桐一葉

作者 桐乃桐子

[日記・個人ブログ]

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57件のファンレター

梧桐一葉落天下盡知秋

(アオギリの一葉が落ちて天下の秋を知らせる。)

ファンレター

病気とともに

桐乃さん こんばんは。
水凪トリさんの『しあわせは食べて寝て待て』桐乃さんのレビューを読ませていただいてはじめて知りました。
さっそくちらりと試し読みをしてきました。せつない…。そして、わかる…。
私も持病を抱えて生きる身となり、ずいぶん悔しい思いや情けない思いをしてきました。
病気がわかるまでは仕事を辞めるという感覚もなく、幼稚園のママ友問題で悩む人たちを見ても「私は関係ないし~…」と心の中で思っていました。まさか復帰できずに自分もそのに荒波に揉まれることになるとは…トホホ…です。作品の中の「専業主婦率」に納得です…。望んでいるのでも、許されているのでもなく、怖いのです。体調が悪くなって休んだり辞めたりするのが…。仕事を前にどうすることもできなくなるのが。
以前は病状が今よりずいぶんひどく、ママ友さんに遊びやお出かけに誘ってもらっても続けて予定を入れることができない(今もこわくてできないのですが)ので「すみません…」と言ってお断りするのですが、本当なら行きたいのに謝りながら断るってなんなんやろう…と思っていました。
家族と公園に行くと、わたしはすぐにしんどくなってレジャーシートに横になって休んでいました。少し遊んでは休む。常にぐったりしていました。だからあまり人のいない、家から少し離た公園まで行っていました。
こどもと思いっきり遊べない自分がふがいなく、元気でやんちゃな息子たちにはたくさん我慢をさせてしまいました。
夫は私の病気がわかった時「お前が一生背負う病気ってことは、俺も一生背負うってことやぞ」と言ってくれました。
うれしかったですが、私は家族にも病気を背負わせているんだなぁと思いました。
私の子育ての記録は闘病の記録でもあります。闘病というと大げさですが、病気とともにあります。
病気と折り合いをつけながら…。
病気を受け入れるまでも時間がかかりました。
最近は病状もずいぶんよくなり、だんだんと開き直れるようにもなってきたので「無理なもんは無理!」と家族にもずいぶん甘えます。
「洗い物しよっか?」と言われても、以前は自分が責められているような気がして「いいって言ってるやん! ほっといて!」と言って泣きながら怒りながらやるという超ややこしい状態だったのですが、最近は「ありがと~」とあっさりお願いしちゃいます。そして自分はゆっくりスマホ見る。パソコン開く。テレビ見る。。。前はそんなこと、自分が許せませんでした。今は許せるようになったんですね。。
わたしも完治することはないので「治す」ではなく「体調を整える」という気持ちで日々を送れるようになってきました。

悔しいですが、病気になったからこそわかったこともきっとあって、病気になったからこそこども達ともたっぷり時間を過ごせました。
病気も含めてわたし、と思えるようになってきました。
友達も「しんどかったら言ってね。ドタキャンもありで!」と言ってくれます。というか、そう言ってくれる人としかなかなか約束できなくなりました。

激しく長々と自分語りをして申し訳ございません。
素敵な作品を、桐乃さんのやさしい目線で紹介してくださっていて……。

あたたかい部屋であたたかい飲みものといっしょに、ゆっくり読みたいです。

返信(6)

しおむすびさん、こんばんは(*´ω`*)
試し読みしてくださったのですね。興味を持っていただけてとてもうれしいです!

しおむすびさん、つらい思いをなさったのですね。
病気は、いつ、だれが罹るかわからない、だれが罹ってもおかしくないものですよね。いまは元気なひとも、明日もそうだとは限りません。たまたま、いまは元気なだけかもしれない。
しおむすびさんが背負っておられたものを、自分も背負うものだとはっきりと宣言された旦那さま、すてきです。
ひとり身のわたしがこんなことをいうのはおかしいかもしれませんが、家族になるというのは、お互いの荷物を半分ずつ分け合うこと、なのではないのかなと考えております。
なので、しおむすびさんがご家族に対して「荷物を背負わせている」と負い目のようなものを感じてしまうお気持ちもわかりますが、しおむすびさんも、旦那さまやお子さんたちの荷物を半分ずつ持って差し上げていると思いますので、きっとお互いさまなのではないかな、と感じました。
偉そうなことをいって、お気を悪くされたらすみません。
長女って、ひとに甘えるのが苦手ですよね。わたしも育ちはひとりっ子の長女なので、だれかに甘えるという感覚がほとんどありません(^^;)
「意地っぱり」「かわいげがない」「頑固」とさんざんいわれてきました。おとなたちから守られていたことはたしかですが、それと同時に「しっかりした子」という像を求められていたのも感じていましたし、そもそも、甘え方がわからない。
しおむすびさんは、旦那さまという、甘えてもいいお相手と出会われたのですから、しんどいときにはどんどん甘えて、そのあいだにのんびり身体を休められたらいいと思います(*^^*)

