第5話 猫と女王【後編】

文字数 25,946文字


 薄暗くじめじめとした広大な森の中、隠れ家の洞窟に運ばれてきたのは30名以上の獣人とエルフだった。ある者は肩や太腿に複数の矢を刺し、ある者は腹部に斧を叩きつけられ息も絶え絶えに愛する者の名を繰り返し唱えていた。
 森の薬草師マハカーは額に大粒の汗をかきながら彼らの傷口を丁寧に確認した。“助かる者しか助けられない”。それが彼の口癖ではあるが、正直皆傷が深い。止血出来たとしても再び戦士として回復できる者はいるだろうか。そういう意味で言えば助かる者はせいぜい5、6人だろう。
 最近は特に酷い。大陸中の獣人族や森のサンエルフ達を保護し、護衛する度に襲撃を受けては誰かが命を落とす。人間以外は人間じゃない。アスラ真教が解く種族優勢思想の成れの果ては戦争。故に彼らは運がいい。生きて森にたどり着いた。
 
「マハカー!マハカー!早くこっちだ!肺が貫かれてる!息が!トナーリ!!」
 マハカーはその男の胸を貫いた矢を見た。矢を抜けば即死する。そのままでも胸腔内出血や炎症や感染により死ぬだろう。「彼はもう助からない。ケルレトの水が幾許か痛みを和らげる。苦しませたくないのなら矢を抜いてやれ。」
「……そんな!!」
「現実だ。ネト。マハカーには治せない。」
「くそぉぉぉぉ!!!」ネトは野戦病院と化した洞窟の中で叫び、泣き、男の胸を貫通した矢を一思いに抜いた。その瞬間、マハカーの目にはトナーリが少しだけ微笑んだ様に見えた。
 
 マハカーは一通り治療を終えると、森の聖域、族長のいる神殿へ足を運んだ。

「老アリューネ。牙狼にはこんな事は辞めさせるように言ってくれ。マハカーは耐えられない。いったい何人死んだ!我々の同胞が死にに行く姿は見たくない!エルフもだ。なぜこんなことになる!」
「……マハカー。ありがとう。先にネトより報告を貰った。すまない我が友よ。我らも牙狼も同胞達を見捨てる事が出来ないんだ。何かを変えなければ、何も変える事が出来ない。だが我々はケルレトの森の民なんだ。醜い、獣なんだマハカー。……彼らを救ってくれ。」
「そうか。老アリューネ。尽力しよう。だがそれは森と森の民を危険に晒すだけだ。守るために死ぬ事が何故正義であると言える。神々は常に見ている。呆れられぬようにな。」
「……牙狼と話そう。ありがとう。マハカー。」
「ではな。洞窟へもどる。」

 ……獣人族にはもう生きる場所がないのか。

 森はもう焼かれ始めている。翻意にしてきたエルフの村が片っ端から襲われた。牙狼は彼らを守るために戦うと誓いキバ団を結成した。キバ団は強い。紛れもなく近隣諸国より恐れられ大陸中の奴隷となった獣人族やサンエルフ、ダークエルフ達を保護し森に連れてきた。紛れもない勇気に満ちあふれた価値ある行動だった。
 だが潮目が変わったのはヴェゼット公国にレメナード・バッカス女王が即位してから。女王は大陸から力自慢の荒くれ者達をかき集め非人間族を淘汰すると宣言した。目撃情報には褒美を。殺せ。そして生きて捉えれば褒美を与えた。人間など弱く儚き命だ。獣人族には力があるのにこうも狭い世界に追いやられてきたのは何故か。数には勝てないのだ。人間は賢い。あまりにも、賢い。

 マハカーが洞窟へ戻ると、また1人、顔に薄い布を被せられ息を引き取っていた。その男の横に膝まづき祈りを捧げた。

「あぁ……。ライラよ……。森は焼かれ、民は分断する。神々は何を望む。この者の生に意味はあったのか。マハカーは信じない。マハカーは望まない。森など消えてもマハカーは同胞の命が大事だ。母なる大自然ライラ……。滅びへの道を辿るのなら、共に滅びよう。」

 マハカーはまだ息のある、横たわったキバ団の負傷者に水を飲ませた。
 


 ――――――――――――
 


 ケルレトの森の神殿には、老アリューネの招集により族長達が集まっていた。月光族の老アリューネ、狐のフォンアビ、猪のチョーツ、ダークエルフの女戦士ヤエ。そしてキバ団の“牙狼”ハイゼ。
 会合の肝はやはり襲撃されたキバ団の護送団について。そして、動き出したヴェゼット公国とアスラ真教。
 
 彼らは焦っていた。数百年、いや、数千年か。ケルレトの森に攻めようとする能無しの国王は未だかつて誰もいなかった。森を敵にすれば必ず報いを受けると理解していたからだ。ライラの加護を受けた歴代の守護者達は上手くやってきた。戦火の北方のど真ん中にありながら獣の王国は独自の発展を遂げた。だが、文明を進化させていくのは常に人間達だった。
 森に引きこもっている間に、気がつけば世界は加速していった。

 ――ケルレトは変わらねばならない。
 
「ゴホン!ヴェゼット公国がカランへ大規模な進軍を行った事はご存知か!?老アリューネ。ゴホン!キバ団を動かしたのはあんただろう!!何様なんだ!あんたは兵を死地に送り、案の定兵は死んだ!ゴホン!これが月光族のやり方か!」フォンアビが机を叩きながら声を荒らげる。そして咳き込む。
「黙れ卑しいキツネめ!貴様らは森に篭って勇敢な戦士を嘲笑うだけの臆病者だ!!チョーツの男達はエルフ狩りと戦い奴隷達を解放する為に戦っている!キバ団に並ぶ戦果だ!我々は待っている。レッドソーと一緒にカランへ赴くべきではないか!!!」猪のチョーツもまた低くくぐもった声を震わせた。
「なんだと!!チョーツ!!ゴホン!我々を臆病者だと!!!ふざけるな!」
「チッ。あんたら黙りな。アタイからも報告だよ。」森のエルフを束ねるヤエは森周辺地域のエルフ族の現状について語った。
「ヴェゼットのエルフ狩りはもう軍隊のように巨大な勢力となってんだよ。アーネン、マトーリン、アラカム村が灰となった。知っての通りさ。アラカムについては牙狼、あんたが気に入ってたハルとフィオンが運良く逃げたみたいだけどね。残念ながら血の鷲団に追われているよ。」
「………………。」牙狼ハイゼは腕を組んで黙る。
「なんだい。いつから情の欠片もない男になったんだい?まぁいい。ヴェゼットは非人間族に容赦しない。かち合った瞬間に剣を抜かなければ殺される。って事だよ。カランの護送団は気の毒だが、問題はカランのヴェゼット軍だけじゃない。北の玄関口、アラカムが抑えられた時点でこの戦いは詰んだ。って話さ。いつ攻めてきてもおかしくないってのに森の北側は弱いんだよねぇフォンアビさん。」
「なんだと!ヤエ!ゴホン!貴様も我ら一族を侮辱する気かああ!!!」フォンアビはまたも机を叩いて激高する。その声は神殿中に轟いた。ヤエは一瞥し上座に鎮座する白毛の老猫と目を合わせた。
「老アリューネ、あんたはどう見る。レッドソーと手を組みヴェゼットとやり合うかい?それともライラ様とキバ団を信じて“森”を守る為に戦うかい?はたまた別の道、あぁこれは口に出しちゃいけないねぇ……。へっ、決めなきゃいけないね?アタイはいいよ。獣人族じゃない。ライラよりソルマニを信じてるからねぇ。どうなってもアタイら森エルフはケルレトのアンタらに救われた恩を返すよ。」

 老アリューネは静かに口を開けた。
「老アリューネは思う。かつて我ら獣人族は、ロロ島の争いを嫌い大陸に居場所を求めた。先祖達は争いに敗れ各地に売られたが、勇気ある若者達がライラ様の宿る宝玉を見つけ出した。奴隷解放を掲げこの森に安寧の地を築いた。そしてこの神殿に辿り着いた。その石はライラの加護として我々は森と共に守ってきた。“運命”に導かれた。老アリューネは同胞が死ぬのをもう、見たくはないのだ。マハカーもそう言った。戦わせたくない。仲間も見捨てたくない。老アリューネは若くない。森は焼かれる。ヤエ……。お前の言う通りかもしれない。歴史の過ちを正す時なのかもしれない。」

 老アリューネは尚も黙った牙狼ハイゼに問いかけた。「ハイゼ。お前は。どうしたい。」

 牙狼はゆっくりと立ち上がる。そして、その大きなキバの生えた口を天井に向け、吠えた。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!」

