前半

文字数 16,229文字

「はうぅ。見知らぬおばあさんの道案内してたら遅れたですぅ」

一日一善を日課にしている優しい少女、伊吹ルル子が街を走る。「ふぇーんっ遅刻遅刻ーっ!」と叫びながら、ずり落ちてくるリボンを懸命に右手で抑えている。乱れた寝ぐせが丸出しになっている事には気付いていない。ルル子は全力で足を動かしているが、進みは極めて遅かった。

お約束(テンプレ)ならば道で死角から出てきた転校生とミラクルな出会いがあるはずだが、世界最先端の科学が浸透した首都の学園都市では、道路にブロック塀などという前時代の建築物は存在しない。街中の四つ角は安全を考慮し全て透明素材で作られているのだ。よほどのドジを踏まなければ、ありがちなロマンスは起こりえない。

電柱は地下に埋設されてあり、広くとられた車道を走る自動車はAIによる自動運転。空は二十四時間体制で警察のドローンが監視しており、事件事故は極めて少ない。

大都会なのに田舎のごとく視界の広い安全な道を、ルル子は走る。今日はルル子が乾(いぬい)学園第七学区中等部に進学して初の登校日だ。遅刻はできない。

通学途中らしい鼻をたらした児童が、ルル子が走りながら振り回すカバンを避けた。

しかしルル子が「ごめんねーっ」と叫ぶ声は、喧騒に掻き消されてしまう。交通量の多い道に人だかりができているためだ。

「なんでそいつと手を繋いでたのかって聞いてるの!」
「いや、その、これはええと、つまりそのう……」
「ねえ、この方とは別れたっておっしゃってましたわよね」
「何がこの方よ。スカしてんじゃねーよドリル髪!」

修羅場が起きていた。通勤通学の時間帯だというのに、一人の男を間に挟み、二人の女が言い争いをしている。三人が着ているのは乾学園高等部の制服。ということは、今日から中等部一年生のルル子より年上だ。

「はわわっ。大人です。朝なのに昼メロです」

ルル子はこそこそと野次馬の後列に潜り込む。周囲の会話から、男が二股をかけていたらしいな、という噂声が届いた。

「もう結構ですわ。私、好色な殿方とは付き合わないことにしておりますの」
「あっ、そんな、ちょっと待って……」
「フン。失せろビッチ。あたしの彼氏に二度と触れんな!」

数秒後。痴話喧嘩は決した。男子生徒の横にいたお嬢様風の女子生徒が背中を向けると、ポニーテールの女子生徒が男子生徒の腕に自身の腕を絡ませた。

その瞬間、お嬢様風の生徒の頭上に、黒い↑と数字が浮かんだ。


↑ 87,600 LC


それと同時に、ポニーテールの生徒の頭上にも、赤い↓と数字が浮かぶ。


↓ 20,800 LC


男子生徒はオロオロしながら二人の頭上を交互に見た。直後に、俺って下げチンだったの? と小声で呟きながら頭を抱えた。

 三者三様の光景を見たルル子は、見てはいけないものを見ちゃったと、胸の中に気まずさが広がった。でも仕方ない。それが乾学園に通う生徒の宿命なのだからと嫌な思いを飲み込む。

 初等部から大学まで一貫教育の乾(いぬい)学園に通う全生徒は、複数のスーパーコンピューターで構成されたネットワーク、通称『マター』により完全監視されている。マターによる生徒が生涯において稼ぎ出す収入評価、通称LC(ライフコイン)は正確である。そして、学園都市内において、LCの現在値が十パーセントを超える上下動があった時、頭上に遠隔受信ホログラムで表示されるようになっている。

