【ブックガイド】人生は、断片的なものでできている

作者 mika

[創作論・評論]

88

24,957

21件のファンレター

☆NEW!!☆アティーク・ラヒーミー『悲しみを聴く石』 #本で世界とつながろう
皆さまに、ぜひとも読んでもらいたい! と思う作品を紹介しています。
ノーベル文学賞って気になるけど、難しそう……そんな受賞作の中身もネタバレなしで解説。
現在、お題企画「戦争について考える」に参加中です。

表題は『断片的なものの社会学』(岸政彦)のオマージュです。
※表紙はAdobe StockからFranzi Drawsさまの作品を使用させていただきました。

ファンレター

第一次世界大戦の戦争詩人たち(ルパート・ブルック「兵士」)

mikaさん、さっそく読ませて頂きました。
まず、驚きました、「戦争文学」というのがあること、しかもその起源といわれる作品が、紀元前八世紀~七世紀に書かれたということに。

怒り、悲しみ、仇を討つ… 戦争の起こり、その動機、心情面を、ホメロスの「イリアス」は重視して書かれているのでしょうか、少なくとも僕は、この全編が終わるまでのストーリーの中に、感情的な部分が重く感じられました。この感情、心情面は、今起きている戦争にも通じているようで、そこに「不信」というのが、かの為政者の心に大きく加わっているということ、そして人を攻撃的にさせる動機に、この根強い「不信」が大きく作用しているらしいからです。

そして攻撃することで、おそらく人間が生来もっている残虐性に拍車がかかる… 残酷も、優しさも、同じ心から出るのに、どうしてそうなるのかと思います。
「イリアス」では、でも悲嘆の感情に打ちのめされた老王が、殺人者である戦士の膝にすがり、息子の亡骸のために涙ながらに訴える。戦士はその涙のために心をうたれ、同情だったのか、哀しみの感情によって怒りの感情が鎮められる。
ふたりは、これまでの戦争で喪ったものを嘆く… かなしみが、怒りや憎しみをおさめた。そんな想像をしました。

「文学(芸術)は、異なる社会間の紛争の歴史の記録であり、戦争を体験した人々の集合的記憶を保存する媒体でもあった」というのも、全く知りませんでした。
文学、絵画もそうですが、芸術の生い立ちは、そういうものだったのかもしれないですね。
このホメロスの場合、戦争の悲惨を叙事詩として書くことで、当時の人々と「集合的記憶」を共有しようとしていたのかもしれない、と思いました。
後の世に残すべきもの、人々が忘れてはならないもの、という思いもあったのかなと思います。

しかし第一次大戦当初は、政府や軍は、その悲惨の映像・写真の撮影を拒んだ、とのこと。
記憶を保存して、記録として残そうとするのが文学だとしたら、政府や軍は正反対の動き、「残すな」という姿勢だったんだな、と思いました。

そして「映像や報道写真のリアリティーに対して、戦争を伝える媒体として、文学は何を伝えられるのか?」と、mikaさんは問いかけられています。この問い… あの戦争が起きて以来、ずっと自分、悶々としていたことでした。
映像や写真に対抗するのでなく、今起きている戦争に対し、自分の思いをどう文章に、言葉に表現できるのか。このことにずっと悶々としていました。
(村山さん、mikaさんのおかげで、やっと向き合えそうになりました、ほんとに感謝します。)

そしてブルックの詩。
遺言、ですね。
ブルックは、本望だったのでしょう。祖国のために死ぬ、魂を捧げることを望んだのだと思います。
この詩は、胸を打ちます。
でもこれは、かれの思い、あくまでブルックという一人の青年の思いであって、その思いを、戦場に赴く者たちへ、「個」の思いを「全体」へ美化するように「利用」されることに、違和感、疑問を感じざるをえませんでした。
もしブルックが「土に還り」その魂がこの世を見つめていたとしたら、あの毒ガス兵器で死んでいく人たちを見ていたとしたら、このような詩は書けなかったのではないか、と思わずにはいられませんでした。

ブルック、きみはきみのために死んだんだよ。祖国のためじゃない、きみはきみ自身の生の無意味さを埋めるために死んだのだ。己の死を、無意味にしたくない、それだけのために。きみは自殺したかったのではないか?どうしてそんな、生き急ぎ、死に急いだのか… もしブルックに逢えたら、いいたいです。非難するのでなく。きいて、話をききたいと思いました。

何らかの意味づけを… 人は、しようとするものなんだと思います。まして戦争、そのために死した者に対し、「国」は英霊を祀るように深く頭を下げる。でも、残された親、家族は、ほんとうのところ、どんな気持ちだったんだろう。愛国心に溢れた家庭であったら、ほんとうに誇らしく、悲しみと同等の心をもって、誇らしく、わが子の死、家族の死を、胸に抱けるものなのか…

