ラ・フォリア ‐ La Folía

作者 SARTRE6107

[ホラー]

86

46,496

24件のファンレター

東京の大学に通う学生の香澄は父の気まぐれで埼玉県の蓮田市へと引っ越す。そこには開かれた風景と広々とした空が広がり、東京都心とは違う装いを見せていた。その中で彼女は、元荒川のほとりで佇む一人の中学生、優斗と出会う。彼の持つノートには短文が散りばめられ、香澄はその世界に引き込まれて行く。



ファンレター

2回は読んでおきたい!

 1読目、最後まで読み切った瞬間に飛び込んだ文字が「埼玉スタジアム」で、そう来たか! となりました。このくらいの文章量までの作品は、ストーリーに加えて段落的な構成がかなり冴えてないと粗が目立っていくのですが、「埼玉スタジアム」でもって冒頭と末尾をきっちりと締めたのを見せつけられたときはもう、完敗でした。

 ……と、そんなわけで。

 実を申し上げるとこの作品を読み終わってから2日目の昼を迎えています。
 読み終えたのは昨日の朝なのですが、どのような感想をここに残そうかと悩んでぼんやりしていたら、まるまる1日が過ぎてしまったのです。

 哲学的に深く、詩的に耽美。……なんて、格調高い表現そのものを褒めても表面的でまるで面白くない。かといって感じたところのすべてを書こうとすると確実に矛盾が起こる。
 そのくらい多層的なこの作品は、当てる光の加減や角度で浮かび上がる文様に差が出ると感じます。本音を言ってしまえば、感じたところのものを1つ1つスレッドに仕立てて、それについて読者間で意見し合いたいくらい。間違いなく山のようなスレッドが立てられることと思います。

 とはいえ、感想は感想。そして感想であっても、感想であるからこそ、1つの筋書きに沿って展開されなければいけません。それならばどこに焦点を当ててどういう筋書きで感想としようか……。と、思いながら2読目をいってきました。結果、

 空と大地の表現が、こんな場所ですでに登場していただと?

 と、唸りました。「父さんは土と空に囲まれて居たいのよ」という、香澄のセリフを読んだ瞬間に。1読目は単なる父親の自然志向として読み流していたので、再読しないときっと気付かなかったでしょう。
 そして2回目はより深く、感じる。
 そういう意味でも、何度でも読み返したい作品です。きっと自分も、このあともう一度読むと思います。

 人は空と大地の中間に在るつもりでいて、実際には大地にへばりついて、大地の恵みを“ むさぼり食らっている ” わけです。加えて大地も人も触れ合うことの可能な「実体」ですが、対する空だけは、人がどれほど手を伸ばそうと触ったという実感を得ることはない。だからこそ人は空に憧れるし、恋する対象のように空を見上げるわけですが、人にしてみればそれは何かの譬えか別の誰かの代用でしかないのですよね。この物語の悲しさは当の空がそれを本物と勘違いし、己の立場を忘れて人に触れようとしてしまったという部分なのだと思います。
 だって、天に浮かんでいるだけの空が人に近付くためには相当のエネルギーが必要なわけですよ。結果それは青空のままとはいかず、果ては雷か強風か、そのように大地を抉り、あるいは人を傷つけ、最後には破壊せずにはいられない何かになってしまうのは、これはもう仕方のない部分があるわけです。

 しかし、「空」たる香澄からすれば不満でしょう。彼女はきっと、「最初に声をかけてきたのは優斗、あなたじゃないの」と、叫びたいというのが本音のところだろうと思います。思わせておいて、勘違いさせておいて、婉曲的に「空は空であれ。距離を間違えるな」とばかりに突き放した優斗の罪は、重い。(もちろん、大学生である自分の身の程をわきまえずに中学生に対して嫉妬した香澄の罪はそれ以上に重いわけですが)
 香澄その人を見れば、家族とであれ大学内の学生とであれ、冒頭から他者との距離取り方、他社とのかかわり方に戸惑いを覚えていたわけですので、それが「(これまで住んでいた場所から見れば)田舎」に越したことへの屈折や、人工物のないシンプルさへの妥協、弱き者へ優越感や依存、邪魔者への嫉妬、拒絶されたことによる妄執と、心の箍が外れて転落していく様は哀れでした。
 悲しい人、と、ひとことで表現したらやりすぎでしょうか。しかし、彼女は実に悲しい人であった、と感じたのです。

 結びになりますが、できればこの作品は活字にしてほしいと思うのです。何かの賞に応募なさったりはしないのでしょうか。本棚に、大事に飾っておきたい作品です。

2020.11.27

返信(0)

返信はありません