 ということは、お嬢様風の生徒は男子生徒と別れたことが得になり、腕を絡めたポニーテールの生徒は付き合うことで損になる。そうマターは判断したのだ。

「うう……朝から嫌なもの見ちゃったよお」

 ルル子が離れようとした時。赤い↓の出ている女子生徒が、自身の頭の上の数字に気付いた。

「くそっ。これうざい。おまえら見てんじゃねーよっ!」

 女子生徒が暴れだして、野次馬達が後ろに押される。

 その時。外周にいる鼻をたらした児童が、車道に押し出されてしりもちをついた。倒れた児童には巨大なトラックが迫っている。

「危ないっ!」

 ルル子は反射的に駆け出し、児童を歩道に引き戻した。入れ替わりにバランスを崩して車道に倒れこむ。

 周囲の時間が遅くなり、楽しい思い出が脳裏をよぎる。

 あ、これ、死ぬパターンだ。ルル子は確信した。

 そして同時に、あの子が無事ならそれだけでも良かったかなと感じた。

 しかし。ルル子が目を固く閉じて数秒。

 周囲のざわめきで片目を開けると、トラックはかなり余裕のある距離で停まっていた。

 助かったんだ。安堵して腰の抜けたルル子の前に小さな陰が寄る。鼻を垂らした児童だ。

「あざらしパンツのねーちゃん、ばかなんじゃないの? AIの運転なんだから、トラックなんて安全装置で勝手に停まるのに」
「ふぁい?」

 児童に言われて、倒れているルル子は頭をあげた。自分の下半身に目を向けると、制服はめくれあがり、下着が丸出しになっていた。

 しまった。またやらかしてしまった。しかもこんなに人通りの多いところで。

 スカートを元に戻しながら、あざらしじゃないのに、ラッコなのにと胸の中で叫ぶルル子。その目は恥ずかしさでぐるぐると回っている。

「えっと、大丈夫かい?」

 更に人垣の中から学生服を着た少年が現れて、ルル子に手を差し伸べた。正義感が強そうな瞳と、制服のボタンを全てとめた優等生らしい雰囲気。ルル子とは別の学区の生徒だ。

「ひゃい、う、うん。大丈夫だよ」

 ルル子が立ち上がると、少年はルル子の膝に指を向けた。

「ひざ、擦りむいてるよ」
「あ、ほんとだ。今気付いたよ」
「ちょっと待っててね」

 少年がカバンの中から絆創膏を取り出して、ルル子の前に片膝をつけた。近くで見るとまつげが長い。少年の仕草は、ガラスの靴を履かせようとする王子様のように美しい。

 シンデレラってこんな気分なのかな。ルル子の周りを全裸の乳児がラッパを吹きながら飛び回る。

 いい感じの祝福の音楽がルル子の脳内で鳴り響いていたのだが、幸せな時間は長く続かなかった。

 周囲にいた人々が、ルル子の頭上に目を向けて指をさしたのだ。

 全裸の乳児を見つめる目ではない。下半身を露出する中年男を見るような、見てはならないものを見てしまったという、ばつの悪い目をしている。

「……198LC?」
「うっそ。ありえるの、あんなLC」
「なんて汚(けが)らわしいんだ」
「額面割れだ。Gだよ」
「あの女の子の制服、中学生だよね」
「生涯年収が百万円台。安すぎてひく……」

 ルル子は周囲のひそひそ声に釣られて自分の頭上を見た。そこには、赤い↓と落第生相当のLCが表示されていた。

 LC。ライフコイン。人生の価値を意味する略称。

 LCとはつまり、予測される生涯年収だ。一万円を1LCとして算出、公開される。どうやらマターは、ルル子が将来自力で稼ぐ金額は二百万円を切ると評価しているらしい。

 現在の国内では、一般人の生涯年収の平均はおよそ四億円。乾学園で世界随一と呼ばれる高度な教育を受けた生徒ならば、大卒時の平均が119,000LC。約三倍だ。これは、データ不足のため暫定的に平均生涯年収を半欠けさせた20,000LCで始まる初等部時代から、教育を積み重ねつつ体が成長することにより上下していく。

「やだっ、なんで? 昨日まで230LCだったのに。また下がった!」

 マターがルル子のLCを大きく下げた理由は、誰の目にも明らかだった。児童を助けるために、トラックの前に飛び出した愚行だ。後のことを考えず、自分から他者のために身を投げ出す姿勢。ルル子の善良性は、社会では大きなマイナスになる。それがマターの結論だ。

 仕事を多く押し付けられて、いつまでもサービス残業。疲弊してミスを犯し、職場に迷惑をかけ続ける。上手にストレスを解消できない。自分の意見をきちんと言えない。都合よく上司に使い捨てられる。後輩には先に出世されてしまう。批判されてうつ病になる。退職して何もしなくなる。マターは厳格かつ正確に、ルル子の残念な将来を予測していた。

「え? 二百三十? 一体なんのこと……」
「見ちゃだめえええっ!」

 顔を上げようとした少年に、LCを見られたくないルル子が覆いかぶさった。それと同時にルル子はつまずき、少年の上に倒れた。

「いたたたっ、ほへっ?」

 一回転したルル子の足は少年の首でタコ糸のように絡まり、芸術的な三角締めが決まっていた。ラッコパンツ丸出しのルル子の股間には、青黒く変色した白目をむく少年の顔が埋もれている。

「やっ、しゅみましぇええええええんっ!」

 ルル子は泣いた。泣きながら駆け出した。グッバイ王子様と叫びながら、豪快なストライド走法で駆け続けた。

 しかしやはり、足は遅かった。





「ふぇえん。中等部の始業式は三十分遅れなの忘れてたあ。走る必要無かったよ。通学中の生徒がいっぱいいたんだから、そこで気付けてたら、恥ずかしい目にあわなくても済んだのに……」
「ルルちゃん、せんせがこっち見てるよ」

 始業式の最中、朝の出来事を引きずり、うじうじとひとり言を繰り返すルル子の制服の袖を、初等部時代からの友達が指で引いた。

 ルル子は背筋を伸ばし、講堂の壇上で演説をしている、中等部生徒会副会長という眼鏡の女生徒に注目した。中等部の女生徒にしては背が高い。やや低めの落ち着いた声だ。

『人間の成長性。ファジー領域に立ち入る予測不可能だった未来視は、マターの並列思考により九分九里実現しました。乾学園に通う全生徒は、フレキシブルカード化した生徒手帳に限らず、制服のボタンや校章などにも、複数のワンチップマイクロコンピュータ、略称チップが仕込まれてます。電子キーの働きも持つそれらは、ソーラー発電や学生の体温から得られる熱エネルギーを受けて起動し、通信や辞典といったIT機器のベーシック機能を利用できるだけではなく、CTやMRIのような人体スキャン機能も備えております。
 
