にぎやかな未来へ。

[ノンフィクション]

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1件のファンレター

躓かないようにしながら〈読み物〉として聖書を読むならば。

ファンレター

確かに仰る通りです

聖書の学びは新約聖書から始めた方が分かりやすいですね。
旧約聖書は範囲が広い上、複雑過ぎますね。
しかも隠喩が多いです。
良く一般的に知られているのはイザヤ書の明けの明星とはルシファーを指すなどですね。それ自体は解釈としては正しいのですが。
最初、自分はそう思っていたら聖アウグスティヌスより古い時代では明けの明星は黙示録の中にもあり、主イエス・キリストを指す言葉でもあったのですね。
恥ずかしながら知識不足でした。旧約聖書も多少は読みますが、通読したことがないのもお恥ずかしながら告げます。
なので、自分が成瀬川先生の小説の真髄を理解出来ているか怪しいものです。
ですが、このエッセイは為になると思います。
旧約聖書から入ると躓くので、新約聖書からという助言は的確だと感じます。

返信(2)

例えば「法の不遡及」は聖書由来ですよね。各種「契約書」がめちゃくちゃ長いのも、旧約聖書は社会学では「禁止の図法」と呼ばれることがあり、逆に禁止されていないことは禁止されていないということが由来で、前述の法の不遡及と同様、トーラーのロトのエピソードのところがよく引き合いに出されます。近代憲法の成立は、旧約聖書、特にトーラー、またはタルムードを読んでないと理解出来ません。「憲法」って言っても、日本の聖徳太子の十七条の憲法って、あれ、別に憲法ではないので、日本語、日本人にはごちゃごちゃになる傾向があり、〈人権〉にしたって、成立過程を考えなくちゃならなくて、そうすると西洋から引っ張って来ただけで勝ち取ったものじゃないので、わからないですよね(勝ち取るとは王権神授説の否定などの話です)。
そういうことで旧約聖書も大切ですし、聖書は一生涯を通じて勉強しないとならないのでしょうけれども、アカデミックなことは「研究」という言葉が合うものでもあって、やっぱり「福音」が、すっと入ってくるし、それは、民衆がなによりもよりどころとしてきた、名前の通りの福音なのだと思います。
いや、この話は、佐藤さんへの返信でもあるけど、読む人も結構いるだろう、という予測のもと、脚注として書いています。僕個人の話をすると、はじめて新約聖書を読んだとき、笑みがこぼれてしまったのですよ、その通りだよ、って共感する言葉に溢れていて。そういう経験のある、新約聖書。たくさんのひとに読んで欲しいと思い、このエッセイを書きました。社会がこのまま進んだら来てしまうであろう暗い未来じゃなくて、明るくてにぎやかな未来が来るといいですよね。
成瀬川先生の仰る通りですね。大日本国憲法も民法はフランスのボアソナード先生が編纂に関わっておりますね。
簡単な話、十戒も法の基本的法源として採用なされていますね。殺すなかれ、盗むなかれ、偽証するなかれ、などは基本的な概念であり、法源ですね。西洋の概念は基本的に聖書に置かれていますね。
聖書は広大無辺の学びです。
「法の不遡及」自体は知っておりましたが、旧約聖書に起源があるのは初耳でした。
為になります。ありがとうございます。
フランシスコ教皇聖下のお言葉を借りますが、キリスト者は橋をかける存在であり、壊すべきではないのでしょうね。
より良い世界の創造の為に多様な学び、寛容が必要なのでしょうね。
歴史的に視て支配とは不寛容なものです。それでも神がお求めになられるのは節制、柔和、寛容、慈悲、忍耐、真実、謙遜、愛なのでしょうね。
昨今の気候変動や戦争からも聖書の学びが役立つと感じます。
自分達一人一人が良心に基づく行いを保つ必要性を感じますね。