たぐる

文字数 2,355文字

 ルシアスは黙ってテロンの話を聞いていた。
 自分が縁を切ろうとした魔術教団の関係者がセレスティンと出会うなど、おそらく彼のもっとも望まないことだったろう。
 だが起きてしまったことは変えようはないし、誰を責める理由もないということを、彼は理性的に理解している。
 テロンがセレスティンから聞きとっていた内容をもう一度確認した後、「ありがたくもない偶然だが、とりあえず問題はないだろう」と彼は言った。
「しかし当面、セレスティンが向こう側に入るのは止めるべきだな。訓練は他の方法に切り替えたい」
 マリーはルシアスの顔を見ながら言った。
「あなたかテロンが、セレスティンに付き添って続けるというのはどうかしら。もし仮にその青年と出会ったとしても、どちらかが一緒にいればやり過ごせるでしょう。
 セレスティンが二つ目の世界での経験を積むことは必要だし、水の精との関係を築くのも望ましいこと。
 道を歩き続けていけば、いずれ何か超えなければならないことには突き当たるんだし……多少やっかいな相手に出くわすかもしれないという理由で、彼女の行動範囲を狭めてしまうのはどうかしら」
「俺としては、彼女を教団の人間に近づけるリスクは、どれほど小さなものでも冒したくない」
 ルシアスの表情は変わらなかったが、声に出るわずかな葛藤をマリーは聞き逃さなかった。
「……しかし もし彼女がどうしても続けたいと望むなら……テロンに任せる」
 ルシアスの言葉に、テロンが眉を上げて意外そうな顔をする。
 目を覚ましたセレスティンがリビングから顔を見せ、会話はそこで終わりになった。

 彼女が眠っている間に三人で話したことは、夕食での会話には上がらなかった。
 ルシアスが帰っていき、セレスティンは明日は大学の授業で朝が早いと二階に上がる。
 マリーはセレスティンについて部屋に入った。
 枕元で西洋トウキ(アンジェリカ)の種子のインセンスを焚き、それから鹿皮の小さなメディスンパウチをとり出した。
「この中にはね、あの時の熊の爪と毛の束が入っているわ。それからとうもろこしの実と薔薇のつぼみ、ターコイズと貝殻と鳥の綿毛。今まで私の手元において、お祈りを込めていたの。それにスピリットの守護を請うために、西洋トウキ(アンジェリカ)の根を足した。
 あなたには鉱物、植物、動物、人間、そしてスピリットたちの恵みと守りがある。それをいつも思い出してね」

 下りてくると、リビングで2本目のワインを片づけているテロンに話しかける。
「一つ、訊きたいのだけれど……魔術の訓練を経ているのなら、ルシアスも当然、二つ目の世界のことは十分知っているわね?」
「知ってるどころじゃない。あいつは足に翼を生やしたヘルメスみたいに、あらゆる場所を自由に行き来する。俺にはああいう才能はない」
「じゃあなぜ自分では行かずに、あなたに任せると言ったのかしら」
 テロンがソファにもたれ、ワインの最後のグラスを飲み干す。それを見ながらマリーは「今晩は車を運転せず、泊まっていくように」と念を押した。
 テロンは苦笑し、それから何かを言いあぐねるように、指でソファのひじかけを叩く。
「……ある時期に、やつは向こう側に入ることを止めた。
 規律としてのメディテーションはもちろん欠かさないが、ゼンやヴィパッサナーのような精神集中のタイプに限るようになって、意識を自分の体から離すこと自体を止めた。
 それは自己訓練に多様性をもたせるといった理由で、一時的なことだと思ってたんだが、どうやらそうじゃなかった」
「その時期に、きっかけになるようなことが何かあった?」
 テロンはしばらく眉を寄せていた。
「……スターゲートという軍のプロジェクトについて聞いたことがあるか」
「スタンフォード大学が関わっていた、遠隔透視の研究プロジェクトだったかしら」
 それは確か、人間の心を使って行う遠隔透視の実用化を試みた軍の機密プロジェクトだ。プロジェクトが打ち切りになって機密指定が解除されてから、その存在が公にも知られるようになった。一部の心理学者の間では「の予算で怪しい超心理学の研究などしていたのか」と話題になったものだ。
「そうだ 陸軍と国防情報局(DIA)、それにスタンフォードの研究者が加わって、フォードミードの陸軍基地で進められてたプロジェクトだ」
「それはずいぶん前に打ち切られたのではなかった?」
「スターゲートは、議会の予算法案でDIAからCIAに管轄が変更され、CIAの監査報告で『予算に価しない無用のプロジェクト』とされ打ち切りになった。
 実際に役に立たなかったのか、それともその存在がCIAにとって都合が悪いものだったのかは、別の話だ。
 ここから先は、俺の喩え話として聞いてくれ。
 スターゲートが打ち切られた後、別の名前で後続の機密プロジェクトがDIAによって立ち上げられた。今度は海軍から有望そうな人員を引っぱって」
 マリーはテロンが言おうとしていることを悟った。
 つながらなかったいくつかの断片がつなる。
 ルシアスの能力は、普通の魔術やシャーマニズムとはどこか違う質があると思っていた。それは軍事遠隔透視の経験から来たものなのか……。


 セレスティンは目を覚ました。のどがとても渇いていた。
 足音を立てないようにそっと階段を下りる。キッチンの電気をつけないまま水を飲んでいると、リビングでテロンとマリーがまだ話をしているのが聞こえた。
 ルシアスのことを話してる……?
「……その経験のせいで、彼は向こう側で自分が機能することに制限……それとも不安を感じているということね?」
「そのあたりのことについては、やつは一切口にしない。確かにプロジェクト自体がまだ機密指定が解けてないんで、口にできないというのもあるだろうが。しかし俺の勘としては引っかかるものがある……」

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登場人物紹介

セレスティン

ホノルルで大学に通う。

動物、植物、あらゆる生き物と星が好き。ダイビングが趣味。

ルシアスとの出会いをきっかけに、世間で「魔術」と呼ばれているものを学ぶ道に導かれていく。

ルシアス

もと海軍の情報士官で、ニューヨークの白魔術教団のメンバー。

訳があって軍を退役し、教団を去ってホノルルに移り住んできた。

彼のまわりでは風が生き物のように不思議な振舞いをする。

テロン

海軍の特殊部隊出身で、もと白魔術教団のオフィサー。

ルシアスの友人で、アメリカ本土から彼を追いかけてきた。

マリー

山の上に隠棲し、植物を育てながら薬草やアルケミーの研究をしている女性。

以前はニューヨークでユング派の心理療法家をしていた。

鳥の羽に導かれてセレスティンと知りあう。


エステラ

ニューヨークに住む、白魔術教団のオフィサーで占星学者。

ルシアスとテロンと親しいが、強面のテロンに「俺もルシアスも頭が上がらない」と言わせる女性。

ガブリエル・ジレ

ニューヨークにある白魔術教団のメンバー。

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