虚構の世界。「意味のある犠牲」。
戦争をつくりだすもの… 真剣に、考えたいです。
しかしブルックの詩、そしてmikaさんのこの作品に接し、胸に来るものがありました。

第一次大戦を主題とした戦争詩は、その後、戦場のむごさをありのままに伝えるような詩へと変わっていく、とのこと。
そのような「変化」も、ブルックの詩を際立たせたように思います。
いわば客観的に書かれた詩に対し、ブルックのそれは、やはり美しいと思えます。
ですが、美しさ、美というもの… これは、死のためにあるのでなく、生のためにあるのだと思います。ただ、その美のなかには、歴史に残っているような芸術の中には、どうも「死」の影のようなものが感じられます。
でもそれを、ほんとうに死へ昇化してしまうのでなく、生とともに、生への力に、その残されたものから、生かして行くことが、生きている者としてのほんとうの力、と信じたいです。

ところで、ホメロスの叙事詩「イリアス」、これはホメロスの創作と、実際にあったトロヤ戦争とを合体させた作品なのでしょうか。
アポロンやゼウスが出てきて、アキレウスが戦場に立つのを拒む経緯、でも親友の死に、怒りと悲しみに立ち上がったアキレウス。
もしこれも、ゼウスの「取り計らい」、計画的なものだとすると、この親友の死、トロヤの人々の虐殺、最後の嘆き… ぜんぶ、ゼウスが仕組んだのではないか?と思ったりしました。

アンドレイ・クルコフ「ロシアがウクライナへ侵攻した後、何が残るのか?」も、引き続き、読ませて頂きますね。
ほんとうに、読ませて頂き、ありがとうございました。
なんか、ありがとうございましたで終わらせたくない気もします(笑)、でも、ほんとにありがとうございました。

返信(1)

わぁ! かめさん、すっごく丁寧に読んでくださり、どうもありがとうございます!!

トロヤ戦争の歴史性については、いまだに議論されています。
古代ギリシャ人の多くは、この戦争は本当にあった出来事だと考えていたそうです。
(歴史家トゥキュディデスは、本当の出来事だと考えていましたが、トロヤに1186隻もの軍船を送り出したことは、詩人の誇張だと考えていたようです)

時代が下り、19世紀末頃になると、西ヨーロッパではトロヤ戦争は起こっておらず、トロヤも存在しなかったと考えるのが一般的でした。
しかし、考古学者ハインリヒ・シュリーマンの発掘調査の成果により、今日では、多くの学者がトロヤ戦争が歴史的事実に基づくものであることに同意しています。
ただし、ホメロスの詩が戦争の出来事を忠実に表現していると主張する学者は少ないとのことです。

2001年に、地質学者ジョン・C・クラフトと古典学者ジョン・V・ルースが発表した調査結果によると、シュリーマンが特定したとされるトロヤの位置およびギリシャ軍のキャンプの位置などの地質学的証拠と、『イリアス』の地形や戦いの記述の間には、一貫性がある、という結論でした。
もちろんこれは偶然かもしれませんが、わくわくしてきますね!

毎週日曜日に放映しているTBS「世界遺産」で、ちょうど11/20の回でシュリーマンが発見したエーゲ文明のミケーネ城塞の獅子門や「アガメムノンのマスク」と呼ばれる黄金の仮面が放映されていましたよ。
完全な余談ですが、わたしは子どもの頃、遺跡についての話が大好きで、土偶や銅鐸などの本を読んだり、古代文明展などによく連れていってもらっていました。縄文土器づくり体験(粘土をこねて成形、野焼きで焼成)などもやりましたよ^^

話を戻すと、紀元前1300年頃のヒッタイトの文書の中には、「アヒヤワ」と「ウィルサ」という国名がヒッタイト語で言及されているそうです。
1990年代以降、「アヒヤワ」はトロヤ戦争のアカイア人(つまりギリシャ人)、「ウィルサ」は伝説の都市トロヤと同定する説が、多数派の支持を受けるようになりました。