このお話の主人公・麦巻さんも、病気のため疲れやすくて、友人と約束しても当日になって体調が悪くなりドタキャンすることがあるので、前もって約束することが難しいと話していました。
「ドタキャンもありで!」といってくださるお友だちがいらっしゃるのは、しおむすびさんの人徳だと思いますし、すてきなご友人ですね。
「病気を含めてわたし」とご自身でおっしゃるように、きっと旦那さまもご友人も、病気もぜんぶまるごと引っくるめてのしおむすびさんとしてご覧になっているのだと思います。
「痛みを知るひとは、やさしくなれる」
というようなことばを目にした記憶があります。
しおむすびさんのやさしさは、ご自身が病気のために苦しんでこられたからこそ、より深く、ひとの心に染み入るのかもしれません。
しおむすびさんが経験されてきたつらさを、わたしは想像することしかできませんが、すこしでも理解できたらと思います。
繰り返しになりますが、しんどいときには周りに甘えても大丈夫ですよ! わたしも、お話を聞くことくらいしかできませんが、すこしでもお力になれるのならいつでもお声がけくださるとうれしいです(*´∇`*)

いつもありがとうございます(*´ω`*)
桐乃さん
やさしいおことばをありがとうございます( ; ; )( ; ; )
わたしも家族の荷物を持つことができていたらいいなと思います。背負わせるばかりではないかなと思います。結婚式の誓いの言葉にある「健やかなるときも病めるときも」は本当にそうだなぁと思います。結婚するときはたいていお互いに「健やかなとき」で、その後長い生活のなかで病気になったり心を病んでしまったり…。そんなときも相手を大切に思って助け合っていくのが結婚生活なのかなと。夫はそれを現実であんなにすぐに突きつけられて「聞いてないよ〜!!」と思っただろうなぁ(TT) それでもなんやかんや言いながらやさしくしてくれる夫に感謝ですね…。
甘え下手な長女。長女ってなんか得なことあるのかなぁって思います(^_^;) なにかと損な役回りですね。甘えていいと言ってくれる人には甘えたらいいんですよね。それが相手への信頼にもなるんですよね。逆に自分が受け止められる立場のときは相手が甘えられるようにすればいいんですよね…。
今回のお話を読ませていただいて色々思い出したのですが、わたしの病気はずいぶんメジャーになりはしたのですが、症状もひとそれぞれで見た目にわかりにくく、「しんどいねん…」と話をしても「みんなしんどいけどなぁ」と言われることが多かったです。その言葉、とても傷付いて…。みんなしんどい。そうやんな。わたしは甘えてるだけなんや。弱いんや。みんなしんどいけどがんばってるんや…って。
でも血液検査をすれば明らかに数値が異常で、みんなのしんどさとは少し違うはずで…。それをなかなかわかってもらえずにひそかに傷ついていました。
母にも、友達にも言われた言葉で、言ってるほうは悪気はないんだと思います。でもけっこう傷つきます(^_^;) だからわたしは「辛い」「しんどい」と言うひとに「みんなしんどい」とは言わないでおこうと思います。「みんなしんどい」って「あんただけやで。そんなにしんどいしんどいって言ってるの」っていう意味で…。言われたほうはそれでなくても病気で周りに迷惑をかけていることを申し訳なく不甲斐なく思っているのに、さらに自分を責めます。なかなかに辛い言葉でした。けっこう言われるんです…。
「しんどい」って身近なひとにしか言わないから、身近なひとに言われたんでしょうね…。「みんなしんどい」破壊力大なワードです(^_^;)
痛みを少しでも知ることができたからやさしくなれてたらいいなと思いますが、気がつくと自分を棚に上げて「なんでちゃんとやらへんのよ」などとそのひとの事情に思いを馳せることもなく思ってしまう自分もしょっちゅう出現します。いけずやなぁと思います。
桐乃さんは大きな大きな懐で「大丈夫、大丈夫だよ」とみんなまとめて抱きしめてくださるようです。
大きいです( ; ; )とっても大きいです。

