第17話 きみがため 光考天皇(十五番)
文字数 816文字
君がため
春の野に出でて
若菜つむ
わが衣手に
雪は降りつつ
きみがため
はるののにいでて
わかなつむ
わがころもでに
ゆきはふりつつ
生物教師笹塚が、大学で講習を受けるため二週間不在となる、と担任が朝のホームルームで言ったとき、トオルは石像になった。
息もできない、と思いたかったが、四時間目を終える頃にはしっかりと腹が鳴った。
どんなに悪態をつこうとも、好きな人を一目も見られないのはいちご牛乳のせいではない。トオルは、ひしゃげた紙パックをそっと撫でた。
昼下がりの空は、少しづつ春の気配を帯びて青が濃くなってきている。
花粉やばいよね~
昼休みの教室では女子たちが花粉症の話題で盛り上がっている。
焼そばパンを頬張りながら、トオルは物思いにふけった。
一年前、真新しい制服に袖を通して入学した日のことを、トオルは思い出していた。
その日も、桜の開花予報や全国の桜関連の映像がニュースで流れて、自分の入学式だというのに朝から少々うんざりしていた。
高校の門の脇には、大きな桜の木があって、ようやく蕾を開き始めていた。
そこに、メガネをかけた男性が物憂げに立っていた。白シャツに白のネクタイを締め、濃紺のスラックスを履いている。
新入生と保護者のための誘導係をしていた笹塚先生をトオルが初めて見たのは、この時だった。
つい、目が離せないままに、トオルは笹塚先生の顔を見つめていた。
あの時、笹塚先生は気づいていたのだろうか。門からは少し離れていたため、トオルは気づかれていないだろうと思ったままだ。
笹塚先生は校門を通り過ぎたトオルの背後で、盛大にくしゃみをしていた。ちょうど保護者達から話しかけられていたようで「花粉症で……」と言っているのが聞こえた。
トオルは心の中でそっと気持ちを芽吹かせたのだった。