第1話

文字数 37,582文字

拳闘屋・ファイター
 第二部・南米の赤いバラ
 
 1993年7月、田島元は、南米ベネズエラに、空路入国す。
 田島元は、カムバック2戦目、強打者、ミサイル山半を下し、日本で見事、その左の強打振り、健在振りを、見せ付け、アピールした。
 OBF、東洋ボクシング連盟の会長、ナジャム・ソンの、特命で、アジアに、東洋のベルトを、奪還する為、ケビン・グレード率いる、岡崎スーパージム一行は、ベネズエラにベルトを持ち帰った、ロス・モスプリに、挑戦すべく、今リングに上がろうとしていた。
 1週間前、ベネズエラ・ボルバリ共和国の首都、カラカスのビジネスホテルへ、岡崎・スーパージム一行は、旅の疲れ癒すため、腰を落ち着けた。
 「なあ、田島、ホテルの前の女より良い女揃っている店知ってんだ行くか」
 一休は、嘗て知っている我が家の庭の様なカラカスの街を案内してやると、鼻息荒く、田島に言う。
 「良いけど、変な病気うつされやしないか、一休さん?」
 田島は、酒だけ飲めて楽しめる、場は無いか?と問い返す。
 「じゃーロビーに17時でいいか、時差ボケは大丈夫か?じゃあ支度してこいや」
 クロノグラフを、見ると、ベネズエラ現地時間で、13時だった。田島は、自室へ入り、シャワーを浴び、少量だけシャンパンを飲む。
 ホテルは、ボロかった、冬だと言うのに、ゴキブリやネズミが、部屋の隅の方でごそごそ走る。田島元は、空港での少人数だが、出迎えて来た、地元記者達の反応を思い出す。
 「あー、タジーマ、今回のロス・モスプリ戦はリベンジマッチですか?」
 いきなりインタビューされて、マネージャーの、ケビン・グレードが、これを日本語に訳す。
 「リベンジもリベンジ、2年前の借りを、返さなきゃこれからのボクシング人生を、思う存分楽しめないさ」
 記者達と言っても、5人程の記者が、空港ロビーを歩く田島に着いてきて、インタビューを、浴びせるだけだ。
 「もう一つ、タジーマ良いですか?」
 「何だ?」
 「チャンプ・ロス・モスプリが、東洋太平洋のベルトを、手放さないのは、何故だか分かりますか?」
 記者は、南米産のタバコを燻らせながら田島の目を見る。
 「はて、何だろう?ロスは、只ナジャム・ソン会長に嫌がらせをしたいだけか?」
 田島は空港ロビーを歩き切り、タクシー乗り場へ、歩を進める。
 記者の一人、マールと言う男は、フフンッと、鼻を鳴らして言った。
 「WBAは、3年前、元世界チャンプの、グレゴリオ・アムスンを、OBFに引き抜かれて怒っていた、グレゴリオを、シンガポールに永住させて、後進の指導、そして、嘗てドルを呼ぶ男と言われた、グレゴリオを、東洋のエースとして、人気を博したのを嫌っていた、更に、グレゴリオは、自身の持つ、地元ベネズエラのチャンピオンベルトを、シンガポールに持って行ってしまった。ベネズエラの許可なく。何と、2度もタイで防衛戦をして、大入満員にした、そこで、当時東洋チャンプの、石橋に、ロスが挑戦してこれを下した。それっきりさ」
 記者のマールの説明が無くとも、ケビンは知ってるよと、返した。その続きはこうだ。
 OBFは、WBAの再三の警告にも、関わらず、ベネズエラのベルトを、返上しなかったが、ロスが、ベネズエラに、東洋のベルトを持って帰ると、すぐさま、ベネズエラのベルトをグレゴリオに返上させ、ロスを東洋に招いていた、が、本国ベネズエラに数年後帰国してしまって、戻ってこないロスに、OBFは、返上させず、刺客を送っていた。そこまで聞くと、田島元は、ニヤリと笑い、今度は、ベルトを東洋に、と一言言って、タクシーに乗り込む。
田島元は、良く睡眠をとらずに、午後17時、ホテルのロビーに出た。他の連中は、時差の為眠っていた。
 一休は、旅慣れている為、平気で起きていた。
 17時を、5分過ぎた頃、一休は、一階ロビーに降りて来た。
 「よお元さん、取り敢えず、酒と飯だな、んじゃ行こう」
 2人はホテルから出て、通りを歩き、タクシーを拾う。
 「どちらまでですか?」
 運転手は浅黒く、チョビ髭を、生やし、制帽を被り、ヤニ臭い息を吐き、言った。
 「ウニオン通りの、レストラン、パーニャまで」
 一休は答えて、マルボロを出して、一本吸う。運転手は、見慣れぬ東洋人に、嫌な顔をして、車を出す。
 車は、タマナユ通りから、左折し、ウニオン通りに入る。少し雪がチラつき、エキゾチックな街並みを、薄化粧する。ウニオン通りへ出ると、車が数台路上駐車しており、タクシーは、斜めに横切って行く。
 レストラン・パーニャ・は、少し小振りだが、奥行きのある、食堂で、ビルの地階の、一階に有るエスニック料理の店で有った。
 店へ入ると、スペイン系の、小柄な白人のウェイーターが、奥の席へ案内する。
 一休は、スペイン語で、軽く挨拶をし、席へ着く。店内には、客が6組居、アベックが三組、家族連れが2組、女同士の客が一組で、田島と一休を合わせると7組になる。この時間にこの客の入りだと、まあまあと言った具合だ。
 2人は、ベネズエラの最もポピュラーな食、アレパを頼む。アレパには、様々なグザイを挟んで食べる為、具材は、別途付いてくる。
 チーズ、牛肉のトマト煮、鳥肉、ローストポーク、eto、と言った具材がチョイス出来る。
 田島は、試合を一週間後に、控えている為、体重調整が有る、少量食べる。
 一休は、痩せた体に似合わず、大食漢で有り、アレパを、出された分を、殆ど食す。二人は終始無言で有る。
 食後にラム酒を頼み、酔った勢いで大声で日本語で話し出す。
 「田島よ、ロスのフットワークを、どう封じる?」
 一休は、リキュールにラムネを入れて、ほろ酔いで有った。
 「奴は、左目が少しイカレテてるらしい、右へ右へ、俺側からすると右側へ、回れば何とかなる、2年前と同じ手で行く」
  東洋太平洋タイトルマッチ
 1993年、7月の10日、ベネズエラ首都、カラカス・闘技場特設リングで、東洋太平洋チャンピオン、ロス・モスプリ対東洋太平洋第5位、田島元の、10回戦が、行われる。田島は、リングサイドで、前座のベネズエラの若手ボクサー、カルチャ・ペーラと言う、ボクサーと、メキシコから乗り込んできた、ホロ・コースと言う、デビュー3戦目のグリーンボーイの、試合を観戦していた。
 「ヘイ元、こいつらどっちが勝つか、賭けないかい?」
  リングサイドで、一緒に観戦している、一休が大きな声で叫ぶ。
 「じゃぁ、俺は、ホロ・コースに一万だ」
 「ヘェ―、弱そうなのに1万も賭けるのかい?、じゃぁ俺はカルチェに3万だ」
 田島は見た、鋭いホロ・コースの右のジャブをだ、階級はスーパーバンタムだが、フェザーでも、充分通用しそうな左ジャブからの連続攻撃、右のロングフックが、一発決まればいかな奴でも、お陀仏だとみた。
 「ハハハ、あのグリーンボウイ、馬鹿の一つ覚えの、ライトフックばかりだぜ、当たりゃしねーのにあんな大振り」
 「ハハハ~、あのメヒコの兄さんの、ジャブはちゃんと決まってるぜ」
 一休は、そんな田島を無視して、リキュールの小瓶を、取り出して、ホロ・コースを嘲笑いながら見ていた。
 ホロは、リングサイドの、田島元そして、一休に気付き、キッと睨んで、一休はタジログ。
 次の瞬間、ホロの放った左ジャブが、カルチェ・ペーラの、鼻先にヒットし、左のロングフックが決まり、カルチェは、ダウンする。
 「元―ん、ダメダ~よ、勝手に控室出て行っちゃー、今すぐ戻って、スタミナ温存しなきゃ~」
 ケビン・グレードが、リングサイドに現れ、田島元の袖を引っ張って、控室に連れ戻す。一休は、そのまま、試合を、観戦していた。
 ドワ~ドワ~。
 田島が、控室に入る時、試合は決まったらしく、観客の怒号と歓声が、辺り一面に響く。スペイン語で勝ち名乗りを受けているホロが居た。
 「チッ、3万も損したぜぃ」
 一休は、苦虫を嚙み潰した様な顔で、選手控室に戻ってくる。
 「チッ、3万ほらよっ」
 ドンと、机の上に3万並べ、田島に、寄越す。田島はニヤリと笑いながら、3万をマネージャーのケビンに渡す。
 「まーた、賭け事か~、元も、今夜は大切なタイトルマッチだ、余計なことで体力を、消費するなよ~」
 控室に、岡崎健也、門田、田中米久が、入ってくる。
 「しっかし、考え物だな、今夜のレフリーは、中立じゃないぞ、あの、キニースカイラーだ、元さん、KOだけ狙って行け」
 キニー・スカイラーは、米人で、十数年前の、WBC世界戦、岡崎会長の現役時代、ベニー・ユキヘとの一戦。
 岡崎が終始試合を押すも、どう評価しても岡崎の、判定勝ちと見た試合で、インチキまがいのジャッジで、ベニーに勝ちが行ってしまった、経緯の有った、曰く因縁の有る相手だった。
 「今日は、キニーに、引導渡してやるよ、建さん」
 田島元は、自信有り、余裕が有った。田島は何時もこんな調子だったから、岡崎健也は、安心していた。
 北風吹きすさぶ、格闘場からの冷たい寒気が、ここ控室にも入って来、ケビングレードは、身を縮めて、コートの襟を立てた。
 ケビンは、心配だった。岡崎の様に、楽観出来ない材料が幾つか有り、それは、ロス・モスプリの、逃げの速さからの、カウンター攻撃だった。幾多のチャレンジャーが、これで葬られていた。
 あと一つは、ロスのタフ振りで有った。前回の田島のチャレンジでも、左の良いのを、喰らっても、何度か立ち上がった、これは不気味だった。
 時間は、夜8時に近付いてきた。セミファイナルの、ベネズエラのランク戦が終わった所だ。今夜の試合は赤のコーナーだ。突風の様な、木枯らし吹くも、リングに向かう田島を先頭に、ケビン・グレードが続く。岡崎健也、一休と門田、田中米久が、入ってくる。
 場内はざわめき、怒号と歓声が入り混じっていた。異様な雰囲気であった。座っていた老人が、スペイン語で田島を見て罵る。
 「ヘイ、元、気にすんな、アヒルの合唱だと思え」
 「何て事ねぇーよ」
 一行は、リングに上がり、ロス・モスプリの、登場を待つ。
 赤に、金の刺繍に、鷹のマークの入ったガウンを着て、華麗にロスモスプリが、入場してくる。ロスのマネージャー、セン・ルーベが、此方を見て、一礼する。ケビンは、近付いて行き軽く握手を交わす。
 「ヘイ、セン、今夜はナイスファイト互いに、遺恨を残さず試合をしよう」
 「ハハハ、2年前見たく、ロスとコーナーを間違えて打たないでくれよ」
 ロス側の陣営がドッと笑う。今夜はまるで、ケビンと、センがこれからリングに上がる同士の様に、火花を散らす。
 ロス・モスプリの戦績は、ここまで、29戦・23勝3敗6ドローで有る。
 対する田島元は、復帰後2戦2勝、2年前までの戦績は、21戦18勝3敗KO12で有る。
 試合前のセレモニーが終わり、両者名乗りを上げる。
 田島の時、ブーイングが起こり、ロスには歓声が起こる。地元の強みで、ロスは余裕の表情で、シャドーを始める。
 「ヘイ、元、初回はロスの様子を見て行けよ、8回あたりにラッシュで決めてしまーえ」
 ケビン・グレードは、今日のロスは、好調と見て取って良いと思い、慎重に行けと言う。
 「それは違うな、今日のロスは、計量の時顔色が悪かった、俺の情報では、減量に苦しんでると、聞いた」
 岡崎健也は、地元新聞を鵜吞みにしているとケビンは、詰る。
 両者、コーナーに立ち、セコンドアウトが、伝えられる。
 ラウンド1・カーン。
 第一ラウンドの、開始ゴングが鳴った、両者、リング中央で、クルリと周り、グラブを合わせる。