「…………。」怒りと憎しみと、どこか悲しげな叫びはその場の誰も寄せ付けず、孤高であろうとする牙狼の全てを物語っていた。

「黙ってろ!!ボケた能無し共!!俺は!!!牙狼!月光族と共にライラの加護を受けた森の守護者だ!!森は俺の故郷だ!!そして全ての獣人族の最後の楽園だ!!老アリューネ!あんたがキバ団のやり方を気に入らないのは知っている!だがそれが何だ!同胞達の為に戦う事が俺の全てだ!!キバ団はそうやってきた!兵士だと?一緒にすんじゃねぇ!そこにいる全ての者には名前もあり家族があり守る為に戦っている!死ぬ覚悟は皆持ってる!!…………ライラ?フライラ?ソルマニ?名も無き巨人?イス?ミネルヴァ?アスラ?そんないるかも分からねぇ巨人族を当てにする気もねぇ!!俺は太古の昔、森を守るために命懸けで戦った男、“賢者エナメル・フローレンローン”と、森で育ち、渦の厄災を収めた勇者“反逆の女王リュカ・レンスタ”を崇める!!……………………へっ、ジジイ。気が滅入りそうだよなぁ。ロロ島へ帰る。っていいてえんだろ?ヤエ。そうなんだろ!!!!黙ってんじゃねぇよ!!!!年寄りの戯れ言はもうたくさん。ウンザリだ!!!!」

「…………。」誰も牙狼に口を挟む者はいなかった。

「キバ団はアラカム村を取り戻す。ハルとフィオンがいつか帰ってきた時の為に。俺は仲間を見捨てない!老アリューネ。」
「なんだ。牙狼。」
「1人になっても俺は森を離れない。」
「そうか。老アリューネはお前に死んでほしくないのだ。他の者も。」
「なるほど。…………潮時だ。獣人族のいく末はあんたが決めればいい。俺に付いてくる者はそうすればいい。フォンアビ、チョーツ、ヤエ!キバ団か老アリューネか決めろ!!ロロ島に帰りたい奴はそうすればいい!!」

「………………。」
 黙り込むしかなかった。牙狼の言い分も、老アリューネの気持ちも痛いほど理解できた。ケルレトの森は変わらねばならない。その通りだ。何かが始まれば何かが終わり、何かが終われば何かが始まる。

 そして、何かによって否応なく終わらせられる事も世の常である。“そういう類いのもの”はいつも唐突に訪れる。

「族長!!!兄さん!!!大変だ!!」
 突如、会合中の神殿にキツネのモンアビ。――フォンアビの弟――が駆け込んできた。
「大事な集会中だぞ!何事だ!」フォンアビが弟を怒鳴りつけたがよっぽどの事なのか彼は構わず続けた。
 
「ヴェゼットの女王、レメナード・バッカスが現れた!!」

 ガタン!!

 ヤエは飛び上がり剣に手をかけた。「流石だねぇ。天下のレメナード。数は?規模は?どこからだい?」
「いや、それが……。違うんだ!女王1人で来た!今は“水地区”に兵士10名で拘束している!!話をする為だと。族長、老アリューネと牙狼との対話を望んでいる!」
「チッ。なんのつもりだよ。森に1人でだと?女王自ら偵察?交渉?……殺せないねぇ。魔術師が隠れてるかも。アンタらどうする?」

 ハイゼは立ち上がる。「行こう。我らの敵の顔をようやく拝める。」
「牙狼……。早まるなよ。罠の可能性も考えてくれ。老アリューネは話を聞く。参ろうか。」
 


 ――――――――――――
 


 ――かの希代の女帝――
 
 ヴェゼット公国女王レメナード・バッカス。
 別名“復讐の蛇”。
 
 父親であるステュアート・バッカスは美形で聡明、政治も剣の腕も抜群に優秀だった。だが反面、短気で気が多い男でもあったという。
 彼は辺境の貴族の令嬢、フルカ・フランチェスカを政治的な理由で妻に迎えいれた。だが、彼女には問題があった。右目の周りには生まれつき炎の火傷のような傷が付いていたのだ。ステュアートはそれでも彼女を愛した。

 ―――フリをした。
 
 ステュアートはヴェゼットのエルフ族の村に足しげく通っていた。エルフ族との繋がりを強める為視察へ。ある日彼はとても美しいエルフの農民と恋に落ちた。何度も通い、馬小屋で愛し合った。その頃から、フルカを無視し始めた。お腹には子がいたのにも関わらず、ステュアートはフルカをいない者として扱った。それでもフルカはステュアートを愛していた。馬小屋のエルフのお腹にも子供が出来ていた。ステュアートは、エルフを宮殿に招き入れた。
 フルカは問い詰めたがステュアートは聞かなかった。そして暴力を振るい、地下牢へと閉じ込めたのだ。民に死んだと偽って。エルフの名はセイラン。セイランを侍従として雇い、やがてハーフエルフの娘が産まれた。やがてまた、セイランは妊娠した。フルカもまた地下牢で子を産んだ。生き地獄だった。兵士に何度も殺せと言った。ステュアートはフルカの事を忘れていた。

 セイランが1度地下牢へ会いに来た。
 
「バカな醜女。ステュアートは私と私の子を愛しているわ。忘れ去られて……滑稽ね。でもあなたは殺さないわ。あら?貴方の子。あっはっはっ!顔の傷までそっくりなのね。あっはっは!バカな女ね。私、正式に妻となったわ。せいぜい醜い娘と一緒に野垂れ死んで。」

 フルカは絶望した。ステュアートを愛していたからだ。

 セイランのお腹には2人目がいた。それでもフルカはステュアートが会いに来る事を祈った。さらにセイランが3人目を産んだ事、4人目を妊娠した事を兵士から聞いた。

 ――幽閉されてから10年が経った。

 フルカは地下牢で、死んだ。

 死後、ステュアートがレメナードに会いにきた。地下から出され、5人目の子供として扱われた。レメナードは何も分からなかった。地下に居たからだ。セイランの子は皆が女の子だった。当たり前のように顔の傷のせいで虐めを受けた。だがレメナードは母の教えを守った。何度も何度も聞かされた。
 
「必ず時がくるわ。レメナード。待つのよ。じっと。何年も。何年も。それからよ。…………殺すの。」
 
 レメナードは右目に眼帯をした。じっと待った。沢山勉強した。さらに10年が経った。そしてその時がきた。
 ステュアートが不在の夕食。

 ――あぁ、もうその頃には新たな女エルフを捕まえ、馬小屋で馬の如く性欲を発散させていただろう――

 ワインに毒を盛った。
 
 娘4人は、血を吐いて次々に倒れた。産まれて初めて食事が美味しいと感じた。セイランだけは、母が死んだ牢に閉じ込め何度も何度も馬乗りになってナイフで刺した。いつの間にか死んでいた。快感だった。だが足りなかった。買収した兵を使い、父親に近い兵士を皆殺しにした。そして憎んだ。
 母は自分を産んで死んだと偽り、牢に閉じ込めたステュアートを憎んだ。母は最後まで愛と憎しみに苦しんだ末死んだ。目の前で。
 誰かが父親に密告したのだろう。父は宮殿に帰って来なかった。父を探し出し殺す。それが内戦の火蓋となった。
 父の側近は優秀。“鉄斧”のゴルディ・ゴードン。“千里眼の魔術師”シビル。剣士ナウドビッチ。彼らは強かった。
 かなり時間はかかったがアスラ真教の魔術師を使い、父親ステュアート・バッカスを追い詰めこの手で殺した。ついに王位を得て、女王となった。
 
 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。

 エルフが。

 エルフ族を根絶やしにしてやる。エルフ狩りだ。

 それが“復讐の蛇”レメナード・バッカスの王位継承の物語である。
 

 ……そのレメナードが、たった1人でケルレトの森へ来たという。何もない訳が無い。今ここで戦争が起こる可能性すらある。牙狼と老アリューネを先頭に、3人の族長は後に続いた。

 

 ――――――――――――

 

「あらあら、早かったわね。初めまして獣人族の皆さん。初めてケルレトの森へ足を運んだわ。ジメジメして、あぁ、いいわね。牢獄みたい。好きよ。へぇ……。」レメナードは面々を見回した。
「全員もれなく私を殺したい。って顔に書いてあるわよ?」
 漆黒の長髪、漆黒の洋装。漆黒の眼帯。だからこそ映える色白の肌。レメナードは余りにも異様で、異質な、無機質な目を晒していた。

「貴方が我々を苦しめているレメナード陛下か。老アリューネと話をしたいそうだな。族長だ。何が目的だ。」老アリューネが声を発するや否やチョーツとヤエが剣を抜き女王へ向ける。彼女は微笑を崩さない。
「あらあら。私を殺せば森が焼ける事になるわ。」
「出来るものか。俺を忘れたか?」ハイゼが前にでる。
「あらやだ!忘れないわよ!噂の牙狼ちゃんね。……出来るわよ。私の要求を飲まないなら森に炎が降り注ぐ事になるわ。」
「レメナード女王。老アリューネは話を聞こう。もう我々の同胞を傷つけないでほしい!森から手を引いて欲しい!!神々の怒りを買うぞ!!!」
 
