君とみる星空が好き

文字数 9,995文字

 初めての待ち合わせ場所は箱根湯本だった。そして、勇気を振り絞りツーショットに誘った相手、染谷理人くんは嬉しそうに声を上げる。
「やっぱり、あの凪ちゃんだよね!」
「え、じゃあ……理人くんって、あの時の……?」
 驚きに何度も目を瞬かせた。
 『恋する週末ホームステイ』に自分が参加できたことも驚いたけれど、こんな偶然の再会が起こるなんてことも本当に予想外だった。初めに彼に声をかけたのも、やはり縁が繋がっていたからなのだろうか。

  ◇

 『恋する週末ホームステイ』は高校生たちの恋愛模様を映す配信番組だ。バスケばかりの日々で、恋愛なんてずっと他人事だったが、前回の番組を見て自分も頑張ってみようかと応募した。
 今まで通り『3週間で毎週末デートを重ねて』という流れかと思いきや、今回からは違う。用意されたのは、4枚、6枚、10枚と枚数の違うチケットが入った封筒たち。メンバーはそれぞれに1つの封筒を選び、それが自分のチケットとなる。そして、封筒に入っているチケットの枚数によってホームステイできる日数が決まるのだ。
 正直焦った。
 私が選んだ封筒には、4枚しかチケットが入っていなかったのだ。要するに、一番枚数が少ない封筒を引いてしまった。
 私がホームステイできるのは、この箱根での週末と、次の週末だけ。その短い期間に誰かを好きになって、告白まで、とはなかなかにハードルが高い。
 そんなことがほぼ恋愛経験ゼロの私にできるのか……。
 いや、前向きに捉えるなら自分より早くいなくなる人はほぼいないということ。それなら、私は与えられた日数分を精一杯やればいい。
 そうは思いつつも、なかなか行動には移せずに昼食の湯葉丼を食べる“彼”の姿を眺めていた。
「何? 凪ちゃん、理人のこと気になってるの?」
「えっ」
「その気持ち分かるなぁ、愛想いいし。男の俺から見てもカッコイイもん」
 隣に座った一神琉成くんは、おどけるように言った。モデルをやっている彼は、実はこの企画の経験者でもある。前回の参加中に彼の恋が実ることはなかったものの、そんな彼の姿に励まされた。
 私が今ここにいるのは、間違いなく彼のおかげでもある。だから、最初に顔を合わせた時は本当に驚いたし、こうして喋っていることも夢みたいだ。
「ねぇ! 昼ご飯も食べたしさ。ここからはツーショットにしない?」
 琉成くんが身を乗り出すように全員に提案をした。それまで楽しく会話していたみんながぴたりと動きを止める。
「って、凪ちゃんが言ってた」
「え、そんな私まだ言ってない!」
「まだ、ってことはどっちみち言うつもりだったんでしょ?」
 悪戯っぽく笑う彼に、ぐっと言葉を詰まらせる。
 他のみんなも特に断る雰囲気はなく、続けて琉成くんが口を開く。
「ほらほら、誰誘うつもりだったの? もしかして、俺?」
「ご、ごめん。私は……」
 そろりと、理人くんに視線を移す。目が合った瞬間、彼は驚いたように大きな目をさらに見開いた。
「理人くん……いいですか?」
「いいよ。じゃあ、俺たち先に出ようか」
 空になったお皿の前で手を合わせて、理人くんと一緒に店を後にする。
 駅の近くまで戻って、温泉地だからと足湯に入ることにした。
「ずっと気になってたんだけど。凪ちゃんってずっと福岡育ち?」
「そうだけど?」
「もしかして、K小学校だったり」
「え、なんで知ってるの!?」
 突然自分の母校を言い当てられ驚く。大阪に住んでいるという彼が、有名でもない母校の名前を知っていることも不思議だった。
「うち、転勤族でさ。俺も一時期K小学校通ってたんだよ。1年くらいだったけど」
「え、そんなまさか」
 彼に言われて薄れかけていた記憶が蘇ってくる。
 あれは小学4年生くらいの頃だったか、染谷理人という男の子が転校してきた。ただ、今目の前にいる彼と、記憶の彼とは印象がだいぶかけ離れている。記憶の中の彼は、また転校すると知ってか、自分から友達を作ろうとはしない大人しい子だった。
「もしかして、本ばっかり読んでた染谷くん……?」
「やっぱり、あの凪ちゃんだよね!」
「え、じゃあ……理人くんって、あの時の……?」