 ロスは、猛牛の様に突進して来た。右のガードを下げて、左右にスイスイフットワークを、使い、田島の顎目掛けて、ジャブを繰り出す。
 レフリーキニー・スカイラーは、ニヤニヤしている。
 「ヘイ、元、打ち返せぃ」
 ケビンは、何時ものロスと違う事に気付き、リングサイドで、吠える。
 田島は、ガードを固め、ロスの意外な、初回からのラッシュ、凌ごうとする。ロスは、唇の端を、引き攣らせ、右の重いストレートを、田島のガードの上から叩き込む。
 田島、一分経過した頃、右のジャブを、3発撃つ、ロスは、猛然と右のストレートを放つ。
 「ヘイ、ロス、一気に行け一気に行け」
 ロス側のセコンド、マネージャーの、セン・ルーベは、まくし立てる。
 2分32秒、ロスは、スリップをする。その瞬間、田島の右ジャブが入る。
 ダウン、レフリーが、告げる。
 ロスは、カウント8で立ち上がり、田島は、ニュートラルコーナーから、一気に立ち上がった、ロスのコメカミに、左右のフックを入れる。
 ロスは、コーナーに詰められて、ガードを固めて、戦況を分析する。
 ロスは、このままガードを固めて、後15秒やり過ごす事にする。
 田島は、ラッシュを止め、ロスを追い込む、その時、1ラウンド終了のゴングが鳴る、カンカンカン。
 1ラウンド目、田島がポイントを、取ったと誰もが見たが、メインジャッジ、キニー・スカイラーは、イーブンと判定していた。
 2ラウンド目、ロスは、田島の右に回り込む作戦に、苦戦させられた。田島は終始、ボディーを狙い、時にはリバーブローを、打ち込み、ロスを圧倒した。
 第2ラウンドが終了し、終始田島がリードしていたが、メインジャッジメンのキニー・スカイラーの判定は、イーブンで有った。
 「ヘイ、一休、少し腫れて来た様だ、薬取ってくれ」
 「ヘイヘイ、ボス・・・・・・」
 ケビン・グレードは、田島の頬に、ワセリンを塗ってやり、田島は、水でウガイをする。
 「元さんよ、次の回で決めちゃって良いぜ、何せ奴さん、スタミナが切れている、見たいだぜ」
 岡崎健也は、元世界王者の貫禄と経験で、物を言う、ケビン・グレードは、そんな健也を煙たがっていた。
 「俺の好きな様にさせて貰うぜ、奴の目が、見えている様な気がする」
 ラウンド3―、カーン。
 ラウンドが、始まって、キニー・スカイラーは、戦意の無いロスを、ファイト、ファイトと促す。
 田島は、シメタと思い、ロスの甘くなったガードを、すり抜けて、右のジャブを、3発入れる。ロスは、フットワークを、使いクルクルと、ガードを固め直して、まだ田島の様子を見る。
 「ヘイ、ロス、ガードが下すぎるぞ、奴を、調子に乗せるなー」
 マネージャーで有り、トレーナーの、ロス陣営の、セン・ルーベは、リングサイドでがなり立てる。田島は、傘に掛かり、ロスの空いたボディーに、左の強烈なブローを入れる。
 ロスは、堪らず、クリンチをして来た。田島の左がロスの頭部へ流れ、頭頂部を叩く。
 ロスを、田島は、突き飛ばし、右のショートアッパーを入れる。ブシュッと、血が吹き飛び、ロスは、グロッキーに見えた。コーナーに追い詰めて、田島はニヤリとし、左のフィニッシュブローを、ロスの右頬に入れに行く。
 その時ロスは、タイミングを計り、右のショートストレートを、放つ。田島は、次の瞬間ダウンした。強烈なロスのクロスカウンターが決まる。
 ロスは、立っているのがやっとだが、ニュートラルコーナーに立ち、田島を見下ろしていた。
 「ヘイ、元、立ち上がれ、今のはラッキーパンチだ、カウント8まで休め」
 田島は、今の衝撃で、眩暈がして脳震盪を起こす。
 「ドワーワァー、我らのヒーローロス、ロス、ロス」
 ロスコールが、観客席から起こり、田島は、グロッキーになり、カウント9で起き上がる。
 「よぉーし、南米サーキットの夢繋いだ、元、慎重に行け、ロスを、追い込むの辞めろい」
 流石の、岡崎健也も慎重論を唱える。
 田島元は、ロスの圧倒的手数の多さにタジロぎ、、コーナーの隅に追い詰められて、ラッシュを浴びる。田島は、スルリと抜けてロープ際に回り込む。
 「ヘイ、ロス、フィニッシュのアッパー行け」
 マネージャーのセンが、喜色満面になり、勢い付く。
 田島は、ガードを固め、ロスのラッシュから逃げ回る。
 「オイ、消極策は辞めろ、打ち合え元」
 一休は、スペイン系の男に、後ろから缶コーラを、投げ付けられて、客席を、睨み据える。
 田島は、何とか魔の3回を切り抜ける。
 カンカンカン。
 3ラウンド終了のゴングが鳴る。田島の鼻から、少量の血が流れ出し、止血の軟膏で血を止める。
 「オイ、元、意識をはっきり持って、行け、次に奴が右のロングストレートを、放って来たら、左をお見舞いしろ」
 岡崎健也は、エキサイトをして、ビールをラッパ飲みする。
 「大丈夫だよ、奴の弱点見つけた、次行くぜ」
 この回の、メインジャッジメン、キニースカイラーは、点数を高く、ロス・モスプリに付けた。
 ラウンド4―カーン。
 4ラウンド目が始まる。ここまで、凄まじい打ち合いの末、両者顔面の形が変わっていた。田島元は、ゴングと同時に、ロスに襲い掛かる。
 ロスは、ゴングと同時に、ボケーと、ガードを甘く構えていた。
 ミサイル山半ばりの、走って左ストレートを、ロスの鼻先目掛けて、打ち込む。ボンッと鈍い音を立てて、ロスは、髻打つ。キニー・スカイラーは、これを見て、嫌な予感がした。キニーに取って、故郷のハワイ・ホノルルを、空爆した日本人は許せなかった。それだけで、人はここまで、生涯一人種を嫌える。
 田島の放った、左ストレートを、モロに受け、ロスモスプリは、1メートル程吹き飛び、ロープに当たり、反動で返って来た所を、田島は、右のショートアッパーで止めを決めに行く。
 グシャッ。
 田島の、ショートアッパーが入る前に、ロスのアッパーが、田島の顎を捉える。
 田島は、ヨロリとなり、リング中央で、棒立ちになる。
 ロスは左右の連打を、田島に浴びせ、止めの右ストレートを慣行する。
 グシャボキ。
 田島の放った、右のジャブ、左のストレートが入り、ロス・モスプリは、成す術も無く、マリオネットの、糸が切れた様に、マットに沈む。
 ロス・モスプリは、失神し、そのまま、一分程マットで、伸びていた。
 勝者・田島元のコールを、スペイン語で、宣告され、田島は起き上がったロスと抱き合い、握手をする。
 「コングラシチュレーションタジーマ、又戦えることを望むよ」
 スペイン語と、英語混じりの言葉で、田島は聞き取りにくかったが。
「センキュー」
と返して、チャンピオンベルトを、腰に巻く。
  メオリ・デニーロ
 田島元は、東洋太平洋タイトルを、取ったその日に、祝勝会を、ホテルで開いた。
 祝勝会は、ホテルの狭い一室で行われた。客は、日系企業の人々、東洋太平洋連盟の会長補佐、フェデリ・武藤他3名が来た。
 総勢24名が出席した。
 「やあ田島君、オメデトウ、良くやった、これでベルトは、東洋に帰って来る、これから何卒宜しくな」
 OBFの、フェデリ・武藤は、大柄な男で、190cmは有る背丈であった。ケビン・グレードは、田島に通訳し、武藤とガッシリ握手をした。その巌の様な手は、空手で鍛えられており、たとえハンマーで叩こうと、ビクともしないと言った自慢を何時もしていた。
 OBF会長補佐のフェデリ・武藤は、ハワイアンの日系3世である、歳は36歳、祖父は新潟県の生まれで、大正時代に、ハワイのホノルルに、苦労して入植した一族で有った。
 武藤は、日本語を少々しか話せず、田島よりケビンの方と、良く話した。
 「ヘイ、タジーマ、次の対戦は日本国で行う予定だ、それまで体を大事にしなさい」
 武藤は、片言の日本語と、英語を交えて話すから、分かり辛いが、ケビンが上手く通訳する。
 「武藤さん、俺は次の一戦で、と言うか、タイトル返上して、世界チャンプ、立浪か、ホセ・ロサリオにチャレンジしたい」
 ケビンは、顔が青ざめ、田島の言葉を、通訳して良いか迷ったが、大まかな、内用を理解した武藤は、少し皮肉っポイ笑いで田島に言う。
 「君は、さっき調印した契約書に、防衛は最低で3回まで、と記して有るのを御存知かな、負ければ無効だが、君はわざと負けたりしない男だと知っている、それにいきなり返上したら、違約金ウン千万掛る、むざむざ手にしたタイトルを手放すのは勿体ないと思うがね」
 武藤は言う。東洋のタイトルマッチだけでも、一回戦戦えば、ウン百万円、負けても又チャレンジすれば良いのじゃないか、東洋のベルトを防衛しながら、世界戦を視野に入れて、稼げば良いと、ビーフジャーキーを、齧りながら言った。
 一休は退屈していた、立食パーティーで、ドンペリを飲みながら、次々に入っては出て行く、客を見つめ、一人の男に目が留まる。
 その男、ペーター・ネルは、ベネズエラの、ボクシング興行の、プロモーターで有る。ネルは、一休を古くから知っていた、一休も当然知っている。一休は暇潰しと、利益になる事を思い付いた。
 一休は、ケビンと話し込んでいる、ペーター・ネルに近付き、空いたグラスに、ネルの好物である、日本酒を注ぐ。
 「やぁ、イッキュウ、久し振りですね、サケ有難う、そして、田島選手の、タイトル奪取オメデトウ」
 ネルは、その太った体を揺さ振りながら、一休に誘われて、部屋の隅に行く。
 「ネル、今夜一儲けさせてくれまいか、君の所の賭け試合で」
 一休は、ネルの目が少し険しくなるのを、感じ目を伏せる。
 「一休、今夜は試合はしてない、2日後の夜9時からやっている、しかしこの事は、ご内密に」
 二人は、それだけ話すと、別々に食事を摂った。
 その夜は、田島にとって幸福な夜であった。
 一行は、4日程滞在して日本へ帰国する予定だ。帰国すれば、月刊ボクシング界の、特集が組まれており、そこから、各社新聞の、インタビューを、受けなければと、多忙になる。
 そして、2日が経った。一休は、選手である田島と、田中米久を、連れて、ディナーに誘った。
 場所は、サンマリノにほど近い、ブラディン通りに在る、ラ・ムーチョと言う、地階2Fに有る高級クラブで有った。
 クラブは、かなり大きく、プロレスリングかボクシングの、リングが設えて有り、不定期的にここで、プロレス、ボクシングの、賭け試合が行われる。
 3人は、中へ入り、ボディーチェックを受け、ペーター・ネルの、紹介状を出してVIPルームに入る。
 時間を見ると、午後11時を少し回った所だ。VIPルームに入ると、上からボクシングの試合が、一望だに出来、田島と田中は、目を輝かせて見入る。
 「どうだ、元、今闘っている、マリノ・コンスタンチンは、今売り出し中の、スーパーフェザーの新星だ、この試合終わったら一戦して見ないか?」
 一休は、パンフレットを見て、次の試合の、賭け札を、ボウイに渡して試合の配当を見る。
 「しかし、一休さん、俺は今日コンディションが悪い、二日前試合したばかりだ、負ける気はしないがやりたく無い」
 田島は、ジンをロックでやりながら、久し振りにタバコを吸い、試合場を見る。
 試合は、次に移っていた、アメリカンの、ホビー・ヒギンズと言うボクサーと、イタリア人の、メリッシ・ゴンセの一戦が、始まっていた。客の入りは多く、富裕層と思しき中年の男達と、若い女が、嬌声を挙げて、血を吹き、倒れる試合を見ては、叫び声をあげる。
 試合は、メリッシがヒギンズの耳を噛み付き、反則負けを喫し、客たちは物を投げ付けて、大声で喚く。
 1人ボウイが入ってきた。一休の注文した酒が無くなってい、在庫も無い、と言って、別にビールを持ってきた。
