台灣懶惰日記~其の貳~

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「台灣懶惰日記」第2弾です。
表紙が新しくなりましたが、内容は相変わらず、あまり役に立ちそうもないことを、だらだらと書いていくつもりです。

ファンレター

作家のイメージカラー

最新話まで拝読しました。文庫の背表紙の色が作家毎に色が違っていたとは、今まで気づきませんでした!
「微妙な色の違い」を確認してみたくて、身近にある新潮文庫を改めて見直してみました。モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズ全11巻は背表紙が赤で文字は白。マーク・トウェインの「トムソーヤ」と「ハックルベリーフィン」は背表紙が黄色で文字が黒。トルストイの「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」や「復活」などは背表紙がグレーで文字が白。ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」や「大いなる遺産」などは背表紙がダークブラウンで文字が白。ドストエフスキーの「地下室の手記」は背表紙が銀色がかったライトスチールブルーで文字が白。ポール・オースターは背表紙が黒で文字が白。サリンジャーの「シーモア」や「フラニーとゾーイ」など背表紙が緑で文字が白。プルマンの「ライラの冒険」シリーズは豪華にも背表紙が金色で、文字が白です。
手持ちの新潮文庫では、背表紙の色がない(つまり白地に黒文字)作家も多かったです。サン=テグジュペリやバーネット、メーテルリンク、「オズの魔法使い」のボーム、リンドバーグ、ツルゲーネフ、トーマス・マン、メルヴィルなどなど、有名作家でも色がないんですね。
作家毎に背表紙の色が違ったり、有名作でも背表紙の色がなかったり…出版社はどういうコンセプトで装丁家に依頼しているのでしょうね? 違いが分かると、あらためて気になりました^^ トゥエインの明るい黄色やサリンジャーの爽やかな緑は作家に合っている気がします。モンゴメリが赤なのはインパクトが強すぎるから、コーラルやピンクでも良いのにと思いますね。トルストイのグレーとディケンズのダークブラウンも長編だし威圧感があるから、もっと明るい色にしてもらいたいですね。特にディケンズってユーモアあふれるエンタメ作品だから、暗い色は作風に合わない気がします。
最近は電子書籍で読むことが多いので、久しぶりに本物の本棚で紙の本をじっくり見ました。電子では厚みがないから、背表紙は存在しないんですよね。背表紙というのは、紙の本ならではの味わいですね!

「周五郎派と周平派」のお話、藤沢周平は読んだことがなかったです。山本周五郎はかなり前ですが、「五瓣の椿」を読みました。国仲涼子主演のテレビドラマを観て、次の週まで待てずに原作を買いに行ったのでした^^ 復讐を遂げた主人公が報われない、誰も幸せにならないお話でした。でも、山本周五郎は「自由奔放なユーモア」作品も書いているのですね。ご紹介の『大納言狐』、読んでみたくなりました! 面白そうな本の紹介をありがとうございます。
次回も引きつづき楽しみにしていますね。

返信(1)

mikaさん、お読みいただきありがとうございます!
さすがmikaさん、mikaさんの書棚は外国文学ラッシュという感じですね^^
ドストエフスキーは、仰る通り銀がかったブルーですよね。『カラマーゾフの兄弟』は、以前光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳が話題になったことがありましたが、私は元々、新潮文庫の原卓也訳で読んだので、ドストエフスキーと言うとやっぱり新潮文庫のあのブルーの色のイメージが浮かびます。初読が、その読者にとっての作家イメージになることもあるのかなって思いました^^

新潮文庫の「アン」シリーズ、真っ赤ですよね…(赤毛だから?笑)。でも、確かにmikaさんの言われる通り、作品内容的にはコーラルやピンクといった優しくて、かつさわやかな色遣いの方が合っていると私も思いました(*^^*)
それからmikaさんの仰るのを聞いて気が付いたのですが、色がない――白の背表紙の作家もけっこう多いんですよね。特に新潮文庫の外国文学に多いような気がしました。スタンダールとかバルザックとか、あとリルケの「マルテの手記」なんかも白でした。
サリンジャーは、私も以前にやっぱり新潮文庫で「フラニーとゾーイ」というタイトルで読んでいたんですけど、村上春樹の新訳が出たので買い直したら、「フラニーとズーイ」にタイトル(+人物の名前)が変わっていました。前に児童文学の書評でご紹介させていただいた「やかまし村の子供たち」も、新訳では「オッレ」が「ウッレ」に変わっていてびっくりしたんですけど、登場人物の名前が変わっていると、なんだか違う作品みたいですよね…^^;
mikaさんは山本周五郎の「五瓣の椿」をお読みになったんですね!国仲涼子主演のテレビドラマは私は見ていないのですが、過去何度も映像化されたことがあるそうで、周五郎文学の中で代表作の一つという位置づけらしいのですが、私的には周五郎作品の中では、正直あまり感動できなかった作品でした^^; mikaさんが仰る通り、「誰も幸せにならないお話」なんですよね。周五郎には「人間賛歌」というべき、人間の善意を信じるすばらしい作品がたくさんありますので、もし機会がありましたらぜひ読んでみて下さいませ!^^(周五郎は絶筆となった最後の作品(未完)は時代小説ではなく、現代小説「おごそかな渇き」で、キリスト教的なテーマを追究しようとしたと言われています。キリスト教と作品が関わり合う数少ない日本作家の一人と言われていて、そういう意味で藤沢周平のような、「いかにも時代小説家らしい時代小説家」とはちょっと違う印象です)。

あと、これは余談なんですけど、「五瓣の椿」って、主人公が一人殺す度に、椿の花弁を一枚ずつ置いていきますよね。ある人(評論家だったかな?)が「椿の花は五弁と言っても実は合弁で、下でつながっているのだから、花弁を一枚ずつ取ることはできない。あれは、主人公が一枚ずつ、わざわざ手でちぎっているのだろうか」ってツッコミを入れていたのを読んだことがあって、くだらないですけど、思わず笑ってしまいました^^
小説の細部って難しいですよね~(^^)/