もっと『闇の左手』~ゲセンへの秘密の扉~

戯曲『闇の左手』の原作小説(アーシュラ・K・ル=グウィン著)は、ひじょうに複雑ですばらしい世界観に基づいています。私の戯曲だけではものたりないという方々と、原作への愛を共有するために、もととなっている引用部分の資料集のコーナーを作りました。翻訳は私のオリジナルです。
アクセスしづらい形になっているページもあり、ご不便をおかけしますが、とある事情のためなので(詳細は「はじめに」をご覧ください)、お許しいただければ幸いです。(スマートフォンでもダブルタップで入れます。)

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18-1~7まで読みました

いつものごとく、とりとめも無く感想を書かせていただきます。あくまで私の感覚ですので、意図と違う部分があればすみません。

 18-1:ここの訳はとりわけ素敵ですね。あの「歓喜」につながるところの息づかいというか、間合いがとっても好きです。読んでいてリズムがふっ、とつながる。この緩急の妙は三村さんが演劇を書かれてそして演じられる方だからこその賜物でしょうか。最初日本語訳を読んだときには読み飛ばしていました。
 18-2:まるでアイがその場でつぶやいて(ぼやいて?←このぼやきが微笑ましい)いるようです。読んでいることを忘れて、直接頭の中に寝坊のエストラヴェンを笑いながら見ているアイや目をなめている色っぽい光景などが浮かびます。(いや、もちろん彼らは必死なのですが)するすると読んでいて、改めて読み返すとその訳の妙に気がつくといった次第です。「一息一息が吹雪」って、面白くて迫力のある表現ですね。小さいときに読んだときには読み飛ばしていました。読みやすいのでいろいろな発見があります。
18-3:私はどんなに仲が良くても長期で旅行していると仲が悪くなってしまうことがあります、わかるなーって感じです。黙々と旅をする二人の描写ですが、でも味わいがある。私はこの「闇の左手」がもっと多くの人に読んで欲しいと思っていますが、画像化するとこの淡々とした旅行の部分がはしょられて、そこに、氷原の猛獣との戦いとか追っ手との戦闘とかのスペクタクルシーンがくみこまれるのではないかと不安です。この作品は文章にすごく魅力があるので、将来いつか映像化されるときには是非原作にまで行き着いて、この静謐な魅力を感じて欲しいと願っています。
18-4、5:「そして僕は見た~」からの3行、緊張感がダイレクトに伝わってきます。私の頭の中では、わずかにさまよったアイの視線が「エストラヴェンは男だけど、女の人でもあった」で見つめあいました。まるでアイの視線に意識が同調した気分です。筋は知っているのに思わずハラハラしました。未村さんの訳はドラマチック。訳し方によってイメージが全然違ってくることがよくわかる部分です。それにしてもああ、「据え膳食わぬは」の言葉をアイに教えてあげたい。しかし、男女の仲となったあとでも友人に戻れるのか、と考えさせられました。(どちらの関係がいいかは、一長一短ですが……)
 18-6:「私の嘘を見抜いてくれるというわけ?」 エストラヴェンの言葉がこころなしか女性寄りに(笑)(出版されている日本語訳は~かね?と男言葉でした)身体的関係はつながらなくても、心の中のつっぱりが18-4,5で薄くなったからでしょうか。でも、まだ嘘をついているなんて匂わせて。(笑)
18-7:テレパシーで話すと、心の壁がなくなるからでしょうか。エストラヴェンがすっかり女性的です。私は最初読んだ時、男と男の深い友情との境界が不明瞭な愛というように読んだので、エストラヴェンの女性的な半分が前面にでているこの訳で新たな魅力がわかった気がします。後でお兄さんとの関係が出てきますが……腑に落ちるような気がしています。

返信(1)

わあ、たくさんありがとうございます!すごく嬉しいです!「意図と違う」どころか、私の書きたかったことをすべて読んでくださっているので……感激です。本当にありがとうございます。
18-1は、第一章の冒頭と対になって、全編のかなめになっていると思うんです。Web用に行替え・段落替えをしてますので、縦書きの本にするときはもとに戻さなくてはならないかもですね(そういう日が来ますように!)。でも、原文の息遣いを伝える努力はこれからも最大限続けます。この小説は、かけがえのない人を喪う「喪失」の物語ではあるのですが、その喪った「歓喜」そのものも書かれていて、それこそ「闇の左手」である「光」に満ち満ちた作品だと思うのですね。その輝かしい感じを伝えたいんです。
18-2: 「一息一息が吹雪」は原作どおりの表現です(each breath a snowstorm)。ハヤカワ訳でそれが印象に残っていないとしたら、まわりに埋もれてしまっているということでしょうね。私思うのですが、良い文章はすべて音楽的ではないでしょうか。そして音楽では、もちろん大事でない音符はないのですが、より際だたせるべき音符とそうでないものがあります。川で言えば、さらさら流れる部分と、はっきりしぶきをあげる部分とでも言うか。その緩急、強弱のリズムを大事にしたいと思っています。
18-3: 私も親友と長い旅行をして、何度か気まずくなりました(笑)。たしかに何も猛獣とかには遭わないですね。仰るとおり映像化されるとよけいなものを詰め込まれてしまう危険はありますね。「読んでいて映像がありありと目に浮かぶ」文章は、じつは最も映像化が難しい文章だったりします。「静謐」という言葉、私も大好きです。
18-4,5: ここね、本当に難しい部分でした。ゲンリーが目を背けてきたということが、いま読んでいる読者のかたに嫌悪感を呼び起こしては絶対いけない。いまゲンリーは彼=彼女を美しい、愛しいと思っていて、いままで拒否してきた自分が馬鹿だったと思っているわけで、私の中ではゲンリーはそれこそ声を出さずに絞るほど泣いているんですね。「据え膳喰わぬは」(笑)、これは私が女なので推測ですが、男の人って、それも責任感の強い人ほど、「失敗しちゃったらどうしよう」なんて考えるのじゃないでしょうか? 女は、というか私なら、失敗してもぜんぜんOK!むしろ、きゅん、と思っちゃうのですが(笑)。ル=グウィンさんは健全で感動的なセックスを書くのが上手な人なので、この二人にも気持ちよくさせてあげてほしかったなと私も思います! 良いセックスの後はきっと恋人かつ良い友人になれると思います。これ以上書くとはずかしいのでもうやめます(笑)。
18-6,7: このあたりのエストラヴェンはつとめて男性的にならないように心がけました。結果として女性的になっています。それでもエストラヴェンが「~なのか?」、ゲンリーが「~なの?」と話していたりして、これは先の訳からもう50年たっていて、まわりの若い人たちの会話を聞いていると女の子の言葉はよりさばさばと、男の子の言葉はよりしなやかになっている気がして、それを反映させてます。そうそう、お兄さんとそうなので……お兄さんとの関係ではエストラヴェン女性側なんですよね(ネタバレ)。
次回はまたこぼれ話もアップするので、合わせてお楽しみいただけたら嬉しいです。(^^)/