「イメージ変わった?」
「うん……」
 やんわりとした柔和な笑みにとくん、と心臓が音をたてる。小学生の幼さを残しつつ、精悍な顔つきへと成長した彼に、妙な気恥ずかしさがあった。
 体だって、あの頃は見下ろしていたはずが自分よりもずっと大きくなって、幅広の肩を並べられると、急に男の子を感じてしまう。
「凪ちゃんだってそうでしょ?昔は男子に混じってバスケして、髪も短かったから男子かと思ってたし。だから、この企画に参加するとは思わなかったなぁ」
「確かに、あの頃の私を見てるとね。というか、いつ女子って気付いたの?」
「気付いたのは……ほら、家族みんなで夏にキャンプ行った時?」
「あ、行ったね! 懐かしい」
 4家族くらいの集まりだっただろうか。転校してきたばかりで交流がないだろうと、うちの親が夏休みを口実に、染谷家のお母さんを誘っていたことを思い出す。
「川で遊ぶ時、凪ちゃんが女子の水着着ててビックリしたんだよなぁ……」
「え、そこで?」
「そう。だから、その日の夜にみんなで星見てる時も何だか落ち着かなくて……」
「あぁ、星綺麗だったね。理人くんが、たくさん星の名前は教えてくれて楽しかった」
「あの頃は本ばっかり読んで、偏った知識はあったから」
 バスケに誘っても断る理人くんをなぜキャンプに呼ぶんだろうと、不思議に思っていた。でも、結果的にあのキャンプは楽しかったのだ。いつも見ている空が、彼が星の名前を教えてくれるだけで違う世界に見えた。キラキラと輝いて、まるで宇宙でも旅行しているような気分に浸れて。
 彼と再会するまで、そんな素敵な記憶も忘れていたけれど。
「俺はてっきり覚えててくれたからツーショット呼ばれたかと思ったのに」
「呼んだのは、自己紹介の時のお礼が言いたかったの。本当に助かったから……」
 駅前での初の顔合わせの時、自己紹介の流れになり私はド緊張していた。名前も出身地もかみかみで、初対面同士どう反応するべきか、と全員が黙り込んでしまった。耳が痛いほどの沈黙に、今すぐ家へ帰りたくなっていたその時、重たい空気を打ち払うように笑ってくれたのが理人くんだった。
 おかげで凍り付いていた場が和み、無事に自己紹介も終えることができた。
「いいよ、お礼なんて。本当に面白かっただけだし」
「ひどっ」
「自分の名前を噛むって。『にゃぎ』って……あははっ!」
「笑い過ぎ! そのことは忘れて」
 足湯とは全く関係なく、顔がぶわっと熱を持つ。溜息混じりに項垂れると、理人くんは「あ」と思い出したように口を開いた。
「じゃあ、凪ちゃんはやっぱり琉成が気になってる感じ? 気になったから俺を誘ったってわけじゃないんでしょ?」
「あ……」
 始まったばかりの印象なら、やはり企画に参加するきっかけになった琉成くんだろう。
 ただ、こうして2人きりで話して、少しずつ理人くんに何かを感じ始めている。恋愛初心者の私に、この感情の名前は分からない。ただ、その質問に私にとっての理人くんが選択外と思われてしまったようで、自分の言葉の不用意さに苦い思いが胸に広がっていく。
「まぁ、そうかも?そういう理人くんは、誰が気になってるの?」
「俺? 俺はー……小花ちゃん、かな?」
 小花ちゃんは、同性の自分から見ても可愛くて魅力的な女の子だ。ネットの記事に書いてあったモテる女の子を具現化したような、自分とは正反対の。
「小花ちゃん、いい子だもんね」
 そう言いながらも、他の子の名前が出たことが寂しかった。私だって、彼ではなく琉成くんの名前を出されて頷き返した。だから、こんな想いはひどく我儘なのに、彼にとって私は小学校の幼馴染止まりなのかも、とチクリと胸が痛む。
 こうして気になる相手を教えてくれるのも、信頼できる友達と思ってくれてるからで。
 ――それなら、彼から向けられる綺麗な感情は今のままの方がいいのかも。
「じゃあ、応援するよ!小花ちゃんとのこと」
「そっか。ありがとう、凪ちゃん」
 初めて会った時よりも、私の名前を呼ぶ声が昔の記憶と重なって、どこか柔らかく聞こえる。この響きのくすぐったさも、芽生えかけた感情も、私の胸に仕舞っておこう。
 私は友達として、彼のホームステイを応援することに決めた。

