第1話

文字数 9,969文字

 できるだけ波風が立たないように、それでいて誰にも嫌われないように。そう思って生きてきた私の心の中に、彼はまるで台風のように飛び込んできた。
「初めまして、山村順太です。順太って呼んでください」
 彼が私たちと合流したのは恋ステ二日目、植物園と動物園が併設されている施設へ行ったときだった。男女六人でなんとなく組み合わせが決まり始めた頃に順太君はやってきた。
 これで七人全員が揃ったらしい。メンバーは高校三年生の廉君と順太君、みくるちゃん、それから高校二年生の昴君と雄大君、琴葉ちゃん、そして私だった。一通りの自己紹介が終わったあと、順太君は唐突に私の方を向いた。
「ね、俺とツーショット行かない?」
「え? 私?」
「そう。俺、静香ちゃんが第一印象なんだ」
 少年っぽさを残した笑顔で順太君はそう言う。第一印象と言われて嫌な気持ちになる人なんてほとんどいないと思う。でも、私は……。
「う、うん。えっと……」
 どうしよう、と視線を順太君の後ろにいた雄大君へと向けると、彼は仕方ないよというように苦笑いを浮かべていた。ごめんね、と私も苦笑いを浮かべると順太君へと視線を戻した。
「じゃあ、お願いします」
「やった」
 他のみんなを残して私たちは植物園の中へと向かった。
「ね、昨日とかどうだったの?」
「昨日? うーん、みくるちゃんが廉君をツーショットに誘ってて」
「あー、廉ってモテそうだもんね。静香ちゃんは?」
「私は……」
 一瞬、躊躇った私に順太君はいたずらっ子のように笑った。
「当ててあげようか? 雄大でしょ」
「な、なんで」
「さっき俺がツーショットに誘ったとき、どうしようって目で雄大のこと見てたでしょ? だからそうかなあって思って」
 バレてたんだ……。
「でも、昨日はそうだったかも知れないけどさ、今日からは俺が静香ちゃんのことツーショットに誘いまくるから! だから、覚悟しといて」
 順太君のストレートな言葉に心臓が高鳴るのと同時に不安になる。だって、そんなこと私は望んでいない。恋ステで素敵な出会いはほしいって思ってたけど、でも誰かと争ったり誰かを傷つけたりなんてしたくはない。だから、昨日初めて会ったときいいなって思った雄大君が私のことを第一印象だって言ってくれてホッとした。みくるちゃんや琴葉ちゃんには悪いけど一人の男の子を取り合うだなんて私は嫌だ。それも仲良くなった子とならなおさら。なのに……。
「そんなの、困るよ」
「えーでも、しょうがないじゃん。俺だって静香ちゃんのこといいなって思ったんだから。それとももう絶対雄大じゃないと駄目?」
「う……」
 駄目、と言い切れないのが私の悪いところなのかもしれない。でも、目の前でしょんぼりとした顔をされるとどうしても頷くことができない。
「それは、わからないけど……」
「でしょ? じゃあ、俺にもチャンスがあるってことじゃん。これから俺のことたくさん知って、雄大のことよりも俺のことで静香ちゃんの心の中いっぱいにしてみせるから」
 まるで漫画のキャラクターのようなセリフに、思わず笑ってしまう。そんな私の隣で順太君も「へへっ」と少し照れくさそうに笑う。笑うと八重歯が覗くその顔がなんだか可愛らしかった。