 「ヘイ、ボウイ、ビールじゃねぇーんだよ、ナポレオンの71年物だ、オーウ何でビール何だよ?」
 一休は、スペイン語で喚き、ボウイの襟首を掴み、ビールを頭からかける。
 ジュワ~と、ビールの泡がボウイの顔に立ち顔面を濡らす。
 「オイ、ナポレオンだてめぇー」
 田島と、田中が止めに入ろうとした時、ボウイは右ストレート一閃、一休の顔面に炸裂する。ボコ、と鈍い音がし、一休は奥歯を折り、ボックス席に殴り飛ばされる。
 「キャー、こんな場所で暴力振るわないで」
 VIPルームに居た、婦人達が喚き、男達は拍手をして面白がる。
 「オイ、お前プロだろ、プロのベアナックルを、素人に撃つ何て犯罪だろ?」
 田島は、ボウイの青年に日本語で捲し立て、立ち上がる。ボウイは、ファイティングポーズを崩さないで、田島に向かってくる。
 ボウイのベアナックルが、田島の顔面に飛来してくる。住んでの所で、これを田島は避ける、次の瞬間、ボウイの左フックが、田島のボディーに入る。田島はヨロリとなり、酒をしこたま吐く。
 その頃になって、従業員達が駆けつけボウイの青年を押さえ付ける。
 「やい、ボウイ、良くも田島さんと一休さんをやってくれたな」
 田中米久は、ボウイのボディーにパンチを入れる。田島と一休は立ち上がり、田中が怒るのを見て呆然とする。
 そこへ、支配人のペーター・ネルが入って来て、事の顛末を知り、ボウイの顔面を、平手で叩く。
 「一休これで許してくれ、この男は、少々血の気が多く、行き過ぎた行為を反省していると言っている、この通りだ」
 一休は、そこで鉾を収めるが、この事は次の日、地元新聞の、一覧に小さく載って、田島はベネズエラボクシング界で笑いものにされた。
  【メオリ・デニーロ☆東洋チャンプ、田島を飲食店でKO】
 何と、鳴かず飛ばずのボクサーが、昨夜サンマリノのブラディン通りの高級クラブ、ラ・ムーチョで、先日ロス・モスプリを破った、ゲン・タジマを、乱闘の末KO、ゲン・タジマはその場で嘔吐し、無様にKOされた、その模様を見ていた、セニョール、ヨハンは、言った、アレは確実にタジマの負けですな、プロのボクサーでチャンプがアレじゃーね。
 記事は、ここで終わっていた、ケビン・グレードは、この記事を読んで、一休を呼び付けた。
 ホテルから出て、歩いて程近い、喫茶店で話し合う。
 「一休一体何であんな店行ったんだ、アソコは賭博専門の試合しかしていない、マフィア御用達の店じゃないか?」
 ケビンは一気に話して、コーヒーを飲み、一休の反応を見る。
 「マフィア御用達でも何でも、旅の思い出に行ったまでの事、お前さんにとやかく言われる筋はね~ヨ」
 「しかし、記者が書いて宣伝している、そのメオリ・デニーロもプロボクサーらしいな、リングに上げて田島にリベンジさせたい、このままじゃ、東洋チャンプのブランドに傷がついたままだ」
 ケビン・グレードは、一休と二人、タクシーに乗り、ラス・メルセデスに在る、ネル・アソシエーションと言う、ペーター・ネルが営む、興行会社の入ったビル、オクラマホンビルに行く。
 オクラマホンビルは、5階建てで、全部ペーター。ネルのオフィスで有る。
 受付に、地元ベネズエラッ娘の女の子が居て、ケビンが社長のネルに接見を求める。
 「あのー何の御用でございましょうか?、社長は今、ブレックファスト中でして、お会いなられるかどうか分かりません、直接社長室に行って聞いてください」
 ケビンと一休は、エレベーターホールに行き、エレベーターを待つ。
 「オイ、ケビン、本気であの変なボクサーと試合う積りか?」
 一休は、エレベーターが5階から降りて来るのを確認して、上ボタンをパチパチ連打する。
 「フンッ、一休、お前の蒔いた種だ、何時も俺に刈り取らせるのはフェアじゃないね」
 ケビンは、かなり怒っているらしく、爪を噛んでいる。
 エレベーターが降りて来た、中から、屈強な大男が、睨みを効かせて降りて来る。メル・マスカラドと言う、元メキシコのプロレスラーだ。メキシコではプロレスをルチャ・リブレと言うらしいと、一休は思い出す。
 後ろから、社長の、ペーター・ネルが降りてきて、「おー」と、声を上げてケビンと、握手する。ネルはケビンに「これから、ボクシング会場に行くんだ、君達も来るかい?どーせ私に用が有ったんだろ?」
 ネルは、ビルを出て、駐車スペースから、ヌルリと出て来たロールスロイスの後部座席に乗り、2人も乗り込む。
 プロレスラーの、メル・マスカラドは、助手席に付き、車は滑り出していく。
 「あのね、ネル社長、田島の昨日の件覚えてますか?」
 ケビンは、ネルに、慎重に話を持って行こうとして、遠回しに言う。
 「あ~?アレね、只の喧嘩でしょ、そんなの気にする事無いね」
 ネルは、陽気に笑いながら答える。心中では、田島に打ち勝った男として、1試合でも客が呼べれば良いと思って、新聞にリークしていた。
 「喧嘩じゃ、済まされんよ、ネル、後我々は、2週間ベネズエラに居るつもりだ、公のリングでも、君の店のリングでもいい、あの、メオリ・デニーロと対戦させなくては東洋チャンプの、田島としては面目が立たない」
 ケビンは、メンソールの煙草を取り出し、車内で火を点ける。ネルは、田島の面目など関係ないと言った風情で、ハバナ葉巻、ラ・コロナを口を切り火を点ける。
 「しかし、メオリは、ボクサーと言っても、パッとしない男でね、ギャラが高いタジーマとは、比較にならない程のザコだよ」
 「しかし、そのザコに負けた、田島はこのままじゃ、南米はおろか、日本でも笑いものにされる、店のアンダーグラウンドボクシングでも良い、戦わせてくれ」
 車は、ロス・サマネスの公園に張ったテントの特設リングの前で止まる。ケビンと一休は、そこで車を降りて、試合を観戦することになった。
 ペーター・ネルは、二人を、選手控室に案内する。件の男、メオリ・デニーロも、今日の試合に参加する予定だ。
 メオリ・デニーロ、24歳、戦績は39戦21勝18敗KO6と、平凡な成績だ。
 メオリ・デニーロは、1969年ベネズエラの、ロストトゥモスで生まれる。生家は、タバコの小売業をしていて、中流の家庭であった。15歳の時、地元の悪い仲間に誘われて、窃盗を繰り返していた。15歳の秋、ある宝石店で、強盗を働こうとし、逃げ遅れて、警察に捕まえられて、少年更生施設へ、送られる。そこで半年大工の修行をし、表の世界へでた。カーペンターとして、社会復帰し、そこで出会った、ロン・ヤスと言う、プロボクサーになる事を勧められた。勝ったり負けたりで、中々目が出ない、昼間はカーペンターとして働き、夜は、ラ・ムーチョで、ボウイ件ボクサーとしてアルバイトをしている。
 選手控室で、皆に挨拶を済ませ、メオリ・デニーロに初めて相対する。少しすばしっこく見えるが、バンタムウェイトで、大した奴じゃないとケビンは見て侮った。
 しかし、ケビンにメオリは言った。
 「ファイトマネーが出れば、ヤポンのチャンプでも、ワールドチャンプでもやります、僕はこう見えても体は丈夫な方ですから」
 それを聞いて、一休は反省しきりだ。
 「では、私の店で、おっとビジネスの話は私のオフィスでしましょう」
 第一試合から、5試合見てケビンと一休は、ペーター・ネルのオフィスで、4日後試合することにした。が、ラ・ムーチョでだ、WBAは、田島元を受け付けないと、電話口で言われたからでだ。ケビンは、肩をすくめて罵声を浴びせた。
 田島は、この4日間をコンディションを、整える為に専念した。食事を、程々にし、ビールもジュースも飲まなくミネラルウォーターと軽食だけで過ごした。そんな田島をケビンは心配した。
 「ヘイ、新聞の事など、気にすんな、また書かれないように明日の夜試合がある少し食べたほうが良いぞ」
 そこへ、地元の新聞記者が入って来て、ニヤニヤ笑う。
 後ろから、メオリ・デニーロが入ってきた、聞屋が連れて来たらしい。
 「ゲンタジーマ、メオリとの一戦楽しみにしているよ、私共も、ラ・ムーチョに行くから、楽しい記事書かせてくれ、2人が握手している写真が欲しい、ヘイキャメラ」
 2人は、次の日の新聞の片隅に、写真と短い記事が載った。
 そして、翌日、午後・10時、ラ・ムーチョで、行われる、特設リングでの、試合、今夜は2試合マッチが組まれていた。元ベネズエラチャンプで、ラ・セーム・ボルシVSヤパンの生んだ英雄・元WBCフェザー級王者、臼井年彦こと、トシー・ウスイの5ラウンドマッチ。両方フェザー級同士だ、そして、メインイベント、盗人小僧・メオリ・デニーロVS現東洋太平洋チャンプ・田島元の一戦で有った。控室で、田島は、初めて臼井に会う。
 臼井は、田島と身長は同じ程度で、髭を生やして、筋肉質な、体をしている。今年で36歳だ。
 「初めまして、田島君、先日の対ロス・モスプリ戦見せて貰ったよ、僕も後5歳若ければロスなど1ラウンドで倒してるところだ、いや、今でも出来る、君に近い将来チャレンジできる日を、望んでいるよ」
 「いえ、僕こそ、胸を借りて、臼井さんと一戦したいところです」
 2人はガッチリ握手をして、その手の上に一休が手を乗せる。
 岡崎スーパージムの一行は、VIPルームで、酒を飲んでいる。岡崎健也は、同時代のチャンプ、臼井を大変尊敬していて、何かと、控室に来て臼井と話し込んでいた。
 深夜のゴングが鳴り響いた。臼井と、ラ・セームの、試合が始まった。臼井は、ガードを固めて、ラ・セームの得意のアッパー攻撃を外していた。2ラウンド目、臼井は2分50秒突如動き出した。右のフックが、ラ・セームのガードをカチ上げ、右のストレート、ジャブ、左のストレートが鼻先に当たり、2分56秒、レフリーが止めて、TKO勝ちを収めた。
 臼井は、南米に12年間に渡り居て、試合をしているだけ有って、ヤパーニ、ヤパーニとコールを受け、大変な人気で有った。臼井は、賞金を受け取り、客席に居る、マダム達に投げキッスをして嬌声を浴びる。
 控室に戻ってきた臼井は、ベッドにゴロンと寝て、マネージャーの、ヘレンと言う、女性にマッサージをして貰っていた。
 そして、田島の番が来た。リングサイドは、満員、店内も盛り上がりを、見せていた。
 田島の入場で、大ブーイングが起きる。田島は、客の一人に足を突っ掛けられ倒れそうになる。 
 (ドワッハハハハ~)
 近くにいた人々が笑いさざめく。ケビンと一休が足を突っ掛けた客と乱闘になり、ビール瓶で一休が殴られて血を流して、退場にする。
 「ヘェ―イ、弱っちいヤパン、今日はメオリにノサレテ、東洋のベルト持って行かれな~」
 「そーだ、モスの仇だ、ヤポーネ死ねぃ」
 客は、殺気立って居た。これは、普通の勝ち方じゃ、又乱闘になって、怪我人でも出たら事だな。田島は考えた、一撃で何とか、仕留められないか?。
 「ヘイ、元、今夜は格下だ、一気に潰しに行け客を黙らせてやれ」
 「分かった、何とかするぜケビン」
 向こうのコーナーから、メオリ・デニーロが、ジムの仲間を連れて、入場してくる。今日は、特別に設えた、青いガウンを着ていた。
 ロビーと言うセコンドの青年が、デニーロに言う。
 「ヘイ、メオリ、今日勝ったら、ステェシーと、婚約するんだってな、奴を殺してでも勝て」
 「ハ、ハイ、でも自信が無いっす」
 「ゴングと同時にお前の必殺、右ストレートを、奴のフェイスに打ち込め、いかな東洋チャンプでも、最初の一撃は、無警戒で来る、走って殴り込め」
 「ハイ、やって見ます」
