戦時下であること

作者 かめ

[日記・個人ブログ]

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15件のファンレター

やっぱり、書こうと思った。

タイトルのこと…「戦時下であること」(2022.3.18~)→ 頂いたレターをきっかけに、「戦時下にて」(2022.5.24~)→ 「にて」は直截的と思われ、「戦時下であること」(2023.12.1~)

ファンレター

つきなみなるふだん

かめさん、おはようございます。とりあえず、10話まで読んで、これを書いています。なんで10話までで(時事を扱っているのに)感想を書いてしまったか。それは、かめさんが作品冒頭の方で「ただ僕が云いたいのは、結局月並みなことだ」と書いていたことと、かめさんが活動報告で「キルケゴールを読解したい」旨を書いていたことによります。実存主義哲学といえば、ハイデガー、サルトル、ヤスパース、そしてキルケゴールの四大巨頭がいるのはご存知の通り。で、ハイデガーが〈現存在(ダーザイン)〉の〈平均的日常性〉を〈つきなみなるふだん〉と翻訳したひとがいるのですね。「月並みなる普段」ですね、そこが、かめさんの本文中の言葉と僕のなかでリンクして。現存在は、〈空談〉を行う〈非本来性〉があって、〈本来性〉、即ち文学者や詩人の言葉のように死と隣り合わせの〈意味に溢れた言葉〉をいつもしゃべっているわけではなく、空虚な意味のない「おしゃべり」……〈空談〉を行い、自らの死という逃れられないものを忘れようとする〈非本来性〉を持っていると言う。それが平均的日常性なわけです。この『戦時下にて』はウクライナの話から始まるのですが、ハイデガーは民族主義の党員になってしまったので、戦後、しばらくは読まれなかった。そこに再評価を行ったのがジャック・デリダで、彼はユダヤ系フランス人だったので、再びハイデガーは読まれることになったという経緯があります。そんなことを、ふと思い出して、いったん、レターを書くことにしました。続きも少しずつ読ませていただきますー。

返信(1)

るるせさん、おはようございます!
そう、僕もるるせさんから頂いた返信に「実存主義」とあって、一気にるるせさんへの興味が湧いた経緯があります。
仰る通り、ハイデガー…またリルケ、カフカ、カミュですね。(「存在と時間」を読もうとして、キルケゴールを思い出し、買ってあった「世界の名著」のキルケゴールを読み始めました)

「現存在」を「月並みなる普段」と訳すとは!… 確かに空談、ふだん僕らの行なっている会話はほとんど意味がなく、「現実的」に実行できること、たとえば何時にどこで待ち合わせるとか、具体的な話以外は、会話に意味はない、という話は聞いたことがあります。(内輪の話ですみません、僕の兄がそんなことを言っていて、兄はたぶん実存主義です)

あくまで言葉が、自分にとっての真実的な意味でなく、関わる相手との意味(意義?)という意味、交わす言葉の意味的な意味で、だったと思います。

それが、自らの死という逃れられないものを忘れようとする〈非本来性〉に由来する、とすると、その兄がいつも冗談ばかり言い、人を笑わせてばかりいる姿が、妙な力をもって思い出されました。

平均的日常性。自分は非平均的な話ばかりを日常でしようとしてしまって、いかんな、とよく思います。

しかしるるせさん、ほんとにすごい知識です。勉強になります。
「ボクの音楽武者修行」、読んでみようと思います。

僕もるるせさんの作品、すごい興味をもちながら、量に圧倒されている部分があります。でもピンと来たタイトルから入っていく形で、読ませて頂いています。

レター、ありがとうございます!
気軽にだったら、僕もいっぱいレター書きたいのだけど、あんまり気軽でもなァ、と…。でもサウナの話には、レターを書かずにはいられませんでした、笑。
今後とも、よろしくお願いいたします。