「あらあら、話しが早くて好きよ?ダンディ・アリューネ。貴方達ケルレトの森の民、キバ団。貴方達に手を出さない代わり、ヴェゼットの為に戦ってくれないかしら?」

「なん、だと!?ふざけるなぁぁぁ!!!ウォォォォォォォォン!!今ここで殺してやる!!!貴様も!ヴェゼットも!俺が潰してやる!!」牙狼はその鋭い爪を立てた。
「やめろ!!抑えろ、お前達!」チョーツ、ヤエ、フォンアビ、モンアビの4人がかりでハイゼを制止した。
 
「女王。本気か?」老アリューネは静かに睨みつける。
「あらあら、怖いこと。炎の雨は本気。3日後の正午までには答えを出してもらうわ。アラカムの駐屯兵へ報告がなければ……。ね。分かるでしょ?何千年、かしらねぇ。ケルレトの運命が定められる時。あは。楽しみにしているわよ。」
 
「何故だ。」
 
「勝ちたいからよ。ふふふ。案外敵は味方かもしれないわ牙狼ちゃん。それに獣人族、……案外チャーミングね。それではごきげんよう。」不気味な微笑を浮かべたまま、希代の女帝レメナード・バッカスは森の中に消え去っていった。

 レメナードの無機質で虚ろな目の奥の黒。
 
 流石としか言えなかった。敵地に1人で乗り込んでは場を全てかっさらう。女王を殺せば森を焼かれる。要求を飲まなければ森を焼かれる。ただ待っていても森は焼かれる。
 
 ――突きつけられた獣人族の現在地。

 死にたくなければヴェゼットへ行くしか道はないのかもしれない。だが森を開け渡せばこの地よりアンブリデンや南方への扉を開く事となる。加速するのは戦争。
「牙狼よ。」
「フゥ!フゥ!まさか、じゃねーよな?」
「致し方ない事もある。皆で逃げるか、ヴェゼットか。」
「フゥ!違う!!戦う道がまだ残されてる!!俺は、森の守護者!!牙狼だ!!フゥ!フゥ!許さねぇ!絶対に許さねぇ!レメナード。殺してやる。」



 ――――――――――――


 
「あっはっはっ〜!レメちゃん!ご苦労さまだったね〜。」
 森を抜けたレメナードを飄々と出迎えたのはヴェゼット公国宮廷魔術師のバコスデだった。
「蜘蛛は森に放してやったぞ。盗聴のカオスは気づかれないんだろうな?」
「大丈夫だよ〜。ケルレトの森自体がカオスの塊だからね。それよりも僕は本当にミーナ王女が現れるかの方が心配さ。」バコスデはレメナードの黒い髪をひと束手に取り匂いを嗅いだ。
「お前が焚き付けたんだろう?」
「宮殿にいた人は1人残らず、ね。それにたっぷり可愛いがってあげたよ〜。絶望の中の絶望の淵で素晴らしい夜だったよ。ブーリ卿も満足していたしね。王女の部屋から出てこれないって噂も本当なら怪しいよ〜?やり過ぎたって反省してるくらいさ。」

「はっはっはっ!!ミーナ・デルフィニウムは必ず現れる!!分かるんだよ!!あの娘は特別だ!!私と一緒なんだ。強く、賢く。」レメナードはバコスデの顎をクイッと持ち上げた。「そして脆い。」

「レメちゃんは脆くないよ〜?」
「バコスデ。お前には分からない。」レメナードはキスをした。
「...ん。んっ...///」
「ふっ。バコスデ。」
「なんだい?」
「奴らがミーナ・デルフィニウム側に付くなら、3日を待たず森を燃やせ。」空を見上げる。上空一面、真っ黒い雲が覆い渦を巻いていた。「今日は天気が素晴らしい。」
「アスラ真教をこうも手駒にした王はレメちゃんだけだろうね〜。……獣人族がヴェゼットに来たら?」
「はっはっは!バコスデ!!…………皆殺しだ。」
 
「あの娘の言う意志の力とやら。そんなもの復讐の炎で燃やし尽くしてやろう。私はレメナード・バッカスだ。汚らしい獣を一掃しカランを越える。南を奪ってやる。そして東へ、我の力を見せつけてやる。全てのエルフを、根絶やしにしてやる!!」
 
「……レメちゃん///……かっこいい!」
「バコスデ、城へサーチしろ。気分がいい。今日はたっぷり褒美をくれてやる。」
「喜んで…///」

 ミーナ・デルフィニウム。あのエレオノーラの孫。他のどんな王よりも頭が切れる。素晴らしい。素晴らしい。何もかもが自分とは正反対。“ひとりぼっち”である事以外は。
 しかし考える事は一緒のようだ。獣人族を引き入れるか落とすかで戦局は一気に変わるというもの。温室育ちの小娘に格の違いを見せつけてやる。カランを越えれば一気にヘスムスまで進撃できる。ノーラ港を手に入れれば大陸中の航路にアクセスが可能となり、ヴェゼットはもうレスデンすら凌ぐ強国となるのだ。

 レメナードはゆっくりと眼帯を外した。右目についた醜い痣を指でなぞりながら、復讐の炎をたぎらせてはまた微笑んだ。


 
 ――――――――――――
 


 …………2日が経った。

 未だに彼らはまだ話し合いを続けていた。もう猶予はないというのに。
 森の中でも不穏な噂は立つものだ。レメナードの登場は戦争を予感させ、ライラに見捨てられただの、森を捨てるべきと嘆く者や、戦いに転じるべきだと憤る者がいた。

「何も結論はでない。チョーツの男達はキバ団と共に戦う道を選ばせてもらう。ヤエ、お前は。」
「我ら森エルフもだよ。そもそもヴェゼットの軍門に下ればエルフ族は処刑されるからねえ。……これが最終決断か。仕方ないねぇ……。老アリューネ。もう時間はないよ。フォンアビは民を連れてヴェゼットへ経つ準備をしてる。月光族はどうするんだい?宝玉を持ってロロへ向かうか?戦わない民を連れて。」

 老アリューネの腹は決まっていた。森と共に滅びる道だ。だが、森の民全てを犠牲には出来ない。ロロ島へ行く道もある。最後の最後まで煮え切らない。自分が皆を導く事に疑問の声を抱く者がいると理解している。そういう事だ。長老として、最後の務めを果たさないと。

 老アリューネは、聖域の奥に祀られている橙色のライラの宝玉と、猫の銅像の前に立った。
「ライラよ……。貴方の加護によって守られてきたケルレトの森はもう。終わりの時を迎える。……。済まない。老アリューネの代で終える事になる。…………私は!!もう我ら同胞の命が消えゆく様を見たくないんだ!!わかってくれ神々よ!!ライラ!フライラ!名も無き巨人よ!!……………………………………ヤエ、チョーツ。民を集めるんだ。」
 
 老アリューネの迷いは未だに消えていない。どうしたらいいのか誰も分からない。強いて言うなれば戦争が全てを狂わせた。憎しみの連鎖。怒りと憎悪は万物を飲み込んでいく。

 ヤエは老アリューネを抱きしめた。
「老アリューネ。ライラに祈っても無駄とは言わないけど。ここに居るかも分からない不確かな希望にすがってはいけないよ。今生きてる者が大事だ。老アリューネ、最後の仕事だよ。」
「ヤエ、済まない。済まなかった。私が長で。……済まなかった。」

 老アリューネは祭壇の宝玉に手を伸ばした。触れた瞬間。

 “そういう類いのもの”は唐突にやってきた。

「老アリューネ!!ヤエ!!大変だ!!!」
 
 月光族の戦士ネトがゼィゼィ息を切らし神殿に駆け込んできた。
「ネト!?なんでキバ団がここにいるんだい!まさかヴェゼットが侵攻してきたか!?」
「違う!!」ネトは一呼吸起き、スゥーっと息を吸い込んだ。

「ヘスムス王国の女王、ミーナ・デルフィニウムがアンマーチの魔術師オラリア。そして、ロロ島の月光族を3人引き連れ森に現れた!!話をしたいと言ってるが牙狼は怒りのまま……。風地区で現在交戦中!!」