このウィルサ(トロヤ)を含む22の古代国家の同盟である「アスワ連合」というのが、当時の小アジア西部(現在のトルコ)に存在しており、ヒッタイトの支配下にあったそうです。
エジプトとヒッタイトの間で行われたカデシュの戦い(紀元前1274年頃)の後、アスワ連合はヒッタイトに反乱を起こしました。
このヒッタイトに対する反乱が、アヒヤワ(ギリシャ)からある程度の支援を受けていたことが分かっています。
トロヤ戦争前のヘラクレスのトロヤ略奪のエピソードは、反乱に参戦したアヒヤワ(ギリシャ)の戦士たちの行動に着想を得たという説があります。
ヒッタイト王トゥダリヤ4世は、アスワ連合に対して軍事遠征を行いましたが、ヒッタイト王アルヌワンダ3世の時代にはこの地域の支配を放棄せざるを得なくなります。
ヒッタイトの支配下からの独立後に起こったアヒヤワ王とアスワ連合との間の紛争が、伝説のトロヤ戦争であった可能性が有力なのだそうです。


かめさんが、「ぜんぶ、ゼウスが仕組んだのではないか?」と疑問に思うのも、理解できます。
『イリアス』は、歴史の出来事(人間ドラマ)を神話的世界観に基づいて表現しているから、現代の読者には理解しがたい部分がありますよね。
例えば、疫病の発生原因が『イリアス』だと神罰として説明されています。
このような神話的な疫病の説明は、日本でも大昔から見られるもので、疫神や荒ぶる神(荒魂)、神罰や仏罰のせいにされてきました。
現代では、合理的世界観(科学的世界観)に基づいて、疫病をウィルスや細菌によるものだと説明しますよね。

両軍ともに死傷者が多く、得られた戦果よりも、払った犠牲と損失の方が圧倒的に大きい戦争が終わった後、生き残った人々は「なんて無駄な戦争だったことか」と疑問に思うはずです。
その疑問に対して、「神々が増え過ぎた人間を滅ぼそうとして戦争を起こしたのだ」と答えれば、人々はある程度納得し、「自分たちにとっては無意味だったが、神々がお望みになられたことなら仕方ない」と考えたかもしれませんね。
『イリアス』よりも少し後に書かれ、同じくホメロスの作とされる叙事詩『キュプリア』では、トロヤ戦争の開戦理由が描かれています。
そこではまさに、ゼウスが人口調節の目的で戦争を起こしたことになっています。

戦争は、個人の意志とは無関係なところで始まって終わる、理不尽な(不条理)ものです。
避けられない宿命である、人の死もそうですね。
その不条理なものを、合理的に説明してくれるものとして、はるか大昔から「神」(または神々ないし神仏)の存在があるのかなと思います。

不条理な世界をありのままで、神の存在なしに受け入れて生きる(実存)、というのは、めちゃくちゃ強靭な精神がなければ耐えられないのでは、と思ったりします。
こうした哲学のテーマは、かめさんが長年にわたって考えつづけておられるものですよね。


ルパート・ブルックと顔を合わせて対話するように、彼の詩を読み取ってくださり、どうもありがとうございます。
ご紹介して良かった、と報われる思いです。
こういうセンス、共感する力と言うのは、かめさんの素晴らしい持ち味だなと思います!!
わたしこそ、勉強させてもらいました!

そうなんです、第一次世界大戦の戦争詩はその後、目をそむけたくなるような詩、すなわち反戦詩に変わっていきます。
その中でも特に、ウィルフレッド・オーウェンの詩"Strange Meeting"(奇妙な出会い)は傑作だと思うので、いずれご紹介したいです。

かめさんが「英霊を祀る」とおっしゃった言葉の背景には、おそらく靖国神社と全国の護国神社を思い浮かべておられるだろうと思います。
靖国神社には、未婚のまま戦死した息子のために、死後に結婚できるよう、たくさんの美しい花嫁人形が奉納されていますね。その人形に付された遺族の手紙は、涙なくしては読めないものです。

しかし難しいのは、戦死者は被害者であり同時に加害者でもあるということです。
『イリアス』で言えば、トロヤの王子ヘクトルは、父親にとってはアキレウスに殺された哀れな被害者ですが、アキレウスにとっては親友を殺した憎むべき加害者なのです。
最近、坂口安吾の『特攻隊に捧ぐ』を読み返したりして、靖国神社についても思いめぐらせたのですが、まだ勉強不足、考えがまとまらないです。
(靖国神社から坂を下りて歩いて行くと、昭和館という博物館がありますよね。靖国神社の遊就館とほぼ同じ時代を展示しているのですが、それぞれのキュレーションには歴史観の違いを感じます。どちらも昭和にタイムスリップした気持ちになれる場所です。)

かめさん、このたびはお題企画を提起してくださり、本当にどうもありがとうございます!
おかげで、わたし自身、こうして真剣に考える機会をいただきました。
かめさんがこのお題で書かれるもの、読ませていただくのを心待ちにしていますね。