 順太君は宣言通り、その日の午後に行ったフラワーパークでも一緒に回ろうと声をかけてくれた。まだどうしようと思う気持ちはあったけれど「早く行こっ」と順太君に手を引かれ、パークの中へと向かった。
「ごめんね?」
 順太君がそう言ったのはお土産物屋さんでストラップを見ていたときだった。何の話だろうと首をかしげる私に順太君は眉をハの字にして困ったように笑っていた。
「さっきの、さ。ちょっと無理矢理だったかなって。本当は雄大と回りたかったんじゃない?」
「そんなこと、ない――って言ったら嘘になるけど」
「だよね」
 順太君はもう一度ごめんとうなだれた。
 そんな姿に、頬が緩むのを感じる。どうしてだろう、私よりも年上のそれも男の子を可愛く思うなんて。
「でも」
「え?」
「今、こうやって順太君と一緒にいるの、楽しいよ」
「ホント?」
「あ、これにしようかな」
 私はいくつか並ぶストラップの中から猫のぬいぐるみがイチゴの帽子を被っているものを手に取った。それを見せる私に順太君は――。
「え、ねえ。さっきのもう一回言って? 俺と一緒にいるのがなんだって?」
「……もう言わない」
「なんでなんでー」
「それより、ほら順太君も選んでよ。一緒に買うんでしょ?」
 恥ずかしくてごまかした私に、順太君はさらに食い下がったけれど、諦めたように並んでいるストラップに視線を向けた。
「どれがいいと思う?」
「私が選んでいいの?」
「静香ちゃんに選んでほしい」
 順太君の言葉に震央の音が大きくなるのがわかる。そういうことをさらりと言わないほしい。順太君にとってはたいしたことない一言なのかもしれないけれど、言われ慣れていない私にとっては一大事なのだ。
「……じゃあ、これ」
「たぬき?」
「そう。なんか順太君に似てる」
「えーそうかな?」
 順太君はストラップを顔の横に持ち上げると鏡を見て、それから私の方を向いた。
「似てる?」
「そっくり」
「それ、たれ目なところだけだよね?」
「……バレた?」
「ひでー!」
 思わず笑った私に、順太君は口では文句を言いながらもどこか嬉しそうに笑顔を浮かべる。そして私の手から猫のストラップを取り上げた。
「これ、俺が買ってもいい?」
「え?」
「静香ちゃんにプレゼントしたい。駄目かな?」
 おどけたように言っているけれど、耳が赤くなっているのが見えて何も言えなくなる。首を振った私に順太君は嬉しそうに笑った。私にプレゼントするってだけでこんな顔をしてくれるのなら、もしも私が順太君にプレゼントしたらどんな顔をしてくれるんだろう――。
「ね、順太君。そっち貸して?」
「これ?」
「うん。……私が買うから」
「いいの? ホントに?」
 一瞬、驚いたような表情を浮かべたあと、パッと笑顔になる順太君に私まで嬉しくなる。その顔が見たかったなんて恥ずかしいこと絶対に言えない。

「――はい」
「ありがと!」
 お互いにストラップを買うと、外のベンチに座って交換する。私のスマホには猫のストラップが、順太君のスマホには狸のストラップがついた。
「お揃いだね」
「だね」
 たったそれだけのことが照れくさくてむずがゆい。でも、隣で嬉しそうな顔をしている順太君を見ると私まで嬉しくなってくる。
「ね、聞いてもいい? ……今も、第一印象から変わってない?」
「それは……」
 本当は少しずつ、少しずつだけれど順太君のことが気になってきてる。気になってるというか、一緒にいると楽しい。でも、この気持ちが恋なのかと言われると返事に困る。それに朝は雄大君のことがいいって言ってたのにちょっとアプローチされたからって変わるのもなんか違う気がする。
 だから私は正直に伝えることにした。
「わからない」
「ふーん?」
 なのに順太君は私の答えになぜか嬉しそうに顔をほころばせる。多分その反応を私が不思議に思ったのに気付いたのだろう。順太君は八重歯を覗かせてニッと笑った。
「だって朝は雄大が一番だって思ってたのが今はそこに俺もちゃんと入ってるってことでしょ? 嬉しいに決まってるじゃん」
「そっか」
「そうですー」
 おどけて言う順太君につられて私も笑う。嬉しいって思ってくれることが嬉しい。そう思うこの感情の名前を私はまだ知らない。

