超常バトルで読み解く神学序説!

作者 ヤドナシ

[現代アクション]

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【第2回聖書ラノベ大賞受賞!】

ある者は竜巻を発生させ、ある者は雷を放電し、ある者は聖人のイメージを具現化してぶつかり合う、ガチンコ神学×バトル×コメディー! 

ありえない超常バトルを繰り広げつつ、キリスト教のコアな歴史をさらっては、カルト、セクハラ、同性愛といった問題にも切り込んでいく!

腐女子、怪力、ナルシスト、ドS ……神学部の濃すぎるメンバーから信頼を勝ち取るまで、主人公の避けられない戦いは続くのだ。

*この話はフィクションであり、登場する人物・団体・施設等は架空のものです。
*Ministry41号(2019年5月)より連載開始。旧題『神学生バトル!』

ファンレター

楽しく読ませて頂いています。

はじめてお便りします。
ミニストリーでの連載を読み、こちらまで辿り着きました。
本当に意欲的なこころみをされており、
大昔のラノベファン、現在の異世界アニメファンとしては、先生のご活躍は嬉しい限りです。
ますますご活躍の幅を広げ、教会と社会の境界線を曖昧にし、それだけ、風通しをよくしてくださること、
停滞した空気を打ち破るためにお働きが用いられますことを願ってます。

さて、そんな期待を持っている者が、あえて次のことを申し上げて、先生の意欲を削いでしまっては申し訳ないと思うのですが、

ミニストリー49号にも掲載された、同性愛問題の件で、
カールバルトをキリスト教会の同性愛嫌悪の温床のように記述されたことには、違和感を覚えています。

バルトは読み方によって、決して良い意味ではありませんが、同性愛こそが自然に叶うものであるという結論を引き出すことも可能であると思います。
つまり、生まれながらの人間の習い性として、自分とは異なるものを排斥し、同じものだけで、集まろうとすることを聖書の神は望まれないというのが、神が創造の秩序において、お語りになっていることと受け止めるということではないでしょうか?
しかも、被造物の秩序はバルトにとっては、神の御心を詳らかに明かすものではなく、あくまでも、啓示に基づいて類比的に扱われるものです。

だから、同性愛を認めないのならば、同じように、同民族同士の結婚も、国際結婚よりも、ふさわしくないというような結論も出せると思います。

けれども、同民族の結婚はわかり合いやすいからより罪深いという結論がナンセンスなように、同性愛は、異性愛よりも、罪深いという結論はバルト的にナンセンスであると思います。あくまでも、メタファーです。

KDの創造論におけるバルトの主張の目標は、男女、世代間などに代表される、その中でも、極め付けの他なる存在が、男にとっての女、女にとっての男とバルトは理解しますが、、、なによりも、この区別は、異質な者の肯定にこそあり、同性愛嫌悪でもないし、同性愛否定でもないと思います。理解し合える者同士に愛を限定することを否定しているのです。その意味では、バルトから同性愛反対を引き出し、自分の性自認、性的嗜好とは違う人を排除するのは、まったく、バルト的ではありません。そもそも、バルトの神学が前提としている神学の不完全性、永遠の途上性を理解していないのです。

また、不妊についてのバルトの見解は、先生の疑問とは違う方向に動いています。

バルトにおいては、キリストの誕生のゆえに、もはや、子を産むということは、結婚の最終目的であることを終えています。バルトにとっては、世界はキリストによって完成し、いつでも終わりを迎えて良いものですから、子孫を繋いで行くことは、ユーモア溢れる喜びであっても、何の究極的な意味も持っていないと思われます。



この点も、先生の記述は、バルトへのいらぬ誤解を招く記述ではないかと思います。

このようなバルトですから、結婚ということに、至らなくても、真実の愛(それもまた、相対的なものでしょうが、信仰の類比として)があり得ると言います。これは、言外に、不倫関係が考えられていると思われます。聖書の語る結婚の秩序通りではなくても、神のゆるしの恵みに基づいて、良いものであり得るとさえ述べます。バルトは、四角四面など律法主義者ではありません。

むしろ、バルトの時代的制約をバルト自身が常日頃から望んでいたように、乗り越えて、さらに先に進めるならば、バルト神学の展開の中でこそ、強烈な同性愛の肯定、無性の肯定が生まれるはずです。

もう一度、バルト神学と向き合って頂ければ、もっともっと、ラノベは、ライトなので、これで良いのかな?と思いつつ、かなり踏み込んだ断定的な記述をなさっているので、お便りいたしました。

ヤドナシファンかつ、バルトファンより

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