 チップが生徒から収拾する血圧や脈拍などのデータは、健康管理を軸として、怪我の予防や急病の事後対応などにも活かされます。更には発汗成分や吐息に含まれる酵素からストレス因子(ファクター)を常時分析。不安、不満、混乱といった心の問題もプロテクト。それらから推測される全生徒の思想、信条、理想。およそ七十万人を超えるデータは、マターにより秘匿されつつ、常時解析処理されます。そして、入学前に行った先天性疾患の有無の検査及び、DNA登録とゲノム診断から判明する、シナプス繊維数や骨格の成長性など最先端の推測医学的観点と重ね合わせて、膨大な人類史のデータと照らし合わせることにより、乾学園の生徒が未来に得られる生涯年収をLC(ライフコイン)として可視化。乾学園に通う生徒だけが可能である自己認識は、皆さんの将来を明るく照らしてくれることでしょう。

 当学園の創設初期は、世界中からディストピア主義だと批判を受けました。しかし卒業生が社会で活躍を続けたことにより評価は一変。当然です。乾学園を卒業した生徒は、他の学校で教育を終えた者のように、就職していくらも働かないうちに無責任にも退職したりはしない。己の理想的天職を学生時代に理解し、卒業後は自分の持つ才能を最も活用できる職に就き、水を得た魚のように優れた能力を発揮する。そうして多くの卒業生が、マターの評価した卒業時点のLC値を越える利益を採用先にもたらしました。

 雇用する側は面接という不確実な制度によるリスクが減り、理想的な人材確保により利益を得る。卒業生は生涯において収入のおよそ一%から三%を乾学園に納めることになりますが、それを差し引いても他の学校の卒業生よりはるかに平均収入は高い。社会と卒業生。双方に利益をもたらしつつ世界の変革に貢献する。それがこの乾学園であり……』

 しばらくあくびをかみ殺しながら、立て板に水のような話を理解しようと努力していたルル子は、結局あきらめた。頭の良い方の話は難しくて厳しいのです。

 集中力のきれてきたルル子の耳に、前の席の男子生徒たちの私語が届いてくる。

「はああ。副会長いいなあ。まじ憧れるう」
「お前趣味悪いな。あんなロボットみたいな女やだよ。マターを褒め過ぎててちょっときもいし」
「たしかに雰囲気は固いけど、美人だからどうでもいいんだよ。胸もでっかいし。知ってるか、あの人1,000,000LCを超えてるらしいぞ」
「まじかっ、てことは、生涯年収が百億円を超えるってこと?」
「しっ。声が大きいよ。何でもいくつかの特許を持ってて、政府からも……」

 ルル子は男子生徒たちの会話を聞きながら、肩身が狭い思いをしていた。

 乾学園の生徒は、LCの向上にこだわる。そして、LCの高低は、そのままスクールカーストを位置付ける。高い者は目をかけられ、低い者は嫌われる。

 マターから問題があると認められたら、LCは下がり続ける。意地の悪い生徒はそれを、病気を抱えている、親が借金持ちだなどと噂する。

 ルル子は同級生や教師から、LCが低すぎる理由はお人よしすぎるからだと指摘を受けてはいた。だが、困っている人を見つけると体が動いてしまう性格は変えられなかった。幾度となく失敗を繰り返し、貧乏くじを引き続けた挙句、今の低LCに至っている。

 演説を終えて退場する副生徒会長。歩くと揺れる副会長の横乳と、ブラの必要すら無い自身のまな板を見比べ、嫉妬を抱きつつ格の違いを思い知った。

 ああいう人とは学園生活で言葉を交わすことすら無いんだろうなあ。ルル子は小市民らしくぼやくと、胸を寄せてため息を吐いた。





全校集会が終わり教室に戻る時。ルル子は困った。

「ありゃ? 扉が無いよ……」

 クラスメイトの列から外れてトイレに寄り、遅れて教室に戻るとドアが無かったのだ。

 キョロキョロと挙動不審な動きをしながら取っ手を探していると、後ろから肩を押された。

「おら、邪魔だぞ。Gが道を塞ぐんじゃねえ」
「あぅ、ごめんね、井川君」

 ルル子を押したのは、井川(いがわ)茨(いばら)。短気で小太り。口が悪く、上級生にも恐れることなく向かっていく戦闘民族である。

 伊吹と井川。苗字が似ているので授業の時に席が近くなる機会も多く、ルル子とは初等部からの顔馴染みだった。

 低いLCの学生に強くあたる井川は、ルル子にしょっちゅう厳しい言葉を浴びせる。だが、からかわれることに慣れているルル子は、むしろ井川と共にいる二人を苦手にしていた。

「井川さん。クラスメイトをGなんて呼ばないで。これから仲間になるのだから大切に付き合いなさい」

 井川の後ろにでんと構える男が、ルル子に声をかけてきた。同学年のスクールカースト上位の男、池田(いけだ)幸(みゆき)だ。

「伊吹さん。中等部から教室の出入りは掌紋(しょうもん)認証になるわよ。こうやってドアの印の前で手のひらをかざすの。それだけで通れるわよ」
「あ、うん。ありがとう池田君」

