バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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79件のファンレター

バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

「生まれて八日目の割礼」は児童虐待なの? アーミッシュやモルモン教は幼児洗礼を否定 092521

今回は割礼に関する話を特に興味深く拝読させていただきました。mika さんも他の方のファンレターの返事で書かれていましたが、割礼を医学的見地からプラスであるとするデータは、私が専門とするウイルス学でございます。HIV(エイズを起こすウイルス)やHPV(ヒトパピローマウイルス、子宮頸がん、男性器の癌などを起こす)では割礼により、これらのウイルスによって引き起こされる病気が割礼を受けた男性で低い報告されています。また、子宮頸がんはHPVの感染によっておこりますが、男性の割礼は女性の子宮頸癌のリスクを下げるという統計データも報告されました。
一方で、私の手持ちのユダヤ教の本によりますと、ユダヤ教では医学上、衛生学上の利点から割礼を正当化するという立場からは距離をおいているとのことでした。現代的な問題としては、割礼は、基本的には男性だけの儀式であるので、これを特別視するのは男女差別にあたるというものです。ユダヤ教には他にも男尊女卑的な慣習がありますが、割礼の特別視は、その一例とみることができると思われます。
イスラム教の話も、今回出ましたので、私の手持ちのコーランを調べて見ましたが、割礼に対する記載はありませんでした。ムハマドの言行録であるハディースは、日本では、「サヒーフ・ムスリム」がありますが、こちらにも記載はありませんでした。「サヒーフ・ムスリム」には、生活上の細かい規則が色々と書かれているのですが、割礼についての記載がないということは、イスラム教の創設時には割礼がさほど重要視されていなかったのかもしれません。もっとも、ハディースには、異なった版がありますので、割礼を記載しているものもあるとのことではありました。ユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ、現代に習慣として定着した割礼は、オリジナルの教義を離れて、シンボリックなものになったのかもと想像しております(当時は、「異教徒」でも割礼をしていた人たちがアフリカなどにはいたというのも興味深いことです)。
宗教の選択を子供に強制せず、それを判断できる年齢まで行わないことが好ましいというmikaさんのコメントには賛成です。幼児洗礼を行わないという点で、私が思い出しましたのは、まずは以前、ファンレターにも書かせていただいたモルモン教があります。彼らは洗礼を8歳からとしております。次にアーミッシュの話を思い出しました。彼らの場合、洗礼は、より高齢にならないとできず18歳くらいからです。洗礼の前に、彼らはアーミッシュ社会から離れた生活をすることが課せられ、その上で、洗礼を選択するかどうかを決めます。この間に、若いアーミッシュの人たちが性的な活動やドラッグなどを経験するということが一部であったりはします。今回、mika さんの他の方へのファンレターの返信のなかで、アーミッシュに関する問題が提起されましたが、洗礼に関してはアーミッシュやモルモンなど、きわめて保守的であるキリスト教の分派は、幼児洗礼を否定しているという点は評価してよいのではと考えております。アーミッシュの洗礼前のユニークな慣習に関しては以下のサイトなどに情報がございます。

https://amishamerica.com/what-is-rumspringa/

前回のファンレターのご返事ありがとうございました。mika さんの以下のコメントが特に共感するところです。
“『新約聖書』は明日、明後日来るかもしれないという近い未来を語っているんです。イエスの「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言う台詞は、文法的には「まさに目の前に神の国がある」というニュアンスなのだそうです。” 
これに関して、私の知人の米国人では、敬虔なクリスチャンでも、多くの人にとっては、「近い未来」というのは、「自分が死んでから天国に行ける」という報酬が与えられる近未来というものであった印象です。一方、「神の国とは、ここにある、現実世界にある(キリストは生きている)」とする捉え方・人生観の人は少ない印象です。前者はご利益信仰的なものであり、後者は宗教=ライフスタイルのような立場ですが、よりポジティブな後者があまり受け入れられないのは、直観的にわかりにくく、人生哲学に関係する理解を必要とするからと思っております。

次回も楽しみにしております。

荒野の狼

返信(1)

