【ブックガイド】人生は、断片的なものでできている

作者 mika

[創作論・評論]

89

25,258

21件のファンレター

☆NEW!!☆ウィリアム・フォークナー『エミリーへの薔薇』 #ノーベル文学賞
皆さまに、ぜひとも読んでもらいたい! と思う作品を紹介しています。
ノーベル文学賞って気になるけど、難しそう……そんな受賞作の中身もネタバレなしで解説。
現在、お題企画「戦争について考える」に参加中です。

表題は『断片的なものの社会学』(岸政彦)のオマージュです。
※表紙はAdobe StockからFranzi Drawsさまの作品を使用させていただきました。

ファンレター

ガッサーン・カナファーニー『太陽の男たち』『ハイファに戻って』

「パレスチナとは何か」を自分に問う主人公。「血や肉や身分証明書やパスポートではない」という記述に、無知な私はイスラエルという国とパレスチナ問題を再確認しました。
第1次大戦で財政難になったイギリスが、ユダヤ金融資本に国債を買ってもらうためシオニズム運動(ユダヤ人国家建設運動)を支持。その結果ユダヤ人がパレスチナに大量流入し、先住民のアラブ人と紛争が勃発。ユダヤ人はホロコーストを受けたことで同情が集まり、追い風に乗って1948年にイスラエルを建国。追放されたアラブ系住民がパレスチナ難民になった。で、合っていますか? 
mikaさんが紹介された小説の内容から、更に複雑で更に根深いものを感じました。生きることが殺伐としすぎている。喪失しながら生きているというべきか。小説の内容も衝撃的だったのですが、作家の最後も小説以上に衝撃でした。暗殺が「殉教」と呼ばれる凄まじさ。
ラストで今年5月のイスラエル軍によるガザ地区への空爆を記載されていました。今も同じ地上で紛争が進行中で血が流れている。目をそらしてはいけないと実感しました。学ぶことのとても多い書評でした。

返信(1)

佐久田さん、お読みいただきありがとうございます! 「喪失しながら生きている」と感じてもらえて、『ハイファに戻って』の意図が正しく伝わり、書いて良かったと思いました。『太陽の男たち』は、難民生活の苦しさ、閉塞感、絶望を描いており、パレスチナ難民だけでなく、普遍的な物語だと感じます。シリア難民やロヒンギャ難民の苦しさに思いをはせながら読むこともできます。ネタバレになってしまいますが、『太陽の男たち』と重なる事件が2019年にイギリスでも起こっています。大型トラックのコンテナの中から、不法移民を企てた39人のベトナム人の遺体が見つかった事件です。密入国請負人たち(犯罪組織)は一人につき1万ポンドもの請負料を受け取っていたそうです。

パレスチナ難民が生まれた起源については、「パレスチナ難民問題の起源について--ダレット計画をめぐる論争」(佐藤寛和)に詳しい経緯が紹介されています。1948年に起きたイスラエル建国をめぐる出来事とダレット計画の位置づけは、イスラエル側とパレスチナ側で歴史認識が全く異なっているんです。イスラエル側では自国の独立戦争であり、アラブ諸国からの攻撃に対する正当防衛と言われ、パレスチナ人追放の事実や追放政策の存在が否定されてきました。一方、パレスチナ側では本文で紹介したように、イスラエル建国のためにパレスチナ社会が破壊され、大量の難民が生まれた「ナクバ」(アラビア語で大破局を意味する)と呼ばれています。
シオニズムの有名なスローガン「民なき土地へ土地なき民を」は、パレスチナにすでに住んでいるアラブ人を非存在としています。したがって、イスラエル建国以前、19世紀からシオニストたちは人種差別主義だったと言えます。1882年に初めて移民したシオニストたちにとって、パレスチナは占有されていない空虚な土地であり、そこに住む現地人は岩や木々と同じ自然の障害物のように見えていたわけですね。このパレスチナ観は、イギリスやフランスやスペインがアメリカやアフリカで行った征服と重なると思います。

佐久田さんが「作家の最後も小説以上に衝撃」と驚かれたこと、わたしもそのとおりだと感じます。カナファーニーの暗殺については、アラビア語では「殉教」という言葉を使い、イスラエルの工作員によるもの、とはっきり書いています。この暗殺事件は、日本赤軍がロッド空港で起こした無差別テロ事件に対する報復と言われています。実行犯は日本人ですが、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)がテロを計画したからです。カナファーニーはPFLPの公式スポークスマンでした。しかしテロ数日前に、カナファーニーは無差別虐殺に反対する発言を行っていたことがPFLP内部の証言から明らかとなっていて、彼の暗殺命令を出したのはイスラエルですが、実行犯はアラブ人の内部協力者だったと言われてます。(PFLP組織内の穏健派を排除したかったから「敵」に協力したのか…)
実際にPFLPの公式スポークスマンを務めていましたが、カナファーニー自身の作品は良い意味で「過激派」らしさが無いんです。『ハイファに戻って』はパレスチナ人の主人公が、自分たちの居場所を奪ったユダヤ人夫妻と冷静に落ち着いて対話しています。憎しみや怒りをぶつけるのではなく、ひたすら行き場のない悲しみを感じます。置き去りにされた息子が、育ての親を正当化するために生みの親を感情的に責めた場面で、主人公は「誤りに誤りを加えても、その答えはやはり誤り」でしかない。もしそうでないなら、アウシュヴィッツでユダヤ人夫妻に起こったことは「正しいこと」になってしまう、と答えるんです。この台詞が書けることに、彼の優れたバランス感覚を感じます。『ハイファに戻って』は二度も映画化され、連続ドラマにもなり、舞台化もされているので、よほどアラブ諸国の人々の心を打つ作品なのだろうと思います。
イスラエルとパレスチナについて、「目をそらしてはいけない」と思いをはせてくださり、どうもありがとうございました!