 池田は親切だが、ルル子と目を合わさなかった。おねえ口調の池田は、細身で髪が長く顔も良い。プロのダンサーとして芸能事務所に籍を置き、テレビCMや映画にも度々出演する人気者だ。LCの高い生徒には、かすり傷ひとつ負わせただけで大問題になりかねない。欠けやすい宝石が校内を歩いているようなもの。すれ違うだけでルル子は萎縮(いしゅく)する。

 池田が教室に入ると、続く後ろの男、来島(くるしま)頼(よる)が、空中描写装置(エアリアルデバイス)を開いた。来島が画面を人差し指でタップすると、ルル子のエアリアルデバイスからメールの着信音が鳴った。

「そこのページを見ればいい。初等部と中等部の施設の違いが見やすくまとめられている」

 池田以上に痩せ型でキツネ目の来島がルル子に言った。顔は笑顔に見えるが、口元は作られたように固く、内心は読めない。

「うん。どうも……」

 行動は優しい。だがルル子は本能的に、来島とも肌が合わない。池田からは精神的に気圧されるだけだが、来島は生理的に合わないタイプだった。

 ダンサー池田の後ろを、小太りの井川と、冷たい目をした来島が続く。後ろを歩く二人は池田の幼馴染であり腰巾着だった。まるでタヌキとキツネを引き連れた旅芸人だが、同学年での存在感はトップクラス。池田が歩くと、教室の空気が引き締まり、池田の前で道が割れた。

「はぁ……気が重いなあ」

 初等部の時は井川以外の二人とはクラスが別だった。だが中等部から同じになってしまった。井川の毒舌だけならルル子も我慢できる。だが、三人一緒だと、のん気にあくびもできない。

 自分の席に座ったルル子は、エアリアルデバイスを開いた。

 エアリアルデバイスとは、乾学園の生徒が持つ生徒手帳の校章などに埋めこまれているワンチップマイクロコンピュータの機能の一部で、空中に浮かぶホログラムの電子機器だ。全生徒が標準で装着しており、授業でも活用される。電話やネットは当然として、簡単なゲームや設定した好みのアバターとの会話も可能。使い放題の文明の利器だ。

 モニターを手のひらサイズに縮小して、来島からのメールをタップ。開いたページにある中等部施設の案内を流し読みしていく。

 画面の下のほうに、『LCの投資について』という、赤枠で囲われた文字を見つけた。それと同時に、井川から言われたGという言葉が、ルル子の頭の中で繰り返された。

 G。乾学園内だけで通用する蔑称だ。Gとは額面割れを意味するGである。つまりは、LCが額面割れをおこしている生徒を揶揄(やゆ)する単語だった。

 LCを高めることが正しいと考える乾学園。実は初等部から大学まで、生徒間で自分のLCを株式のように他人に投資することが認められている。それはそのまま、生徒を株に置き換えた売買のようなもので、上がると利益になり、下がると損失が生まれるようにできていた。

 例えば、AとB、二人の50,000LCの生徒がいたとする。そしてAが30,000LCをBに投資した。すると、Bは80,000LCの生徒としての価値を得られる。更に卒業時にもLC相応の人材として、それに見合った雇用先から声がかかるようになる。当然Aは20,000LCになるが、投資したLCは含み資産として計上できるので影響は小さい。その後、Bが80,000LCとしてふさわしい仕事を続ける限り、AはBからマターのように一定割合の配当収入が得られる仕組みとなっている。

 しかし逆に、Bが80,000LCから値を下げてしまうと困ったことになる。下落率に応じてAの投資した30,000LCも目減りしてしまうのだ。更にはBが卒業後に80,000LCの人材として劣った働きをしてしまうと、今度はAがBの雇用先に対して損害を支払う義務が生じてしまう。投資対象の生徒が卒業してしまうとLCを売却して元に戻す手続きも困難になるので、完全に不良債権化してしまうのだ。

 要は、普通の金融商品と全く同じで、投資対象の価値が上がれば得になり、価値が下がれば損をする。乾学園では、その行為を生徒に対して認めているということだった。そして、乾学園の生徒における額面割れとは、LCが三桁以下、つまり生涯年収が一千万円未満と推測される生徒のことを意味している。生涯収入の平均が四億円の時代に、人生で一千万円すら稼ぎ出せない者は小ばかにされる。そういったルル子のような額面割れは、心無い者からGと呼ばれていた。

「ふん。どうせあたしは額面割れですよーだ……。いいんだもん。お金よりも大切なことは、世の中にはいっぱいあるはずだもん……」

 顔を伏せて寝たふりを始めたルル子の机に、キャンディーが置かれた。白地の表面にはミルク味を示す牛の顔が描かれている。

「鼻をたらした子供からのお詫びだってさ。『お姉ちゃんバカって言ってごめん。それと助けようとしてくれてありがとう』って伝えるよう頼まれたよ」
「って、朝の王子さ……朝の人!」