   ◇

 2度目のホームステイ先は、なんと地元の福岡だった。
「バスケットコートあるし、ミニゲームしよ!」
 そう言い出したのはボールを持ってきていた陽向くんだった。男女1人ずつペアを組み、先に1点決めた方が勝ち。ペアはあみだくじで決まった。
「よろしく、凪ちゃん」
「こちらこそよろしく、琉成くん」
 画面越しに夢中になった彼が、今目の前でしゃべっている。3日目の顔合わせとは言え、やはりまだ全然慣れない。しかも今日は私服だった。
 ただ、バスケというのが少しだけ気乗りせず、その気持ちは体にも現れてしまったらしい。
 それは、琉成くんからのパスをもらい、シュートを決めた直後だった。
「ぃっ、た……」
 軽く飛んだつもりが、膝に走った痛みにその場でしゃがみこむ。
「凪ちゃん?」
 シュートに沸いていたみんなの中で、いち早く異変に気付いたのは理人くんだった。
 できれば、理人くんに弱い姿は見せたくなかった。それなのに、彼は心配そうに覗き込んでくる。
「どこか痛いの?」
「うん、でも少し休めば大丈夫だよ」
 痛みを隠すように笑みを浮かべる。
 しかし、琉成くんはそんな私の肩を抱えるように体を潜り込ませてきた。
「何言ってるの。ほら、行くよ」
「え、でも……」
「いいから。今だけは俺たちチームでしょ?」
「……琉成が見てくれるなら大丈夫だな。じゃあ、よろしく」
 琉成くんに連れられながら振り返ると、理人くんが小さく頷くのが見えた。しかも、『頑張れ』とアイコンタクトまで送られた気がする。
 箱根で曖昧に「琉成くんが気になる」と彼に返事をしたことを思い出す。過去の返答を後悔しながら、そっと視線を伏せた。
 木陰に移動すると琉成くんが氷を持ってきて、私の隣へと腰を下ろす。もらった氷を膝に当てていると、少しずつ痛みが和らいでいくようだった。
「もしかして、凪ちゃんってバスケやってるの?」
「去年、膝をケガして辞めちゃったんだけどね」
「え、じゃあその傷が? 病院とか行った方が……」
「大丈夫! ちょっと、調子に乗って動きすぎただけだから」
 慌てて顔の前で手を振り、笑みを取り繕う。琉成くんはまだ心配そうに眉尻を下げつつも、私の笑みに応じるようにふっと笑った。
「さっきのバスケ、1人だけ全然動きが違ったよ。カッコよかった」
「……ありがとう」
「もうバスケやらないの?」
「どうだろう……練習できない間に自分だけ置いていかれているようで、正直怖い。またコートに戻れるのかな、とか。戻っても前みたいにできるのかな、とか」
「そっか……」
 切なげに相槌を打つ琉成くんにはっとする。
 モテる女の子は、常に明るくフレンドリーに、だ。
「で、でも、おかげでこの企画に参加しようと思ったんだよ!」
「え?」
「今は、バスケはお休みって割り切って……もし恋ステで誰かを好きになったら、その人との恋愛を頑張ろう、って!」
「それで、この企画に?」
「うん。前の企画の時、頑張ってる琉成くんに勇気もらって、恋愛よりバスケの生活だったから、お休みならそっちを頑張ってみようかなぁ、って。だから、本人が来た時はびっくりしちゃった」
「……強いね、凪ちゃんって」
 ぼそりと呟いた彼は、なぜかふっと顔を俯ける。髪の毛の間から覗く耳が少し赤くなっているような気がして、どくどくと鼓動が早まる。
 手で抑えている氷は、最初よりも溶けるのが早くなっている気がした。急な沈黙に、そわそわと辺りを見回す。
 ふとみんなへと視線を戻せば、ちょうど理人くんがシュートを決めていた。彼に駆け寄った小花ちゃんと嬉しそうにハイタッチをする姿が、ひどく眩しい。
 もし、あそこにいるのが小花ちゃんじゃなく私だったら……――
「凪ちゃんと理人って、知り合いなんだってね」
「えっ」
 ふいに声をかけられ、思考の淵から連れ戻される。
 今、何を考えていたんだろう。私は理人くんの恋を応援するって決めたのに、今のは、まるで――私が彼を好きみたいだ。
「箱根の時、男子はみんな部屋一緒だったからちょっとだけ聞いたんだよ」
「短い期間だったし、私もちょっと忘れてたんだけど……」
「へぇ? でも理人はすごい嬉しそうだったよ」
「……そう、なんだ」
 でも、誰にでも愛想のいい理人くんだから、そう見えたのかもしれない。下手な期待をするのはやめよう、と自分に言い聞かせる。
「琉成くんも小花ちゃんと知り合いなんでしょ? 小花ちゃんが好きなものとか知らない?」
「それって、理人のため?」
「え?」
 だって、理人くんの恋を応援するって決めたんだ。何もおかしいことは言ってない。言ってないはずなのに、なぜか冷や汗が背中を伝う。
「……カマかけたつもりだったんだけど、分かりやすいなぁ。凪ちゃん」
「ちょっ、からかったの!?」
「あははっ、凪ちゃんって意外と表情に出やすいんだね」
「もう!」
 やっぱり笑った琉成くんは、少し幼く見えて可愛い。つられて一緒に笑うと、もやもやが消えてちょっと楽になるようだった。

