いじめの責任は誰にある?:書評 五十嵐律人『原因において自由な物語』

作者 mika

[創作論・評論]

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五十嵐律人『原因において自由な物語』(講談社、2021年)の書評です。『法廷遊戯』、『不可逆少年』に続く三作目。
極力ネタバレをせずに紹介しています。未読の方も安心してお読みください。

参考:
文部科学省「2019年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(2020年10月22日発表)
文部科学省「コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状について」(2021年5月7日発表)

ファンレター

作品だけでなく

mikaさん、こちらを拝読しました。

学校を中心とする子どものいじめ、そして悲劇についてはいつも心を痛め、悩んでいます。それを探っていくと、まさしく「無責任に積み重ねられた自由な意思決定」にぶつかると思います。いじめに限らず、いろいろ重なって起きてしまう諸問題も、この表現で説明できるものが多いように思いました。
弁護士作家さんですから、そこのところはより感じておられるだろうな、とも。
mikaさんの書評で作品だけでなく、作家さんのことも大変気になりました。

有り難うございました。

返信(1)

村山さん、お読みいただきありがとうございます。作品だけでなく、著者自身についても関心を持ってもらえて、うれしいです^^
本作はいじめ自殺を題材としているので、読んでいて辛いものがありました。作中でいじめを受ける人物が複数いるのですが、容姿や先天的な障がいを理由としたいじめは、本人に落ち度が全く無いので、本当に苦しく思います。また、いじめの加害者だった子が次のターゲットとなり、いじめの被害者となってしまう事例も描かれていました。加害者で同時に被害者、という解決が難しい問題もあるのだな、と考えさせられました。

刑法理論である「原因において自由な行為」が、いじめ自殺問題とどう結びつくのか注目して読んでいました。いじめの加害者や傍観者は、飛び降りる背中を直に押したわけではないので、結果行為時点では罪に問えない、責任無能力状態と同じです。しかし、もし、その結果を生じさせた原因行為時点の罪を問えるならば、加害者や傍観者たちに完全な責任を問うことができる。
感情論からいじめを断罪するのではなく、刑法理論を根拠にして、いじめ自殺問題の責任の所在を問い直す試みは、さすが弁護士作家だと感動しました。

テーマが重いので、読んでいて楽しいとは言い難いですが、新しい知見を得られます、おすすめの一冊です^^ お時間あるときに、ぜひとも手にとってみてください。