 突然ルル子の隣に現れたのは、ルル子のひざに絆創膏を貼ろうとしてくれた朝の少年だった。制服の首元にはルル子の三角締めによるあざが残っている。だが、そのことを既に忘れているルル子は、何も考えていない満面の笑みで少年と向かい合った。

「同じクラスとは運が良かった。探す手間がはぶけたよ」
「同級生だったんだね。びっくりしたあ。制服が違うから別の学区の人だと思ったよ」

 由利(ゆり)主税(ちから)。少年は自身のエアリアルデバイスを呼び出して名乗った。ルル子もすぐに名乗り返す。

「今日から第七学区に編入することになったんだ。制服は指定のものが服屋さんの都合で間に合わなくてね。数日は前の学区の制服で過ごすことになった」

 学生服のスラックスの折り目をつまみ上げる由利。その姿はルル子の好きな中世ヨーロッパが舞台のコミックに登場する主人公のようで、ルル子の鼻息が激しく熱を持った。

『体温が激しく上昇中。風邪には生姜湯が効くッコ』

 突然ルル子のエアリアルデバイスが起動し、目の前にラッコのアバターが現れた。デフォルトで設定しているルル子のアバターだ。

「きゃっ、お呼びでない!」
『興奮しているッコ。脳波が荒れているッコ』

 ラッコは続けてサーフボードに乗り、空中にルル子の脳波を表示すると波乗りを始めた。

「人の脳波でマリンスポーツやらないで!」

 ルル子はラッコのアバターをかき消そうと手をわちゃわちゃ振る。だが、ラッコはサーフボードを素早いターンで操り、ルル子の攻撃をかわしながらあざ笑う。諦めが早く闘争心も子ウサギ並みのルル子は、ラッコに対して早々に泣きを入れた。

「ははは。マターのアシスタント機能だね。初期設定のはポンコツで、的外れなことを言い出すんだよ」
「そ、そうそう。困るんだよ。脳波とか何言ってんだろね。『お前を消す方法』で調べたんだけど分かんなくって、このままにしておいたんだ」
「良かったら僕が消そう。機能を最低限に設定しておくよ」

 由利がルル子の前に身を乗り出し、ルル子のエアリアルデバイスの操作を始めた。

 ふぉおおお。掃除機のように鼻から息を吸い込み、由利の匂いを肺に取り込むルル子。

「伊吹さんはラッコが好きなの?」
「げふっ、え? うん。大好き……」

 むせて咳をしたルル子は、由利の口から出たラッコという言葉と同時に、由利に三角締めをキメたことと、ラッコのパンツを見られてたことを思い出した。恥ずかしくて逃げ出したい。けど、事故とはいえ由利には迷惑をかけた。根が真面目なルル子は、素直に由利に謝ろうと思った。

「あのっ、今朝はごめんなさい。あのあと逃げ出しちゃって……」
「ははは。なんとも思ってないよ。僕のことはいいとして、伊吹さんの膝のけがは大丈夫?」
「うん。へへへ。あたしはよく転ぶから、あの程度のけがはへっちゃらだよ」

 ルル子がひざを見せて足を動かすと、つま先が由利のすねを直撃した。

「ふぐうっ」
「ひゃあああっ、度々申し訳ございませんっ!」





 担任の教師が入室して、中等部初のホームルームが始まった。一人ずつ自己紹介が進み、だらけた空気の中で私語も目立つ。

 学園都市には十三の学区がある。ルル子のいる第七学区は、初等部から中等部に進学する時、クラスメートはそれほど入れ替わらない。多くが顔見知りなので、名乗る必要もあまり無いのだ。気心の知れた者に対して真面目に挨拶するのも気恥ずかしい。井川に至っては「井川。帰宅部。肉が好き」と、名前すら言わなかった。

 それでも池田と来島が立ち上がった時は、教室もしんと引き締まった。皆が緊張しているのだ。由利の自己紹介以外に興味が無かったルル子も、一応は背筋を伸ばして聞いてますよとアピールをしておく。

「時間が余ったなあ。せっかくだから、学級委員も決めてしまおう。誰か司会をやってくれないか」

 担任が言った時。ルル子の予期していないことが起こった。

「俺がやりますよ」

 なんと、井川が司会に立候補したのだ。

 ルル子が初等部時代から知る井川は、面倒そうな出来事には一切協力しないタイプの生徒だった。それが突然、この積極性。

 中等部でまさかの真面目デビューかと、ルル子は不自然なものを感じた。

「俺は池田君を学級委員長に推薦する。副委員長に来島だ。文句のある奴は何か言え」

 教室が大きくざわついた。当然だ。井川の口調は、推薦というよりも強制だった。

 ルル子も内心では反発した。だが、井川は言葉遣いが乱暴すぎて、周りから誤解を受ける場合も多い。井川は池田からこう言えと命令されたのではないかと、ルル子は考えた。もう少し詳しく話を聞きたいと思った時。