   ◇

 宿泊するホテルの最上階には透明な屋根がついていて、星空を眺めることができた。休憩用のベッドに横たわりながら、ぼんやりと夜空を眺める。
 私に残されたチケットは、告白をするための赤いチケットが1枚のみ。
 つまり、明日が私の最後のホームステイだ。
「キャンプの時の方が星見えたな……」
 なんて、忘れかけていた程度の記憶だからきっと美化されているに違いない。
「あれがスピカ? いや、上の星がスピカだっけ? あれ?」
「独り言でかくない?」
 聞きなれた声がしたと思うと、真上から見下ろしてくる影にはっとした。
 笑いながら理人くんは隣のベンチへと腰かける。体を起こすと、彼が持つ本に目がいった。
「本読みに来たの?」
「読もうと思って場所探してたら、凪がでっかい独り言しゃべってるのが聞こえたんだよ」
 理人くんの本は分厚いハードカバーだった。銀色に輝く星の散りばめられた表紙が綺麗だ。
「星、今も好きなんだ?」
「誰かさんのせいで、もっと詳しくなりたいって思っちゃったからかなぁ」
 それがキャンプの時の自分だと思うのは、自意識過剰だろうか。
「ちなみに、あっちがレグルスでそれよりちょっと暗いのがスピカ」
「そうそれ、レグルス!」
 悩んでいた答えが出て、明るく声が弾けた。一方で、理人くんはしゅんと眉尻を下げる。
「もう、膝は大丈夫?」
「うん。あの後、そんなに動くようなイベントもなかったし」
「そっか、良かった」
 心底ほっとしたような笑みを浮かべる彼に胸が締め付けられる。彼はただの幼馴染、だから心配してくれている。だって、彼は小花ちゃんが気になっているんだから。
「そうだ。小花ちゃんが好きな曲知ってる?」
「え?」
「琉成くんに教えてもらったんだ。確かこのグループの曲……」
「どれ?」
 スマホで検索していた私の手元を覗きこむように、彼が肩を寄せる。風呂上がりのせいか、石鹸の清潔な匂いを纏う彼にどくん、と心臓が鳴った。
「ほ、ほらこれ!」
「あ、映画の主題歌の! 調べてくれたんだ」
「応援するって言ったし」
「そっか、ありがと」
 にかっと笑われ、その距離の近さに鼓動が加速を止めない。スマホを持つ手が震えそうになって、ふいっと顔を背ける。その時、彼のポケットから着信音が響いた。
「お、琉成がみんなでトランプしようって。凪ちゃんも来る?」
「じゃあ後で行こうかな」
「ん、待ってるね」
 立ち上がり、手を振って去っていく彼に思わずふぅ、と息を零す。
 そうして視線を下げた先に、きらりと光る何かが落ちていた。
「なんだろう?」
 拾い上げたのは、緩やかな曲線を描く薄い板とその先で揺れる小さな白い貝殻。
 本を読まなくても、それがブックマーカーだと知っていた。なぜなら、私も昔同じものを持っていたのだ。キャンプ場のお土産売り場で、彼とお揃いに、と親に買ってもらったものだったから。
「たまたま持ってた? でも……」
 使いこまれたような小さな傷と、白さの残る貝殻は大事に使われていると分かる。
 彼はどういう気持ちでこれを持っていたのだろう。ただ気に入っているからかもしれないし、あの時の思い出が彼の中で綺麗な思い出として残っているのかもしれない。
 それは、私のことをただの友人として? それとも……
 彼の恋を応援しようと思ったのに、そんな期待をしてしまうのは友人失格だろうか。これでもし、私が彼に告白なんてしたら、思い出は綺麗なままでいられるのだろうか。
 気持ちはぐらぐらと揺れて、見上げた空には雲が広がっていた。

