[世界宗教探求]インド篇、あるいは解脱のススメ?

[社会・思想]

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1件のファンレター

インドの哲学・宗教思想について、現代哲学や心理学・脳科学からのアプローチもからめて、超訳していきます。

ファンレター

アートマンについて

他の方のブログですが初めてアートマンを知り:アートマンとは自己の本体である:と書かれてるのを読んで 私もこんがらがってしまいました その内容によるとアートマンについて(アートマン(私)が何か考えてもまた考えてる(私)がいるまたそれが更にいて更にいて・・)みたいな事も書かれていて?!!!そういえばなんか何か考えたら考えてる別の自分がいる感じあるよねー!・・・こんな事初めて気付いたな・・・でも何ともスッキリしないなあーワタシどこいったん??何か身体に入ってる何かが存在してるのかなとか思ってしまいました 先生 アートマンとは意識でもなく意識を意識する意識でもないというのは ・・人間はメタ意識とかで自分の考えは認識できるしアートマンという 断じて霊みたいなモノとかが入ってる事ではないという事ですね

返信(1)

コメントありがとうございます。ブッダ篇を書く途中で、現在、哲学的「国家論」のほうへ執筆がシフトしており、頓挫しているところでございます。さて、お気持ち、私も分かります。私自身も、最初の頃は、アートマンやらブラフマンやら、理解しようとして、こんがらがってしまい、パニった経験があります。とくにインド哲学の専門書が、わりとアテにならない、というか、学者なだけに、間違ったことを書いてはいけないというプレッシャーからか、もやもやっとした無難な書き方ばかりするので、どんなに読んでも、さっぱり・・・・・・私の主戦場は西洋哲学ですが、老子やら何やら、広く浅く世界の思想を網羅的に読破しているうちに、ある日、「あ!」と、突然、理解できるようになりました。要するに、アートマンは「実体」ではない、ということでして、アートマンを何かの「実体」だと捉えてしまうと、間違う、ということですね。もちろん、これは私なりの理解ですので、もしかすると、私とは異なる見解の論者もおられることでしょう。とはいえ、しかし、ほぼこれでアタリ!だとは思います。ちなみに、デカルトの「我思う、ゆえに、我あり」の「我」とは、純粋精神という「実体」です。それと比較すると、インド哲学の方が自我論については正解だった!ということが、現代の脳科学的見地からも言えます。すげぇッ、とは思います。西洋哲学ばかり人気がありますが、東洋思想も、面白いですよね。