「池田君の考えや、学級委員長の運営方針を聞いてみないと……」

 どこかから蚊の鳴くような声があがった。ルル子も声に反応して頷く。

 池田が立ち上がり、靴音を高く響かせ井川の横に並んだ。いつの間にか来島も池田の斜め後ろにいた。三役揃い踏みだ。

「このクラスで運動系の部活をしている人は全員、あたくしが初等部時代から所属する第四ダンス部に入部していただくわ。また、その他の人には監査や会計などの雑務を担当していただきます」

 教室全体が大きく揺れた。運動部の生徒は当然として、普段は決して池田に逆らいそうにはない生徒までもが抗議している。

 突然、井川が黒板を殴った。途端に教室のざわめきも治まる。

「井川君、荒っぽいことはダメだよ」
「先生、俺は司会者です。担任は生徒間の議論に口を挟めない。校則で決まってるでしょう」
「そうそう。自主性に任せるマターの方針に逆らうおつもりですか?」

 井川と池田が担任を黙らせる。二人の言い分は正しく、乾学園における担任は、学級委員長や高LCの生徒よりも発言権が下なのだ。

「昨今、定数制のスポーツよりも、大人数で変数制のスポーツのほうが、保護者や教育界から好まれる傾向にあるわ。そう考えると、競技ダンスは最も有益なスポーツなの」

 池田が指を鳴らすと、来島がエアリアルデバイスを操作して、クラス全員にデータの添付されたメールを送りつけてきた。明らかにあらかじめ用意されていた資料だ。データは主に、ダンスに関する経済市場の伸び率と、野球やサッカーなど人気スポーツの競技人口減少に関する比較グラフとレポート。よくまとめられていて見やすい。

 そこでルル子は、来島が新聞部だったことを思い出した。資料を集めたのは池田ではなくて来島なのかもしれない。この勧誘は、かなり前から計画されていたものだと感じた。

「……以上のように、ダンス経験者は今後、社会において優位に立てることは確定してますの。あなたたちは幸運ね。学園全体でもトップクラスの天才ダンサーと同じクラスになれたのですから。才能のある方は、あたくしが直々に指導して、適切なダンスレッスンプログラムを組んであげるわ。今後は共に手を取り合い、LCをどんどん高めあっていきましょう」

 池田が仰々しい動きで、目をギラギラさせながら説明を終えた。ルル子を含めて全員が、池田の言葉と来島のレポートを吟味している。

 たしかに、LC上昇にこだわる生徒にはおいしい話である。

 ルル子の住む国では、二〇一七年四月、改正資金決済法により、仮想通貨事業が登録制になった。

 ビットコインのバブルに始まったフィンテック革命は、VALU株という個人や有名人への直接投資の市場を生み、わずか半年で五百億円を超える資金を集める者まで誕生させた。乾学園の経営もそれに倣(なら)っており、LCは準法定通貨として学園都市内で流通している。とても割高だから利用者は少ないが、生徒は購買で円通貨を使うことなく、LCで備品を購入することも可能なのだ。仮に、池田の言う通りに行動してLCが増えるのなら、それはルル子を含むクラスメート全員にとって利益になる提案だ。強引な池田の姿勢は、たくましいリーダーと受け取ることもできる。

 更に、池田に従うメリットはLCだけではない。将来的に池田から、余分なLCを投資してもらえる可能性もあるのだ。就職したい企業にちょっとだけLCが足りない。そんな時、LCの豊富な池田が融通してくれるかもしれない。クラスメイト全員を、いずれは池田が支配することになるだろう第四ダンス部に取り込む。打算的に考えて、池田はそれほど悪いことを言ってはいないのだ。

 だが、投資に危険は付き物。はたして、そううまくいくのだろうか。

 ルル子の周りにいるクラスメートが周囲を見回している。そのうちの数人は、隣の生徒の頭上に目線を合わせていた。上下の矢印を探しているのだ。

 生徒は全員、何か大きな行動や覚悟をした時、LCが十パーセント以上変動して矢印が出る。ボーイフレンドの奪い合いや、子供を助けるためトラックの前に飛び出した時などがそれだ。

 ルル子は初等部の頃、運動会で優勝したクラス全体から、プラス評価の黒い↑が浮き上がるのを見た。向上心や負けん気の強さがマターからプラス評価されたものだ。しかし、よくよく見ると、ごく少数だが↑の出ない生徒もいた。そして、一人だけLCが下がり赤い↓が出た生徒も見た。↑の出なかった生徒は、既に一定の体力評価がマターにより加算されていた生徒。↓の出た生徒は、運動会の優勝により、運動系カリキュラムが増えてしまうクラスの方針に引き摺られることになり、マイナスになる生徒。いわゆる文科系能力が高い生徒だった。

 ルル子はその時、マターの意地の悪さに気付いた。クラスの中で空気に馴染めない生徒を一人混ぜることにより、人の振り見て我が振りを直させるという教育システムだ。

 マターはその文科系生徒を他の仲間を作りやすいクラスに編入させることもできる。しかし、一人を犠牲にすることにより、全体がかえって良くなることを知っていて優先した。

 成績が悪くとも、心優しいルル子だからこそ本能で気付けた真実。

 マターには、悪意がある。

 人にはそれぞれ、得手不得手がある。マターはそれを、極めて分かりやすく教えてくれる。音楽が好きな生徒がいたとする。その生徒が夢の実現を望むとする。アイドルを目指す。作曲家を目指す。演奏者。指揮者。評論家になろうとする。本人が迷っている時、マターは最も適正の高い将来をLCとして示してくれる。

 だが、とルル子は考える。

 マターに導かれることにより高収入を得られる人生は、本当に正しいの?