また長々と失礼しました。
あたたかなメッセージをありがとうございました。
外側からはわかりにくい病気や障害をもつひとは周囲からの理解を得られにくい、というお話はよく耳にします。
痛みやつらさは、ひとそれぞれ感じ方が違いますよね。
たとえば生理痛にしても、ぜんぜん痛みのないひともいれば、毎月寝込むくらいしんどいひともいます。軽いひとからすれば「なんでそんなしんどいの?」と思われてしまうのかもしれませんが、しんどいものはしんどい。
若竹七海さんの、たしか『閉ざされた夏』という小説だったと思うのですが、主人公の妹がこどものときに、ものすごくお腹が痛くなり、それを母親に訴えようとするのですが、
「どんなふうに痛いの? キリキリするの? しくしく痛むの?」
というふうに聞き返され、
「痛みに種類なんかあるの? わからないよ」
と途方に暮れて、
「血の繋がった母親でも、この痛みを理解してもらうことはできないんだ」
と諦めにも似た感情を抱くような、そんな場面があったように記憶しております。若いころに読んだきりなので、正直うろ覚えなのですが。
自分の痛みやつらさを他人に理解してもらうのは、とても難しいことなのかもしれません。でも、そのつらさを理解したいと、相手に寄り添うことはできます。
しおむすびさんがおっしゃるように「しんどい」と訴えるひとに「みんなもしんどいんやで」と突き放すような真似はしたくありませんし、相手に手を差しのべて「そりゃいかん。ほな休んどき」といたわる気持ちを持ちたいものです。
自分の感覚が世のなかのすべてではない、ということを忘れずにいたいと思うのです。

しおむすびさんのいまのご家族は、しおむすびさんのしんどさを受けとめてくださっているのですね。よかったです(*´ω`*)
甘えてくれない相手には甘えられない、といいます。たしかにそうです。お互いさま、ですよね。世のなか、持ちつ持たれつ。
重い荷物を背負ってひとりで踏ん張る必要はないのだと思います。

またもやなんだか偉そうなことをいってすみません(。>д<)
しおむすびさんの『とほほでいず』更新ぶん「歴史のとびら 」完結編、拝読しました。
あれからもうひと月が経つんですねΣ(Д゚;/)/
びっくりです……(呆然)
今夜は遅くなってしまったので、また後日あらためてお邪魔したいと思います(*´∇`*)
桐乃さん
気持ちに寄り添ってくださりありがとうございます。
若竹七海さんの『閉ざされた夏』
作者の方のお名前、小説の題名、初めてお聞きしました。
桐乃さんがこれまで読んでこられた本の数はとてつもない量なのだろうなぁ…とあらためて思いました。
「痛みに種類なんかあるの? わからないよ」と言ったときの途方に暮れる気持ち、わかるなぁ…と思いました。
人の痛みや辛さを理解するというのは厳密にいえば不可能なのかもしれませんね。でも理解したいと思って寄り添ってもらえるだけでいいような気もするのです。
桐乃さんの「そりゃいかん。ほな休んどき」
ポスターのコピーにして日本中に貼りたいです。
なんと言ったらいいか的確なことばが出てこないのですが、「ちょうどいい」( ; ; )
泣けてくるほどです。。。
安心できて、ほっとできて……。
痛みやしんどさをもし人から聞くことがあれば、わたしもこのことばを言いたい。言おうと思います。
そして「お互いさま」。ほんとうにそう思います。持ちつ持たれつ。お互いさま。
そうできたらいいなと思います。
いつもやさしいメッセージをありがとうございます。

とほほでいず、読んでくださりありがとうございます。
歴史のとびらの3は、バレバレだと思うのですがやっつけ仕事的に書いてしまって…。
1と2を書いたときは、山ちゃんから始まって歴史に興味が湧いてわくわくした気持ちを書きたかったのですが、日が経ちすぎてその感動もすっかり薄れてから書いたのではっきり言っていつも以上に我ながらしょうもない……。
ですので読んでくださっただけで感謝です。
ご感想など桐乃さんの大切なお時間をそんなことにおつかいにならないでください。。。
もう少し気持ちをこめて書いたときにまたいただけたらうれしいです(>_<)
桐乃さんの大切なお時間はもっと有効なことに! よろしくお願いいたします。真剣です(・・;)
ありがとうございます。そういっていただけるとうれしいです(*´ω`*)

「歴史のとびら」を読んで、やっつけ仕事とは感じませんでしたが、時間を置くとすこしずつ熱が冷めていくというのはありますよね。その感覚はわかります(>_<")
今週はちょっと仕事が立て込んでいて夜遅くなるのと、もはや毎月恒例ですが事務仕事を持ち帰ることになりそうなので、おことばに甘えて、こちらでコメントに代えさせていただきたいと思います。お心遣いに感謝いたします。
お互い、身体をいたわって、穏やかな年の瀬を迎えたいですね。
いつもありがとうございます(*´∇`*)
桐乃さん
ありがとうございます。
お互い穏やかな年の瀬を……(*´︶`*)