フラワーアレンジメント 守護霊は僕の未来の娘

[恋愛論・結婚]

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 気がつくと僕はこの世とあの世の境目にある大きな難題門の前にいた。見覚えある守護神の爺ちゃんから、まちがってここに来たから人生をやりなおせと言われ、良き人生を切望する僕は守護霊の玲をつけてもらった。玲は僕の未来の娘で、いっしょにお母さんを探そうと言った。僕の子どもを産みたいと宣言する事が玲のお母さんになる条件だった。
 M大付属病院で昏睡から醒めた僕は記憶があいまいだった。担当医の長岡医師は、あおり運転で嫌がらせされていた自転車の女を守った僕が、車に撥ねられて死亡したが、蘇生したと説明した。僕は上半身を数ヵ所骨折して顔も骨折し、整形手術されていた。
 五月の連休明け、M大学化学科二年の僕の、守護霊の玲が助言する闘病生活が始った。
 病室に僕を看護するM大看護学科の大原まり子がいた。彼女は玲のお母さんになると宣言できずに、玲の力と僕の助言で、僕の友人の斉藤卓磨と正式につきあうようになった。僕と顔見知りのM大看護学科の人たちは僕の死と蘇生で、機会を逃すと思いを伝えられない、と知って病室を訪れたが、玲のお母さんになれる人はいなかった
 顔の包帯が取れて整形後の顔が現れると見舞者が頻繁に病室を訪れた。見舞者の多さに、長岡医師は今後の僕の身を案じて、僕が住んでいたM大学生寮を出て、長岡医師の知人が経営する下宿での生活を勧めた。玲と守護神の爺ちゃんが長岡医師の背後で動いていた。
 九月。退院して下宿生活が始った。晩秋。化学科四年の大淵から、秀徳大の看護学科三年の原田明美を紹介されて、入院している明美の母を見舞った帰り、大淵は、明美の相談相手になってくれ、と僕に言った。僕は気楽に承諾して明美に会い、僕の身上を話した。明美は母の病状を何も話さなかったが、少しでも明美が元気になれたらいいと思う僕は、明美に一目惚れしているのを感じた。明美も僕に一目惚れしていた。
 僕の知らぬ間に明美は家族を説得して、僕が婚約者として明美の家で暮らすよう、僕の実家へ連絡して承諾を得ていた。僕は明美の思いを承諾した。明美の婚約者として明美の家で暮らすと、明美は僕の子どもを産みたいと宣言した。すると、明美は、僕の守護霊の玲が見えるようになり、暮れに病院から一時帰宅した明美の母も玲の姿が見えるようになった。玲は僕と明美と明美の母の守護霊になって、年明けまもなく母は退院した。
大学三年の五月。僕の右手に異常な筋力が現れた。M大付属病院で長岡医師の診察を受けると事故の後遺症で頸椎が神経に影響を与えていると診断でされ、薬物治療で快復した。
 翌年春。明美は国家試験に合格して卒業し、母が入院していた総合病院に勤務した。
 その翌年五月。大学四年になった僕は就職試験で事故の後遺症を話したが何も問題にならずに合格した。背後で玲と美具久留の爺ちゃんと長岡医師が動いているらしかった。そして、明美と玲が「お腹に玲がいる」と言った。僕は、玲が爺ちゃんや長岡さんの守護霊たちとともに、誕生の準備をしていた事と、爺ちゃんが僕と明美と長岡さんの遠い昔の先祖で、僕たちの先祖神だと知った。

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