 リングアナが、スペイン語で、田島の名乗りを上をする。場内ブーイングの嵐だ。次にメオリデニーロの名乗り上げが有り、歓声が起きる。リングアナが、しきりに史上最高とか、世紀の一戦とか、囃し立て、スペイン語でハッタリをかます。いよいよ、ゴングだ、カーンと乾いた響きを残して、場内は静まり返る。
 ゴングと同時に、メオリは、目を瞑り、田島目掛けて、走った。田島も、メオリ目掛けて右ストレート発射の構えを取りながら走る。
  帰国
 7月も下旬になった。ケビングレード率いる、岡崎スーパージム一行は、成田に降り立った。税関を抜けて、荷物チェックも終わり、スーツケースを持ち、各々空港ロビーを歩く。
 「オイ、ケビン、マスコミの出迎えが無いな、随分寂しい凱旋だな」
岡崎健也は、手荷物を、停まっているタクシーに乗せ、トランクルームにも入れる。
 「ケンヤ、これもボクサーの宿命だよ、向こうで、随分変な試合をしたからな、それにしても、元の彼女も来ていないな」
 ケビンも、タクシーを掴まえて、トランクルームに、スーツケースを詰め込む。
 「ハハハ、緑の奴は、仕事で忙しいんだろよっ」
 成田から、一行は、東金を通り、湾岸線を走る。
 首都高速を使い、中央道へ出、八王子インターを出て、拝島橋を渡り、昭島の岡崎スーパージムに至る。
 ジムの周りに、プレスの車両が、複数台止まっており、トレーナーの門田は、目を丸くする。
 「来てるじゃない、ケビンの予想外れたな」
 門田は、ベネズエラに居る、間中、女買いに、専念していて、腰が立たなくなっていた。疲労でヘトヘトと言った風情だ。ケビンを先頭にビルの中へ入って行く。
 ビルの入り口で、一人の青年が、待ち構えて居、階段で上階へ走って行く。
 一行は、エレベーターで2回に分けて、登る。最初に乗ったのは、門田と田中と、岡崎だ、3人乗れば満員のエレベーターで、荷物を持って行って貰う事にした。
 「ヘイ、一休、お前は来なくとも良い、又トラブルでも起こしちゃ敵わない」
 一休は、平然と聞き流し、一緒にエレベータに乗る。
 3人は、エレベーター内で、終始無言で有った。エレベーターが、2階の岡崎スーパージムへ辿り着く。
 3人は兼ねてから用意してあった、テーブルの前に椅子に着き、報道陣8人程のキャメラのフラッシュを浴びる。
 「ハイ~、田島さん笑顔でお願いします、チャンピオンベルトを上に掲げて下さい」
田島は、仕様も無く言いなりになった。チャンピオンベルトに、ちりばめられた宝石の類が、フラッシュに反射して、色とりどりの、光彩を彩る。
 インタビューが始まった。
 「ハイ、東都スポーツ小室です、チャンプ、ロス戦を終えて、得たものは何ですか?」
 田島は、鼻をクシュンと鳴らし、声を張り上げて言った。
 「ハイ、ロス戦で得た物ですか、奴と2年越しに、奴に借りを返した気分です。得た物はチャンプの座と伴い、ステータス、そして俺の満足です」
 小室は、納得して、メモを取り終えて、出された飲料水を一口飲む。
 「はい、城西スポーツの宮寺です、今回のベネズエラ遠征、誠にご苦労様です、ロスの弱点の右目を突いた、見事なラッシュでしたね、あの時右目が弱いロスのウィークポイントを、どこで知りましたか?」
 宮寺は、元柔道の、猛者と言った風格の有る、巨躯を、更に大きく見せる為、胸を張る。
 「ハイ、前回2年前、後楽園ホールでの一戦の時薄々気付いてました、ロスの右サイド、俺から見ると左サイドの一角に、死角が有るのに気付きました、その時からです」
 「ハイ、月刊ボクサーマガジンです、次の目標は、やはり世界ですか?、チャンプ立浪丈太郎にターゲットを絞るのでしょうか?それとも、WBAのホセ・ロザリオですか」
月刊ボクサーマガジンの記者は、角山と言い、そのインテリジェンスの高そうな顔付がいかにも秀才前として、ケビンが睨み付ける。
 「はい、WBCの立浪は、強敵ですが、今やれば勝つ自信が有ります、立浪の事は、ボクシング界でも俺が一番よく知ってるんです、後、WBAのロザリオですか?、奴とは一度スパーで相対してKOしていますが、次はきっと借りを返しに来る筈です、やるからには勝ちます」
 次に、さっきからニコヤカに後ろの方で笑って手を振っていた、月刊ボクシング界の、荒巻緑が質問に立つ。
 「ハイ、月刊ボクシング界の荒巻緑です、田島選手は、ハンサムで、良い男だから、ベネズエラ美人との、ロマンスは有りましたか?」
 「はい、この辺で最後の質問にして下さい」
 会長の、岡崎健也は、報道陣に釘を刺す。
 「はい、緑ちゃん、ロマンスは無かったけど、色々楽しかったです、確かにベネズエラは、美人が多い、しかし、俺には、日本に決めた女が居る、それに俺にとっての恋人は、緑ちゃんとボクシングです」
 そこで、今日の記者会見は、終わった。
 1局だけTVが入っていた、東京ローカルTVの東都TVだ、東都新聞の子会社でもあった。
防衛戦
 帰国して三週間が過ぎた。田島元は、次のチャレンジャーを今か、今かと待ち侘びていた。
 ケビン・グレードは、毎日の様に来るファクシミリの、挑戦者の、申し込みチャレンジ件の有るランカーからの挑戦状を見て、防衛戦の相手のピックアップをしていた。
 その中でも、1件奇妙なチャレンジャーが居た。現東洋太平洋第二位、韓国からのチャレンジャー、現・信完だ。元・信完の戦績は次の通りだ。
 24戦・16勝6敗ドロー2の、ポイント稼ぎのテクニシャンと、ケビンは見て取った。奇妙な点は、韓国に来てタイトルマッチを、してくれと言う事だ。スポンサーの、韓国地元TVの、KKTが、衛星波を使い、日本でも放映してくれるとの事だった。しかし、田島に新たに付いたスポンサー、東都TVが、難色を示していた。
 第一回の記念すべき防衛戦を、是非東都TVの、ラッシュボクシングの時間に、やりたいとの要望が有った。
 東都TVよりは、現サイドのTV局、KKTVの方が、破格の条件を出して来、現の下へ、行きたいとケビンが願ったが、会長岡崎健也は、韓国のホームタウンディジション・地元贔屓の判定を恐れ、KKTVの申し出を、蹴ってしまえと田島に、こぼしていた。
 「しかし、現サイドもやるもんだね、次の世界チャンプ候補と言われた、現信完の、スポンサーは、強烈だ、断り切れるか?」
 翌日、東都TV、ケビン・グレード、現サイドのスポンサー、KKTVの広報部長、揉・席順、そして、現信完のマネージャー、金・仁比が、同席し、次の試合の折り合いを付けようと話し合いをした。
 「では、まず、私共の提示する金額をお伝えしましょう」
 現のマネージャー金は、アタッシュケースから、金、八千万円を出して、机に積む。
 「ハァー、八千万円ですか、私共のTV放映権が有れば、この際異存は無いです」
 東都TVの後方、服部は、金を数えてニヤリと笑う。
 「しかし、八千万円とは、張り込みましたね」
 ケビン・グレードも、異存は無いといった顔つきで一人で頷く。
 「じゃー、話は決まったね、二週間後、我が国のソウル市民体育館で、マッチを組みたいと思う、異存は無いね?」
 ケビンは、YESと答えて、金銭の受け渡し、調印が行われ、特例として、東都TVが、ソウルでの試合を放映出来ることになった。
 田島元は、主に走り込みに専念していた。仕事の方は、白タクは廃業し、東洋太平洋チャンプとして、ボクサー専業になった。そして、恋人、荒巻緑と暮らす為、昭島上川原のアパート・小泉荘を、一休に貸し、新しく昭島駅近くのマンションに越した。
 マンションは、築11年と少し古く、賃貸で、駅からも近く、田島と緑の新しい愛の巣で有った。
 「なぁ緑ちゃん、仕事辞める気無いのか?」
 「うん、折角好きな仕事に就いたのに、もう辞めちゃうのは勿体ないしぃ、それに元さんだけの収入だけじゃ、まだ頼りないしね」
 2人が、そんな会話を交わしたのは、引っ越しが終わった次の日であった。
 田島元は、一週間ロードワーク、ロードワークでスタミナを付けるだけの毎日が続いた。
 ―寝ても覚めてもボクシングか、少しほかの何かをしたいー
 田島元は、兼ねてからの夢であった筈の、ボクシング漬けの毎日に少し嫌気がさして来た頃、ケビンが、対外スパーリングを、提案して来た。
 「健也さん、何処かで生きの良い若手ボクサーと、スパーさせて頂きたいのだがね、知り合い居る―?」
 ケビン・グレードは、岡崎健也との食事中突然言い出した。
 「居るには居るが、ウチのじゃ駄目か?若手など何人も居るじゃないの?」
 岡崎健也は、難色を示して、ケビンの提案を退けようとした。
 「駄目だ~よ、ウチのジムの若手じゃ、力不足、打ち合える奴が居ないじゃない、健也の知り合いが居ないなら、僕が探す~よ」
 ケビンはその日、都内のジムを回ることにした。
 まず、東京帝仁ジムに行く事にした。帝仁ジムの中に入ると、トレーナーの山本が、ケビンに気付き、声を掛けて来る。
 「よう、ケビンさんじゃねーの、今日は何の用?」
 山本は、禿頭の頭を汗で光らせながら、ケビンに、応接室へ入れと、目で促す。
 応接室に入ると、山本は、自らコーヒーメーカーから、コーヒーを入れて、スジャータと砂糖を脇に添えてケビンに差し出す。
 「どうしたんだい、元気ねぇ―な、ケビンさん何の用で来たの?」
 「それが、スパーの相手探してるのね、フェザー級で、誰か生きの良いの居ない?」
 山本は、日本ランク外の、大野誠一、リングネーム・ピューマ大野と言う、18歳のデビュー4戦目の少年を、ピックアップして来た。しかし、ケビンは言った。
 「もっとベテランの方が良いね、若くて生きが良くて、少し慣れてるの居ナーい?」
 ケビンは、そこで山本に追い払われて、仕方なく別のジムへ向かう。
 金山ジムで大きな収穫が有った。何と、日本ランク8位のクラッシュ平田が、最近試合が無いとの事で、実戦感を取り戻すために、是非田島とスパーしたいと名乗り出て来た。
 クラッシュ平田は、ここまで、18戦、17勝1敗KO10とかなりのハードパンチャーだ。歳は21歳と若く、上り調子だった所だが、対戦相手に恵まれず、ここ半年間試合が無かった。
 ケビンは、大喜びして、会長の金山にキスをして、嫌がられた。
 「デーワ、明日にでも来れますか?昭島に?」
 「OKだ、オイ、平田、こっちへ来い」
 クラッシュ平田は、その顔立ちは端正で、ディフェンスも上手く、余りパンチを喰らった事が無いと言った顔立ちだ。ケビンは、平田を見てゾッとした。
 「ハイ、会長、何すか?」
 「こちら、東洋チャンプの田島のマネージャーケビンさんだ、お前、明日、昭島の岡崎スーパージム行って、田島とスパーして来い、行き方わかるな?」
 金山会長は、平田に、ぞんざいな態度で命令する。
 「はぁー、良いっすけど、最近試合が無かったから、で、昭島って何処っすか?」
 ケビンは、地図を書いてやり渡して、金山会長に、前金、5万円を渡して、帰途に着く。
 次の日の午後、クラッシュ平田は、上下グレーのスーツを着て現れた。
 ケビンは出迎え、トレーナーたちが慌ててクラッシュにお茶を出す。
 応接室へ通されて、会長・岡崎健也、マネージャーのケビングレードと、対面し、話をする。
 「平田君、16オンスでOKか?」
 岡崎は、平田を見て、その引き締まった体と、俊敏そうな目付きを見て、デキる奴と見て、期待した。
 「16でも、18でも良―すよ、闘えれば、それに田島さんは、東洋チャンプだし、光栄です」
 「良し、準備してくれ、後10分程で田島も帰ってくる」
 平田は軽く頷くと、更衣室へ消え、用意しに行く。
