舞い上がっては、許せないように

[学園・青春]

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3件のファンレター

「今度、ウェブ小説で、『あなただけは絶対に許せない』っていうお題で書け、っていう企画があるんですよ」

ファンレター

作家とはある意味狂気を持たないとなれないかも知れない

一つのお題を描く為に狂気に身を委ねる。それは理屈や道徳をはねのけて一つの文学となる。成瀬川先生の作風がなぜ人を惹き付けるのか。その一端を見た気が致しました。文学とは先鋭的であることも要求されるのですね。

返信(1)

佐藤子冬さん、レター嬉しいです!! さて、初期ギリシアの伝統で、左右の考え方を、左を主知主義、右を主意主義とする伝統がありました。それを再生させたのは神学者のシュライエルマッハです。主知主義は社会がよくなればひとはしあわせになれる、としますが、主意主義は社会がよくなるのとひとがしあわせになるのは別のレイヤーだと考えます。狂気については『死神はいつも嘘を吐く』という作品の『理性の系譜』という章題のエピソードと『文芸部は眠らせない』という作品の115話から119話の『アブジェクシオン』で語っているのでそちらを読んで欲しいのですが、近代は理性を志向して進みましたがそれは『未完のプロジェクト』であり、本当の意味でのロゴス中心主義にはならなかった。そしてロゴスの外にある狂気は理屈を〈突き抜け〉て社会の外にある〈世界〉を垣間見せてくれます。社会が俗だとしたら、世界は聖の一端を感じ取れることがあり、それは快感だと感じることもある、と僕は考えます。文学の美しさは時に〈不条理〉で〈残酷〉なもので、それは古今東西、マレビトが担うものでもありました。作家は、常識も持たなくてはなりませんが、予定調和だけでは回収しきれない狂気が描く不条理も必要だと考えています(もちろん不条理とは人間からすると、です。超越論的存在からしたらそれはハーモニックなものかもしれないです)。僕はそういう風に考えています。レター、ありがとうございます。書いている本人の僕も、頭の中の整理が出来ました!!