第15話 紅い石

文字数 2,165文字



 書棚の迷路には膨大な古書が詰め込まれている。ただ、その大部分は地下の湿気と時にやられ、字と紙が抜け落ち、本としての用をなさないものだった。
 寿命が尽きた紙の束を棚や床へと次々横たえ、旅人は書の合間をめぐって行った。記憶の中の言葉、赤い石の手掛かりを求めて。

 部屋の入り口の辺りから物音がした。下の階へはすでに、ずぶぬれの異形の者たちが入ってきていたはずだ。書棚の影からルクセルは顔をのぞかせた。

 床に重ねた書物をまたぎ、書架の間を部屋の入口へと歩む。ルクセルが身構えもせずに書棚の合間から出てきたのは、入り口に立っていたのが王女であったからというだけではない。そこに何者がいようとも、この言葉少なな旅人は相手へ身構えるということをしないのだ。

「そこで、なにをしている?」

 ルクセルが王女へ言おうとした言葉を、別の誰かがたずねてきた。その声にも身構えることをしないまま、ルクセルは王女の後ろに現れた影へと目をやった。

 そこには、部屋の主が立っていた。背後に控えた異形の者たちと違い、魔術師の長い衣には泥の汚れと濡れた跡さえ見えない。夜の闇、地の底の漆黒をまとったような外套の頭巾は、燭台に照らし出された部屋の中にあっても魔術師の顔に濃い影を作っていた。

「なにをしている? 答えぬか」

 再び同じことを旅人へ聞き、魔術師は薄く開いたくちびるをゆがませた。人質を取ったことへの余裕の表れか、薄ら笑いを浮かべた相手へ、ルクセルは冷めた目を向けるばかりで押し黙っていた。
 ルクセルが黙り込んでいると魔術師は、王女を数歩前へと押し出した。長い袖の内にある手には、王女の剣が握られている。その切っ先には、小さな火球が灯っていた。突くも燃やすも己の意のままであると、身の程知らずの侵入者に見せつけているのだ。

 王女の片袖が肘の上、肩のあたりまで焦げている。城へ入ってきた王女は、そこへ目掛けて炎を射かけた魔術師の不意打ちにあったということだろう。
 魔法の火にのまれ、唯一の武器を手放してしまった王女は、ふがいなさや悔しさよりも、旅人の足手まといになってしまったという罪悪感で己のくちびるを噛んだ。この部屋でルクセルがなにを探しているのかはわからないが、異形の王へ挑むためにこの城へ戻ったのは、旅人も同じであるはずだからだ。

「なにを探しているのだ? ここにあるものに興味があるようだな?」

 魔術師はまた、旅人へとたずねた。王女も思った疑問を、魔術師も感じたようである。
 しかし、口をつぐんだままの相手が、すぐには訳を答えぬこともわかっているらしい。ルクセルに一言も発する間を与えず、魔術師はまた独り言を始めた。

「まあ良い。後でゆっくりと聞かせてもらおう。戦いぶりは見ておったぞ。お前もこの娘以上に、なかなかに興味深い」

 そう言いながら魔術師は、長い袖の内から空いた片手で細い紐を出し、それを王女の周りの床へとめぐらせた。
 赤い紐を、後ろに控えた異形の者たちが、ろうそくの火を映し爛々と光らせた眼で見つめる。王女が足元をよく見れば、それはただの紐ではなかった。細長く削られた紅玉を繋げ、細い紐状に仕立ててあるのだ。

「赤々と燃えよ。緋色の宝石、その輝きよ」

 紅玉の紐に魔術師がそうささやくと、それは瞬時に燃え上がり、王女の周囲に浮き上がって、炎で螺旋を描いた。
 蛇が鎌首をもたげるようにして宙へと浮かぶ、螺旋の炎。紅玉は体から充分に離れたところで燃えてはいたが、熱は王女の衣とその下の肌を、じわりじわりと炙ってゆく。

「動くでない。逃げようとすれば炎のくさりがその身を締め付け、骨身を焼き切ることになる」

 宙に浮く螺旋の火炎を満足気に見やって、魔術師は配下の者たちへ命令を下した。

「国王と兵士を追い、地上にあるすべてを亡き者にせよ。骨の兵士を作る火は、しかばねを見た後に熾すことにする。お前たちも存分に楽しむが良い」

 自身の言葉が終らぬうちに、魔術師は紅玉の紐を取り出した袖から床へと、小石をばらまいた。
 まかれた小石は宝石に磨き上げられる前でありながら濃く赤い血のように色づいていて、ろうそくの明かりにその身を透かし、艶やかな輝きを床に投げかける。異形の者たちはそれへ我先にと飛び付くと、血の色をした紅玉の原石を一粒残らず、むさぼり食った。

 旅人はもちろん、王女も、魔術師が何者かに気付いた。

 この者こそ、探し求めていた敵だ。地下より出でて略奪の限りを尽くす、廃坑道に潜む悪魔。異形の者たちを統べる、地の底の王。
 赤石。その名は紅玉と炎、その二つの赤を意のままにしているからであったのだ。この腰の曲がった魔術師こそが、赤玉の王なのである。

「さあ、行け。我が忠実なる、しもべたちよ」

 赤い小石をいくらか噛み砕いたところで満たされるわけもない。異形の者たちは床に一粒も紅玉が残っていないのを見て取ると、命じられるまま、城の外へ広がる戦場へと駆け戻って行った。輝きで満たされぬ腹は、獲物の死で膨らまそうというのだ。

 火炎の魔術師もとい赤玉の王は、部屋に残った二人の客に向かって、笑みを向けた。
 螺旋の炎の檻に閉じ込めた王女を剣で指し示した窓辺へと歩ませ、自身は書庫の中央へと立つ。誇るようにそらした頭の、顔を覆う影が、天井から下がる燭台の明かりに払われた。




 
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