ジークフリート・ノート ~白鳥とか黒鳥とか湖とか~

[恋愛・ラブコメ]

208

48,300

3件のファンレター

『白鳥の湖』をもとにした青春ラブストーリーです。ハッピーエンドです。原作の登場人物によく似た若者たちの群像劇。『白鳥の湖』の楽譜が失われてしまったという設定のパラレルワールドで、彼らがその復活上演をめざします。おもにオーケストラの話ですが、最後にバレエも出てきます。
言いかえれば、イケメンだけどオタクでヘタレ、ハイスペック陰キャな王子さまが、女にも男にもモテまくり、トラブルに巻きこまれまくりつつ、愛と友情をとおして成長していく物語です。
【注】この架空の国には、同性間の恋愛に対する差別も、人種差別もありません。みんな自然に生きています。(そういうありかたに違和感を感じるかたには、面白くないかもしれません。かといって過激なBL性愛シーンもないので、そういうご期待にもお応えできません。でも、)私自身は、こんなほんわかハッピーな世界に住めたらいいなと思っています。

ファンレター

ジークフリート&オデット両方読みました^^

シリーズ完結、おめでとうございます!
ジークフリート視点とオデット視点、両方読むとお互いのことが客観的に分かって面白かったです。ジーク視点では、彼が気さくな性格ゆえ、王子という身分であることがあまりピンとこないのですが、オデット視点ではそれがよく分かりました。王家の葬儀の場面を中継されて全国民が見守る、彼はそんなアイドルのような存在だったのですね。オデットが憧れる気持ちもよく分かりますね。チェーホフを引用するくだり、オデットの恋心がかわいいです^^
何度か読み返して分からなかったのが、二人がなかたがいする場面です。ジークがデジレを空港まで見送って帰ってきたら、鉄道駅でオデットが外で何時間も待って、体調を崩していたんですよね。オデットはなぜ待っていたのでしょうか。この世界は現代で、スマホを持っている記述があるので、連絡の行き違いで待ちぼうけすることもないだろうと思うのですが…。オデット視点を読むと、自信喪失していたのかなと感じましたが。

デジレが口にした同性愛差別の台詞は、読んでいて胸がぎゅっとなりました。未村さんご本人が、差別主義者でないことは分かっているのですが、やはり衝撃的な言葉で。カトリックにも福音派にも同性愛を攻撃する信徒たちがいるのは事実ですよね。女性牧師を認めないとか、中絶を認めない問題もあり、ネオコンの人たちは近親者の性暴力による妊娠すら中絶を否定しています。
アメリカでは同性愛者や女性への差別が激しい一方で、同性婚を教会で執り行ったり、女性牧師や同性愛を公表している牧師を認めている教派もあります。同じ神を信じて、同じ聖書を読んでいる人々が、こうして正反対の立場なのは悲しいことですね。
作中でキリスト教会の同性愛差別を台詞にするなら、当事者の読者が「すべてのクリスチャンは同性愛差別なのだ」と思って悲しむことのないように、同性愛を受け入れる教会もあるということを注釈でも台詞でもいいので、どこかで書いてもらえたらと思いました。

デジレは「カトリックも大変だけど、ロシア正教会もきつそう…」と言っていますが、ロシア正教会はどうかというよりも、ロシアは現在、国家主導で同性愛差別です。ロシアでは2013年にゲイ・プロパガンダ禁止法が成立しているんです。同性愛行為自体を禁止するのではなく、同性愛関係の宣伝が取り締まりの対象で、プライド・パレードなんか行ったら逮捕されるはず。
帝政時代は同性愛に対する刑罰がありましたが、ソヴィエト政権が発足した当初は同性愛に対する刑罰を撤廃したんです。しかしスターリンは1934年から同性愛に対する刑罰を復活させました。その法律は現在のロシアになってから、1993年に撤廃されました。こうして同性愛者の公的権利が認められたからこそ、プロパガンダ禁止法のようなバックラッシュが起こっているんです。なので、チャイコフスキーのことを考えると、性的指向で刑務所に入れられる恐怖に怯えなければならず、本当に苦しかっただろうなと思いました。ワイルドも同性愛裁判で有罪になっているし、西欧もそういう時代だったのでしょうね。

