『シミュレーショニズム』と「カットアップ」の手法

文字数 1,525文字





 ……なるほどね。
 でもさー、僕は椹木野衣の著書『シミュレーショニズム』をまっさきに思い浮かべるよ、生成AI。なんなら僕は生成AI『AIのべりすと』を使って、『aiであそぼう☆バロウズ風味に。』という作品をつくったことがある。公開日は2021年10月28日 07:55。かなり古い。今は、NOVEL DAYSにて、読むことができる。惹句はこうだった。〈『AIのべりすと』で自動生成の文章をつくって遊んだ、そのログを公開していきます。ウィリアム・バロウズが『ソフト・マシーン』などで使った〈カットアップ〉の手法に通じると思ったのです。つまり、これはポストモダン文学なのだ、と。〉……ってね。
 もしも、生成AIをマルセル・デュシャンの「レディメイド」シリーズ……例えば『泉』とかさ、ああいうものの類似だと考えるならば、それこそ椹木が、それに山形浩生が『たかがバロウズ本』で述べていったこと、それとほぼ同じことを繰り返し語る必要性がある。
 ウィリアム・バロウズは「文学を売った男」である、というアレだ。それを言うと、先だってトリスタン・ツァラがDADAを以てして文学を破壊する、その萌芽となった、という、コンピュータが出来る以前の話に遡る必要もあるだろう。

 バロウズと言えば『ソフトマシーン』という作品が、ここでは重要となる。『裸のランチ』で断章形式、それもわざと、つくった文章をシャッフルして断章にして読みにくくしたのを推し進めて〈カットアップ〉という手法を編み出したこと、これが小説に〈不確定要素〉を取り入れて、なおかつ自家薬籠中のものとした記念碑みたいな作品としての『ソフトマシーン』から始まる三部作の功罪である。
 これはポストモダンの考え方、作品のつくりかたと奇妙に一致する。たぶん、これは高橋源一郎が小説のなかに漫画から一頁まるごと〈カットアップ〉して異物のまま取り込んでいるのにもつながっていくだろうし、柳瀬尚紀訳の『フィネガンズ・ウェイク』にも通じる。と、いうことはその前に、柳瀬が参考とした歌集、加藤郁乎の『牧歌メロン』も、関係する、という流れができあがる。

 話を椹木野衣に戻そう。椹木野衣は初評論集『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』(洋泉社)を刊行して、そのなかで、シミュレーション・アートとハウス・ミュージックを〈サンプリング・カットアップ・リミックス〉というキーワードで横断的に論じ、1990年代以降の文化の動向を予見した。
 そして予見は的中する。と、いうか、ウィキペディアからべた貼りすると、1992年にはレントゲン藝術研究所で展覧会『アノーマリー』を企画、キュレーターとしてもデビューし、村上隆やヤノベケンジを美術界の新しい波として紹介した。1995年には『アノーマリー』の続編としての『909-ANOMALY2』を企画。1995年の阪神淡路大震災と「地下鉄サリン事件」をきっかけに以後は戦後日本美術の論考に転じ、1998年に『日本・現代・美術』(新潮社)を刊行。戦後日本には「歴史」がなく、蓄積なき忘却と悪しき反復を繰り返す「悪い場所」であると論じ大きな波紋を起こした。
 ……整理すると、茨城県にある水戸芸術館で椹木は『日本・現代・美術』展という展覧会のキュレーターをする。その頃はまだ村上隆やヤノベケンジは業界の外からは有名ではなかったが、知っての通りここらへんから〈ネオ・ポップ〉という現代アートの潮流が生まれ、村上はご存じ〈スーパーフラット〉を推し進めて、全世界に波及した。全世界に波及して、テレビで報じられる、お茶の間レベルにこの現代アートが降りてきて、再びアートが脚光を浴びたのは重要なことだ。


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