合理主義がもたらす非合理な死の連鎖

文字数 2,884文字

※この文章はある種の思考実験であり、特定の誰かや団体等と関係はありません。またそれらを侮辱、傷つける目的は一切ありません。ひとつの意見として解釈していただければ幸いです。

 ひな祭りが終わりそろそろ春が近づいてきたという期待感で胸が踊る今日この頃。しかし日差しは出ているもののどこか肌寒い。そして寒いのは気温だけでなく、自分の懐事情もだ。新生活や人生の新たな門出に向けて景気のいい話で気持ち良くなりたいものだが、そうは問屋が卸さない。
 時代は令和になり悲しい話や何だかモヤモヤする事が増えたと感じる様になった。それは私がネガティブな側面ばかり見てしまう癖が昔からあると言うのもあるが、どこか空気がどんよりとし、息苦しさを昔よりも感じるからではないだろうか。人間は昔の事を美化したがる癖があるからあまり比較しない様にしてはいるが、漠然と何かを失ったと言う感覚に苛まれる。最近コスパやタイパと言う言葉を昔よりも耳にする機会が増えた。金と時間。どちらも現代社会で生きていく上では切っても切り離せない関係だ。
 人間は生きる上で何を求めるのだろうか。私個人としては幸せになるということである。幸せと言うと漠然としすぎており今主観では不幸だと感じていたとしても他の誰かから見れば物凄く幸せであると言われることもあるかもしれない。結局は無いものねだりであったり足るを知る者は富むという価値観を自分の生活に落とし込めていないからである。人間の欲望には際限が無い。一度その場所に立ってしまうとその上を目指そうともがき、その果てにどこかで限界がきてしまい絶望する。この世は喜びや美しさ、希望に溢れているのにも関わらず、悲しみや絶望と言ったものに支配され悪意や憎悪を自分では無い何かに対して撒き散らす様になってしまう。それらは呪いの様なもので目には見えないがそこらじゅうに漂い始める。はるか昔の魚類(人類の祖先が魚類と仮定した場合)が抱いたほんの少しの悪意が連鎖し、時間と共に莫大な絶望の集合体となる。やがてそれが地球全体を覆い始めると希望を携えて始まった人間というシステムの終わりが顔を出すのである。
 合理主義がもたらす非合理な死の連鎖とは簡潔に述べれば愛の不足である。ここで言う愛とは性愛ではなく隣人愛という概念である。隣人愛とは自分のようにあなたの隣人を愛しなさいという教えであり、俗に言う子供の頃に様々な人に教え込まれた人に優しくしなさいというものだ。
 合理主義が今の世の中を席巻することによって、義理人情といったものが薄れていき、物事を合理的に処理する方法が一般化してきているように感じる。それら全てが悪で良くない物だと決めつける訳ではなくもう一度本当にこれで良いのだろうかと考えること自体に意味があると考える。しかし、現代に生きる以上皆人として産まれ、やがては資本主義の豚となっていく。それは人間である以上避けては通れない。合理主義に迎合したとしても、我々には後者の非合理な死の連鎖を止めるため努力する義務がある。非合理な死の連鎖とは貧困や差別、格差によってもたらされる死のことである。ここでいう死とは個人の肉体的又は精神的な消滅だけでなく大袈裟に言えば人類の種としての死という定義であることを念頭に置いて欲しい。地獄への道は善意で舗装されているという諺があるが、非合理な死の連鎖という存在がスポンサーとなり無意識のうちに我々が今まさに道路工事を着実に進めている状態なのである。それが如実に現れている現状として少子化問題を挙げることができる。
 前提として少子化は人間の種としての自然なモデルであると考察出来る。成熟しきった種(おおまかな生存が確保された社会)において起こる平和ボケに近い現象である。しかし昨今の少子化問題にはどうにもならない差という側面が介入してくる。近年親ガチャという言葉が流行ってしまった背景には人生は遺伝子配列の見せ合い運ゲーという意識が強く刷り込まれてしまったからに思える。今更解説する必要は無いと思うが、とんびがたかを産むことがあってもほとんどはとんびはとんびしか産まないしその逆も然りだ。それにより能力や金銭的な格差はどうしても生じる。その格差は時代が進むに連れて、根深くより強固な物になる。そこの均衡を崩すのは不可能かつ、文字通り人生を賭けたとしても難しいものである。また昔であれば近所の優秀な奴やテレビに映る有名人に対してすごいな俺もこうなりたいとその外側だけを見て希望を持つこともできたのだが、技術の発展によりSNSやインターネット等で内情があきらかになり結局は恵まれていただけの人であったということを簡単に知ることが出来るようになってしまった。それだけでなく、自分の上位互換をあっさり見つけられる時代になったためそのやるせなさから達観という言い訳を装備して諦観する人が増えた様に感じる。それにより上位勢が愉悦感に浸ってる間、下位の人たちの劣等感やヘイトが溜まり不幸な事件等が近年発生している。母体の数として下位の人口の方が多いので、発言力や権力等がなくても、世論やなんとなくの空気感として大体の人間は感じる。それらが密接に絡み合い、人間の思考を曇らせる。貧すれば鈍するという言葉があるように子供よりも明日の食事を気にするようなご時世。子供が贅沢品だなんて思考はあってはならないし、あっても表には出してはいけない。しかしこれらのように格差が広がれば広がるほど、生きてても碌なことが無いし無駄だよなや、本当に子供のことを考えるのであればこんな時代に産んであげるのは可哀想だ。親のエゴだよね。という思考(例 反出生主義)がジワジワと人々の間を行き交う様になる。これらの思想に取り憑かれると全てが虚無になり、刹那的な快楽を求める人が増える。目の前の快楽に対する忍耐力が減っていき、アルコール中毒やギャンブル中毒、ニート、犯罪等が増えていく。将来に期待を持てないとなんとなく感じ始めてしまうと今を消費する生き方が体に染み付いていく。快楽や楽をしようと合理性を求めた結果、人類の種としての力自体を下げることに繋がっていく。この低下が積み重なっていくと自然と人口は減っていき、いつかは人間が地球上から居なくなる。それらは昔から何者かによってプログラムされていた人類消滅計画だなんて現実逃避も楽しいけれど、もしかしたらもう目の前の現状は取り返しのつかない所まで進んでしまったかもしれない。
 これらを踏まえて、非合理な死の連鎖を止めることは不可能であり、何をしても無駄と諦めるのも一つの手かもしれない。しかし、はるか昔の魚類が犯した小さな罪を背負えるのは現代に生きる私達である。まずは小さな事でいい。思いやりを持って生きる。他人に優しくすること。最初は難しくてもこれを呪文の様に唱えればいつかは体で覚えることが出来る。そしてそれは周り回って自分に返って来る。ほんの少しの悪意が連鎖し、時間と共に莫大な絶望の集合体となるのであればきっとその逆も可能なのだと信じて。
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