声の記憶

[ノンフィクション]

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14件のファンレター

コロナ禍で引きこもり生活を送っていたら、ふと子供の頃の記憶が蘇りました。
それは世界の物語が吹き込まれたLPレコード。
錚々たる朗読者による、夢のようなレコードたちの〈声〉の記憶……

ファンレター

完結おめでとうございます

「梨売りと仙人」、南ノさんによる原文の解説と朗読版の比較を拝読できるとは、とっても贅沢な回でした! いかがわしさすらある「道士」と超俗的な「仙人」では、物語の印象がまったく違いますね。原文の方だと、道士が梨を一瞬にして育たせる場面は、梨売りにざまぁするために術を見せびらかしているように感じます。チェン・カイコー監督の映画「空海」(2017)の中で、この原作とほぼ同じ場面が描かれていました。(梨売りは出てきません)。群衆は道士の術に驚き、主人公の若き空海だけがそれを幻術であると見抜くという場面でした。元ネタはこれだったのですね!
そして、朗読版の仙人が同じことをやると、梨売りの人間性を試し、集まった人々と分かち合うための奇跡(幻術ではない神秘の業)に感じます。この本当の恵みの分かち合いに「五千人の給食」の聖書箇所が重なるという気づきに驚かされ、心からうなずいて読みました! 「五千人の給食」や「カナの婚礼」(水をワインに変える奇跡)など、食事にまつわる奇跡譚は昔の人々の夢がつまってる気がします^^ 聖書や聖人伝説に記されている奇跡譚(病気治癒や蘇生など)は、現代の目から見ると信じられない話ばかりですが、当時の人々が何に苦しみ、何を求めたかを奇跡譚は教えてくれます。「事実かどうかは問題ではない。体験者が信じていたことが問題」(『西欧の教会と文化』1986)と言われている通りだなと思います。


「おわりに」で、レコードを抱きしめる高校生の南ノさんを想像して、「穏やかな夕方の光」や「クヌギの枝」の情景にうっとりしました^^ わたしは幼少期の記憶が断片的にしか思い出せなくて、きっと「どこにあるかわからなくなってる」んでしょうね。母はかなり詳しく覚えている方で、わたしの幼少の思い出は、後になって母から教えられた後づけの記憶なんじゃ…と思ったり。
南ノさんが「声の記憶」をふと思い出したように、わたしも音の記憶ってふとしたきっかけで思い出します。小さい頃は、ムソルグスキーの「展覧会の絵」「禿山の一夜」や、バッハの「羊は安らかに草を食み」、『ペールギュント』の「朝」、ヴィヴァルディの「冬」が大好きだった(らしい)。わたしがピアノからオルガンへ転向したのは、物心つく前から大バッハに馴染んでいたからかも、と思います。大人になってから、実際に演奏会で「展覧会の絵」や「冬」のオルガン編曲版を弾いたんですよ。(オケ曲を一人で弾くのは難しいんです)これも小さい頃に何度も繰り返し聴いた記憶が、無意識に選曲に影響したのかな~と思いました^^
南ノさんの思い出のつまった「心の履歴書」を読ませていただき、ありがとうございました!

返信(1)

mikaさん、ご丁寧に読んでいただき、またお心の籠ったコメントをいただき、嬉しさでいっぱいです!(*^^*)
朗読と原文では、本当に雰囲気が違うんです。原文の方は正にmikaさんが仰ったように「ざまぁ!」の感じなんですね(笑)それにしても、チェン・カイコー監督の映画「空海」とか、mikaさんは本当にいろいろなものを吸収なさるんですね!好奇心や興味の広がりや自由さがすばらしいと思いました^^チェン・カイコー監督と言えば「霸王別姬」が有名ですが、私は「空海」はまだ見ていませんでした。今調べてみたら、染谷将太さんとか阿部寛さんが出ているんですね。mikaさんが御覧になったと聞いて、急に見たくなりました。今度探してみようと思います^^
朗読の中で仙人が人々に梨を分け与える場面を「五千人の給食」と重ねてしまったところ、mikaさんのような本当にキリスト教を理解されている方にどう読まれるか、実はすごく不安だったんです。「心からうなずいて読んだ」と仰っていただき、本当にほっとすると同時に、とっても嬉しかったです(*^^*)
私は、mikaさんの作品や文章に、いつも音楽的なものを(音楽のことが書かれていなくても)感じるのですが、それはきっと、(たとえはっきり覚えてはいなくても)mikaさんの幼少時の豊かな音楽体験と密接に結びついているのでしょうね^^そうした体験が、オルガニストとしてだけでなく、mikaさんの文章、それからおそらくはお人柄にまで影響を与えているような気がします。その人が「何を聴いてきたか」というのは、もしかしたら、「何を読んできたか」に負けず劣らず大事なことなのかもしれないですね!^^
本当にありがたく、素敵なコメントをいただき、心からの感謝です!(*^^*)