 二週目が始まるまでの五日間、毎日順太君と雄大君のことを考えていた。どちらのことも気になっていて、どちらを好きかと聞かれても答えられない今の状況が駄目だってことはよくわかってる。だから、私は二週目の二日間でもっと二人と話そうとそう心に誓った。
 土曜日、久しぶりに会った私たちは少し緊張したまま大きな観覧車が併設されているショッピングモールへと向かった。
 雄大君と順太君と話がしたい、そう思ったもののどうやって誘おうか悩んでいたとき、辺りがザワザワとなるのを感じた。
「どうしたの?」
「あー……なんか、琴葉ちゃんが廉を誘って断られたらしい」
「え……」
 泣きそうな顔で走って行く琴葉ちゃんとその後ろを追いかける昴君の姿を、私は呆然と見つめていた。あんなの、辛すぎる。きっと勇気を出して誘ったはずだ。なのに、断られるなんて……。私は自分が誘って断れたときのことを想像すると、足が動かなくなってしまった。
「静香ちゃん」
「あ……順太君」
「俺らも行こう?」
「うん……」
 誘ってくれたことにホッとしてしまう。あんなに自分から誘うんだって思ってたのに、意気地なしな自分が嫌になる。もしかしたら私は自分自身が傷つきたくなくて逃げているだけなのかもしれない。好きになることからも、誰かを選ぶことからも。
結局、私はきちんと二人と話すことなくその日を終えてしまうことになった。本当は答えを出さなきゃいけないことはわかっている。でも……。
 私は鞄の中に入っている恋チケットのことを思い出す。私に渡された恋チケットは十枚。五週間の旅だ。まだ時間はある。だから、大丈夫。そう思っていた。

 翌日、私たちは臨海公園へと向かった。砂浜を歩いていると、私の手を誰かがそっと引っ張った。
「向こう行かない?」
 小声でそう言う順太君に頷くと、私たちはみんなと離れて二人で浜辺を歩き始める。
「真っ青で綺麗だね」
「ね。俺んちの近くにも海があるけどこんなに綺麗だったかな」
 順太君は不思議そうに海を見つめたあと、私の方を向いた。
「ああ、そっか。静香ちゃんと一緒だから綺麗に見えるんだ」
「なっ……もうっ!」
 恥ずかしくて熱くなった頬を両手で挟む。そんな私の態度に順太君は笑う。ごまかすように前を見ると、長く伸びた私たちの影が見えた。
 なんとなく手を伸ばすと、私の影が順太君の影に触れる。それはまるで手を繋いでいるみたいに見えて、順太君に気付かれる前にその手を引っ込めた。
 実際には触れていないのに、触れたのは影だというのに、どうして心臓はこんなにもドキドキしているのか……。その問の答えがもう少しでわかりそうな、そんな気がする。だからもう少し、もう少しだけ時間がほしい。答えを出す時間が。
 けれど、そんな時間なんてないことを、その日の夕方思い知らされることになった。
 「――どういう、こと?」
 集められた部屋には私と順太君、それから雄大君とみくるちゃんの姿があった。琴葉ちゃんと廉君、それに昴君の姿はなかった。
「告白、かな」
 みくるちゃんが青い顔をして言う。そうだ……。廉君がいないということは琴葉ちゃんが廉君に告白をするために呼び出したか、それとも――廉君が琴葉ちゃんを呼び出したかのどっちかだ。廉君のことを第一印象だと言っていたみくるちゃんがショックを受けるのも不思議じゃない。
「これってどうなるんだ?」
「どうって?」
 テーブルの向かいで雄大君と順太君が話し始めたので、私は思わずそちらに視線を向けた。
「だからさ、例えば琴葉とどっちかがくっつくとするじゃん。そうしたら一人は確実にフラれるってことだろ?」
「まあ、そうなるな。そしたら……フラれた方の旅は終わりだな」
「じゃあ、もしかしたら一気に三人が消えるかもしれないってことか」
「そんなの……!」
 二人の言葉に、みくるちゃんが涙混じりの声で言った。
「私、まだ廉に気持ち伝えてないのに! なのに、もしも廉が帰っちゃったら、どうしたらいいの……! こんな、ことなら……私も告白、しておけば……!」
 私の隣でみくるちゃんは突っ伏して泣き出した。そんなみくるちゃんの背中をさすりながら、気付いた。私のチケットは十枚あるけれど、順太君も雄大君もそうだとは限らないということに。この旅は期限のある旅なんだ。いつも「また明日」「また来週」って言って別れることができないということに、今更気付くなんて。
 顔を上げると雄大君と目が合った。雄大君は困ったように、でも寂しそうに微笑んでいた。思わず目をそらした私は、雄大君の隣に座っている順太君が真剣な表情で私を見ていることに気付いて、どうしたらいいかわからず曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

