ブックエンド

作者 桐乃桐子

[日記・個人ブログ]

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10件のファンレター

読書日記チャットノベル版です。
小説・エッセイ・漫画、すべて一緒くたにしてお送りします。
気まぐれ更新になるかと思います。のんびりお付き合いいただけると幸いです。

ファンレター

楽しみな連載!

桐乃さん、こんにちは。Twitterでつぶやかれてた指のけがはいかがでしょうか。お大事になさってくださいね。

新作の『ブックエンド』、桐乃さんと小手鞠さんの会話を楽しく拝読しました。
『夏嵐』という作品、初めて名前を知りました。桐乃さんが飛鳥時代をお好きになったルーツとも言える物語なんですね!
「沼に引きずり込む妖怪」という台詞に笑ってしまいました^^
『夏嵐』も『源氏』も、絶版なのがもったいないです。電子書籍で復刻してほしいものですね。

『推し、燃ゆ』、芥川賞で話題になっていましたが、未読でした。
あかりにとって、「推し」は「背骨」。「もう信仰っていう域に入っているのでは」「でも、あかりの推しは神さまじゃない」という考察に、とても考えさせられました。
自分の全財産、全時間を「推し」のために費やすことで、精神的な満足を得られるというのは、たしかに「信仰」と言えると思いました。
アイドルという言葉の意味は偶像ですから、言い得てますね。
最近の事件があって、全財産を自ら投じたくなるほどの熱烈な信仰というのは、いったいどんな背景があって醸成されるのだろうか、と考えるようになりました。
あかりの「推し」と同じく、新宗教の創始者や指導者は存命人物か最近まで存命していた人物です。
国家主導の個人崇拝の場合は、教育を通して信仰を強制されている、と言えますが、新宗教やアイドルの場合は、誰からも強制されていないので、自ら信仰を選びとっているわけですね。

「なにかに過度に依存するのはとても危険だけど、もしそれが心の支えになるのなら、一概に否定はできない」というのは、本当にそうだと思います。
精神的幸福の追求に専念するため、世俗での家族や仕事を捨てて、出家して山に籠るとか、修道院に入るといった人々は大昔からたくさんいましたので、そういう生き方をしたいという意志は尊重されるべきです。
でも、精神的幸福を得る手段が物質的なもの(グッズを買うとか、参加料が必要な儀式に出るとか)と密接に結びついている場合、お金がいくらあっても足りないので、苦しいだろうなと想像します。

アメリカの心理学の研究によると、何らかの対象に献身的にふるまう(利他的行動)というのは、本人の主観的な幸福度を高めることが明らかになっているそうです。
(子ども自身がそれを望んでいるかどうかはともかく)子どもの教育に全人生をかけている親御さんっていますよね。父母や祖父母のために子どもが自己犠牲的献身をする場合(ヤングケアラーなど)もありますね。
献身の対象が家族であれば社会で認められる(美談にされがち)一方、アイドルや宗教指導者であれば、周りからおかしいとみなされるのかもしれませんね。

長々と書いてしまって失礼しました。とても考えさせられる作品をご紹介してくださり、どうもありがとうございます。
「小説・エッセイ・漫画、すべて一緒くたに」とありますので、次はどんな作品が選ばれるのか、わくわくしています^^ 次回のおふたりのブックトーク、楽しみにしていますね!

返信(2)

mikaさん、お読みくださりありがとうございます!
そしてお返事が大変遅くなりまして申し訳ございません。
お陰さまで、指の怪我は治りつつあるのですが、傷口側の爪が半分白く変色してしまっていて、念のため再度皮膚科へ行ってこようかなと考えております。本当は今日、病院へ行く予定でしたが、起きたら少し熱っぽかったので見送ることにしました。
ご心配いただき、ありがとうございます(*´-`)

そうなんです。『夏嵐』に出てくる主要人物たちがそれぞれわたしの性癖にサクッと突き刺さりまして(とくに、ひねくれた大海人王子が!)、以来、飛鳥時代に興味を持つようになりました。
本当に、電子書籍で復刻してくれたら良いのにと思います。
電子書籍といえば、今は漫画家さんや作家さんご自身が、過去の絶版本の自著原稿をデータに読み込んで電子書籍として再販されるという方法もあるようですね。
Twitterでその経過などを拝見して、作業がものすごく大変そうだけど、あの作品たちをもう一度読めるなんてありがたや……と感激しています。

