ここで会ったが百年目

[日記・個人ブログ]

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95件のファンレター

 この冷めた時代、ポジティブな感動が難しくなってしまった気はしませんか?
 だからこそ、感動のありかを探してみたいと思いました。今まで、私は何に感動しながら生きてきたんだっけ? 自分でも忘れかけているので、あちこち再発掘を試みます。

 日々の雑記帳ではありますが、ブックレビュー多めになるかも? なるべく本気で感動したものだけを取り上げていこうと思います。かつてあった「ときめき」を思い出しながら。

※表紙イラストは、なっちゃん~様のフリー素材を使用させて頂きました。

ファンレター

最新話まで拝読しました

あおぞらさんがご紹介してくださる歴史小説の中で、『利休にたずねよ』が一番面白そう!と感じました^^ さっそく母に「読んでみたら」とレコメンドしようしたところ、すでにその本に持っていて、既読だったんです。直木賞受賞作だから手に取ったのかな。映画は市川海老蔵さんが主演なのですね。母は映画はまだ観たことがないようなので、今度一緒に観ようかな、と思っています^^
わたしは以前、お茶(表千家)を習っていまして、楽茶碗も馴染みあります。そんな楽茶碗の生みの親が瓦職人だったとは知りませんでした! 無骨な黒楽よりもやわらかい色味の赤楽の方が好きでしたが、赤楽誕生の逸話に驚きで……ぞっとしました。

同じ時代の芸道もので、『花いくさ』という映画を以前に両親と一緒に観まして、とても良い映画でした。池坊専好を野村萬斎さんが演じていて、劇中のお花も素晴らしい出来栄え。両親は若い頃にお花を習っていたので、感動していました。こちらの映画にも千利休が池坊専好の親友ポジションで登場しています。

『宇喜多の捨て嫁』のご紹介で、「捨て嫁」という言葉を初めて知り、女性の扱いのひどさに憤りを覚えました。織田信長の妹、お市は嫁ぎ先の浅井家を信長によって滅ぼされていますが、彼女の場合は殺されず織田家に戻って来ているので、「捨て嫁」ではなかったということでしょうか…?
二人称で書かれているという、もう一つの作品も興味深いですね! わたしが以前に翻訳したブーニンの小説でも、通常は一人称で書かれているのですが、途中から自然に二人称に切り替わっている部分がたびたびあり、面白い言語表現だと思っていました。ブーニンの方は、「君」=読者なので、読者と主人公である「僕」の一体感を高める、読者が「僕」と一緒に旅しているような気持ちにさせる効果を狙っているのでしょう。
珍しい人称では、フォークナーの『エミリーへのバラ』やジュリー・オオツカの『屋根裏の仏さま』で、「私たち」という主語が全編通して使われていて、不思議な文体だなと思いました。文体と言うのは奥深いですね^^

返信(1)

mikaさん、コメントありがとうございます。
そうなんですね! ブーニンも二人称で書いていたとは。「君」=読者というスタイルが、読者と主人公の一体感を高めるというところも、なるほどとうなずかされました(人称の切り替えが自然であるというところも、作者の腕が熟達していた証拠ですね)。それにしても、変わった文体の作品がこんなにすらすらと出てくるとは、mikaさんさすがです!!

「捨て嫁」は、たぶん作者の木下さんの造語かと思います。お市の方もそうですが、この作品でも後藤勝基が妻の於葉に対し、いざという時は実家に帰してやる、後藤家に殉じることはない、と言うシーンがあるんですよ。於葉の方が頑なに拒むんですけどね。
普通は親族の女性が嫁いだ家とは敵対しないのがお約束だったと思います(そうではない、例外的なケースの方が歴史に残りますが)。でなければ、人質をやり取りする意味がなくなってしまいますからね^^。

『利休にたずねよ』の赤楽茶碗のエピソードも、たぶん作者による創作だと思います。長次郎という人物もほとんど謎に包まれています(親は中国人である可能性が高いなど、いくつか分かっていることもあるようですが)。でもこんなにドラマティックで印象的なエピソードを、分かっている史実を変えずに描けるところが、作者の腕だなあと思いますよ。

『花いくさ』の映画は未視聴なので、ぜひ見てみたいです。芸道物の主人公が、表舞台の歴史の有名人をやっつける系の物語は、見ていてワクワクします(笑)。野村萬斎さんは、こういう飄々とした役柄がお似合いですよね。『のぼうの城』(小説の方)も、そのうち記事にしたいなあと思っています。