「なんだと!?行かなければ!」老アリューネは宝玉を手に取り、チョーツ、ヤエと共にネトに続いた。

 パラパラと雨が降り始め、黒い雲が空を覆っている。「嵐が来そうだ。」老アリューネはライラの宝玉をぎゅっと握りしめた。



 ――――――――――――



 ミーナはオラリアの案内の元、森の中を進んだ。巨大な木々が頭上を覆い、辺りはどこまでも薄暗くジメッとした湿気にじんわりと汗が滲む。
「ペルシャ、ベンガルの側を離れるな。いつ何が起きるか分からない。」ベンガルはペルシャの肩を寄せた。
「ミーナさんはソマリの後ろを!」ソマリは生い茂った草木をかき分け、ミーナの通る道を作りながら進んだ。
「ソマリ、ありがとう。」
「いえいえ!ソマリはミーナさんの役に立ちたいんです。」
「ところで、ベンガルとペルシャは仲が良いのね、付き合ってるの?」
「あ〜。キャプテンは姫が好きなんですけど、姫はあまりそういう事に関心がないというか。片想いです。でも今回の旅で急接近ですかね!!」ソマリもまた……、こうデリカシーがないというか、何故わざわざ聞こえる声で言ってしまうのか。
「ソマリ!!ベンガルは聞こえているぞ!?余計なお世話だ!」ペルシャはクスクス笑っていた。

 前を進んでいたオラリアが急に立ち止まる。
 
「貴様ら。緊張感を持て。そろそろ獣人族の居住域、風地区だ。牙狼のキバ団が潜伏している。この先はどこから矢が飛んでくるか分からないぞ。」
「待て。」ベンガルが目を閉じ気配を探った。「もう遅い。ベンガル達は囲まれた。」
「何人ですの?」ミーナは見渡すが敵の姿は見当たらなかった。
「10人くらいだ。」
「この先は平地だ。この森はカオスに満ち溢れているからな。矢で攻撃されても問題ない。我が貴様らを守ってやる。エン・ソーデ。」オラリアは光の剣を右手に構えた。そして大声を張り上げる。「森の戦士よ!!我はアンマーチの宮廷魔術師、オラリア・アン・セグイである!!貴様らの同胞を連れてきた!!我らに刃を向けるなら、容赦はしない!!」
 反応は無かった。「進もうか。我に続け。」

 道無き道をかき分けようやく広場に出た。が、そこには多数の獣人とエルフが矢をつがい待ち伏せしていた。ひと際目立つ大男。キバを備えた狼男。彼が牙狼だろう。
 
「ふはははははは!久しぶりだな!牙狼ハイゼ!!貴様と会える日を楽しみにしていたのだ!!」

「……チッ。何をしに来た。生憎だが俺は気分が悪い。オラリア、そいつらは何だ。答えによっては蜂の巣にしてやる。弓兵!!!」ハイゼは手を振りあげた。
 
「ミーナ。貴様の出番だ。奴が手を振り下ろした瞬間、我は奴らを粉砕する。」オラリアは両手に光の剣を構え、腰を少し落とした。

 ミーナが前に出る。「ここからは私が。」
 
 ついにここまで辿り着いた。やらなければならない。
 
「私は、ヘスムス王国女王!ミーナ・デルフィニウム!ロロ島の月光族、王女ペルシャを連れてきた!私はケルレトの長と話しがしたい!獣人族の未来と、大陸の為に!攻撃するならば!我々もまた剣を抜く!!」

「チッ………………どうせてめえらも一緒なんだろうが。今更よぉ。現れて……ロロ島だと?舐めやがって。ロロ島の獣人族は俺たちを見捨てただろうが……。何百年も。…………ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!!ふざけんなああああああああああああああああ!ウォォォン!!てめえら!!!!!どうせ終わる命なら!!今ここで!!使い果たせ!!!弓兵!!」

 ハイゼは腕を振りあげた。次の瞬間矢の雨が降り注ぐ。だがオラリアの光の防御によって全てが弾かれた。

「……牙狼。貴様ぁ!!!」オラリアの顔に怒り。

「ペルシャ!ミーナ!ここはベンガル達でなんとかする!早く逃げろ!!」ベンガルは怒鳴りつけたが、ミーナは動かなかった。
「ベンガル!わたくしは逃げませんわ!全てを背負ってここへ来た!!逃げない!!私は、私は戦う!ペルシャはわたくしが護るわ!オラリア!」
「ふははは!素晴らしい!素晴らしいぞ!ミーナ・デルフィニウム!!我の剣を取れ!」オラリアは腰に下げた剣を投げて渡した。「王と話もせず矢を放つなど貴様らはやはり森の獣だ!“軍神”の前にひざまづけ!!我が最強である所以、見せてやる!!ソーサ・エン・ジル・ヴァーガス。」オラリアは“魔剣”を詠唱する。
 
「剣よ、我が羽となれ。」

 巨大な1()2()本の光の剣がオラリアを囲むように現れた。
 
「チッ。厄介な!ガルゥゥ!!全員、剣を抜け!!キバ団!森の為に死ぬ覚悟は出来てんな!!」
 “ウォォォォォォォォ!!”
 彼らは雄叫びを挙げる。
「殺せぇぇぇ!!!」牙狼の合図と共にキバ団は飛びかかった。

 ネト1人を除いて。

 ―――まずい。これはまずい。ほんとにまずい。
 
 相手は魔術師協会トップレベルのオラリアだ。僕でも知ってる!牙狼は戦えたとしても皆の命が!牙狼は間違いなく我を失ってる!ヘスムスの女王を殺していい訳がない!しかもロロ島の王女!?話さなければならない!!希望の光にさえなり得るだろ!!何考えてんだ団長は!!老アリューネに伝えなければ!!間に合え!間に合え!
 ネトは神殿に向かって走り出した。

 キバ団の様々な顔をした獣人族やエルフ、ダークエルフを相手にベンガルとソマリは剣を振るう。2人がロロ島の内乱を制した戦士といえど、10人のキバ団が相手では防戦一方。ミーナもしゃがみこんだペルシャを背に剣を振った。
「ベンガル!こっちは大丈夫!やれる!」ミーナの剣技はとても流暢に、相手の力を受け流す滑らかさを見せた。
 無駄のない動きにベンガルは息を飲む。まさにヒラヒラと舞う蝶。「ミーナ。お前、その力!!」
「お祖母様に教わったのよ!よそ見する暇はないわよ!ベンガル!!ペルシャは私が守るわ!」
「ペルシャを任せる!ベンガルはこんな所で終わらせはしない!ミーナに預けた意志を貫かねばならない!!」

 ベンガルはチラッと空を見た。
 夕刻には程遠い。変身さえ出来ればこんな逆境簡単に覆せるのに。それどころか空には黒い雲が覆っていた。だけならまだしも黒い雲は渦を巻いてうねっている。パラパラと小雨が降ってきた。ベンガルはその異様さに胸がザワついていた。
 …………不吉な予感がする。

 オラリアは宙に浮いた剣を自在に操り牙狼目掛けて次々に攻撃を繰り出す。牙狼は避ける事で精一杯だ。「どうした!牙狼!怒りに支配されては赤子も同然だなぁ!ヴァーガス・エン・グアエン!」光の剣の速度がさらに早くなる。目で追う事も出来ない速さで剣が地面に突き刺さる。牙狼は避けながら、避けられない攻撃は鋭い爪で受け流した。
「てめぇ!速くなってやがる!だが!」牙狼の姿が消える。
「ウォォォォォォォォ!!」そしてオラリアの後ろから爪を振り下ろした。オラリアはニヤリと微笑む。「剣は13本だ。」
 
 ドガァァァァァ!!
 
「クソッ!なんだと!!?」地面から光の剣が飛び出し牙狼を襲った。剣は牙狼の顎に直撃し、彼を吹き飛ばした。キバ団の動きが止まる。
「ははははははははぁ!!本気で来なければ全員死ぬ事になるぞ!覚悟は出来てるって言ってたな貴様ら。来い!牙狼!!こんなものでは死なないだろ!!」

 強い。オラリア。これがベラドンナの魔術師の力。牙狼をいとも容易く出し抜いている。彼女が居なければ最初の弓で誰かが死んでいた。
 楽しそうに戦う姿は“軍神”よりも“戦闘狂”。

 牙狼が立ち上がる。「オラリアァァァ!」牙狼が踏み込むと一瞬にして間合いを詰めた。
「なに!?」オラリアの足元に滑り込み、光の剣を掻い潜る。
 パリン!そして鋭い爪を振り抜き鎧を砕いた。「またお相子か?」牙狼は再び腕を振りあげた。そして、ミーナを見据えた。

「てめえが大将なんだよなぁ!!クソ女王陛下様よぉぉ!!ガルゥゥ!!」
 
 牙狼がミーナに向けて走り出した。爪を振り下ろす。
「くっ!早い!ダメ!」ミーナの剣は間に合わない。殺される!