『推し、燃ゆ』の主人公・あかりの推しへののめりこみ具合は本当に全身全霊をかけて、というありさまで、すさまじいものがあります。
推しを推すことそのものが自分自身の存在意義のようになっていて、もはや信仰といっても過言ではないとわたしは感じました。

あの事件のあと、mikaさんの『有機交流電燈アーカイブ』第6話、7話を拝読して、すごく勉強になりましたし、宗教というものについてあらためて考えさせられる機会になりました。
信仰というのは個人の自由ですし、本来であれば、信仰によって心の拠り所ができたり、人生をより良いものへと導いてくれるはずのものなのに、なぜかそれが争いの種になったり他者を迫害したり、自分や家族、周囲のひとたちを苦しめるものになってしまったりと、本末転倒では? と感じることが、残念なことに多々あります。
信仰の対象によっては、自他の幸福を祈るためのはずの信仰心がかえって自分や周りのひとたちを苦しめる枷となってしまう場合もあり、こんな皮肉な悲劇があるだろうか、とやるせない気持ちになってしまいます……。

あかりにとっての推しは「背骨」であり、自身が抱える病気のためにうまくいかない日常から逃れるための逃避先、あるいはシェルターのようにも思えます。
生まれてきた意味、生きる意味、そういったものを追い求めるのは人間としての本能的な欲求なのかもしれませんが、現代では「価値がなければ生きている意味がない」とか「非生産的なものには価値がない」みたいな風潮を感じることがたびたびあって、なんとも殺伐とした世のなかになりました。

mikaさんが書いてくださった「利他的行動は本人の主観的な幸福度を高める」という研究結果、なんとなくですがわかるような気がします。
ヤングケアラーなど、多くの場合、本人の意思とは関係なく自己犠牲を強いられるものについてはちょっとべつに思うところがあったりしますが、「だれかに必要とされたい」「役に立ちたい」という思いは、大なり小なりだれにでも備わっているもののように思いますし、その対象が身内以外の「推し」や宗教であっても不思議ではないのですよね。
同じような行為でも、その対象によって「美談」と「非難」に分かれてしまうことこそ不思議です。
端から見ると悲劇的でも当人はそれを拠り所として生きているという場合、本人の意思を尊重するべきではありますが、それがあまりに度を超していると問題でもあり……。
mikaさんから頂戴したお手紙を拝見して、いろいろと考える機会をいただきました。こちらこそ、ありがとうございます(*^^*)

【追伸】
しゃべログを拝見しました。山梨県での乗馬体験、写真もアップされていてとても臨場感がありました!
ひょっとして、青い鳥プロット大賞にエントリーされた『未希と黒い馬の森』の舞台となった場所でしょうか?
お着物や摺り友禅に続いて、こちらもわたしの知らない世界のお話で、とっても刺激を受けました。
いつもすてきな世界を覗かせていただいてありがとうございます(*´ω`*)

今月末に手術を控えていらっしゃるとのこと。最近めっきり肌寒くなってきましたので、どうぞ暖かくしてご無理のないようにお過ごしくださいませ。
桐乃さん、お疲れのところ、丁寧なお返事をどうもありがとうございます!
しかも、『未希と黒い馬の森』としゃべログまでお読みくださり、感謝の気持ちでいっぱいです!!
そうなんです。先月、台風で木曾馬牧場行きが中止となってしまい、イマジナリー馬ちゃんとふれあうしかないと思って、女の子が牧場に行くプロットを書いたのでした。
今回一緒に歩いてくれた黒曜君は、小柄でおとなしいけど力強さもある馬というイメージそのものです~^^
本物の木曾馬牧場はみんなが想像する牧場とはちょっと違うので、アニマルセラピーの牧場としては、以前お世話になった、岩手県雫石町にある牧場をイメージして書きました。
「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組でも取材された牧場で、馬だけでなくウサギや鳥や犬もいて、猫たちが牧場内を自由に歩き回っていいるんですよ。
雫石は宮澤賢治が詩にうたった小岩井農場もあり、景観がとても美しい地域です。

お優しい言葉を本当にどうもありがとうございます。
桐乃さんも、傷口側の爪の経過が心配ですよね。熱っぽさもあったとのことで、お大事になさってくださいね。
ご返信には及びませんので、お気遣いなくお願いします^^