バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

298

156,337

79件のファンレター

バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

「創世記」 ソドムの王との会見

「「創世記」 ソドムの王との会見」まで読みました。こうして見ていくと、『聖書』っていうのは、すごい戦いの記録でもあるんですね!
地縁や血縁を捨て、同じ神を信じる人とともに旅立ったアブラム、その後は、冒険と戦いの連続という感じで、物語としてもすごく面白かったです。いくらわが身を守るためとは言え、妻のサライを、ある意味「売ってしまう」というのはびっくりですが、でも、逆に神が「どんな人を救うか」がわかって感動的です。しかも、サライが子供を産めない女性だったというところが、特に印象的でした。そういうサライを、神は決して見捨てなかったというところに、深い意味がある気がしました。
エジプトを出た後の「戦うアブラム」は本当に別人みたいですね!なんだか戦記ものの武将みたいですが、いつそんなに強くなったんでしょう?^^
また、要所要所に示される黒板の図が、とてもわかり易かったです。
続き、楽しみにしています~(^^)/

返信(1)

南ノさん、お読みいただきありがとうございます。「黒板の図」が「わかり易かった」と言っていただけて、とてもうれしいです! 今回の戦争のお話は、聖書本文で読むと地名と人名が次々とたくさん出てきて目が滑ってしまい、ついつい読み飛ばしてしまう聖書箇所だと思います。誰と誰が何の目的で戦っているのか、アブラムがこの戦争に介入した目的と結果を、一目で分かるように図示してみました^^
ルーベンスが描いた「アブラハムとメルキゼデクの会合」(1626年)では、筋肉ムキムキのたくましいアブラムなんですよ! まさに「戦記ものの武将」みたいなんです。「いつそんなに強くなった」ってわたしも思います^^ アブラムはエジプトでサライを売った代価として、たくさんの家畜や男女のしもべを贈られました。ヘブロンでしばらく平和に暮らしている間にしもべの数が増えたことが記されています。なので、ロトを救出に行く時には、アブラムの号令で戦ってくれる兵士がエジプト時代とは比べものにならないほど大勢いたということなのでしょうね。それに、同盟を結んでいたアモリ人の友人たち三人が参戦してくれています。彼らも一人で戦いに参じるとは思えないので、それぞれ兵となるしもべを連れて行ったはずです。

商業主義に傾く前の日本のクリスマスの話ですが、潜伏キリシタンたちは禁教期にあっても、クリスマスを大切にしていたんですよ。約450年もの間、「霜月祭」と呼んでお祝いしていたそうです。
明治以降に、外国人宣教師のもとでキリスト教に改宗した若い知識人たちは、信仰心からよりも「西欧文化への入場切符」として改宗したかたが多かったかもしれないですね。
第二次世界大戦中はキリスト教会は国家の厳しい統制を受けて、主日礼拝では必ず天皇に拝礼し、大東亜の歌を讃美歌の代わりに歌ったそうです。礼拝を特高警察が監視していたので、そうしなければ許されなかったとか。この時代に実際に用いられていた讃美歌集を前に牧師に見せてもらったのですが、主なる神ではなくて天皇を賛美する歌になっていました。当時の信徒たちは、キリスト教徒で同時に天皇崇拝者だったのか…。踏み絵を踏んで生き延びることを選んだ潜伏キリシタンのようだなとも思います。現在、わたしがお世話になっている教会では、終戦の日に近い主日礼拝の中で、戦中の戦争協力を反省し、二度と繰り返さないことを覚える祈り、というのを毎年行っています。
また、戦中も日本にとどまっていた外国人の牧師や神父はスパイと疑われ、逮捕されたそうです。先日、ご老人のかたから聞いた話では、幼稚園を開いて町のひとから尊敬されていた牧師(または神父)が、戦争が始まると突如としてスパイだと町中から疑いの目で見られるようになり、大人たちはもとからやつは怪しかったなどと言い出し…。

戦後、クリスマスを真っ先に広めたのはアメリカ軍だそうです。マッカーサーは熱烈な愛国的キリスト教徒だったらしく、日本人をキリスト教化しなければいけないと本気で取り組み、1000人もの宣教師を日本に派遣したとか。クリスマスの恩赦が積極的に行われ、高級ホテルで米兵と日本女性のクリスマスパーティーを開き、クリスマスパーティーを口実にダンスホールも解禁されたそうです。占領下の日本人にとっては、米兵たちのパーティーはアメリカのゆたかさがあふれていて、あこがれの対象だったのかも。豪華な食事とサンタクロースとプレゼントというアメリカ風クリスマスパーティーが日本で始まったのは、占領時代からだったのですね。そして現在の商業化された日本のクリスマスに至るのだろうなと思います。全日本人をキリスト教化するというマッカーサーの目論見は全く達成されませんでしたが、信仰と結びつかないイベントとしてのクリスマスは全日本規模で定着したと言えますね。