 数十分後、私たちがいる部屋のドアが開いた。そこには琴葉ちゃんと――廉君の姿があった。
「あ……」
 結果は、琴葉ちゃんと廉君が上手くいって、昴君はフラれたらしい。ここで、三人の旅は終わる。
 来週からは、もう三人に会うことはできない。
「っ……琴葉、ちゃん……」
「静香ちゃん、今までありがとう」
「琴葉ちゃんいなくなったら、寂しいよ……」
「私も寂しい。……ね、静香ちゃん。ちゃんと自分の気持ちを確かめて、それで想いを伝えてね」
 琴葉ちゃんの言葉に心臓が苦しくなる。私の、気持ち……。
 小さく頷く私に琴葉ちゃんは微笑むとみくるちゃんの前に向かった。
「……おめでとうなんて言わないからね」
「うん……。ライバルだったけど、私みくるちゃんのこと大好きだったよ」
「そんなの……私もそうに決まってるじゃん」
 ぎゅっと抱きしめ合って笑う二人の頬に、涙が伝うのが見えた。二人とも、真剣に恋ステに参加して、自分の気持ちと向かい合って、そして精一杯恋をしてた。
 なら、私は? そんな二人に胸を張れるぐらいちゃんと恋、できてる……?
 私に残された恋チケットは、あと六枚。でも、順太君と雄大君が同じ枚数だとは限らない。もしかしたら二人は次の週末で最後かも知れないのだ――。

 琴葉ちゃんと廉君、それに昴君が抜けて初めての恋ステの日はあっという間にやってきた。三人が抜けた代わりに入ったのは真帆ちゃんという高校一年生の女の子、それから高校二年生の慧君と高校三年生のアレン君だった。
 簡単に自己紹介をすると、私たちは遊園地へと向かった。そこには小さな机があって、七枚のトランプが置いてあった。
「じゃあ、せーので開けるよ。……せーの!」
 みくるちゃんのかけ声で開けたトランプ。私のペアは――雄大君だった。
「よろしくね」
「うん……よろしく」
 順太君は真帆ちゃんとペアだったらしく、二人で歩いて行くのが見えた。その姿を見て気持ちがモヤモヤする。そんな私の隣で雄大君は楽しそうに言った。
「やっと静香ちゃんと話せた。順太が来てからずっと静香ちゃんのこと取られちゃってたからさ。ペアになれて嬉しい」
 そんなふうに思ってくれることが素直に嬉しい。嬉しいのに、やっぱり順太君のことが気になる。今頃、真帆ちゃんとどんな話をしているんだろう。明るくて可愛くて元気いっぱいの真帆ちゃんは私とは正反対で。順太君もああいう子の方が好きなんじゃないのだろうか。だって、私と一緒にいるよりもお似合いに見える……。
「俺さ、変わってないから」
「え?」
 私の思考を遮るように、雄大君が真剣な表情で私を見つめた。
「第一印象から、ずっと変わってないからね」
「ありが、とう」
 私の言葉に雄大君は照れくさそうに笑った。
「それじゃあ、行こうか」
 そう言って雄大君が指しだした手を、一瞬どうしたらいいのかためらいながらもそっと握りしめた。
 