 いくらすんごいコンピュータだって、完璧に人の未来を予測できるとは信じられない。もしかしたら、マターすら気付けなかった、生徒個人が自分の力で辿りつけたはずの、すばらしい未来。そういうのをマターがへし折ったことも、過去にあったのでは。

「そろそろ決を取りましょう。あたくしの提案に反対の人は立ち上がりなさい」

 池田がよく通る声で言った。

 ルル子の周りには、他人の頭上を探す生徒しかいなかった。様子見のまま動かない。それも正しいとルル子は思う。

 別に、この場で池田に抵抗する必要は無いのだ。池田に賛成した直後に、全員に赤い↓が出る可能性だってある。結論はマターにゆだねて、それから反対しても遅くはない。

 だがこの時。ルル子は、逆らうことを決めた。池田に対してではなく、マターに対して。マターの作る、LCこそ全てという世界に対して。

 ふんすと荒い鼻息を吹き出しながら、ルル子は立ち上がった。

 正面に立つ三人がルル子に視線を向けて、中央の池田が口元をひん曲げながらルル子を睨む。刀の切っ先を向けられているかのように感じられて、ルル子は背筋が冷えた。

「フッ。198LC。落伍者が王に対してやぶれかぶれの抵抗か」

 来島はルル子のLCをエアリアルデバイスでチェックすると、キツネ目を細めながら言った。

 つばを飲み込み、ルル子は声を振り絞った。

「自分の都合で人の将来を決めるのは良くないと思いまぁす」
「ああん?」

 ルル子に対して、井川が急に大声で凄んだ。ルル子は口を閉じて、奥歯を噛み締める。引いてたまるかと両手の拳を握り締めるが、その姿はまねき猫のように迫力が無かった。

 井川は肩を怒らせながらルル子に迫ろうとする。それを池田が左手で止めた。

「なるほど。まさかあたくしに逆らおうとするお馬鹿さんが二人もいるとは。面白い」

 ……え? 二人?

 振り返ったルル子は、教室の一番後ろの席にいる、不機嫌そうな顔をした由利を見つけた。立ち上がり両手を胸の前で組んでいる。

「由利君!」

 由利はルル子と目を合わせると、とろけるような笑みを浮かべ、ルル子のそばに歩いてきた。

 かっこいい。絵になるわあ。ルル子はよだれが垂れそうになるのを我慢した。

「僕も伊吹さんと同じ意見だよ。池田君は強引過ぎる。従う気にはなれないな」
「うふふ。由利君、あなたは乾学園の校則を知っているのかしら?」
「……ああ。LCが高い者の意見には極力従うべしっていう一文のこと?」
「そう。そこのお馬鹿さんと違って、あなたは賢そうなのに。あたくしのLCを知った上で歯向かっているのかしら?」

 ルル子は記憶の中にある池田のLCを思い出していた。たしか、最後に噂で聞いた時には、135,000LC。初等部の時点で生涯年収十三億五〇〇〇万円と判定されており、乾学園系列の大卒者平均よりも評価が上。

 初等部や中等部の時点で大学生よりもLCが上の生徒は、クリスタルチルドレンと呼ばれて一目置かれる存在となる。

 はっ、まさか。

 ルル子は考えた。由利君はもしかしたら、池田よりも高いLCなのではないか。

 しかし、同じ事を来島も考えたらしい。素早くエアリアルデバイスを操作していた来島は、直後に大笑いを始めた。

「くはっ、はははっ、何だよ君、ありえるのかこんなLC」

 来島が全員に見えるように、自身のエアリアルデバイスを拡大して見せた。そこには、由利のLCが赤字で大きく表示されていた。


マイナス 3,830 LC


 その数字の意味を、ルル子はすぐに飲み込めなかった。

 3830LCのマイナス。つまりは、人生で三八三〇万円のマイナスを社会に与える男。生涯収入どころの話ではない。

 それは、実家に一生涯働いても返済できないほどの借金があるとか、ニートで家族の資産を食い潰すようになるとか、ギャンブルで借金を作るとか、将来は犯罪者になるという判を押されたサイコパス予備軍等々。存在そのものが関わる者に損失を与えると、マターから見極められたようなもの。

 ソノオトコハキケン。カカワルトフコウニナル。

 ルル子は頭の中にマターの電子音声が響いたような気がした。

 教室のざわめきが強くなる。教室の中にいる多くの者が、由利という人物をはかりとることができていない。

「伊吹さん。僕を信じてくれるかな?」

 その時、由利がルル子の耳元でささやいた。

 由利のLCに驚いていたルル子は冷静に戻り、由利の目を見つめる。

 ルル子は元々、自身のLCの上下すら気にかけない人間だ。由利のLCがマイナスであろうと、クラスメートほど嫌悪をしない。なにより、ルル子は数字を通して人を見ない。ただ直感を信じるだけだった。

 由利君には言葉で表せない何かがある。きっとあたしに代わって池田たちを説得してくれる。そう考えたルル子は、親指を立てて歯を見せた。

「よし。伊吹さん」
「はい!」
「頑張って君が池田君を倒すんだ」
「はい……え?」

 なんですと?