 その時だった。ミーナの後ろから飛び出す。

 ザクッ!!ペルシャが庇い、顔から胸まで血だらけになっていた。
 
「ペルシャァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」ベンガルが叫ぶ。
 
「え、え?そんな。……そんな。」愕然とするミーナ。

「てめぇの相手は私だろぉ!!ふざけんじゃねぇ!!!」オラリアが光の剣全ての剣先を牙狼に向けた。

「待ってぇぇぇぇ!!!」血を流しながらペルシャが叫んだ。ペルシャからは聞いた事のない、絶叫に近い声。
「やめて!オラリア、ミーナ、ベンガルもソマリも、もうやめて!!!!」

「ハァハァ。私は大丈夫。牙狼さん、傷は深くない。同族だからですよね、大丈夫です。ハァ……ハァ……。争わないで!話を聞いて!!」
 全ての者が、ペルシャの言葉に耳を傾けた。

「わ、私達は、ロロ島獣人族です。かつて獣人族同士で争いを産み、同族を生贄に捧げてきたラビリは、私達月光族が千年の時を経て討ち果たしました。ハァ……ハァ。ですが遅すぎた。ユングの神木は枯れ、ロロ島は滅びると、ハァハァ。フライラ様より告げられました。森へ行けと。全てを正し、手を取り合えと。“花の乙女”が獣人族を導くと。ハァハァ……。ライラ様は……森にいます。加護を、ミーナ様に。ミーナ様こそ、花の乙女と確信しています。だから、だから牙狼さん。どうか、どうか。話を。争いを、やめてください!!!」
 ペルシャは膝を付いた。「ペルシャ!」ミーナは駆け寄って抱きしめた。

「牙狼よ!!やめろ!!その者の話を聞け!!」
 白毛の老猫が叫んだ。並ぶのはダークエルフ、猪の獣人。様相から高貴な身分である事が分かる。
 
「老アリューネ。何でいやがる。…………ネト、てめぇか。」
「ハイゼ!ダメだ!同胞を殺しちゃダメだ!」
「うるせぇ!!逃げてばっかりの落ちこぼれが。何を言おうとムダだ!明日には森がレメナードに焼かれる!わかってんだろ!!俺達にはもう…………明日はない。」

「なるほど、そういう事か。」オラリアは空に渦巻く黒い雲を見た。

「花の乙女か。フライラ様はロロ島にいたと。そしてライラ様は森にいるのだな……。老アリューネはその者の話を信じよう。なにより、傷ついても尚ヘスムスの娘を庇ったのが証明だろう。だが、如何せんハイゼの言う通りなのだよ。我々に明日はない。森を捨てよ、と。女帝レメナードより脅されている。明日には焼かれる。だが老アリューネも、牙狼も、民も、故郷を捨てるなどできようか。」老アリューネはペルシャの頭をそっと撫でた。「……我らの故郷はここにしかない。」
「ネト、姫様をマハカーの洞窟へ連れて行ってくれ。治療するんだ。早く!」
「分かりました!」
「ソマリ、お前も行くんだ。ペルシャが危険になればソマリが守れ。」ベンガルもすかさずソマリに指示を出す。
「了解!キャプテン!」2人はペルシャを介抱し、ネトの案内で走り出した。

「何が!何が!森の民だぁぁぁ!!!」
 ミーナは激高する。

 森が滅びる?森と共に死ぬ?覚悟が出来てる?ふざけるな。戦って死ぬ事になんの名誉がある。こいつらの事なんて何も知らない。私には何も分からない。だけど……。1つだけ分かる。同族を死なせたくない。それだけはこいつら皆が思っている真実。

「私は!!全てを背負ってここへ来た!アスラ真教に父を殺され、宮廷にいた全ての者が、愛する民が、殺された!!森が滅び、民が滅び、覚悟が出来ているだと!?何が森の民だ!本音を言え!!生きたいと!死なせたくないと!本音を言えぇぇ!!!」

 ――もういい。全てをぶつけろ。
  
「私はヘスムス王国、女王ミーナ・デルフィニウム!!かの豪傑、エレオノーラの孫だ!!花の乙女?フライラの信託?そんなものどうだっていい!!ペルシャやベンガル、皆が私を信じた!!だから応えるんだ!!私は!!自分の意志でここにいる!!ロロ島の彼らは、お前達森の獣人族を救う為にここにきた!!!滅んではならないと!!だからここに居る!!ふざけんなぁぁぁ!!それでも森と一緒に死にたいと言うなら!私が相手になってやる!!私がお前らを滅ぼしてやる!!牙狼!!お前は臆病者だ!!死んだら、明日はない!!明日を捨てる者にはレメナードもヴェゼットも倒せない!!私は、私の命が尽きるその時まで、どんな恥辱にまみれようと、世界が厄災に襲われようと!!私は私の民を!ヘスムス王国を!!守り抜く!!」

「てめぇ。俺が臆病だと。そう言ったのかぁぁぁ!」牙狼もまた叫んだ。
「よせ、牙狼!……ん?あれは?」

 その時、ミーナの目の前にサーチの渦が現れた。その中から姿を現したのは良く知る顔。“白鳥”ヨラ・ヴィンガースフィアだった。
「探したわミーナ!良かった!間に合った!」
「ヨラ!なんでここに!?」
「これは!……どういう状況!?オラリア!?」
「ヴィンガースフィア。お前が来たという事は……。やはりアレか。空か。だが悪いな。今はやめろ。」
「どうして!?まずいわよ!!アレは……!なっ!」
 
 オラリアは光の剣をヨラの喉元へ当てた。
 
「お前の女王が牙狼を相手にする場面だ。何も言うな。わかっているよ。あんな事が出来るのは奴しかいない。我々の出番はそれからだ。女狐。」
「…………そう、そういう事。剣をしまって。」ヨラはサーチの小さい渦を作り出し、その中に手を入れた。取り出したのは、薔薇の装飾が施された1本の剣。「ミーナ!これを。」

 ――ラ・シード。エレオノーラより託された剣。

「エレオノーラより貴方へ。この日の為だったのね。あの日の演舞、覚えてる?」ヨラはラ・シードをミーナに渡した。
「お祖母様の剣!ヨラ、貴方が持っていたのね。………一時も忘れた事はないわ。あの日の誓い。ヨラ、貴方に見せるわ。」

 ラ・シードを見た瞬間、老アリューネは目を見開いた。それは1300年前のエルフの英雄。反逆の女王、リュカ・レンスタがケルレトの森で手にした剣だった。別名“ライラ・シード”。
「なんて事だ。そんな事が!」

 牙狼は怒りに支配されていた。こうまで侮辱され黙ってなどいられない。牙狼にとっては“故郷を捨て、我の軍門に下れ”と言っているようにしか聞こえなかった。

 ……どいつもこいつも、もう黙れ。

 牙狼がゆっくり前に出る。
 
 ミーナもまた前に出た。ラ・シードを手に、あの日のエレオノーラと同じ構え。

「来い。牙狼。」

 他を寄せ付けず、どこまでも凛とした佇まいに全ての者が息を飲む。
 
 ――力を貸して。お祖母様!!

「ウォォォォォォォォン!!」牙狼が地面を蹴り、ミーナに向かっていく。殺意。しかし恐怖は微塵も感じなかった。

 鋭い爪が襲う。ミーナはラ・シードで受け止めた。
 ガシィィン!剣と爪がぶつかり合う音と共に牙狼の渾身の力が篭った力を利用し、反転しながら剣で受け流した。さらに体勢を崩した牙狼目掛け剣を振り上げる。
「らあああ!!!」
「クソッ!!」牙狼は腕を交差させ受け身をとったが間に合わない。切られた腕からは血が流れた。
 またもや牙狼はミーナに突進する。先程オラリアとの戦闘で見た動き。目の前から消え、素早く跳躍し後ろに回り込む。
「取った!!」ミーナの背後から再び爪を振り下ろした。

「ミーナ!!後ろ!」ヨラが叫ぶ。

 だが、ミーナは振り向きざまに半歩身を引きヒラリとかわす。牙狼の爪は空を切っただけだった。「なんだと!?」また体勢を崩した牙狼に剣を振る。女性の力で、まして牙狼の巨体に対してだ。深い傷は付けられない。切られても大きなダメージは与えられない。
 
 牙狼は何度も何度もミーナの回りを飛び跳ねた。そして腕を振り抜く。しかし何度も何度もかわされ、剣で受け流される。隙を見せれば切られている。華奢な女性が倍ある体躯の狼漢を簡単にあしらっている。

「なんだい、これは。いったいなんなんだい!?」ヤエは絶句した。“最強は牙狼”。ケルレトの森の常識だろう。

「華の剣技。ひらひらと舞い踊るように相手をいなして消耗させる。……エレオノーラ。貴方の力はちゃんと受け継がれていたわ。」ヨラの目に涙が浮かぶ。

「ハァ!ハァ!クソッ!なんで当たらねぇ!」徐々に牙狼の息があがる。ミーナは呼吸を乱さず、蝶のように舞い踊った。
 集中を切らした牙狼の動きが鈍る。ミーナは剣で牙狼の足首を切った。「クソッ!」血が流れついに膝を付く。
「ここまでだわ。私の勝ちよ!!」剣先を牙狼の顔に向けた。
 
「クソがあああああああああああああ!!!!!俺が!こんな娘にやられたのか!?ふざけんな!ふざけんなああああああああ!!!殺せ!俺を殺せ!」

「牙狼。」ミーナは剣を鞘に納める。「殺さない。私は殺さないわ!!私達と共に来て!ヘスムス王国へ!」


 ――――――――――――

 バコスデの蜘蛛を通して全てを見ていたレメナードは、ヴィンドの王宮から冷徹に、冷酷にそれを指示した。

「やれ。」

 “興ざめだ”。やはり、私の前に立ちはだかるのは貴様だミーナ・デルフィニウム。今、消し去ってやる。

 ――――――――――――


 ズガァァァァァァァァァン!!