 その日の夕方、私はスタッフさんに呼ばれ不思議に思いながらも別室へと向かった。そこには――順太君の姿があった。
「来てくれてありがと」
 いつもとは違う、少し緊張した面持ちに、私も言葉に詰まる。どうしよう、どうしたら……。でもそんな私に、順太君は優しい声で話し始めた。
「……あの、さ。今日まで色々ありがと。静香ちゃんと一緒にたくさんの時間を過ごせて凄く楽しかった」
「私も、楽しかったよ」
「よかった。……もし静香ちゃんさえよければ、これからもずっと一緒に楽しい時間を過ごしたい。いろんなところに行って、いろんなものを見て、たくさんの時間を共有したいって思ってる。静香ちゃんのことが好きです。俺と、付き合ってください」
 順太君は私に手を差し出した。この手を取れば、私の旅は終わる。でも、私は自分の気持ちに自信がない。この気持ちが本当に恋なのか、わからない。
「順太君と過ごしたこの数日間、本当に楽しくて……もっと一緒にいられたらいいなってそう思うようになった」
「じゃあ……!」
「でも、まだどうしても自分の気持ちがわからなくて……。こんな中途半端なままで順太君とお付き合いすることは、できません」
「そ……っか」
 私の答えに、順太君は寂しそうに微笑む。その顔を見ると泣きそうになる。でも今私が泣くわけには行かないからギュッと唇をかみしめた。
「だから……ごめんなさい」
「謝らないで。真剣に答えてくれてありがとう」
 順太君は微笑むと――私を残してその場を去った。残された私の頬を一筋の涙が伝い落ちた。

 翌日、当たり前だけどもうそこに順太君の姿はなかった。あとから聞いた話によると順太君の恋チケは四枚だったらしい。それで、昨日……。
 あれからずっと考えていた。本当にこれでよかったのかどうか。でも、どれだけ考えても答えは出ず、いつの間にか朝を迎えていた。
 重い気持ちのまま雄大君にツーショットに誘われ、私たちは近くのカフェへと向かった。
 雄大君と一緒にいると、どこかホッとする。安心することができる。だけど、順太君と一緒にいたときのようなドキドキはない。
「――元気、ないね」
「そんなこと、ないよ」
 そう言いながら運ばれてきたアイスティーにガムシロップとミルクを入れてかき混ぜる。透き通っていたアイスティーがミルクによってまだら模様になっていく。まるで私の心の中みたいだ。
 グチャグチャのまま前に進めずにその場で立ち止まっているだけの私は、恋ステに参加する資格なんて本当はなかったんじゃないかとさえ思ってしまう。
 そんなことを考えていると、ふいに雄大君が口を開いた。
「俺、さ。ホントは静香ちゃんが順太の告白をOKするんじゃないかって思ってた」
「え……?」
 顔を上げると、そこには寂しそうに微笑む雄大君の姿があった。
「ど、どうして?」
「だって、静香ちゃんってば俺といても順太の話ばっかりだもん」
「嘘……」
「気付いてなかった?」
 頷いた私に、雄大君は苦笑いを浮かべる。
「でも、こうやって残ってくれたってことは……俺、期待してもいいかな。――なんてね」
 雄大君はおどけたように笑うと、真剣な表情を私に向けた。
「ねえ、静香ちゃん。本当にこれでよかったの? 自分自身の選択を後悔してるんじゃない?」
「なんで、そんなこと……」
「だって、朝から静香ちゃんずっと苦しそうな顔をしてたよ。……昨日までの静香ちゃんはあんなに楽しそうだったのに。それって順太がいなくなったからじゃない?」
 雄大君の言葉に、私は息をのんだ。
 そうだ、順太君と出会ってから、ずっと私の中には彼がいた。いつだって隣で笑って私のことを笑顔にしてくれていた順太君が。順太君がいたから、週末が楽しみだった。一緒にいられる時間が嬉しかったんだ……。
 どうしよう、今になって気付いてしまった。
 自分の中で、どれほど順太君の存在が大きくなっていたか。こうやって雄大君と話していても、順太君のことを思い出してしまっていた自分に。
「ごめん、なさい」
「うん」
「わた、私……行かなきゃ!」
 席を立つと私はスタッフさんの元へと向かった。残りの恋チケットを全て渡すとスタッフさんは驚いた顔をしていた。でも、これはもう私には必要ない。だって、これ以上参加したとしても私の好きな人はここにはいないのだから。
 でもそんな私にスタッフさんは赤い恋チケットを手渡した。
「これ……」
 そしてチケットボックスに入れるように言った。
「……私、告白してきます。順太君に、想いを伝えてきます」
 恋チケットを入れる代わりに渡された一通の封筒。そこには順太君の住む街へと向かう新幹線のチケットが入っていた。