 「しかし、ケビン、平田程の奴良く見つけて来たな、ラウンドは5くらいでやるか」
 「そーねー、田島には、少し実戦感を取り戻して欲しいし、5ラウンドで丁度いいかも」
 平田は、トランクス姿で出て来て、サンドバッグを叩く。ビスビスと、良い音を立てて、6オンスのグローブが弾ける。
 田島は、5分程して戻って来て、平田を見て、シャワールームに消える。ケビンが着いてきて、シャワールームの外から田島に話し掛ける。
 「ヘイ、元、今日は、スパーをして貰うよ、相手はだなー」
 「クラッシュ平田だろ?」
 田島元は、クラッシュ平田を何度かリングで見ている。
 その多彩なディフェンステクニックと、強打を誇る、右のショートフックは、絶品で、KO率が高く、数年前までは、世界が狙えると評判で有った。
 「そー、その平田だけど、16オンスでやるから宜しくね」
 ケビンは、言い終えると、ジムの方へ歩いて行き、平田が只ものじゃないことを知る。
 田島は、スパーの用意をし、ヘッドギアに、16オンスのグローブを付けて、リングに上がる。
 「田島さん、本気で行きますから、本気で受けてください」
 「それじゃなきゃ、スパーの意味が無いからな」
 田島と平田は、激しく睨み合い、ゴングを待つ。
 カーンと、乾いた音が鳴る。岡崎スーパージムの面々は、皆、練習を止めて注目する。田島は初回から、重い16オンスを振り回し、平田のボディーを、連打する。
 平田は、華麗なフットワークで、田島をいなす。1ラウンド目は、無難に田島に打たせてゴングが鳴り終わる。
 「ヘイ、元、良い感じだな、でもラッシュしすっぎーよ、フットワーク使ってディフェンスも少しね」
 田島は、水でウガイをして、カッとお盆に吐く。
 第2ラウンドが始まった。平田は少し手数が出て来た。
 田島の右のジャブからのコンビ―ネーションフック、左のを、顔面に貰い、ニヤッと笑う。平田は、その異名のクラッシュを、見せ付けたのはその直後で有った。右のカウンターが田島の左頬に入る。更に、左のストレート、田島はガードするのに一杯一杯だった。2ラウンド目は終始クラッシュ平田が押して、6オンスなら、田島のダウンも有っただろうとケビンは、戦慄する。
 3ラウンド目は、田島が打ち勝ち、平田は双方今日初めてとなるダウンを、喫した。4ラウンド、5ラウンド、無難に二人はスパーをこなして、ゴングで終了する。
 その日は、シャワーを浴びて、クラッシュ平田は帰って行った。
  出国・敗北の日
 ケビン・グレード率いる岡崎スーパージム一行は、成田空港出発ロビーに居た。
 「ヘイ、元、東都TVが、今回入るんだ無様な試合見せられないぜ」
 ケビン・グレードはチャンプになるのは、意外に簡単だ、しかし、防衛するのは難しいと、持論を持っていた。
 「まぁ、相手は東洋2位だ、早い回で決めちまおうと思ってる」
 田島元、会長の岡崎健也、セコンドに参加するのは、門田トレーナー、そして一休さんであった。
 今回もレフリー・メインジャッジは、件のキニー・スカイラーで有った。
 「オイ、元さん本でも買って、酒でも飲んでゆっくり旅を楽しんだ方が良いぞ」
 健也は読書家で、ハウトゥー本から時代小説まで読む程だ。
 旅客機は、西の空へ飛ぶ。田島元は、写真週刊誌を読んで、ビールを少量口に入れるだけで、少し寝入る。ケビンは、仕切に何かメモを書いている。
 飛行機は、ソウルに着き、空港ロビーに、岡崎スーパージム一行は降り立つ。そこには、報道陣が30名程来てい、岡崎健也は驚きの声を発する。
 「田島元さん、着いて早々だけど、記者会見が有ります是非来てください」
 韓国人の通訳、ホン・レミーが、イントネーションの違う日本語で話し掛ける。
 「他の方もどうぞ」
 一行は、空港に設置されている、記者会見場に、休みも無く通されて、30人を超える報道陣の前に姿を見せる。
 (それでは、只今から東洋太平洋チャンピオン、田島元の記者会見を始めます記者の方どうぞ)
 「アニハセヨー、ゲン・タジマさん今回のチャレンジャー、現信完に付いてどう言う印象を持ってますか?」
 地方日報の記者、金と言う女性記者が田島に敵愾心を、露わにした口調で言う。
 「印象ですか?、特に可もなく不可もない平均的ボクサーと言った印象です」
 田島元は何の気なしに言った言葉だが、記者達は口々に罵倒をし、記者会見場は険悪になる。
 「それは、貴方の情報不足だと思います、現選手は、アマチュア戦績は、18勝3敗ですよ、KOも10を超えるハードパンチャーでそして、プロに転向してからは、テクニックで、相手を圧倒するファイターです、可もなく不可もないと言ったのは、間違いです訂正してください」
 田島は、この女性記者が言った事を受けて、一応謝ったが、内心納得しないで居た。
 「大韓新聞の金一平と申します、田島選手の韓国感、イメージはどうでしょう?」
 金・一平は、洋もくを燻らせながら、起立して言う。
 「まだ空港ロビーしか見ていないが、貴方達記者の顔を見ると、誰もが愛国心が有って、日本の状況と比べると、大変羨ましいです」
 ケビングレードが、ハングルで訳す。
 「東京城西新聞です、久し振りです、韓国の東洋ランク2位の、現・信完は、手強いですが、攻略法とか考えているのですか?」
 城西新聞の前田は、田島とは古い馴染みである、気安い仲だ。
 「現・信完は、とても手強い、その証拠に、KOより判定が多い、10回目一杯戦わないで、早い回でKOするしか無いです」
 「ハイ、記者会見はこれまでです」
  司会進行の、KKTVの、陳が、会見を終了させている。
 試合は、4日後だ、スポーツジム・アリランに、取り敢えず、顔を出すことにした。
 スポーツジムアリランは、比較的新しいジムで、ここ15年程で伸して来たジムで有る。東洋太平洋12位の、金正林が、最高ランク保持者で有った。余りパッとしないジムで有る。
 ハイヤーで、ジムの前に着くと、ここも報道陣が多い、ケビン以下一行が立ち寄ると、フラッシュが炊かれ、ワイドショーのインタビュアーが、一斉にマイクを向けて来る。
 「現・信完に付いて、田島さん勝つ自信が有るでしょーか?」
 「田島さん、東洋チャンプとしての意気込みを?」
 日本語で捲し立てられ、田島は辟易していると、岡崎健也はこう言った。
 「やるからには勝つ、お前等煩いからとっとと帰れ」
 報道陣は、オオっと、沸き上がり、制服を着た警官が来て、報道陣を追い散らす。田島とケビンは中に入り、一休は隣にある、お菓子屋に入り何やら物色していた。
 「これはこれは、田島さーん、後数日ですがここで練習してくれることは、大変光栄です、私昔、日本の五反田に住んでいたことが有りました、日本贔屓です、タイトル防衛願ってます」
 会長の金・先貴は、今日は顔見世に寄っただけでと言ったケビンにお茶を出して接待した。
 金・先貴は、元日本バンタム級の6位まで上がった男だ。日本で色々職をこなし金を貯めて、本国へ帰り、ジムを開いた。この年で58歳で有る。
 一行は、取り敢えずホテルに行って、シャワーで汗を流すことにした。
 今日の予定は、KKTVの、人気番組の生放送に出演して、現・信完の主催するパーティーに出席し、ホテルでミーティングを行うと言った予定だ。
 ソウル市内の、ホテル・スカイラディーに行き、ハイヤーを降りると、女が数人群がってくる。一休は女の一人を掴まえて、何やら値段の交渉を、始めた。田島にも女が近付いてきて、何か言う、片言の日本語だ。
 「お兄ぃーさん、一回、一発、どーですかー安くして置きますよー」
 女は、セミロングの髪を後ろで束ね、高級品の、ブランド物に身を包み、バッグも、ブランド品だと分かるが、コピー商品の類で有る。
 「いや、間に合ってるよ又な」
 「お兄さんー、私体良いよ、毎日磨いてる、ウォンじゃなく円で3千円で良いよー」
 しつこく迫る、女をケビンが、突き飛ばして、ホテルのロビーに入る。チェックインの手続きをして、ボウイが荷物を持ってエレベーターで上がる。
 ロビーを引ったくりやスリが、徘徊し、一時も気が抜けない。
 「じゃーこの荷物此処置いてくれ」
 部屋に着くと、ボウイに50ウォンのチップを渡し、ボウイは頭を下げて出て行く。
 ケビンと田島は同室だ。
 ケビンは着くなりベッドに寝そべり、安定剤を飲んで、大人しくなる。田島はシャワーを、浴びにバスルームに入る、
 ケビンは、ホテルのTVを点けてみた、TVでは、ワイドショーが流れていて、田島の入国の模様が放映されていた。司会者の男が仕切に田島が負けると言っていた。
 韓国語が、ある程度分かるケビンは苦笑してTVのスイッチを切る。
 田島が、シャワーを浴び終える。スーツに着替えて出掛ける準備をしていた。
 午後6時、ソウル市内、KKTVに一行はハイヤーで乗り入れる。30人ばかりの報道陣に混じり、日本のTV局、新聞社も、来ていた。ケビンは、東都スポーツの小宮と、何か話していたが、田島には一向に聞こえなかった。
 午後7時、ゴールデンタイムの人気番組、ナムチャンTVに、ゲストとして出演する。
 「ハァ―イ、ナムチャンTVだよー、今夜も宜しくー、そうそう3日後に控えた、プロボクシング、アレネ、今夜は、ゲストにチャンピオン、田島元選手を、お呼びしてます、CMの後ねぇ」
 CMが始まり、視界のナムチャンが、田島と握手を交わし、サインを貰う、田島は、ケビンにサインを書かせて、トイレに立つ。
 トイレは、こざっぱりしていて綺麗に掃除が行き届いている。
 小便をしていると、ナムチャンが現れて一言言った。
 「私、日本人嫌いです、とっとと負けて、帰って2度と韓国には来ないで下さい」
 ナムチャンは、その番組で見せる笑顔とは、裏腹に、陰湿で暗い表情をして田島を睨む。
 「ベルトは渡さんよ、負けて泣くのは現・信完の方だ、幾ら日本人が嫌いでも言っていい事と悪い事が有る、儒教の教えも有った物じゃないな」
 田島元は、小便を終えるとトイレから立ち去って行った。
 ナムチャンTVが、CM明けで始まった。
 TV番組に出演し、その足で、KKTV主催の、現・信完を応援するパーティーへ一行は向かう。場所は、ソウル市内のホテル・パレロイヤル・と言う高級ホテルだ。
 パレロイヤルに、一行は着き、多く集まった報道陣に、フラッシュを炊かれる。一休はピースサイン送り、顰蹙を買った。
 パーティー会場に着くと、盛大な拍手が起こり、現・信完が、握手を求めて来た。
 田島は、応えてやり、2人はフラッシュの放列に晒される。
 「田島さん、3日後ナイスファイトしましょう」
 「うん、ベストを尽くそう」
 田島は、立食パーティーに参加し、KKTVのお偉方と、東都TVの重役たちと酒を飲んだ。
 「田島君、ナイスファイト期待してるよ、これで、君がまけたら国辱者だよ、勝ってくれ」
 田島は、少し酔って来て、各界の名士の令嬢達とフザケ合っていた。そんな模様をケビンが見ていて苦笑させられる。田島は、韓国では大いにモテタ。
 夜は更けて行った。
 次の日は朝からロードワークで昨日の酒を、汗で流す。
 一緒に岡崎健也も走る、ケビンはまだホテルで、寝ている様だ。
 午前10時アリランジムへ行く。ハイヤーの中で、一休は、居眠りをして、鼻をケビンに抓まれて息苦しくなり咳をする。
 ジムの前へハイヤーが着くと、又もやフラッシュの放列が出来、田島元は手を振り、報道陣の人垣を押し除けてジムへ入る。
 中へ入ると、会長の金・先貴は、早々スパーリングの用意をしてくれ、とケビンに求む。今日は、公開スパーリングだ。16オンスのグラブを用意されヘッドギアを着けて田島元は出て来る。