 雷が落ちる。感じた事もないほど大きなカオスにヨラとオラリアは動けなかった。
 
 雷は、キバ団の兵士数名と、チョーツの命をいとも容易く消し去った。

「がっ!あ、……あ。」
 ドサッ。チョーツの身体は焼け焦げ崩れ落ちた。

「お、おいチョーツ!!な、なんだと!!明日まで待つはずだったろ!」ヤエは空を見た。
「な、なんだいアレは……。嘘だろ?」

「チョーツ!しっかりしろ!」老アリューネはチョーツを呼ぶが息はもう無い。「レメナード……。始まったというのか。……ライラよ。済まない。本当に、済まない。」

「ミーナ!!どうする!?」
「……ベンガル。くそっ!!ヨラ!オラリア!これはいったい!!」

「“ユミルの咆哮”。間違いない。あれは雷炎だ。」オラリアが言う。
「ミーナ。こんな事が出来るのは1人しかいない。“雷炎”シスール・ランスリ。今はアスラ真教にいる。エダ・マクアリスタ、セリッドウェンと共にベラドンナを作り上げた伝説の魔術師。次は炎が来るわよ。逃げて!!」

「ヨラ。わかっているでしょ?逃げ場所なんてない。どこにもない!」
「くっ!……。やるしかないのね。オラリア。貴方に頼むしかないなんて。」
「はっはっはっはっ!!ヨラ・ヴィンガースフィア!!お前の女王は示した!!次は我々だ。我は今高揚している。牙狼と獣人族を伏したのだ!!…………雷炎シスール。あの雲を叩く。」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

 渦を巻く黒い雲が1箇所に集まりだした。圧縮しているよう。次第に雲の形が“何が”に変形していく。顔と、胴、翼、前足、後ろ足、長い尾。
 
「あれは、何!?」ミーナの目に映るそれはまさしく、雲で形成されたドラゴン。

「アンタ達!早くここから逃げな!丸焼きになっちまうよ!老アリューネ!!」ヤエは撤退を指示した。だが老アリューネは牙狼の肩に手をかけ、立ち上がらせようとしていた。「老アリューネ!!何やってんだい!ここに居たら死んでしまう!!あんたは死んでならねぇんだよ!!!」

「ハイゼを!!助けてくれ!!」
 老アリューネは懇願した。
 確かに牙狼とは何度も何度も何度も何度も衝突し、やり方考え方の違いから仲違いをしてきた。だが確かに彼は森の同胞達の為に戦い抜いた事実は変わらない。そんな牙狼を、見捨てる訳にはいかない!

「お前らは逃げろ!ベンガルは牙狼を助ける。ミーナ!どうする!?」ベンガルもまた牙狼の肩に手を掛けた。
「ベンガル!アリューネさん!もう私達ではどうにも出来ないわ!ヨラとオラリアに任せるしかない!!少しでも安全な場所はある?」
「マハカーの洞窟へ運ぶ。老アリューネはそこしか思いつかない。先程ネトが姫を運んだ場所だ。」
「行って!!」
「ミーナ!お前は!?」
「えぇ、そうね。私を消したいのでしょう?“復讐の蛇”レメナード・バッカス!!逃げも隠れもしないわ!私の為に誰かが死ぬなんて!そんなのはもう嫌よ!!」

 老アリューネは確かに見た。ラ・シードを。ヘスムスからやってきた女王は、獣人族の為に怒り、戦い、涙を流した。誰もが呪いだと、汚らしい、気持ち悪い、と言われてきた獣族の為にだ。ロロ島の姫を連れて老アリューネの前に現れ、我らに生きろ!と。
「……女王。」
「なに!?早く行って!」
「これを。」老アリューネは橙色に光る石をミーナに投げた。
「これは何?」
「それが月光族に力を与えた神々の石。“ライラの加護”だ。女王よ。ラ・シードの柄、薔薇の装飾にあるくぼみにそれを当てはめよ。きっと道を示す。死ぬなよ。老アリューネは“生きる”。」
「う、、。じじい、それは……。やめろ。」牙狼が声を震わせる。
「良い。今日森は長い歴史に幕を降ろす。なら老アリューネは信じたい者へ託す。ライラ様は見ている。行くぞ!ベンガルとやら。」
「ベンガルもだが……。やはり獣人族が不器用なのはロロでもケルレトでも変わらないのだな。」
「それが獣人族というものだ。」

 2人は牙狼を抱えマハカーの洞窟へ急いだ。


 
「…………。」
 雲のドラゴンの上から、シスールは下に広がる森を眺めた。「…………。燃やすの……。私……。命を、奪うの……。」両手を広げた。手には巨大な火球が産まれる。「…………。燃えろ……。灰に……。全部。」シスールは火球を森に投げた。

 

「オラリア!貴方は防御を!私はあの雲を吹き飛ばす!随分悪趣味な造形ねシスール!!アークゼネア・エン・ランデン!!」
 ヨラは宙に浮いた。辺りに強風が吹き荒れる。風を操り、波動の玉を作り出す。雲のドラゴンへ向けて解き放った。「行け!!」

 風の玉は雲のドラゴンを突き刺す。胴へ貫通した。だが貫通した場所はすぐさまに塞がってしまう。「そんな!」

 巨大な火球が森へ。シスールは次々と火球を森へ投げた。

 ドゴォォォォォォン!!!!

「ヨラ!ダメだ!数が多すぎる!守りきれないぞ!」オラリアの光の防御は火球を無効化したが、森全体を焼き尽くす火球の数。間に合わない。「格が違いすぎるっていうのか!?まずいまずいまずい!!」

 ドゴォォォォォォン!!!

 森に炎が燃え移る。

 ドゴォォォォォォン!!!

 あちこちで悲鳴。森の居住区域、遺跡、洞窟、巨大な木々を、草木を、そこに住む住民を火球が襲った。

 ドゴォォォォォォン!!!

 いとも容易く。

 ドゴォォォォォォン!!!

 為す術なく。

 ドゴォォォォォォン!!!

 オラリアの防御によって、彼ら周囲は守られていた。だが彼らは皆見ている事しか出来なかった。
 
「森が、あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 ヤエの絶叫。

 ドゴォォォォォォン!!!

 この世の終わりか。狂ってる。ほんとに、狂っている。

 ドゴォォォォォォン!!!

「クソォォォォォォォォォ!!!」牙狼は老アリューネとベンガルを振り解きかけ出す。「ふざけんな!俺達の故郷を!!森を!!!」
「ハイゼ!よせ!!」牙狼は走り去った。
「くっ!済まない!行かなければ。ペルシャ!!!ソマリ!!」ベンガルもまた駆け出した。

 火球の音が消える。

「火球が止んだ!!光!?」ヨラは空を見上げた。
 雲のドラゴンの、そのまた遙か上空から晴れ間。光が差し込んだ。その光は雲のドラゴンと、真紅の衣装に身を包んだ、生気を失ったような小柄な魔女シスールを照らしていた。

 シスールの掌に乗っていた火球はみるみるしぼんでいく。
「…………暁光。……まさか。」シスールは上空に差し込む光を睨みつけた。

 光の先には箒に跨った黒装束の女。紫の髪。あれは!?“暁光の魔女”。
「まさか!あなたなの?ベルガモット!!」

 “暁光の魔女”ベルガモット・サンダーソニア。彼女はカオスを特殊な光に変換させる。太陽や月のエネルギーを集約させ様々な力に替える。そして彼女の師はシスール。その変な長い三角帽子も、衣装も、雷炎シスールを真似たものだった。

「いやいやいやいや。ていうか!森!?ヤバくない?!?消し飛ばす気!?……付いてきて正解だったよぉ!て、え?シスール先生!?は、え?あれは……ヨラ!?どうなってんの?おーーい!」ベルガモットは魔法の箒でヨラの元へ急降下した。