 倒す(物理)ってことですか?

 突然何言ってるとですたい。

 まさかの丸投げ? あたし一人に?

 由利は腰をひねりながらイナバウアーのように反らし、左手を変な角度に曲げ、薬指と小指の間から右目を光らせている。

 何か空間がズレてきている。ルル子は混乱して目から涙が染み出した。

「LC決闘(デュエル)のことね。生徒間で意見が対立した時は、議論の終了時間によりLCの高い側の意見に無条件で従う」

 釣られた魚のような口の動きをしていたルル子の前に池田が立った。

「ああ、うん。そういう意味だったかあ。当然だよね」

 ルル子もLC決闘は知っている。初等部時代から他人のLC決闘を幾度か見たこともある。要は多数決のようなルールを個人のLCに置き換えただけだ。主張を違えた二つのチームが代表者一人を選び、時間制限付きで議論して、終了時に代表者のLCが高いチームの意見が勝利。

 一見すると民主主義的だが、実際はLCの高い者に従い続けろというマターの作った絶対君主制だ。

 ルル子が過去に目撃したLC決闘は、家庭科の班編成に不満があるとか、徒競走のフライングの有無とか、デュエルとすら言えない小さな揉め事ばかりだった。LCが近い者同士のLC決闘なら、議論による時間内のLCの上下動で意見が覆されることもある。だがルル子と池田のLC差では、始める前から結果が分かりきっていた。

 それでもルル子は、由利を信じると決意したのだから、このまま進むしかない。

「まあ、LCがマイナスの奴よりは、Gのほうがまだましだわな」

 井川に言われて、ルル子も納得した。額面割れとはいえ、ルル子のLCは由利よりも上なのだから、代表者になるのは当然だ。

 とはいえ、198LCのルル子と100,000LCを大きく超える池田では勝負にならないはず。どうするというのだろう。

「僕が伊吹さんの参謀になるくらいは認めてくれるよね」
「いいわよ」
「時間は十一時がリミット。それまでによりLCの高いほうが勝利。伊吹さんが勝てば、池田君は第四ダンス部全員加入の提案を引き下げる。池田君が勝てば、僕たちも池田君に従おう。僕もダンス部に入って踊ってあげるよ」
「フン。由利君にだけ特別厳しいレッスンを用意してあげるわ。それと伊吹さん。あなたはあたくしの芸能事務所でダンスユニットを組み、どんなに下手くそだろうと強制的にセンターでデビューさせてあげるんだから。覚悟しなさい」
「ひぎいいっ!」

 池田の目は本気だった。

 運動神経ゼロのルル子は、盆踊りでも流れに乗れないリズム感だ。ダンスで芸能デビュー。そうなったらもはや、ルル子は町を歩けない。『雨乞いでもしてるのか?』『この動きでよく今まで生きてこられたな』『熱湯かけられて苦しむタコのようだ』。ルル子の頭の中に、罵倒コメントで埋め尽くされた自分の動画が再生された。

 事がどんどん大事になっていく。ルル子は目が回って倒れそうになる。だがもはや引き返せない。

 教室に備えつけられているエアリアルデバイスが起動し、LC決闘(デュエル)の文字が現れる。それと同時に、ルル子と池田のLCが表示されたプライスボードが現れた。これは、頭の上では本人が確認しづらいためのマターによる処置だ。


伊吹ルル子 198 LC


池田幸 141,000 LC


 増えとるじゃないどすか。十四万超えてまんがな。この働き者め。

 ルル子が愚痴を呟いた時、残り時間のタイマーが空中に現れ、数字が減り始めた。
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登場人物紹介


伊吹ルル子   第七学区中等部の新一年生。ドジでおっちょこちょいだが優しくておもいやりがある。甘すぎる性格のためマターから落ちこぼれと評価されている。




由利主税   別の学区からルル子の学区に転籍してきた新一年生。正義感の強い眼差しでカリスマ性が高い。しかしLCがルル子より下という謎の生徒。





池田幸   ルル子のクラスメートで、クリスタルチルドレンと呼ばれるLC上位の男。プロのダンサーであり、存在感もスター級。作中では登場しないが、使用しているアバターは象。




来島頼   池田に参謀として従うキツネ目の男子生徒。抜け目の無い性格。興奮すると口調が若干ポエム調になる。





伊田茨   池田に従う懐刀。短気で口が悪い。周囲に対して常に喧嘩腰。初等部の頃からルル子をいじめているが、ルル子は伊田を扱いやすく感じている。





生徒会副会長   第七学区中等部の入学式で演説をしていた女生徒。表情は乏しく機械のように喋る。LCは1,000,000を超えており、男子生徒のファンも多い。






マター   ラテン語で母親を意味する、コンピューターの並列思考ネットワーク。学生の未来を概念的に予測して数値化し、LCとして公開している。



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