荒野の狼さん、いつもお読みいただきありがとうございます。専門家の立場から割礼についての医学的なメリットを教えてくださり、どうもありがとうございます! 大変勉強になります^^ 現代の割礼は宗教上の「シンボル」として行うものなので、ユダヤ教徒やイスラム教徒にとっては、医学的にメリットがあるかどうかは関係ないだろうと思います。医学的にメリットがない、むしろ害をおよぼすと言われても、やはり宗教上の信念に従って、割礼を行うのではないか、と想像します。
医学的にある種の病気の予防効果があるということは、古代の人々も経験知として分かっていたのでは、と思いました。古代社会でなぜ割礼の習慣が始まったのか、という謎を解明する一助となるかもしれないですね。こういう謎の伝統的儀礼は『旧約聖書』には多く記録されていて、キリスト教徒は全く戒律を無視して生きていますが、現代でもユダヤ教徒は食物規定を忠実に守っています。食べていけないものと食べて良いもの、その違いはなぜ生まれたのか…考えると謎がつきませんね。

そうなんですね、モルモン教徒は8歳から、アーミッシュでは18歳から洗礼を受けるのですね。初めて知りました。わたしがオルガンを師事した恩師は、イタリアで結婚したとき、結婚式を執り行う教会の司祭と幼児洗礼の問題で意見が合わず、大変だったと聞きました。プロテスタントでは幼児洗礼を認めない教派が多いんですよ。先生の話では、お式を挙げる予定だった教会では、そこで式を挙げた夫婦に子供が生まれたら、必ずその教会で洗礼を受けさせること、という決まり(結婚式を行う契約条件)があったそうです。その決まりを先生はどうしても納得できなかったと言っておりました。
結婚の予定をたてる段階から、すでに子供の洗礼まで予定が組まれている、というのはわたしもびっくりしました。日頃、プロテスタントとカトリックの違いを自覚することはあまりないのですが、この話を聞いて、考え方の違いを改めて感じました。

信仰継承のしやすさから言えば、子供のうちに洗礼を受けさせる方が圧倒的に良いのでしょうね。親子で信仰継承できれば、共同体の維持がしやすいはずです。
子供が自分で信仰を選びとるまで待つ、というスタイルだと、親と同じ宗教を選ぶかどうか分からないし、三十代、四十代になってから信仰を選ぶことだってあると思います。わたしがお世話になっている教会では、どこも信徒の高齢化が進んでいて、信仰継承は喫緊の課題と言えます。親から子へ、子から孫へ代々信仰を継承する家庭というのは、日本のプロテスタントの教会ではめったにお目にかかったことがないですね。

わたしがよく知るご夫婦は、子供さんが小さいうちは一緒に礼拝に出席していました。その子たちは中学生頃になると礼拝に来なくなってしまい、現在はご夫婦のみで出席なさっています。子供たちは学校の友人とのつきあいや部活動や塾を優先するようになるのですね。それで、親も子供に信仰を押しつけることがないから、自然と足が遠のいてしまうのかな、と思います。いま、その子たちは大学生と社会人になっていますが、もしかしたら、人生のどこかの段階で神さまを必要とするときが来るかもしれません。そして、教会に戻ってくるかもしれないです。

親子の信仰継承を積極的に行わなければ、信徒の高齢化と教会の規模縮小は仕方がないことかな、と思います。日本の地方の教会のほとんどは小さな群れで、給与所得のない年齢層が多くて、信徒の献金による教会の年収が200万円程度しかないところばかりです。これでは満足に牧師給を払うこともできず、牧師が家族を養い、子育てをすることが難しいですよね。この先、信徒の数が減ることはあっても急に増えることはないでしょう。近い将来、一つの教会に一人の牧師ではなく、一人の牧師が複数の教会をかけもちするようになるだろう、と言われています。実際、教派によってはそのようにすでになっています。

次回はアブラハムの家に御使いが訪れる場面の予定です。今週は書評をひとつ書きましたので、お時間があるときにそちらも覗いてみていただけたら、うれしいです^^ 引き続きよろしくお願いいたします!