【ブックガイド】人生は、断片的なものでできている

作者 mika

[創作論・評論]

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21件のファンレター

☆NEW!!☆ウィリアム・フォークナー『エミリーへの薔薇』 #ノーベル文学賞
皆さまに、ぜひとも読んでもらいたい! と思う作品をネタバレなしで紹介しています。
ノーベル文学賞って気になるけど、難しそう……そんな受賞作家の作品も3000字程度で解説。
現在、お題企画「戦争について考える」に参加中です。

表題は『断片的なものの社会学』(岸政彦)のオマージュです。
※表紙はAdobe StockからFranzi Drawsさまの作品を使用させていただきました。

ファンレター

クルコフ『ペンギンの憂鬱』-秩序の形成を善、秩序の解体や破壊を悪とする立場

mikaさん

先日、mikaさんより、本書評の中で、ロシアのアネクドートをひとつ紹介しているからと教えていただきましたので、早速、拝読させていただきました。本書評で引用されているアネクドートも冴えてます。アネクドートが風刺する状況は非常に厳しいものが多いですが、こうしてユーモアを持って批判し反抗していく文化は独特で評価したいです。

本書評の内容ですが、まず小説の著者と主人公にキエフが関係しているところに興味を持ちました。私は、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの本、独ソ戦やチェルノブイリの本・映画などをいくつか鑑賞しましたが、これらの中で、キエフが出てきましたので、この歴史に翻弄されてきた土地に興味を持っております。

さらに書評では、ロシアのマフィアのことも解説されており、勉強になりました。クルコフの作品では、ロシアのマフィアも登場してくるとのことですので、「ペンギンの憂鬱」という作品を読めば、キエフひいてはロシア・ウクライナの当時の社会状況も理解ができるのではと想像します。ただ、残念なことに、mikaさんの書評によりますと、続編が翻訳の予定がないであろうとのこと。mikaさんの紹介された続編のあらすじを読むと、かなり面白そうなんですが、それだけに、前編である「ペンギンの憂鬱」だけを読んでしまうのはもったいないなあと思っております。

本書評でもっとも印象に残ったのは、最後の一文にある「秩序の形成を善、秩序の解体や破壊を悪として」とらえるという立場です。「秩序」の中にいれば、往々にして「個人やその小さな世界」は安定したものかもしれませんが、しかし、その「秩序」自体が「悪」であれば、そこに安定している自分は「秩序」の維持に寄与している「悪」の一部といえます。こうした状況では、巨視的な目で世界を見ない、あるいはあえて見ようとしない(与り知らぬ存在であろうとする)こと自体も有罪と宣告されても仕方のないことであると考えます。

荒野の狼

返信(2)

荒野の狼さん、こちらも読んでくださり、ありがとうございます! 新ロシア人のアネクドート、楽しんでもらえてよかったです^^
「ペンギンの憂鬱」の続編が日本で刊行されないのは、本当に残念です。続編のあらすじ、すっごく面白そうですよね。わたしも読みたかったです。
「「秩序」自体が「悪」であれば、そこに安定している自分は「秩序」の維持に寄与している「悪」の一部」とおっしゃる通り、本作は「悪」の問題の難しさを教えてくれます。ちょっとネタバレになってしまいますが、物語の中で次々と著名人が亡くなります。亡くなった名士たちは、誰もが何らかの不法な手段で財を成したり、地位を得た過去がありました。表社会に出て、立派に成功した彼らを警察は裁きません。そんな彼らの過去の罪を問い、私刑で裁こうとする集団が現れるのです。私刑を企て、実行する人間は自分たちが正義の執行者だと考えているはずです。しかし、どんな理由があっても殺人は罪であります。ひとりよがりで傲慢な正義ですよね。
罪と罰の問題や善と悪の問題がグラデーションのように存在していて、何を拠り所にして倫理や価値の判断をすべきか迷います。国家という絶対の価値基準がなくなり、一人ひとりが価値判断を迫られたときに、物語の主人公ヴィクトルのように状況に流されてしまうのは、一番よくあるだろうと思います。
作者クルコフは、ウクライナ在住ですがロシア語話者です。イギリス人女性と結婚し、プロテスタントに改宗しています。近年のウクライナ東部の紛争は、昨年7月に完全に停戦することが合意されましたが、今年4月にも再びウクライナ軍と分離独立派の緊張が高まりました。クルコフは、ウクライナ人とロシア系住民の対立が続く状況をどう思っているのでしょうね。彼の作家活動が脅かされることなく、自由に言論できるように願います。
mika さん

「ペンギンの憂鬱」の続編のネタバレ(笑)ご紹介ありがとうございます。ますます、興味が湧きました。私刑で「悪」を裁く集団は、一見痛快で映画やテレビのヒーローになったりもしますが、その是非を問題提起としているかで、これまで論争になってきたものはありますね。古いアメリカ映画ですと「ダーティハリー2」とか「狼よさらばDeath Wish」とか。「ひとりよがりで傲慢な正義」は「殺人」は勿論のこと、そうでなくても問題であります。このことに関連しますと、人によって様々に意見が違うことがありますね。自警団、銃を持つ権利、「殺人」の正統性ということであれば死刑制度の是非とか、、、、

「善と悪の問題がグラデーションのように存在」するというのは、同感です。聖書(キリスト教)の世界では、比較的、善と悪の線引きがある印象です。ところが、これが東洋思想になると、中庸ですとか、縁ですとか、陰陽ですとか、あるいは全ての存在は神であるといった考え方がありますから、線引きができない問題は多くなると思います。「絶対の価値基準」を持っている人は、拠り所があるので、精神的な安定が保ちやすいということはあるでしょうが、そうした人ほど、その価値基準がなくなった時は、ヴィクトルのように危機に瀕すると思います。私の米国の友人にはクリスチャンがおりますが、信仰の大きな目的が天国に行きたいからとする人は多いです。私の友人の宣教師の一人に、「もし、天国がないとしたら、善行を辞めますか?」と質問をしたら、真剣に悩んでしまったことがありました。つまり、天国に行くという報酬がなくなってしまったら、善行の意味がないと考えてしまったのです。

ウクライナとロシアの問題ですが、悲しいのは、こうした対立が、時に国同士の政治レベルにとどまらず、個人レベルで両国の人が殺し合うようになってしまうことがあることであります。私が米国在住中には、ウクライナ人の友人も、ロシア人の友人もおり、紛争が起こるまでは、彼ら同志は、一番、近しくしていました。ところが、政情が不安定になると、かられはお互いに友人であることを辞めてしまったのです。これと似たような状況として、ソ連崩壊後の旧ソ連に所属していた国同士の争いが起こり、庶民レベルでも、昨日まで友人であった隣人が殺し合うということがあったということを、私は、最近になって、アレクシエーヴィチの「セカンドハンドの時代」などを読んで認識しました。こうした認識をもっと早く持っていればと、恥じいるおもいがありました。

荒野の狼