「貴方が動きを止めたのね!!雲の上にいるのはシスールよ!!用心して!!」
「え?シスール先生が森をあんなにしたの?いやいや、ダメでしょ。ナシよりのナシ!!……北から付いて来たの!雲が変だったから。サーチされない距離保ってたんだけど、流石にかなり離れてたから遅くなったね。ごめん。ぴえん。」
「いや、仕方ないわ。もう仕方ないでは済まないけど。」
 
 ケルレトの森はもう、所々で焼け野原と化していた。火は煌々と木々を焼く。
 
「光のカオスは炎のエネルギーを無効化する。今のうちだよ!ヨラ!」
「森にはオラリアがいるわ。下に降ろさせれば勝てる。でもベル、あなた師匠相手に戦える?」ヨラの頬に汗が伝う。
「いやいや、どう考えてもシスール先生がアウト。嫌とか言ってられないから。それに多分、あの人は死なない。ヨラ、一気にいくよ!」
「あの雲のドラゴンを上回る質量で当てるしかないわね。奴にはまだユミルの咆哮がある。2人なら!」

「レイグ・エン・サンス・フィン。」ベルガモットの詠唱。光の巨大な球体で周りを包み込む。結界の魔法。雲のドラゴンごと球体の中に閉じ込めた。
 
「…………ユミルの怒号。」雲のドラゴンはその身体から雷が無数に放射される。

 バリバリバリバリ!!球体を内側から貫こうとするが弾き返される。「……不快。」

「ゼネアアーク・エン・ヴィエイラ。」風がだんだん強くなる。森が揺れる。そして暴風。風の中、さらにヨラのカオスが舞う。「ヴィル・フレウア・エン・デル!!」ゆらゆらと陽炎のような大気の揺らめき。次の瞬間、風が炎を纏った。炎の渦。ヨラは体をうねらせ回転しながら、踊った。
 これこそ、ヨラ・ヴィンガースフィアが“白鳥”と呼ばれる所以。最強の攻撃魔法、ヴィンガーフレア。最大の力をシスールへぶつける。「はあああああああ!!」

「……くっ!……だめ!……維持不可。」
 無表情、無感情。そのシスールの顔が初めて歪む。「ユミル……咆哮。」

 バリバリバリバリ

 雲のドラゴンは霧散し消えた。ベルガモットの結界、ヨラの炎の渦も。シスールは雷をその身に纏う。

「ベル!森に防御を!」
「だめ!間に合わない!」


 ――――――――――――


「ペルシャ!ソマリ!頼む!無事でいてくれ!頼む!」ベンガルは走る。急ぐ。四足歩行で。
 老アリューネの言った場所。カシの大木の左奥、この先だ!!
 ベンガルが目印の木を見つけ曲がる。

「ソマリ!!ソマリ!!ネトさん!!」ペルシャが黒焦げになった2体、いや、2人の名を叫んでいた。隣には薬草士。恐らく彼がマハカーだろう。
「ペルシャ!!」
「う、うぅ。……ベンガル。ベンガルぅぅ!!」
「ま、まさか。おい、そんな、そんなっ!!ソマリ!ソマリ!ソマリ!おい!ソマリ!返事しろ!!返事しろよぉぉぉぉ!!」
「うぅ……。えっぐ。ソマリと、ネトさん……。私を火の玉から庇って。うぅ。うっ。」
「おい。なぁ!あんた薬草士だろ!!ソマリを治せ!早く!こいつは、こいつはなぁ!ベンガルの、ベンガルの初めての弟子なんだよ!こいつの夢は大陸を海を、ベンガルと一緒に冒険する事だったんだ!早く、早く治せよぉぉぉ!!」

「マハカーには、治せる者しか治せない。ソマリ君は即死だ。死んでいる。ネトは私の同胞。彼もまた死んでいる。治せない。済まないな。マハカーは助けられない。」
 マハカーは最後の審判のこの時を洞窟で迎えるつもりだった。彼らがこのペルシャという娘と私の為に火の玉に向かっていった。そうでなければ洞窟ごと吹き飛んだはずだ。助けて貰って助けられない。いつもそうだ。割り切っていた。

 何を偉そうに!
 
 まだ私に出来る事があるか。彼らは今戦っているのだぞ。マハカー。目をさませ!!戦いは終わっていない!ならばこのペルシャという姫様を命に代えてでも守り、救わねばならない!

「くそ!ソマリ!くそっ!くそっ!」
 ペルシャはベンガルを抱きしめた。ベンガルは炎に燃え倒れた木々の間から空を仰ぐ。目に映ったのは、雲の隙間から薄暗い青空に薄らと、微かに見えた三日月。そして雷を纏った、何か。
「まだだ。」
「えっ?ベンガル?」
「まだ終わってない。もう1つくる。最初の雷撃だ。」
「え?え?」ベンガルはペルシャを抱っこしマハカーに預けた。そして。
 
「オオオオオラァリィアァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァァァァ!!!!!」絶叫。

 
「はっはっは!!カオスに満ち溢れた森だ!サーチなど無くても分かる。ベンガル!!」オラリアはベンガルを瞬間移動させた。

 頭上に。

 ベンガルは変身し、小さな猫になっていた。
「雷は全て!ベンガルが弾いてやる!!」


 ――――――――――――


「…………ユミルの咆哮。」シスールは雷になった。

 バリバリバリバリ!!!ドゴォォォォォォン!!

 2度目の雷撃が森へ落ちた。――はずだった。

 森に降り立ったシスールの前には雷を纏った猫が倒れていた。「……あれ。……誰も。ミーナ王女は……。」振り返る。ミーナは生きていた。
「死んで……ない。狙ったのに…………。」倒れたのはたかが猫。いや、変身。猫の獣人族。

「そ、そんな!そんな!嫌よ!ベンガル!!!」ミーナはベンガルに駆け寄る。「ベンガル!ベンガル!」
「ミ、ミーナ。ベンガルは大丈夫だ。これくらいで、何ともない。」変身が解ける。
「良かった!良かった!ありがとう、ベンガル。私を守ってくれたのね。ありがとう!ありがとう!」涙でくしゃくしゃになる。

「ミーナ・デルフィニウム。」
「オラリア。」
「“ヨラ達”は役目を果たし雷炎を森に引きずり落とした。ベンガルは貴様を守った。」
「……オラリア。」
「“我々”の番だ。」オラリアの顔は怒りで歪んでいた。光の剣が再び現れる。次々と。何本だ?50いや、100はあるかもしれない。「構えろ。行くぞ!」
「えぇ。分かりましたわ。最後まで!戦うわ!!」

 その時だった。シスールの背後から牙狼が爪を振り下ろした。
「てめぇぇぇ!!」

「……アーク・エン・トゥール……ゾエ。」草木の根が伸びる。勢い良く。そして、牙狼の身体を貫く。1本、2本、ザクッ。ザクッ。3本、ザクッ。

「ぐうっ!!かっ……はぁ!い、いてぇ……。」血を吐いた。

「牙狼!!な、そんな!!」ミーナの足が震え出す。

「シスール。やってくれたな。」
「…………まだ息、あるんじゃない?……彼……頑丈。」
「ふざけんなあああああ!!!!ヴァーガス!!エン・ソルデ・スカムシュ!!」無数の光の剣はシスールを捉えた。次々に剣が飛ぶ。

 ズガガガガガガ!!