   ◇

 翌朝、私は赤いチケットを提出した。
 告白する相手は、決まっている。
「どうしたの? 思い詰めた顔して」
 今日のデートは2つのグループに分かれてのデートだった。彼が行くと聞き、海のすぐ傍にある水族館デートの方を選んだ。
 青く輝く大水槽の前で、私は――琉成くんと向き直る。
「私、今日が最後なの」
 琉成くんが大きな目をさらに見開く。先ほどまでニコニコと笑っていた彼の顔に、わずかに緊張が走った。
 勇気を出して応募して、生の琉成くんを見られてよかった。理人くんとも再会して、忘れていたあの星空を思い出せてよかった。
 だから、これで終わっても悔いはない。
「私、琉成くんのこと……」
「ストップ!」
 琉成くんがガシッと私の肩を抑える。驚いて思わず言葉を飲み込むと、真剣な表情で顔を覗き込まれた。
「凪ちゃんが告白したいのは、本当に俺?」
「え……」
「教えてくれたよね? 好きな人ができたら、その人との恋愛頑張るって。それって、俺のことで本当に合ってる?」
 彼の言葉がぐさぐさと心に刺さる。言葉を詰まらせる私に、琉成くんは少しだけ悲しそうな顔をして笑った。
「……違うんだ」
「また、カマかけたの?」
「そんなとこ。本当、凪ちゃんって分かりやすい。なんで理人じゃなくて俺の方来ちゃったかなぁー」
「ごめんなさい……」
 理人くんは、もう1つのグループの方へ行っていた。予定ではこのままそれぞれ帰路に着くということだから、もう合流することはない。
 結果として私の旅は、琉成くんへの告白に失敗した、で終わる。
「……凪ちゃん」
 ぎゅっと自分の服を握りしめていた私に琉成くんの声が届く。顔を上げれば、彼は見覚えのある赤いチケットを差し出していた。
「え……?」
「これで、理人のところ行きなよ」
「そんな……! だって、琉成くんは?」
「あげたらダメなんて聞いてないし、それに……俺の旅は実質今日で終わりだからいいの!」
 それがどういうことか頭で整理もできないうちに、バシッと背中を叩かれる。体に響いた音よりも案外痛くないそれに瞬きを繰り返した。
 画面越しに私に勇気をくれたその笑みは、今再び、私に勇気をくれる。
「目標、達成できるといいね」
「うん……ありがとう。琉成くん」

