勇者アプリ
地味でちょっと目つきの悪い高校生、影浦サクトのスマホは狂っていた。
いや、正確には勝手にインストールされていたスマホゲーがぶっ飛んでいた!
人々の願いを神に代わって叶えてあげるスマホゲー、その名は『勇者アプリ』。
ネーミングセンスがアレだが、GMの女神様が名付けたのだから仕方ない。
生成されたクエストをクリアすることで、神頼みが奇跡として現実に実装されるらしい。
今日も聞こえる……、人々の助けを求める声が!
「授業中にウ○コ行きたくなった。神様助けて!」
「大人気ゲーム機の抽選に当たりますように!」
奇跡を起こすため、勇者達はデスゲームボランティアに参加する!
危険な神々の遊びは、地味な人生に刺激を欲していたサクトにとって主役になれる唯一の居場所だった。
ただしそこには一つ、大きな落とし穴があった。
ココナ「勇者は私。影浦くんは魔法使いだよ」
そう――サクトは主役ではなく、お供その1だったのだ!
ハロウィンナイトカフェコラボにサブエピソード
http://talkmaker.com/works/9e55410b0464e86084169495405b00c6.html
ファンレター
物語の主人公が命をかけた行動をするときの動機は、いくつもある。
たとえば、理想を実現するためや、世界を救うためや、大切な人を守るため。
だけど、このお話では、そんな壮大、崇高、共感できる物事のために戦うことは許されない。
いきなり『どうでもいい見ず知らずの他人の、くだらない願いを叶えるために、負ければ死ぬという自分の命を賭けた戦いをさせられる、しかも、ボランティアで』という理不尽極まるデスゲームに参加させられるわけだが、往年の名作『バトルロワイヤル』のように強制ではないし、『カイジ』のように、やむにやまれぬ事情でもない。
参加したくなければ、ノーリスクであっさり辞退もできる。
だが、主人公はこれをやる。しかも、積極的に。
お人好しだから、じゃないし、なんらかの理想のため、でもない。
なんせ、彼がメリットがゼロのデスゲームに参加する理由は「攻略が楽しいから」という、ひどく単純で、利己的で、非理想的な動機。
楽しむためだけに、自分の命をチップにして、デスゲームに興じる。
明らかに狂っている。
勝ってもなんのメリットもない戦いに、毎回、まるでゲームセンターの筐体に100円玉を投入するかのように、あっさり命を投入して挑む姿は、どんな悪役よりも狂気的。
いちおう彼を取り巻くヒロインたちも登場し、彼女らを助ける目的がでてくるのだが、主人公がデスゲームに挑む最大の動機は、いかなる状況でもブレない。
「攻略が楽しいからやる。人助けはそのついで」と言わんばかり。
すがすがしいほどゲーム脳。
しかし、本人に狂気の自覚はなく、自分では普通のゲーム好きの日陰人間としか思っていないのが、妙にリアリティがあって面白い。
「男子高校生なら、こういうシチュエーションって燃えるんじゃないか?」などと曰っているが、これは主人公の現実感覚の希薄さをよく物語っている。
人が死ぬ、自分が死ぬということが、どういう事なのかを、自覚していない・失念している、からこそ吐ける台詞であって、そういう人間にとっては、自分の死というものすら、現実として実感がないゲームになってしまうことを良く表現している。
自分の命すら、〝残機〟くらいにしか思っていない。これが主人公の狂気の正体。
死という物に対して実感がないからこそ、恐怖を知らず無敵のように振る舞えるというリアリティ。
彼の恐れ知らずっぷりはおそらく、目の前で人が死ぬ、まで続くのだと思う。
もし、仮に、ひとたび彼が人の死に直面し、彼にとってのゲームがゲームじゃなくなった瞬間、自分が続けているデスゲームの意味を自覚した時から、どんな行動を見せてくれるだろうか。楽しみ。
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