「まだだ!アーク・エン・トゥール・リエン!!」シスールが牙狼を刺したように、オラリアもまた木の根を操り彼女の四肢を拘束した。光の剣が何本も、何本もシスールの身体に突き刺さった。
 オラリアによる圧倒的で一方的な攻撃。怒りに任せた殺意。相手にカオスを使う余裕など与えない。
「シスール!協会を裏切り、エダを裏切り、セリッドウェンを追放し、ベルガモットを突き放し、アスラ真教だと!?今度は世界を裏切るのか!?卑しき魔女が!!叩き潰す!ここで、叩き潰す!!」

「…………。」

 ズガガガガガガ!!土埃が舞う。

「…………。」

 全ての剣を使い果たしたオラリアの息は上がっていた。あれだけの魔法。これがオラリアの“軍神”たる所以。近接戦闘では最強。やはり、強い。

「オラリア!ミーナ!無事なのね!良かった。」ヨラとベルガモットも合流する。

 土埃が消え、シスールの影が浮かぶ。いや、シスールともう1人の影。現れたのはエルフ。ヴェゼット公国宮廷魔術師、バコスデ・アン・ビチャイ。防御魔法でシスールを守っていた。
 
「いや〜!!やばいやばいやばい!ベラドンナ3人?そりゃシスール姐さん。無理でしょ。レメちゃんはご立腹だよ〜。ねぇ、あの雷で死んじゃったかと思ったよ。ミーナ王女。いや、女王様でしたか。閣下。」バコスデはニヤリと微笑んだ。

 ミーナの腹部がズキズキと痛んだ。「バコスデ……。」腹の底からふつふつと怒りが込み上げてくる。
「許さない。殺してやる。お前は私から全てを奪った!!!バコスデェェ!!」ミーナは剣を構え走り出した。
「ミーナ!待って!」ヨラが止めたがミーナの耳には入らなかった。「やるしかない。」

「まてまてまて。そう怒るなよぉ〜。手負いのシスール姐さんとでベラドンナ3人相手はね〜。流石に死ぬよ〜。レメちゃんにも怒られそうだし。ねぇ、ミーナ王女。」

「黙れ!」

「あっはっは!いいね、いいねぇ〜。憎しみは人を強くする。僕は帰るよ。まぁ、レメナード女王は君を殺すつもりだったけどそこの猫君に助けられたね。君は運がいい。……シスール。」
「…………。暁光は予想外。……森は燃やした。」
「ブーリ卿には君から報告しろ。」
「……。」
「じゃあね、ミーナ王女。また僕と遊ぼう。」

「待て!!バコスデ!!」
 2人のアスラ真教の魔術師は渦の中に消えていった。

「終わった、のか。牙狼!」ヤエは牙狼の身体にくい込んだ根を切り落とし、抜いた。
「がっ!はっ!!……ヤエ。す、済まない。」
「もういい!喋るな!!」
「いや、だ、……ダメだ。」

「ハイゼ。」老アリューネが牙狼の脇にしゃがんだ。追いかけてきたのだろう。身体の白毛に汗が滲む。

「老アリューネ……。す、すまない。ごめん。ごめん。ゴホッ。ごめん。こんな事になって。初めから、あ、あんたの言う事聞いとけば良かったのによ。キバ団は、ゴホッ。……ヤエ、お前に託す。……俺達の森は、どうなった?」牙狼の目は見えていない。
「焼かれてしまった。民も、チョーツも。生き残った者は果たしてどれだけいるのか。謝るなハイゼ。皆老アリューネが悪いのだ。族長として、導く事が出来なかった。」
「く、悔しいなぁ。ひっ、ひぐっ!う、うぅ。精一杯やったんだけどなぁ。う、うぅ。嫌だよ、こんな、こんなところで。ひっ、うぐぅ。死にたくねぇよ。老アリューネ。みんな、みんな。うぅ。」
「もうしゃべるな。傷が開くぞ。」もう遅い事は誰の目にも明らかだった。血が流れ過ぎている。
「じじい。最後のね、願いだ。ミーナ。」

「えぇ。牙狼。いるわ。」

「俺達、け、ケルレトの皆を、頼む。ゴホッ。あんたは俺を、超えた。これ、はお前の責任だ。ゴホッゴホッ。導いてくれ。ろ、ろ、老、ア、、ネ。息子みたいに、思って、く、れて、あ、りが、とう。」

「ハイゼ!ハイゼ!くっ!」老アリューネは大粒の涙をボロボロ零した。

 牙狼ハイゼは、老アリューネ、キバ団に見守られ息を引き取った。その武勇は間違いなくケルレトの森の歴史の中でも特筆すべきものだ。最期まで森を、故郷を、同胞達を守るために戦い抜いた。歴史に名を残した、戦士となった。

「皆よ。3日後、森の民はヘスムスへ行く。ヴェゼットが残党狩りを始める前にだ。神殿――が残っていればいいが。生き残った全ての民を集めよ。ミーナ女王。」
「はい。」
「森の為に泣き、怒り、戦ってくれてありがとう。心から感謝する。魔術師も、貴女方が居なければ皆殺しにされていた。」老アリューネは深々と頭を下げた。
「族長。守れなかった。謝らなければならない。」オラリアの言葉に悔しさが滲む。
「我は一刻も速くアンマーチ、フルップ・アレイスター王に報告せねばならない。ヴェゼットがカランを超えればすぐに進軍してくると。ミーナ。貴様と出会えて良かった。仕えるべき主君である。アンマーチの通行を許可する。そして、我々アンマーチ軍はヘスムスとの同盟を組む。」
「な、なんですって!?王が許すはずが。」
「ふん。あんな腰抜けではヴェゼットとはやり会えないだろう。こちらとしても好都合だ。」
「分かりましたわ。オラリア。後ほど正式に調印を。」
「ならば先に行かせてもらう。…………。牙狼。貴様の生き様は見事であった。」オラリアはサーチの渦で自国へ帰還した。

「ヨラ!エダとシヴァには私から伝えておくから。貴方は女王様の側に居てあげて。……アスラ真教だよ。協会も決める時なのよ。侵攻は北からだった。北大陸には何かがある。調べるから。何か分かれば教えるからね。」
「ベル。」
「なあに?」
「大丈夫?シスールの事。」
「……。ま、仕方ないでしょ。」
「分かった。そういう事にしておくわ。」
「じゃ、またね。」
 “暁光の魔女”ベルガモット・サンダーソニアは箒に跨り空を駆けた。


 ――――――――――――


 ミーナとヨラはベンガルを連れペルシャの待つマハカーの洞窟へ戻った。そこでキバ団の戦士ネトと、月光族の戦士ソマリが命を落としたと聞いた。ベンガルはなんとか意識を取り戻した。ペルシャはずっと泣いていた。

 当たり前だ。助けるつもりでここまで来た。それが何だ!?森は焼かれ、アスラ真教の魔術師によって多数の命が奪われた。

 壊滅だ。そしてそれが戦争なのだ。カオスがある限り、どんな事でも起こり得る。バコスデはレメナードが私を殺そうとしたと言った。ここまでは敗けてばかりだ。だけど私は今生きている。今はっきりとした。魔術師は魔術師の戦いがある。そして私には私の戦いがある。レメナード・バッカス。来るなら来い。私が、ヘスムス王国が相手になってやる。

 
 ――“意志”を、強さを見せてやる。

 

 ――――――――――――

 

 ――3日後。ミーナはマハカーの案内で神殿へ向かった。ペルシャ、ベンガルと共に。

「……………………という事だ。皆よ。それぞれに思う事があるはずだが、今はヘスムス王国とロロ島の者達を信じよう。」葬儀の後、老アリューネは一連の出来事とこれからの事を語った。反応は様々だったが、牙狼なくして、半壊した森で生きていけると思う者は皆無だ。
 生き残った民は300名程か。700人以上が犠牲となった。難攻不落のケルレトの森は、たった1日で、たった1人の魔術師によって壊滅した。

「女王よ。ラ・シードを。」
「えぇ。」ミーナは“ライラの加護”をラ・シードの薔薇の装飾へ当てはめた。

 剣が光る。「な、なに?これは!!」
 

 ――森を、民を守り、感謝します。私は森の精、ライラ――
 

「まさか!ライラ様!?」老アリューネは神殿、祭壇の猫の銅像へ走った。間違いなく、ここにライラ様が来ている。
 

 ―――ここに居る者全ての頭の中へ語りかけています。フライラは、島の民とユングに滅びる運命を見出しました。それは森も同じなのです。全てを正す時なのです。世界は変わる。渦の厄災が到来します。それは間もなく始まるのです。手を取り合うのです。花の乙女にようやく私の剣が渡りました。間に合った。皆よ。種が団結する時。私は皆に感謝します。森を守ってくれて、ありがとう――――――――――――
 

「ライラ様よ……。老アリューネこそ、ありがとう。」

 ミーナは剣を振り上げた。涙で顔がくしゃくしゃになる。
 
 ――エレオノーラお祖母様。全てはこの時の為。

「私は!ヘスムス王国国王!ミーナ・ヴァル・エレオノーラ・デルフィニウム!森の民よ!ライラの加護を受けし月の民よ!……憎きヴェゼットがカランを越える!我々は戦わなければならない!そして、ライラの言う厄災に立ち向かわなければならない!神々は託した!私に!この“花の乙女”ミーナは民の為の王となる!共に行こう!!」

 ミーナはスゥと息を吸い込む。

「ヘスムス王国は!ケルレトの森、ロロ島の両獣人族、及びアンマーチ王国と同盟を結ぶ!!このラ・シードがその旗となる!!」

 老アリューネ、ペルシャ、ミーナはそれぞれ握手を交わした。

 

 先日のヘスムス王暗殺。この度のケルレトの森襲撃。ヘスムス王国、ロロ島、ケルレトの森、アンマーチとの同盟は大陸各地に衝撃を与えた。

 南方の女帝、ミーナ・デルフィニウムの名は世界に轟いた。レメナード・バッカスと対をなすように。



 ―――――――――To be continue

  
 
 
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