ふたつのキリスト教

作者 とよね

[ノンフィクション]

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5件のファンレター

エッセイ初挑戦。
きたないキリスト教徒が見たり聞いたりしたことを、等身大の言葉で書いていきたいです。

ファンレター

真理は澄みきった大理石にないでしょうね

ルカによる福音書を思い出させるエッセイですね。
人の心の中にこそ神はおられる。喜劇王チャールズ・チャップリンの映画の一節で引用されている箇所ですが。
チャップリンは機械の心を持つな、と訴えていました。当時の世界観で機械の心は無機質なものだったのでしょう。それは一見すると大理石の様に澄んでいる様に見えるかも知れません。

ですが、人は血汗を流すからこそ人生に意義があるのでしょうね。
個人的な印象ですが。

とよね先生は凄いと思います。家を失った方のお世話は早々出来るものではないです。
勇気ある行動ですし、とても心に寄り添える方なのだと感じます。

個人的感想ですが、こちらのエッセイを編集して新しく造ったエッセイを聖書エッセイに応募してみても善いかと思います。
確か、私と聖書、私の聖書、の二種類の主題があった様な気がしたので。字数制限などありますから大変でしょうし、無理なく無理なくですが。

ですが、こちらのエッセイの方が個人的にとよね先生の信仰を顕している様な感じがしまして。
何と言うのでしょうか、とよね先生のありのままの姿が視えて印象深いのです。

勿論、自分が言ったから無理して編集する必要はありません。
そこは無理なく無理なくです。
それ位、このエッセイに惹かれる何かがあるのです。
きたないキリスト教は神の姿そのものですし、きれいなキリスト教は知って少し衝撃を受けました。自分の知っている信徒は性格が変わっている方々もいますが、大体良い人達ばかりだったので。
世の中には家柄や血筋で誇るキリスト者がいると知って意外でした。
そもそもイエス・キリストは家系こそダビデ王の系譜ですが、メルキセデクの様に一代限りの大祭司というのが通常の解釈です。てっきりキリスト者はそれを見習って家系を自慢しないものだと思っていたものでして。
印象深いエッセイです。

返信(3)

佐藤先生

いつも丁寧なレターをくださって、ありがとうございます。励みになります。

エッセイ第一話で紹介した『釜ヶ崎と福音』という本は、私のキリスト教観に大きな影響を与えた本です。
イエスは惨めに生まれ、惨めに生き、惨めに亡くなった。
キリストに倣うという覚悟の重さを考えさせられます。

家柄や血筋を誇る、というか、隠れキリシタンの末裔ということは、先祖が踏み絵を踏んだから自分は生まれてきた、というところに何か思うところがあるです。
私がいるのはカトリックの中でも司教がいる大きな教会ですので、特に信仰を担うことへの自負が大きい人(一家)が多いように思われます。

聖書エッセイは……うーん、あと数日、余裕があればやってみようかなっていう感じですね。
年の瀬となりました。なにかと入り用かと思いますが、お身体にお気をつけてお過ごしください。
お忙しいところ、失礼致します。
自分が読み違いをしていたことに知らず、失礼なことを言いました。

大変失礼致しました。

隠れキリシタンの話は遠藤周作先生の「沈黙」や浦上四番崩れの話を通して知りました。
信徒にとってキリストの踏み絵は辛いことを知りながらも間接的に安易に批判したことをお詫び申し上げます。その方々がとよね先生にやられたことそのものに疑義はありますが、重荷を背負われている方々を勘違いして安易に語るのは自分の至らなさでした。

「釜ヶ崎と福音」、書物はお金がないので難しいですが、幸いにも無音声の字幕のみの説教場面がありましたので拝見させて頂きました。

所々誤字脱字がありましたが、大体はみれました。

洗礼というと形だけの儀式が強調されやすいです。ですが、貧しい方々が仕事をなされていらっしゃることを洗礼というのはしっくりきますね。
又、著者の先生が聖書を原語からの翻訳を大切になされているのは信仰の顕れだと感じました。

本年もお世話になりました。
真にありがとうございます。
とよね先生もお身体をお大事になさって下さいませ。

聖書エッセイの件も無理なく無理なくです。
気楽にお考え頂ければ幸いです。
難しいと思われれば又次の機会を視てやられても良いかと思います。

良いお年を。
家族から圧力、辛かったですね。
泣いて良いと思いますよ。恨んだって良いですし、憎んだって良いです。私達は神ではないのですから完璧を求めることは出来ないです。

それと以前に精神病の世界に入って来ない方が良いと伝えたことに関してごめんなさい。

とよね先生も病で心を守ろうと必死なのだとエッセイを視て伝わってきました。それなのに私は傷付ける言葉を伝えてしまった。

その様な時に私はエゴばかり主張していました。

心の病を隠したいという気持ちもあるかも知れません。
私にとってもネットが主な告白場です。勿論、教会関係の方々は知っておられますが。

それでも社会の中で生活していると後ろめたい気持ちがあります。

世の中がありのままの自分達を認めて下されれば少し楽になるかも知れない、と思います。

家族から全否定されてしまったことは大変辛い。心が自衛の為に相棒を以てして守ろうとなされたことは自然の流れかと。

何かモヤモヤなされた時、愚痴を言いにいらっしゃって構いませんよ。吐き出すことは大切です。返信は大分遅れるかも知れませんが。

とよね先生はとても強い方です。よく我慢なされていると思います。

死にたくなりそうな位辛いお気持ちを少しでも分かち合えればと思います。

それでも、とよね先生程の心境に至っていない自分は本当の意味で先生の痛みを理解出来ていないかも知れません。

私は自身の経験からしか心の病を持たれた方々との接し方しか分からないものでして。

私はとよね先生の痛みを否定したくはないです。誰よりも傷付いて誰よりも人に優しい先生は立派なキリスト者だと感じます。

余計な文でしたら失礼致しました。