ファンレター
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冒頭ですね!!!
出版版では「私はこの報告書を物語のようにしたためよう」でした。
この一文の古風な香りに、ずっきゅーんとやられたのを覚えています。
でも、今の若い読者の方はどうなんでしょう。未村さんの「僕はこの報告書を、ひとつの物語として記そうと思う」のほうが、すんなりイメージが伝わりそうですね。出版版に使われていた「こぼたれやすい」の意味も実は今再度調べてみるまで知りませんでした。ずーーーっと「こぼれる」の古い言い回しだと思っていました。今回調べたら、壊れやすいって意味だったんですね。(恥ずかしい)
恥ずかしいついでにもう一つ。「畢竟」これも実は私、意味をよく知りませんでした。つまるところ、といった意味なのですね。ちょっと難しい?(自分の物知らずを棚に上げ……)
この物語に入る前のこのゲンリーの独白の場面は、私にとってはまるで日に褪せて茶色になった懐かしい写真を見るようなイメージで、静かでそしてさみしげで、でも根底に誰にもじゃまできないような輝きも秘めているように感じました。未村さんの訳を読んであのときの「彼は過去にどんな冒険をしてきたのだろう……」という次に向かうドキドキした気持ちを、鮮やかに思い出しました。
あ、『不変の「今」から来し方行く末を数えなおすだけなのだ』ここの訳、とっても好きです。
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このシーンの展開も印象的でした。未村さんの訳は読みやすいし、情景がイメージしやすい。ジャグラーの様子の訳「光の噴水を形作っている」が特に好きです。ゴシフォーの訳はけっこう出版版とイメージが違いますね。あとに続く「狂人だとしても不思議はない」に合致するのは未村さんの訳でしょうか。ところで、「狂人」は最近、出版物に使えるのかなあ?
『「古代式の銃を提げている。やはり過去の野蛮さの遺物だ。とはいえ侮るべからず、軟鉄の銃弾が込めてある」』ここを見るとラストを思い出しますね。エストラヴェンが撃ち抜かれた時のゲンリーの顔が思い浮かびます。
多分、未村さんの訳を読まなければ、「闇の左手」再読していなかったかも。ロマンチックだったなで記憶の奥底にしまい込まれていたかも知れません。もう一度、新鮮な気持ちで読ませていただいています。
返信(1)
とにかく原文が良すぎて追いつかないのです。
どうしても自分で訳し直したいと決心したのは、じつはこの冒頭の一段落がきっかけでした。既訳を愛しておられる不二原さんはじめ皆さんには申し訳ないのですが、絶対ちがう!と思ったんですね。
原文はいきなり直球で来るんです。
I'll make my report...
"make"ですよ。「報告をするつもりだ」。ストレートです。「したためる」なんていう文学的なニュアンスはないのです。
ゲンリー、若いんですよ。
たしかに静かでさみしげだと思います。その底に秘めた輝き、そのとおりです。
でも私はもう一つ大切な要素を掘り出したかった。
怒りです。
まだ訳してないけれど、エストラヴェンを奪われた後の第二十章。ゲンリーが叫んで、泣くシーンがありますよね。
「どうして殺した?」って。
あの号泣がずっと私の中にこだましていて。
この「レポート」を書いているのは、それからどれくらい時間がたった後だと思われますか。私はわりとすぐじゃないかと思うんです。日に褪せて茶色になった写真、そうかもしれない。でも、それにしてはこの数百ページ、すべてがあまりに鮮やかだと思われませんか。
この回想録を書いているゲンリーはまだ若くて、まだそんなに時間がたっていなくて、まだ傷口から血が噴き出している。
私はそう感じたんです。
「畢竟」は、じつは原文に相当する語はありません。「真実」がTruthと大文字で書かれていて、うーんこの雰囲気をどう出すか?何かひとつの真実じゃなくて「真実というもの」なんだけど、「畢竟(つまるところ)」ってちょっと格好つけてみました。これ、芥川龍之介がよく使う言葉なんですよね(笑)。
私の中でゲンリーってほんと芥川みたいな、若くてハンサムでしゅっとした人なんです。そういうね、この人若きエリートでインテリなんだっていう、そういう人物紹介を兼ねてみました。
できるだけ易しく訳しているんだから、この部分の、シンプルなんだけど格調高さ、この一語くらいわからなかったらググってくださいと。ちょっと強気に出てみました。笑
「毀(こぼ)たれる」も良い言葉ですね。
訳者泣かせの原文後半はこうなんです。
Facts are no more solid, coherent, round, and real than pearls are. But both are sensitive.
直訳すると、「事実は真珠と同じで、solidでもなく、coherentでもなく、roundでもなく、realでもない。しかしどちらもsensitiveだ」
solid: 堅固な coherent: 一貫性のある round: 丸い real: 実体のある、リアルな
既訳「真珠がそうであるように真実もまたこぼたれやすい。一貫性も見出しにくく、割り切れもせず、実体的なものでもない。ただ両者とも傷つきやすい」
私の訳「事実は真珠と同じで、堅くない。丸くもない。どこから見ても同じ姿でたしかにそこに在ったりはしない。どちらも傷つきやすい」
私は順番をsolid(堅い), round(丸い), coherent(どこから見ても同じ), real(たしかにそこにある)に入れ替えたんです。roundとcoherentの順番を入れ替えました。この一文でひとまとまりなのでぎりぎり大丈夫だと。
(真実truth/事実fact(s)も混同しないように気をつけました。)
でね、問題の「But」ですよ。(既訳は「ただ」と訳してる)
初めものすごく悩んだんです。だってよく見るとここ「ただ」とか「しかし」が入るのおかしいです。その前後で同じこと言ってるんだから。
「事実も真珠も堅くない(等々)」。「どちらも傷つきやすい」。ね、同じでしょ。
どうしてここに"but"が入っちゃうのかなーと悩みに悩んで。だけど全編読んだら、ル=グウィンさんよく"but"使うんですね。入れなくていい所にもわりと口ぐせぽく"but"入れてる。
だからこれ逆接じゃなくて、強調なんです。
強調のbutってあるんです。日本語でも言うじゃないですか、「いやーしかしよく降るねー」みたいな。英語でもおんなじなんですって、"But it rains!"って(研究社リーダーズの例文)。
ゴシウォーのイメージが既訳と違うのは、既訳がpreposterousという形容詞をひとつ訳し落としているからですね。「とほうもない、バカげた、非常識な」という意味です。これが入っていると、ああゴシウォーってゲンリーが聞いてびっくりするようなとんでもない音で、ゲンリーはいやな気持ちになっているか、または笑いだしたいのをこらえているのだなというのがわかります。大事だしすごく印象的な一語なのに、どうして訳し落としたのか理解できません。
こうして不二原さんがこまかくコメントを寄せてくださると、私もお答えしようとして、自分の訳のことをさらにきちんと考えられます。本当にありがとうございます。^^