それぞれの、我慢
「僕が我慢する」「俺も我慢する」「私は我慢した。そして今も」を統合しました。
「私は我慢した。そして今も」を存続作品とさせていただきました。前二作へファンレター、いいね!をいただき有り難うございました。
同じ出来事を三者の視点で書いてみる。男性で父親である作者ですが、やはり第三話に苦労しました。書きながら、これも違う、まだ言い切れていない、そんな気持ちですが、形にできたので発表を継続いたします。(2022.3.31)
ファンレター
そしてこれからも……。
村山様、今回はこちらを拝読しました。
なんとも切ない物語でした。
子供、父親、母親それぞれの立場で、ものの見方が変わるのは当然かもしれませんが、
とても他人事には思えず、身につまされる想いです。
我慢三部作(?)は、自分にとって印象深い作品となりました。
これからも村山作品を読み続けていきたいを思います。
返信(1)
鈴木さん、「私は我慢した。そして今も」を読んでくださり有り難うございます。
母版を作ろうと当初から思っていましたが、なかなかまとまりませんでした。
男になびく鬼母、だけではないはずだけど、この共存をどう表現したらいいのだろう?
と模索した結果です。
このようなケースでなくとも、ある程度の「我慢」は皆しているのだとも思いますし、
であればその境界線は、他人に決められるものではないのかもしれません。
でも、辛いまま、我慢し続けてしまうのもやはり良いとは思えません。
このあたりの悩みについては、万人に示せる解決策など無いのかもしれませんが、
それを文章で表現し続けていきたいなあ、と思います。
そしてそんな拙文を、これからも読み続けていただければ嬉しいです!
有り難うございました。
母版を作ろうと当初から思っていましたが、なかなかまとまりませんでした。
男になびく鬼母、だけではないはずだけど、この共存をどう表現したらいいのだろう?
と模索した結果です。
このようなケースでなくとも、ある程度の「我慢」は皆しているのだとも思いますし、
であればその境界線は、他人に決められるものではないのかもしれません。
でも、辛いまま、我慢し続けてしまうのもやはり良いとは思えません。
このあたりの悩みについては、万人に示せる解決策など無いのかもしれませんが、
それを文章で表現し続けていきたいなあ、と思います。
そしてそんな拙文を、これからも読み続けていただければ嬉しいです!
有り難うございました。