 相手は、韓国の東洋ランク12位の、金・正林である。
 金は、7戦して5勝2敗KO4とまだ駆け出しだが、そのパンチは、折り紙付きで、一気に今後東洋ランカーになると思われている。
 16歳のまだ少年である。
 金は用意が出来て居、会長の金はゴングを鳴らした。
 田島と金は、ガードをガッチリ固め、田島はノーステップで金の顔面へジャブを入れる。金はスイスイとディフェンスし、ウィービングで躱す。田島はフェイントで右を使い、その刹那ボディーに左ブローを叩き込む。その威力で前にのめり顔面へ、左右のフックを浴びせる。
 6オンスならとっくにダウンしているだろう。
 予定の3ラウンドのスパーリングが終わり、金会長は、岡崎スーパージムの面々に、お茶を出して、控室で歓談した。
 「ケビンさん、真に田島さんは強いですな、現信完など、話にならない、立浪とやっても引けは取るまい」
 金会長は今まで韓国に来た日本人の中でも一番強いと、言っていた。
 「金会長、この東洋タイトル3回防衛したら、WBCの王者立浪を仕留めますよ」
 ケビングレードと岡崎健也は、同じ様なことを言って、田島を褒める。
 2時間程、田島は汗を流して、ハイヤーで、ホテルへ戻る。
コリアン・トリック
 いよいよ試合の日が来た。ソウル市体育館で、ダフ屋が出る程で有った。TV中継の前宣伝で、日本最強、アジアNO1と、KKTVで、国内にハッタリをかました甲斐が有って、韓国国内では人気を見せた。
 リングサイドには、OBF会長、ナジャム・ソンが見えていた。
 試合開始前、岡崎スーパージム一行は、報道陣のインタビューや、日本から花束が届くやらで、ケビンも田島も、夢心地で有った。
 僅か、半年前までは、白タクをやり、スパーリング屋と言う、惨めな毎日を送っていた田島は、感無量で有った。
 3度も東洋戦をしないと、世界への切符が手に入らないとは。田島もケビンも来年には世界戦にチャレンジ出来ようかと、気長に待つ事にした。
 夜、7時になる、もうすぐ、セミファイナルの、エキビジョンマッチ、陸・大成VS陣・実の、6回戦が始まる。
 陸・大成は、スーパーバンタム級で、ここ数年伸びてきた新鋭で、韓国国内では、6試合負けなしの、12戦8勝4敗ノードローで、右からのアッパーが必殺武器になり、KOは全てアッパーで有った。
 対する、陣・実は、今年で29歳、今は韓国ランク6位と、低迷しているが、3年前に、世界戦に挑戦した。
 12回判定で、負けてから、この調子で、勝ったり負けたりの試合が続いてる。今日は、エキシビション(模範試合)と、言えど、負けたら引退勧告が来るので落とせない所だ。
 因みに、戦績は、42戦30勝12敗で、ここ2試合負けが込んでいる。
 一休は、体育館の裏で開いている、闇の胴元の所へ行き、掛け金、3万ウォンを払い、穴で人気のない、陣・実に張る。
 連中は、韓国ヤクザで、体育館の、周囲をウロツイテ、カモを探すのが商売だ。一休は、賭け事には、目が無く、何かとこういう事に飛びつく。
 今、一休はリングサイドで、手に汗握り、試合を観戦していた。
 序盤は、双方譲らず、パンチの応酬が、続く。4回、押していた陣が、急に崩れ始める。一発、コメカミに、良いのを貰い、ヨロリとした所で、陸のアッパーが入り、KOされる。
 一休は、胴元の所に行き、八百長を、仕掛けたんじゃないのかと、クレームを入れた所、用心棒の、男に殴り倒され、すごすごと、田島元の、控室に行く。鼻を赤く腫らした一休を見て、ケビンは笑う。
 「ヘイ、元、今日は何時もの調子で、5ラウンド以内でKOして良いぞ」
 「OKだ、俺もその積りだ」
 先に、韓国の東洋太平洋ランク2位の、現・信完が、リングで待ち構えていた。田島元が、入場するや、場内興奮のるつぼと化す。
 「田島―、今日勝って、日本で又防衛だー」
 通路に居る、日本人客に声援を送られる。現は、緊張のあまり、フゥ―と、溜息を吐いていた。
 対する、田島は、華麗に、フットワークを効かせて、リングに上がる。ウォ~ンと、会場が熱気に包まれる。
 田島は軽くシャドーをし、現は、直立不動のまま、セレモニーを見つめている。
 田島はベルトを巻いて、両手を上げて、客にアピールする。ケビンは見とれて、久々に育てたチャンプだ、と、心の中で呟き、涙ぐむ。
 韓国語で、呼び出しが有り、現が両手を上げる。
 (東洋太平洋チャンピオン、田島元―ン)
 田島の呼び出しで、場内は、割れんばかりの歓声が上がる。一休は、耳を塞ぐほど煩かった。
 いよいよ、ゴング前の、インターバル時間、岡崎建也は、田島にまた釘を刺す。
 「今日のレフリー、キニー・スカイラーは、インチキジャッジの名人だ、KO意外考えるな」
 ケビンは言う。
 「彼は、只の日本人嫌いなだけだ、飽くまで、レフリーは公平だ、田島、気長に戦って良いが、早い回に倒すに越したことは無い」
 いよいよ、ゴングだ、ラウンドワンを告げるアナウンスが有り、乾いた音が鳴り響く。
 田島は、サウスポースタイルで、右のガードを下げて、接近する、現は、オーソドックスに構え、左ジャブを、慎重に繰り出して来る。
 2分経過した。現は、少し落ち着いて来て、油断した。
 右のストレートを、大振りして来た所、田島の細かいジャブが、現の鼻に入る。
 「田島ラッシュ、田島ラッシュ」
 東都TVのアナウンサーが絶叫する。アナウンサー席に、血飛沫が飛んでくる。
 田島は、止めとばかり、左右のフックの、連打で現をマットに沈める。
 現はカウントナインで立ち上がって来る。田島が、攻勢に出ようとした所で、ゴングで、現は救われる。
 「ヘイ、田島、ラッシュの詰めが甘いぞ、ポイントは取ったが、あくまでもKOに拘れ」
 「・・・」
 田島は、無言で頷く。田島は次の回で決めてやろうと左の腕を一振りする。OBF会長、ナジャム・ソンは、ニコヤカに、リングサイドで観戦していた。
 2ラウンド目が始まる。カィーンとゴングが鳴り響き、田島は、イキナリ、左ストレートを、現に放つ。現は、恐ろしくて身を縮めた。偶然田島の懐に入る、目を見開いて、アッパー、右のだ、右アッパーが、田島の顎に決まる。田島はヨロリとなり、ガードが下がる、そこへ、現は、ワンツーとばかり、左右のジャブから、ストレートを入れる。田島は持ち堪えた、ガードを固くして、現のラッシュをやり過ごす。田島も、お返しに右のジャブを、放つが空を切る。
 「ヘイ、ガード、ガード」
 一休は叫ぶ。田島は、ガードが下がって居るのにハッとなり気付く。その隙に、現のジャブが、右目の上に、チョコンチョコンと、決まり出す。
 「田島、どーしたのでしょうか?あ、現ラッシュ、又もや田島の顔面を捉える」
 ゲスト解説の、ファイテン原は言った。
 「田島君は少し、大振りすぎますね、モーと細かいボクシングしないと駄目です」
 田島は少し、目の上が腫れて来た、現は、田島に左のストレートを放って来た、田島は、右のストレートを出す、ドンピシャリで、カウンターが、現の顔を捉える。
 現は、後方へ少し引く、田島は、嵩にかかり、現を攻める。左右のフックが、顔面へヒットした、現はダウンする。2分48秒だった。現は、カウントナインで、立ち上がり、ゴングで助けられる。
 3ラウンド目の前の、インターバルでケビンは、田島元の、右目の上の腫れ上がりを、気にする。まだ出血はしていない。
 「田島―ま、現のジャブ貰いすぎネ、もっと細かく右のジャブ出してーね」
 「相手は、ジャッジメンのキニースカイラーでも有る、元さん次のラウンドで決めてしまえ」
 岡崎建也の敵は、飽くまでキニースカイラーで有った、何を言っても、昔からの因縁で有った。
 ラウンドスリーが始る、現・信完は、左ジャブを、執拗に、繰り出す。田島元も右のジャブで対抗する。右を出すと、現はすぐさま後退し、逃げに入る。すぐに戻って来て、左ジャブを放つ。
 田島は、1分過ぎた頃、業を煮やして、突っ込んで、右のジャブから、左のストレートに行く。現は、待ってましたとばかり、右のストレートを繰り出し、田島に今度はお返しのカウンターを右目の上に入れる。田島はヨロリとなり、ガードを下げる。血が瞼から滴り落ちる。
 レフリー、メインジャッジ、キニー・スカイラーは、ダウンの宣告をし、試合を一旦止める、中断する。
 レフリー、キニー・スカイラーは、田島の目の上に手をやり、審判席に、両手を上げて振る。田島サイドは呆然とし、ゴングが10カウント鳴るのを聞く。
 韓国語で説明が有る。
 (只今の試合、田島選手の出血多量により、テクニカルノックアウトで、田島選手の負けとします、勝者、現・信完-)
 ドワァーと、場内歓声が上がり、現・信完が、勝ち名乗りを受ける。田島は、治療の為、コーナー際で座っていた。
 岡崎建也は、キニー・スカイラーに抗議しに行く。
 ベルトを巻いた、現・信完が、田島に抱き着き握手を交わす。田島サイドは抗議が受け入れられず、控室に戻って行く。
 「元さん残念だったな、後一歩及ばずか」
 皆が、沈黙する中、岡崎建也が、口を開く。
 田島元に取っては、痛恨の一敗、心中察する余り、岡崎は、この一戦に意見書を出し、無効試合にすることを、OBF会長に上告し、再度決着を付けたいと言ったがケビンは、
 「無駄なことはしない方が良い、レフリーの、判断が、正しかった、今のルールじゃ、出血多量でTKOも仕方ない」
 と言って、下を向く。田島元は、次の目標を決めなければならなくなった。
 一行は、明くる日、ホテルのケビンの部屋に集まり、帰国の準備をしていた。そこへ、東都スポーツの記者小宮が、日本の新聞を数誌持って現れた。
 「ケビンマネージャー、日本でも相当書かれてますよ、この記事見てください」
 テイレスポーツ一面。
 (田島・流血のTKO・無様韓国の夜)
 ―昨日、ソウル時間19時から行われた東洋太平洋タイトルマッチ、日本の田島元(28)が、韓国の現・信完(26)が、ソウル市体育館で激突した。田島は、終始現を押して、2度のダウンを奪うも、現の巧みなテクニックの有る、攻撃により、右目の出血多量、現の勝利(TKO)となった。ソウルでは、評判倒れのチャンプ、コケ脅しの田島と評価され、我々日本のボクシング界も、侮られた物で有った。今後、下手なボクサーは、チャンピオンにはさせない方が無難、と関係者が語っている。OBF側が、このジャッジに対しての抗議を行った、岡崎会長に厳重注意をして、罰金を科す方針だと関係者が明かした。しかし何とも後味の悪い試合で有ったか、・記事新田。
 この他、数誌を読んだが、どれも田島に好意的では無かった。
 岡崎建也会長は、この記事を見て、憤り、投げ捨てた。
 「しかし、田島君、次の試合が決まっていない現在、余り派手なことしない方が良い、腐っても、君は東洋ランク2位何だ、今度は日本で、現を迎え撃ってチャレンジすれば良い」
 東都スポーツの小宮は、励ますが、田島は無言で帰国の支度をしていた。
メキシカン・セル・ボタリオ
 田島が東洋チャンプから、陥落してから1週間が経った。成田国際空港に、1人のメキシコ人が降り立つ。
 その男、セル・ボタリオは、メキシコランク2位。戦績はここまで、6戦6勝6KOと言う実にKO率100%の男だ。そのKOシーンが、派手で付いた綽名が、南米の赤いバラ。
 ボルの放つ右ストレートで、鮮血が飛び散り、顔面が赤く染まる為、赤いバラと、呼ばれた。
 そのセルは、日本に何をしに来たのであろうか?