   ◇

 次の週末。やってきたのは北海道、札幌だった。
 春が少し遅れてやってきた北の大地は、地元よりも随分と日が落ちるのが早い。一面に広がる花畑は夕陽に染め上げられ、濃い影を伸ばしていた。
「理人くん!」
「凪ちゃん?」
 先週のホームステイで琉成くんに背中を押してもらった。散々悩んだけど、やっぱり私は好きになった人のために頑張りたい。傷つくかもしれないけど、失敗するかもしれないけど、でも、後悔だけはしたくない。
 一陣の風が吹いた。土と甘い花の匂いを乗せて私たちの間を流れていく。
 私へと向き直った彼に、心臓は張り裂けそうだった。
 ポケットの中から貝殻のブックマーカーを取り出すと、彼の表情が驚きに変わる。
「あ、それ! ずっと探してて……」
「ホテルに落ちてたの。こんなに大事に使ってるなんて、ビックリしちゃった」
 私の言葉に理人くんは目を見開きながら、口を真一文字に結ぶ。それがどういう感情なのかは分からないけれど、もうこれが最後だから。
 私は、前に進むだけだ。
「私、なんで理人くんのこと忘れてたのか思い出した。引っ越すって聞いた時、せっかく仲良くなれたのに、って不貞腐れて変にへそ曲げて、ちゃんとお別れも言えなかったのが辛くて、悔しくて……でも一番は寂しくて、必死で考えないようにしてた」
「……!」
「それで忘れちゃうなんて、私も薄情だけど……でも、再会できて本当に良かった」
 今度はちゃんと言おう。あの時は何も言えないまま離ればなれになってしまったから。
「理人くんのいい友達でいたかったけど、ごめん」
 2度目のチャンスを、逃すわけにはいかない。
「私はそれでも理人くんのことが、好きです!」
 貝殻のブックマーカーを握りしめた手を彼に差し出す。恐ろしくて彼の眼を見られず、突き出した自分の手だけを見つめていた。
 無言の間が、続く。
 ダメでもいい、とにかく伝えられたら、と思っていたけれど、予想以上にこの沈黙はキツい。
 ぎゅっと胸を引き絞られるような苦しみに、次の瞬間、目からほろりと涙が零れた。
「っ……」
 なぜ涙が零れたのか、自分でも驚いた。目の前が霞んで、咄嗟に見た理人くんの表情は分からない。ただ、突然抱きしめられる腕の感触にはっと息を飲む。
「り、ひとくん……?」
 抱き締める腕の強さにびっくりして、一瞬涙が引っ込んだ。
「俺も……再会できて、すごく嬉しかった。キャンプで俺の話を楽しいって聞いてくれる凪ちゃんが、ずっと忘れられなかったから。あの時の凪ちゃんに勇気もらったから、転校しても頑張ってやってこられたんだよ」
「え?」
「また再会できたらって夢見て、星の名前をいっぱい覚えてた。そうしたら、星が好きな友達とかもできてさ。この企画に参加したのも、凪ちゃんが見てくれてたら、俺のこと見つけてくれるんじゃないかって、ちょっと期待を込めたりして……」
 一気に告げられる言葉に、頭が混乱してなかなか飲み込めない。
 私のことを忘れずにいてくれて、再会できたらって……そんな風に思っててくれたの?
「小花ちゃんは……?」
「それは、ごめん……凪ちゃんがびっくりするくらい可愛くなってたから、焦った……だから、俺よりも琉成の方がいいんじゃ、とか弱腰になっちゃって……つい」
 それは私もそうだ。理人くんのこと、本当は始めから気になってたのに正直に言えなかった。もっとあの時素直に言えてたら、って会えない時間で何度も後悔した。
「私も、かっこよくなった理人くん見て、正直戸惑ってた」
「本当に?」
「本当。めちゃめちゃかっこよくなった……だから、それはおあいこ」
 私の言葉に理人くんがぎゅっと腕に力を込める。男の子に抱きしめられるってちょっと硬くて、でも温かいんだな、とその時初めて知った。
「凪ちゃんが泣くの初めて見た。泣かせちゃって、ごめん」
 自嘲っぽく笑って、彼をふっと腕を緩める。そうして、私の両手を握った。
「本当は、俺から告白したかったな……」
「私、チケット4枚だったんだよ。遅い」
「ごめんってば……だから、改めて言わせて?」
 困ったように笑っていた彼の目元が、ゆるりと嬉しそうに緩む。唇が緊張するように少しだけ震えて、やがてゆっくりとその言葉を紡ぐ。
「……俺も凪ちゃんが好き。凪ちゃんと見る景色が一番綺麗で、好き。昔も今も、きっとこれからも」
 彼の背中越しに、太陽がとっぷりと木々の向こうに沈むのが見えた。月と星灯りに照らされる彼の表情は大人びたけれど、笑顔はあの頃と変わらない。
「うん……私も好きだよ」
 応えるように手を握り返して、照れを隠すように二人で空を見上げた。
 嬉しさでまた視界が滲みそうになるけれど、この綺麗な星空を霞ませるのはもったいなくて、私は思い切り笑うのだった。
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