの」
「ごめんなさい・・・・え? 」
「フフフ、こっちよ」
グリーン・ベルベット生地のソファーが浮かび上がるように見えてくる。
先客の女性がひとり座っていた。
「今、キッチンにもう一人いるから、ちょっと待っていてね」
そう言うとメイドはスッと消えた。
戸惑いながら座ろうとするリンの横に、赤いアイラインをひいたバンギャファッションを身に着けた女子が飛び移って言った。
「ねえ、あんたは誰? 『アンダーゼロ』では接触したことあるかな? ワシはニコ。ねえ、病院にネットカフェって変だと思うでしょ。いい匂いしない? 」
気持ちが言葉を置いてグイグイ来るトーク・スピードにリンの身体は後ろに反る。
「ちょ、ちょ、ちょ、待って、情報量が多過ぎて処理が追い付かないから」
ニコの胸の上の蝶の二枚の羽を長い舌で突き刺す蛇のタトゥーを見つめながら答えた。
「そりゃそうだ。実はワシ、これでも頑張って話かけているから調節がバグってしまった」
「大丈夫です」
タトゥーから視線を顔に移動しながら話を始める。
「リンです。先月、母親を亡くして。この先誰かのために生きる必要もないなって感じで、惰性の日常をネットサーフィンで過ごしていたら、
『死にたい人はアンケートに答えよう。世界的な仮想世界【アンダーゼロ】にご招待』
っていうバナーが目に入ってクリックして。
ヒカル君とはそこで仲良くなって誘われたんです」
「早っ、マジか。ワシは半年よ。なんて言われて来たのさ」
「一緒になるのを前提に付き合いたいからママに会って欲しいって。お母様はどんな方なんでしょう」
「会ってるじゃん」
ニコは体を押し付けながら耳元で言った。
「みんな殺されるといいね」
言葉に驚くより先に、
― イヤああああ ―
泣き叫び声が奥から聞こえてきた。
「誰か殺されている? 」
リンはニコの腕をギュウっとした。
「かわいそうにね。
ねえ、痛い」
「あ、ごめんなさい。
え?」
リンの前をうなだれ泣く女性が、可愛いデザインのお持ち帰りボックスを手に通り過ぎて行った。
「本当にかわいそうに」
ニコは同情するように言った。
「殺されてないですけど。
あ、何か甘い香りがする。
パンケーキとメイプルシロップの香り」
「殺さなかったお詫びの品よ」
「え?」
ニコは何かを悟り、少し寂しい表情で続けた。
「多分、ワシもあの箱だわ。
あなたは、作り立てが食べられるわね」
「なんで? 」
「殺されるからよ」

【1】

「ヒカル君、おいしかった」
「でしょ。作り立ての美味さを死にゆく味覚で味わっているのは僕と君だけ」
「舌の感触がそのまま、ふわふわのパンケーキに身体が包まれ浮いている多幸感に代わるの。やばいでしょう、あれは」
「この最後の記憶が電脳のメタバースではとても重要なんだ。
父はパンケーキに母親との幸せな記憶を重ねていて、パンケーキを作る工程に沿って電脳に魂を迎え入れる仮想世界のマザーベースを生み出すアイデアが閃いたみたい。そして、母親のレシピに従ってプログラミングを開始した。個々の材料から卵の泡立ての超泡性、最高の生地に練って焼き上げるまでの調理過程、すべてを数値化、公式化して、地球上の有機生命体に匹敵する魂の受容体のソースコードを生み出したんだよ。
でね、僕はネットの世界への転生を証明する試験者として父に殺されたって訳。
でも僕だけではプログラムが安定しなくて、パートナーを探し始めた。しばらく肉体を生かして電気的に魂が宇宙へ戻らぬようにする医療的ケアも必要だから。相手との身体の相性も重要で難しかったけれども、君と出会えて嬉しいよ」
「ありがとう。
お父さんはその後どうしているの? 」
「死んだ。
パンケーキの気泡の安定のために殉じたのさ。
でも、おじさんの赤いサテンのベルベットの艶も素晴らしいでしょう? 」
「赤いメイドのパパ、
否・・・・ママ」
「ハハハ。
魂は来れなかったから記憶は無いけど、セキュリティ・プログラムとして助けてくれているんだ」
「私たちは? 」
「人類初のメタバースへの転生者。
新しい終わりのアダムとイブさ」
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