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すごい。
読み進めるうちにドストエフスキーの『地下室の手記』を思い出しました。逃げ出せない場所で自分の苦痛と向き合う。野獣の生き様がありますね。
返信(2)
『地下室の手記』の主人公はよくその自意識の過剰さが話題にのぼりますね。そして、ちょっと幼稚な理屈で生きているようなところも。しかし、その「幼稚な〈閉じこもる〉自意識」は思春期など特有のものなのでしょうか。僕はそうじゃない、と考えます。人間はみんな、「逃げ出せない場所で自分の苦痛と向き合う」と、恥ずかしいくらいに自意識過剰になると思うのです。それは老若男女問わず、そうなることがほとんどだろう、と。どんなに老成していても、環境次第では無理だろうなぁ、と思いますね。逆に、この作品で描かれる、違う世界へ意識が飛んでいってしまったひとたちは、本能に忠実に生きていて、自我を失っていそうでいて、それは引き裂かれた自己であり、引き裂かれてはいるけれども自我は持ち合わせていると考えます。〈人間〉なのです、全員。「野獣の生き様」にも、流儀があって、それを感じていただけたのなら、この作品は大成功です! お読みいただき、ありがとうございます!!
『その「幼稚な〈閉じこもる〉自意識」は思春期など特有のものなのでしょうか。』
なるほど。自意識と言うものは自分の置かれた環境や周囲との関係性の中で常に変化していますからね。「自意識の変化が止まった」人間はもしかしたらもう面白味の無い人間になってしまっているかもしれませんし、「自意識が常に変化している」人間は成長や変化を感じ取っている感受性が豊かで現在を生きている人間なのかもしれませんね。
そう考えると、青春とは時期や時間的に区切るのではなく、人間の人格形成が変化し続ける限り終わらないものかもしれません。
なるほど。自意識と言うものは自分の置かれた環境や周囲との関係性の中で常に変化していますからね。「自意識の変化が止まった」人間はもしかしたらもう面白味の無い人間になってしまっているかもしれませんし、「自意識が常に変化している」人間は成長や変化を感じ取っている感受性が豊かで現在を生きている人間なのかもしれませんね。
そう考えると、青春とは時期や時間的に区切るのではなく、人間の人格形成が変化し続ける限り終わらないものかもしれません。