 「え~本日お集りの報道の方々に、これより、セル・ボタリオと、WBA世界ランク4位の、仁藤友作の記者会見を、行います、質問は手短に簡潔にお願いします」
 東京都内、足立区の、蟹江ダイヤモンドジムで、記者が集まり、会見が行われた。
 仁藤友作は、WBA世界フェザー級の4位である。ここまで戦績は、10戦9勝1敗1ドロー、KO6のテクニカルハードパンチャーである。仁藤は、1週間後、南米の赤いバラ事、セル・ボタリオと、WBAランクを賭けて試合をすることになっていた。このセル戦で、勝てば、次期WBA世界チャンプの、ホセ・ロザリオの、チャレンジ権が、回ってくるのだ、仁藤にとっては正念場である。
 「ア~、では、質問お願いします」
 蟹江ダイヤモンドジムの広報、千田が、マイクを握り場を仕切る。
 「ハイ、月刊ボクサーマガジンの、山根です、今回のチャレンジに付いて、何故日本においでになったのでしょうか?」
 通訳の山口が、スペイン語で、セルに翻訳する。
 「え~、私は、仁藤と闘う理由は、来るべき、世界戦への挑戦権が、掛かっていると言う、WBAからのお達しが有ったからだ」
 セルは言い終えると、馬鹿にした様な顔で、記者達を見下す。
 「はい、東都スポーツの仲山です、次期チャンピオン候補と言われる、仁藤選手に付いて、どういう印象が有りますか?」
 「ハイ、ニトーは、大変素晴らしいボクサーで、ファイターだと思います」
 蟹江ダイヤモンドジムの千田は話題を変える。
 「ハー、次は、仁藤選手に、質問お願いします」
 「あのー、月刊ボクシング界の荒巻です、世界チャンプ、ホセと今闘って、勝てると言う自信はありますか?」
 業界では、名物女となった緑は、一気に話して、フゥ~、と溜息を付く。
 「ハイ、ホセ・ロザリオを倒したら、次は立浪さんを倒して、統一王者を目指したいと思います」
 仁藤は、17歳の年齢にしては、歯切れの良い返事が返ってくる。
 「ア~、テイレスポーツの、野崎と言います、南米の赤いバラっちゅー異名のセルの綽名、意味分かりまっか?」
 仁藤は、少し考えて、笑いながら頭を掻く。
 「ハイ、多分、薔薇好きの人なのかなって、今思いました、違いますか?」
 通訳の男は、そこは訳さないで笑って誤魔化していた。
 「ハァー?、仁藤はん、南米の赤いバラっちゅー異名は、血が噴き出て、相手が赤く染まるからですよ」
 「そーなんですか?ハハハハ~」
 記者会見は、こんな調子で終わった。
 田島元は、次の対戦相手も決まらず、只ひたすらサンドバックを、叩くのみであった。
 ケビン・グレードは、新聞を開き、読み耽っていた。
 見出しに、
 (立浪の次の防衛戦の相手は、スコム・ソン・セデス(タイ)に決定)
 【次のWBCフェザー級タイトルを、賭けて立浪丈太郎の、対戦相手が決まった。相手は、タイのスコム・ソン・セデスだ、23歳でバリバリの現役ボクサーで、世界2位だ。22戦22勝0敗、これまで、プロ通算で、負けなし、KO15の、ノックアウターだ、立浪に取っては、最強のチャレンジャーに、なるだろう。試合は、11月の4日、東京の両国国技館、ゴングが待ち遠しい。・記事館林】
 次に、2面を見ると、南米の赤いバラの記事が有り、ケビンは顔をしかめる。
 【WBA世界4位・仁藤友作、世界戦前哨戦、セル・ボタリオがいよいよ日本上陸】
 【来週の土曜日、後楽園ホールで、世界4位(WBA)の、仁藤友作が、セル・ボタリオ(メキシコ)を、迎え撃ち、次なる世界戦を視野に入れて対戦する。大方の予想では、仁藤の圧倒的有利とするが、南米関係者によると、仁藤は3ラウンド以内にマットに沈むと言う意見も有る。何れにせよ、この試合の勝者がWBA世界フェザー級チャンプ・ホセ・ロザリオに、挑戦することになる。刮目して見よ・記事小宮】
 ケビン・グレードは、溜息を付き、新聞を伏せる。
 そもそも、何でアンナ奴が日本へ来たのか、奴はまだ16歳だが、田島元に見せたら戦いたがるに決まっている。何処かで潰されれば良いと思っていたが、日本に来るとはこれは、厄介だ。ケビンは、一休に口止めする為、ジムへ新聞を持って行った。
 加沼一休は、ジムでポップコーンを、齧って、テイレスポーツを読んでいた。
 「一休」
 「おう、ケビン、今、元に話したんだがな、南米の赤いバラって奴に会って見ないかって、奴のマネージャー、ドン・プリの奴は、10年前ロスで有ってからの付き合いなんだ、確か奴は今、米山ジムに来てる筈だから、一緒に見に行こうじゃないか、どうせ暇だしな」
 「何―に?余計なことを言ったな一休」
 試合は、2日後に迫っていた、一休は、セル・ボタリオを、見に、田島の車、コロナ・エクシブで、ケビンと田島を乗せて、江東区に有る、米山ジムに行く。
 米山ジムの近くの有料駐車場へ、車を入れ、ジムの有るビルに歩いて行く。
 米山ジムは、江東区亀戸の駅に程近い、米山ビル2階と3階そして、4階はジムの宿泊施設になっている。
 2階の米山ボクシングジムに、3人は、顔を出す。受付の、横田美里と言う女の子がケビンの顔を見てニコリと笑う。
 「ケビンさん、お久し振り、今日は何の御用かしら?」
 「うん、今、ちょっと日本に来ている、セル・ボタリオの練習を見学したくて、良いかな?」
 横田美里は、田島を見て、思い出した様に、声を上げる。
 「キャー、田島さんですね、私ファンなんです、サ、サイン下さい」
 一休は、冷ややかな目で田島を見て言う。
 「田島、負けてもファンが居てくれて良かったな、ナハハハ」
 田島は、受付に有る色紙にサインをして、美里に渡す。
 「キャー、で、ケビン中へ入って良いよ、私も元選手と一緒に見るね」
 「ア~、そーしてくれ」
 ケビンは、呆気に取られて、中へ入って行く。田島元は、アレコレ横田美里に、言われて苦笑する。
 中では、休憩中のセル・ボタリオが、水でウガイしていた。
 「ハーイ、ドン、見に来たよ」
 マネージャーの、ドン・プリは、一休を見て白い歯を見せて笑う。
 2人は、抱き合い握手を交わす。一休はスペイン語で、ドン・プリと話す。
 「久し振りだな一休、君が日本でまだ、ボクシングに関わり続けていたのは知っているよ、最近ベネズエラに行っただろう?アハハハ」
 ドン・プリが言うには、日本に来たのは、小遣い稼ぎと、WBAの上位ランカー仁藤友作を、食う為だち、次のタイトル戦を視野に入れて、トレーニングをしているのだと言う。
 「ヘェ―、大した羽振りだね、で、スパーリングの方終わったの?」
 一休は、土産に持ってきた、塩せんべいを、ドンに渡して笑い掛ける。
 「ノーだ、まだしていない、相手の選手がまだ来ていないんだよ、トホホだ」
 田島は、セル・ボタリオと握手を交わし、ケビンの通訳で話す。少しだけ出来る英語を交えて。
 「次の、仁藤戦は、万全ですか?」
 「ハイ、仁藤より、世界チャンプ、ホセ・ロザリオに今、照準を絞って練習しています」
 ケビンは、この若者を、何処か恐れて腰を引いて話す。
 田島の横では、美里が話を聞くふりをして、田島の左腕を掴んでいた。
 「ホウ、ホセ・ロザリオなら、俺も一度スパーリングした事が有る、あの時は奴はチェレンジャーだったがな」
 「ハァ?、本当ですか、それは、失礼ながら、ゲン・タジマは、ホセをどう見ます?」
 セルは、驚いた顔をして、田島に食入る様にして話を聞き出そうとする。田島は、ホセ・ロザリオの事を話した。セルは、ケビンの通訳を真剣に聞きながら一々唸っていた。
 「で、チャンプをスパーでKOしたのですか、凄い、是非私も貴方とスパーリングしたい」
 横で会話をしていた一休と、ドンが目を丸くしてセル・ボタリオの方を向く。
 
「ちょっと待ってくれ、セル、田島は今休暇中なんだ、今のは訳さないから無しにしてくれ」
 田島は、2人が何を話して居るかは、分からなかったが、セルの殺気を感じて気が引き締まる。
 「タジーマ、スパーリング」
 田島は、驚いた風もなく言った。
 「ああ、良いよ、今日はスパーの用意もしてきてる、なぁ一休さん」
 一休は、又ケビンに叱られると思い、知らん顔をする、ケビンは、気が抜けた顔をして、田島に言った。
 「良いけど、6オンスグローブでは前見たくしないでくれ」
 セルは、一休から今の話を訳されて、ケビンに抗議の目を向けて言う。
 「ノーだ、ホセ・ロザリオの時と同じ条件でないと駄目だ、6オンスでやる」
 田島は、6オンスのグラブを手早く着け、リングに上がる。一部始終を、見ていた、テイレスポーツの秋山が、カメラとメモの用意して見守る。
 「良し、ゴーング、3ラウンドだ」
 2人は、リング上で、火花を散らし、睨み合う。闘犬の様に嚙み合うのが使命か、とケビンはリング下で思って、溜息を付く。
 田島とセルは向かい合い、フットワークを使いながら、ジャブを放ち合う。一発セルのジャブが、顔にヒットし、エキサイトしてくる。自分の体を止める事が出来なくなる田島元である。田島はイキナリセルのラッシュを貰う。
 右が3発、左が2発、ボディーに食い込む。何とか田島は持ち堪える。セルは田島を、ロープに追い詰めていく。田島は、亀の様にガードを固める。
 数秒、セルのラッシュが止まる。次にセルが、右のストレートを、放とうとした瞬間、田島は細かく右のジャブを放つ。
 「ヘイ、元、その調子で仕留めろ~」
 ケビンは、我になくエキサイトし、叫ぶ。
 田島の右のジャブが入り、セルは顔を赤くして、左のフックを、入れて来る。その間隙を縫い、田島は、左ストレートを出して見る。セルのガードが、吹き飛びボディーに隙が生じる。
 田島は、思い切り、右のボディブローを、お見舞いさせる。セルのリバーにもう一発左からのブローを叩き込む。セルは、マウスピースを吐いて、その場でへたり込む。田島は、赤く腫れた、両腕を摩りながらリングから降りて来る。
 「オ~、セル、一休、この責任どーしてくれる、セル、大丈夫か~?」
 ドンは、セルを介抱し、セコンドとしてやって来た、セルのジムの者たちも介抱する。
 「オウ、田島ハン、やったや無いの~」
 テイレスポーツの、秋山が、ガッツポーズを決めて明日の裏一面は、これや、と叫びケビンと一休は呆れて見ていた。
 そこへ、米山ジムの会長、米山勉が、外出から帰って来てケビンを睨む。
 「ケビンさん、勝手なことしちゃ、困るよ、テイレスポーツさん、記事にしないで貰える?」
 米山会長は、一気に捲し立て、胸ポケットからセブンスターを取り出して一息吸う。
 「駄目だよ、今更記事差し止め何か、アンタに何の権利が有る?、今から支社に戻るよって、書かせて貰いまっせ」
 「コラー、出入り禁止にするぞ~」
 米山会長は、怒鳴るが、素早く退散する秋山であった。
  ラウンドスリーの恐怖
 仁藤友作は、WBAの世界ランカーで、フェザー級第4位で有る。対する、セル・ボタリオは、WBAメキシコフェザー級第2位で、ここまで6戦6勝6KOで、破竹の勢いで、勝ち上がってきた稀に見る強打者で、本国メキシコでも対戦相手が居なく、大金を積み、メキシコから世界ランクを賭けて日本に乗り込んできた。しかし、スパーリングで、田島元にグロッキーにされて、仁藤サイド、蟹江ダイヤモンドジムの、面々は自信を持つに至った。
