戦時下であること

作者 かめ

[日記・個人ブログ]

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15件のファンレター

やっぱり、書こうと思った。

タイトルのこと…「戦時下であること」(2022.3.18~)→ 頂いたレターをきっかけに、「戦時下にて」(2022.5.24~)→ 「にて」は直截的と思われ、「戦時下であること」(2023.12.1~)

ファンレター

14話

かめさん、こんにちは。

14話を拝読し、戦争を経験した作家たちの感性・思考に触れたような気がしました。
おそらくこんなことは、多くの解説で語られていることなのだとは思いますが、
今日かめさんの文章を読み、自分の中で像を結んだような気がします。
自分ももちろん戦後しか生きていない人間なのですが。

戦前戦中を生きた作家の作品には覚悟と戸惑い、諦め、それでも希望などなどの葛藤が滲み出ているものが多いように思います。
ない物ねだりは出来ない訳ですが、現代作品はその力が弱い。
読み手も現代風を求めるのが一般的だとは思うのですが、やはり葛藤が滲み出る作品が読み継がれているのだと思います。
自分に嘘をつかずに、文章で吐き出す。その結果としての作品。

これってかめさんが常々書かれていることですよね。

なんだか目が覚めました。
有り難うございました!

返信(1)

村山さん、こんばんは!
いやー、ありがたいレター… 読んでいて、感涙ものでした、戦前戦中を生きた作家の作品についての、なんと的確な表現、僕の言いたいことを、僕以上に言ってくれた、という嬉しさです。
そう、そうなんです、あの時代の作家たちって、ほんとにそうなんですよ。
そしてみんな(かどうかは知らないけど)、助け合って、足を引っ張り合うなんてことはしないで、いい作品を書こう、ということで一致していた気配があります。

戦後文学は椎名麟三しか読んでいないのですが、埴谷雄高、梅崎春生、武田泰淳という仲間たちと、運命共同体といっては大袈裟ですが、「一緒に生きて、書いていた」という感じがします。一生懸命、書いていた、生きるのと同時進行で…。
村山さんのレターから、あ、自分が椎名さんを好きなのは、あの真剣さ、誠実さ、戦中と後を、もうこんな酷い世界はまっぴらだとして、そこから自分のできることとして文学に「賭けた」、賭けざるをえなかったようなところが、一番好きだった要素をつくっていた、ということを改めて気づかされた気がします。

あ、それと、一つ村山さんに謝らねばならぬことが。そんなたいしたことではないのかもですが、だいぶん前に、「恋まみれ」で、自分以外に語らせるスタイル、調子が出ている感じがします、というレターを書いてくれた時、僕は「いや、最近ダメなんです…」みたいな返信を書いたと思うんです。
ですが、あの「ある女の話」は、あの時何も書けず、昔書いたものから引っ張り出して、書き写したもので、その昔あの話を書いていた時は、すごい調子が良かった時でした。
要するに、村山さんの感じられたことは正しかった、ということです。これが言いたかった。

長々とごめんなさい、時代とともに、だんだんプロの作家たちも、ひとりひとりでやって、戦後のような「助け合い」とは疎くなっている感じがしますが、ノベルデイズでは「いい作品を書く」目的で共通しているような場であるはずだし、何とか、がんばっていきたいですね。
どうもありがとうございました!