 行ったところで順太君がどこにいるかなんてわからない。でも、どうしてもこの気持ちを伝えたかった。
 新幹線を降りた私は、手当たり次第に辺りを探し回った。でも、知り合いの全くいない知らない土地でたった一人を見つけることは困難を極めていた。
 公園も、ゲームセンターも、ショッピングモールも探したけれど順太君の姿はどこにもなかった。
「もう、会えないのかな……」
 いつの間にかあんなに高かった日は真っ赤に染まって暮れようとしていた。夕日に照らされて私の影が長く伸びているのが見えた。
 あのとき繋いでいるように見えたかげは今はひとりぼっちだった。
「……そういえば」
 私は思い出す。あのとき、順太君が海の話をしていたことを。
「っ……」
 そこにいるなんて確証はない。でも、もうそこしか残されていなかった。スマホで調べてみると確かにこの近くに海があった。私はそこに向かって急いだ。
「はあ……はあ……」
 走りすぎて息が苦しい。でも、もう二度と順太君に会えないかもしれないと思ったらそんな苦しさなんてなんでもなかった。
 順太君に会いたい。順太君に会って、想いを伝えたい。
 その想いが私を突き動かしていた。
「着いた……!」
 防波堤を越え、砂浜へと降り立つ。辺りを見回してみるけれど、順太君の姿は――。
「っ……いた!」
 私が降りてきたのとは違う階段をのぼろうとしている順太君の姿が見えた。走って行っても私がたどり着くより先に順太君は行ってしまう。そんなの、嫌だ!
「順太君!!」
 思いっきり叫んでみるけれど聞こえないのか順太君はどんどんと階段をのぼっていく。
 だから私はもう一度、ありったけの想いを込めて叫んだ。
「順太君!!好きです!!順太君のことが、大好き!!」
 でも……。
「いっ……ちゃった……」
 私の声が聞こえることはなかったのか、防波堤の向こうに順太君は姿を消した。
「あ……ああ……」
 せっかくここまで来たのに、結局想いを伝えることができなかった。
 あの日、私が順太君の想いをきちんと受け止めなかったから……だから……もう二度と、順太君には……。
 しゃがみ込んだ私の足下でぽたりぽたりと落ちた涙が砂浜に黒い染みを作っていく。でも涙はとどまることなく溢れ続ける。
「……静香ちゃん?」
「え……」
 聞き間違いだと思った。そんな都合のいいことあるわけないって。
 でも、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた私の目の前に、驚いたような顔をした順太君の姿があった。
「じゅん、た……くん、どう、して……」
「静香ちゃんの声が聞こえた気がして戻ってきたら本当にいるんだもん、ビックリしたよ。恋ステは? ってか、なんでここに……」
 慌てたようにそう言いながらもしゃがんで私と視線を合わせると、順太君はハンカチを差し出してくれた。そのハンカチで涙を拭うと、私は順太君を見つめた。
「わた、私……恋チケット入れたよ」
「そっか……告白、したんだね。上手くいった?」
「違う」
「え?」
「告白、しに来たの。順太君に」
「俺、に……?」
 頷く私を、順太君は信じられないとでもいうかのように首を振る。だから私は、そっと順太君の手を取った。
「私は順太君みたいにストレートに気持ちを伝えるのも苦手だし、自分の気持ちさえちゃんとわからずに順太君が告白してくれたのを断っちゃったりしたけど。でも、やっと気付いたの。私が一緒にいたいのは順太君だって。ずっとそばにいてほしいと思うのは順太君だけだって。都合のいいことを言ってるのはわかってる。でも……私、順太君のことが好きです。私と、付き合ってください」
「……今の、本当? 嘘じゃない?」
「嘘なんかじゃ……きゃっ」
「嘘だって言ってももう離さないから!」
 そう言った順太君王での中に、私の身体は抱きしめられていた。
「嘘じゃないよ。本当に、順太君のことが大好き」
「俺も、フラれても諦められなかった。静香ちゃんのことが好きだ! 大好きだ!」
 順太君にギュッと抱きしめられる。重なった私たちの影が、夕日が照らす砂浜に映し出されていた。
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