 テイレスポーツ裏一面。
 【セル。ボタリオ・スパーリングで田島元に泡吹かされた!!】
 記事全文(昨日、フェザー級のWBC第7位、東洋2位の田島元選手が、米山ジムにトレーニングに来ている、セル・ボタリオ(メキシコ)と、飛び入りスパーリングを行った。最初、序盤はボルのラッシュに押され気味だった田島は、2分を過ぎた後、突如田島得意の左ストレートが炸裂し、ガードをカチ上げた、左のリバーぼろーで、その勝負は決まった。セルは白目を剥き、悶絶した。そこで田島はリングを降りたが、田島のブローの破壊力たるや凄まじく、さしもの南米の赤いバラも、KOされた形になった。しかし、あっさり田島にやられたセルの実力を、疑う目も出て来た。セルの無敗の記録は、ここで終わるかも知れない。セルサイドは、日本ボクシング協会に、クレームを入れるが会長の大田番睦は相手にせず、怒り心頭のセルサイド。セルは恐らく仁藤に負けると大方の予想だ。果たしてセルは、念願の世界戦の切符を、手に入れられるだろうか?仁藤有利は、現在の実情で有る。いよいよ世界だ仁藤の勝利は動かないだろう・記事秋山)
 いよいよ試合当日が来た。後楽園ホールは、多くのボクシングファンが集まり、タイトルマッチでも無いのに客は、大入だ。セルは、打たれたボディのダメージは小さく、復調している。
 一方仁藤は、田島ごとき、ロートルに負けたセル・ボタリオを、侮っていた。控室で今か今かと胸をときめかしながら番を待つ。
 蟹江ダイヤモンドジムの会長、蟹江は言った。
 「田島の奴にやられたんだ、今夜はお前もボディー狙って、KOしてやれ、ワハハハー」
 一方セルサイドは、仁藤の事などそっちのけで、田島元に付いて話をしていた。
 「クソウ、日本にもあんなハードパンチャーが居たとは、仁藤など物の数じゃ無いが、田島は今の内潰しておきたい」
 マネージャーの、ドン・プリは、もう、今日の試合の事など考えていなかった。
 高々WBCの世界7位の癖にと、イライラとテイレスポーツを翻訳して貰い飲んども読んでいた。
 「ドン、田島は近い内に潰す、気にすんな」
 セル・ボタリオは、バンデージを巻いた右ナックルを宙に放ち、気合を入れた。係員がセルの出番を告げに来た。白い下地に金の刺繍の入ったガウンを羽織り、ジャンプして通路へと出て行く。
 「いよー、噛ませ犬-」
 客の酔っぱらいが、汚い野次を飛ばす。付き添ってきた米山ジムの会長米山は、野次の男を睨み付けてリングサイドまで歩く。
 リング上に上がり、セルは軽くシャドーをして、対戦相手の仁藤を待つ。米山はセコンドとして今夜は着く。
 (仁藤友作選手の入場です)
 ワーと客が盛り上がり、仁藤友作が、赤いガウンで出て来る。途中通路で、客から花束を受け取りニコヤカに、入場して来た。
 観客は静まり返り、仁藤とセルはリング上で相対した。
 (本日のメインイベント、WBA世界ランク戦8回戦。青のコーナー、123パウンド2分の1、セル・ボタリオ~)
 「お~やられ屋、今夜も田島の時見たくお寝んねしなー」
 リングサイドに空き缶が飛んでくる。マネージャーのドン・プリは拾って係員に渡す。
 (赤コーナー、WBA世界フェザー級第4位―仁藤友作―)
 観客の歓声が地鳴りの様に響いた。仁藤は17歳のその溌溂としたパフォーマンスで女性客も痺れる。
 対するセルは16歳でも、地元びいきの観客には外国人は受けが悪かった。
 リングアナウンサーの呼び出しが終わり、インターバルに着く。
 両者コーナーで待機し、作戦を練っていた。
 1分のインターバルが終わり、両者リング中央に寄る。
 青いリングに血の染みを残しながら、それをボクサーは踏みしめて戦うのであった。
 カィーン、ゴングが鳴らされ、両者中央に寄り、グラブをチョコンと合わす。2人は様子見をして軽く牽制をしあい。ジャブを繰り出す。
 3分間相手の間合いと、手の内を探り合い、有効打は一発も無く1ラウンドは終わる。
 第一ラウンド終了、ゴングが鳴る。
 「オイ、もっと突っ込んで良いぞ、南米野郎、田島の馬鹿とスパーしてイカレテルかも知れない」
蟹江会長は益々、セルを甘く見て舐めていた。
 「しかし、会長奴のあの筋肉は普通じゃない、パンチが有るかも知れません」
 仁藤は、慎重に行こうと思っていたが、会長が2ラウンドで決めてしまえと言って聞かない。
 第二ラウンドのゴングが鳴る。
 ラウンドツー。
 ラウンド開始のゴングと共に、仁藤は軽快なフットワークで、左のジャブを連打してくる、セルは華麗に避けて、3発繰り出される仁藤のジャブの隙間を掻い潜り、左のジャブで返す。仁藤は突っ込んで、フック、ライトだ、アッパーショートのも空振りに終わり、セルのボディー攻撃に、打って出た。ボディーを狙われたセルは、固くガードをし、アウトサイドに逃げて、これをやり過ごす。次に、仁藤は接近して、セルの左右の顔面へ、ショートフックを入れる。これには、セルも少し効いた様だ。
 2分を回り、セルはディフェンスから攻勢に出ようとした矢先、仁藤が今度はアウトサイドに逃げる。
 カンカンカン。
 終了のゴングが鳴り、両者コーナーへ戻る。
 「セル、奴は調子に乗り過ぎているきらいがある、次の回行けたらKOして良いぞ」
 「奴はボクシングは上手だが、喧嘩は弱い、出鼻をくじいてやります」
 カィーン・ラウンドスリー。
 3ラウンドが始まった。仁藤は又しても攻撃的に手数を出して来る。セル・ボタリオは、足を止め、ノーステップブローを左右に仁藤に放つ。仁藤は、鼻に一発顎に一発浴びて、鼻から血が滴り落ちる。
 「オイ、仁藤、友作、逃げて戦えオイー」
 仁藤は、頭に血が上り、ブルファイターの様に、右のストレートの大振りをセル目掛けて放つが、セルのジャブが鼻に3発ヒットし、血が又もや滴り落ちて来て、マットに血飛沫が飛ぶ。セルは、一発出そうとした仁藤の右のカウンターを、スウェイして避けて、空振りに終わらせる。セル・ボタリオは、仁藤の空いたボディーにブローを叩き込み、3連打を入れる。仁藤は苦し紛れに、右のフックを入れる。セルは少し効いたが、仁藤のガードが下がった瞬間に、左右のストレートの連打を仁藤の顔面に叩き込む。
 「ア~やられた~」
 「バカヤロウ、ガード下げたな~」
 観客が総立ちになり、リングを見据える。セルは、グロッキー寸前の仁藤の顎にアッパーを入れる。
 ダ―ウン。
 レフリーは、仁藤の瞼を指で開き、ゴングを要請する。
 カンカンカンカンと10カウントゴングが鳴り、マットでは血を大量に流して白目を剥いている仁藤友作が、転がっていた。
 「帰ろうぜ、ケビン、赤いバラは異名通り、赤く終わったな」
 ケビン・グレードは、最後まで見て帰ると言っていたので田島は先に表へ出て、久し振りにタバコを買い、ラッキーストライクの封を開けてみた。
 紫煙がとても青く、咽て目が痛い。
   セル・ボタリオと仁藤友作の試合が終わってから4日が経つ。田島元は、次の試合のマッチが組まれず、只只管練習に励んでいた。
 ケビン・グレードは日本ボクシング協会の、大田番睦の所へ、出向いていた。次のマッチが組めない時は、アメリカにサーキットに出るつもりでいた。しかし、日本で1試合、出来れば東洋太平洋のタイトルマッチを組んで貰いたく、直訴しに行っていた。
 「あのな~、現・信完な、田島とは試合したくないと言って、逃げてるぞ」
 大田番睦会長は、呆れ顔でケビンから貰った、高島屋の商品券を手にして言った。
 「会長、じゃ、世界ランカーとか立浪と試合させて~よ」
 「いや~お金使うけどケビンさん、お金あるの?スポンサーから引き出せば良いじゃん?」
 ケビンは少し迷ってから、言葉を選んで言った。
 「東都TVも、又東洋戦か世界戦の放映したいらしいけど、社長が田島嫌いでね、中々予算が降りないみたい」
 「ウ~ン、困ったね、ホセ・ロサリオが、聞くところによると、田島を名指しで勝負したがってたけど、WBAのランク外の田島君だから、ノンタイトルのエキシビジョン止まりになっちゃうよ」
 大田番睦は、外出すると言って、席を立つ。ケビンは、仕方なく帰る事にした。
 その頃、岡崎スーパージムに、一人の珍客が舞い込んできた。
 その男、色は浅黒く、革ジャンを羽織り、ブルージーンズで、スニーカー姿で、ジムに入ってきた。
 一目で外国人と分かる。
 「オイ外人さん、勝手に入って来ちゃ駄目だよ」
 門田トレーナーが、日本語で怒鳴りつける。
 男は、スペイン語で何か言っているが誰も分からない。
 奥で寝ていた一休は、ハッとなり、身を起こす。一休は、競馬新聞を丸めて、男の方を見る。
 「オイ、セルじゃないか何しに来た?」
 セル・ボタリオは、ボストンバッグから、6オンスのグラブを出して、タジーマ、タジーマと、何か喚いていたが、スペイン語が分かるのは一休だけであった。
 「一休さん、何言ってんのこの人?」
 一休は、顔が真剣になり、セルの方へ歩いて行く。
 「一休、タジマとファイトしたい、タジマは何処だ?」
 セルはどうやら、田島と一戦スパーリングをして、帰国したいと言っている。
 「田島は今ロードワーク中だ、世界ランク4位になったお前さんが、道場破り見たいなことして良いのか?」
 一休は、そこまで言うと、疲れてソファーに座りセルを誘う。
 セルは、ソファーに座り、田島にこの間スパーリングをして貰ったお礼がてら寄ったと言う。
 「そうは言うが、田島がお前の事壊すぞ、奴は試合が無くいきり立っている」
 「ノープロブレム」
 セルは、英語で一言言ってニコリと笑う。
 2人は、何か話し合っているのを、門田は首をかしげて見て見ぬふりをすることにした。
 田島は、10分程して帰ってきた。ソファーに座っているセルを見つけて、ニヤリと笑い、やはり来たかと言って汗を拭う。
 「それでなくては男じゃねぇぜ、スパーリングしたいんだろ、早くリングに上がれセル」
 セルに一休が通訳してやり、セルはにこりと笑い、その場で服を脱ぎ、6オンスのグラブを持ち、リングへ上がる。
 「オイ、田中、俺の6オンスも出して持ってこい」
 田中米久から、6オンスのグローブを受け取ると、バンデージを巻き、グローブを田中に付けて貰い、リング中央でシャドーボクシングをする。シャパッシュッと小気味良いパンチを出して、軽快なフットワークを見せる。
 セルも門田にバンデージとグラブを付けて貰い、軽くシャドーををして、リング中央に立つ。
 「ヘイ、セル、3ラウンドで良いか?」
 「OK充分だ」
 ゴングが鳴る前に2人はリングで殴り合う。セルの左ジャブが田島に当たり、田島の右フックがセルのボディーに食い込む。
 3ラウンド終了し、2人は血みどろになりヘトヘトになりリング上で座る。
 「タジーマ、次は世界戦で会おう」
 一休が田島に通訳する。
 「世界か、俺は立浪を倒して、世界チャンプになる、統一選でもやるか?アハハハ」
 セルは、治療を済ませて、岡崎スーパージムを後にする。

  







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