返信(5)

ありがとうございます! 両方読んでくださったのですね。嬉しいです。
教会と同性愛の関係は、本当に難しいですよね。受け入れる教会もある、ということを、私はそっと書いているのですけれども、お気づきいただけなかったでしょうか。第二十曲(1)の、ジークフリートがゆるしの秘跡を受ける回です。
私が洗礼を受けた神父さまが、もうご高齢で亡くなりましたけれど、パリミッション会のひじょうにリベラルなかたで、性転換も異性装もごく自然に受け入れておられました。いまの教皇もぎりぎりのところまで発言してくださって、心強く思っています。それでも教義的には認められないと言われてしまうと、絶望してしまいます。
デジレがカミングアウトする回で、☆が大量に減りました。明らかに作者お気に入りを外されたのです。――私自身のことはいいのです。私がいちばんしたいのは、申し訳ないけれども、教会そのものを擁護することではないんですね。ある人々の苦しみに、そうでない立場の人たちも気づいて、心を寄せてくれたら、この世はもっと住みやすくなると思うのです。それがいちばん優先したいことです。
mikaさんお気づきでしょうか。特殊能力を持つ人間が空気や水を動かすというストーリーのファンタジーが、このサイトでいつもトップランキングに上がっています。自然をこよなく愛しておられるそのかたの世界観には私も深く共感しているんです。ただ、それを愛するあまり、キリスト教じたいをあたかも帝国主義支配の象徴としてかんたんに断罪しておられるので、一度たまりかねて抗議してしまったことがありました。すぐにブロックされたので、私ももうよけいなことはすまいと心に決めました。mikaさんのお気持ちは痛いほどわかりますが、私がそれに全面的にはこたえられない苦しさもわかってください。
ところで、オデットちゃんはスマホを持っていますが、ジークフリートくんは最後までスマホを持っていません。(だから第二十曲の(5)でロットバルトさんのを借りてますね。)それに、彼女が駅で彼の帰りを待っていたということは、彼が電車に飛び乗って行ってしまうまでの一連の流れを、彼女は陰で全部見てしまっているんですね。好きな人が別の人を追いかけて行っちゃったとき、mikaさんは彼に直接電話をかけて「ねえねえいまどこ? 帰ってきてよ」って言える派ですか? 私は言えないです。^^
未村さん、お忙しい中丁寧にお返事ありがとうございます! 教えてくださった場面、読み返してみました。
ジークはずっとスマフォを持っていなかったのですね。彼女と喧嘩しているから、自分から連絡すると応答してもらえないと思って、父親のを借りたのだと解釈していました。
恋人が別の相手を追って行った場合、自分だったら普通にLINEで理由を尋ねますし、恋人がいつ帰るか分からなかったら、帰宅します。でも、それじゃあ物語にならないし、やはりここは待っていないといけないというのは分かります。彼の歩いた地面にキスしたいくらい好きなんですよ、オデットは。すごいですね^^
ゆるしの秘跡の場面、読み返したのですが、ここはそういう意図を込めて書かれていたのですね。最初に読んだ時は、彼女を傷つけてしまったことを悔やんでいる場面だと解釈していました。未村さんは素晴らしい神父様に出会えたのですね。

ご指摘の小説は読んだことがないのですが、キリスト教会を諸悪の根源として論じるのは、19世紀の文学から20世紀のマルクス主義、フェミニズム、エコロジー、ポストコロニアリズムまで、いろんな分野で見られますよね。
キリスト教の自然観を批判したエコロジー思想の古典、リン・ホワイトの『機械と神』を読みましたよ。あの本、ちゃんと読まないで誤解している読者が多いと思います。ホワイトが言うには、今日の文化の根底には、本質的に宗教的なものが横たわっている。表層の社会現象にも基層からの規定力が働いているとすれば、規定因としての宗教を転換する必要性がある。だから、ホワイトは環境破壊の解決手段を、単純な「脱神学、脱聖書」ではなくて、「本質的に宗教的」なもの(キリスト教内部からの脱構築)に求めている。
マルクス主義とフェミニズムからの批判はもっと苛烈ですよね。教会の女性差別は確かに撤廃していくべきです。でも、ソ連時代なんか、実際にモスクワの大聖堂を爆破していたんですよ。極端すぎます。その教会は、ソ連崩壊直後から再建が始まり、現在は細部の彫刻や壁画まで完璧に復元されています。わたしも礼拝に参加して、内部を見学してきて、ひそかに信仰を守り続けたロシア人たちの思いに感動しました。リュドミラ・ウリツカヤが「現代ロシアの権力者たちがロシア正教を完全に粉砕できなかったのは、神学者たちの功績ではなく、死ぬまでキリストを信じ続けた無学な老婆たちや忠実な司祭たちのおかげです」と書いていて、その通りだなと思わされました。
今日告知があった、三月の「Our Day to Day」コンテスト、未村さんにぴったりだと思ったんです^^ 連作短編の「勝手にDay to Day」を拝読して、素敵だなと思っていたので。特に小さなホールのお話が好きでした。引き続き楽しみにしていますね! 長々と失礼しました。
mikaさん、ご丁寧にありがとうございます! なんかね、ちょっとへこんでいたもので。そのかたの教会バッシングが、ユダヤ教とキリスト教の区別もついていないんじゃないかなという(どちらがいいという意味ではありません)、すごくざっくりした感じだったので、ちょっとかんべんしてほしいと思ってしまったんですよね。壮大な文明批判をするなら、基礎知識の部分は間違えないでほしいと……。大人げないことをしました。

私は逆に、挙げてくださったホワイトの著作は読んでいないのですが、たぶん始まりは早くて、やはりご指摘の19世紀文学とかロマン主義だと思うんですね。世紀末にかけて、ニーチェなんかが出てきて(ハイネなんかもちょっとそう)、このへんはすごいつまみ食いなのではずかしいんですけど(笑)、古代ギリシア・ローマの爆上げと同時に、キリスト教をこき下ろすというのが流行るでしょう。それは、教会が強くてさんざん押さえつけられてきた西欧社会では、反動としてそれはそうなるよねという気はするんです。問題は、その西欧文学を読んだ日本人(日本語での書き手)が、それを受け売りして、日本の中で、キリスト教バッシングをすることなんです。日本のクリスチャンなんて総人口の1%しかいない激マイノリティでしょう。キリシタン禁制の頃のほうが割合が多かったんじゃないかと思うくらいですよ(笑)。

ソ連のお話、本当に心にしみます。私は旧ソ連圏を訪れたことはないんですが(モスクワ空港近くにトランジットで泊ったことがあるだけ)、歴史的パイプオルガンをめぐるツアーで旧東独圏には行きました。倉庫に使われたのちにがらんどうにされた教会を見て、言葉を失いました。ここに生きていた人たちは、何を心のよすがにしていたんだろうと思うと、涙がにじみました。
たいていの人間は、思想信条で生きていけるほど強くないと思うんです。見上げたり耳を傾けたり、手を合わせたりする対象が必要なんです。自然崇拝とじつはそんなに変わらないと思うんですよね、とくに私カトリックなので、厳密に言ったらキリスト教的にはマリア様や聖人様や、ましてそれらの像を拝むのって全然ダメだろうと思うんですが(笑)、つまりカトリックはどうなのよと思うんですが(笑)、でも長崎でもドイツでもおじいちゃんおばあちゃんや小さい子たちが手を合わせて真剣に拝んでいる姿を、見ると、やっぱり私はいっしょに手を合わせちゃいます。じつは神社でも手を合わせちゃいます(笑)。許してもらえないかなあと思うんですね。ジークフリート君は私です(笑)。
「勝手にDAY TO DAY」はここにいちばん最初に載せた作品で、自分ではあまり出来が良くないと思っているんですけど、褒めていただいて嬉しいです。今度のコンテストは、どうなんだろう、私コロナ禍でべつになんにも「がんばって」いないんですね。きつくて鬱になっただけで……(笑)。だからエントリー資格はないと思いますけど、そう励ましていただいたら、エントリーはしなくてもまた何か書いてみようという気持ちになりました。ありがとうございます。^^