第四章 ここぞ腕の見せ所

文字数 7,282文字

第四章 ここぞ腕の見せ所

その日も、蘭は家に帰って勉強を再開し、北朝鮮の白丁についてのレポートを制作していた。レポートを書き終わって、気が付いた時には、夜の三時を過ぎていた。さすがにもう眠くなってしまったので、風呂に入るのも忘れて布団で寝てしまった。

「伊能さーん、郵便でーす!」

どこかで誰かがそう呼んでいるのに気が付いたときは、もう昼食近かった。はっと気が付いて、急いで車いすに乗り込み、玄関に向かって行く。

「はーい、はいはいはい。」

ドアを開けると、また先日と同じ配達員が立っていた。

「あ、なんだ、また君か。」

「はい。ここの担当になりましたので、お約束通りまた来ました。今日は代金引換郵便が届いております。えーと、支払額は、一万五千円お願いします。」

何を注文したんだけっけと思ったが、昨日朝ご飯を食べようと思ったら、炊飯器が故障してしまい、すぐに通販で新しいのを頼んだことを思い出した。しかし、こんなに早く到着してしまうものだろうか。

「あれ?注文したのは、昨日なのに、今日届いたの?」

「はい。もう、知らないんですか。今の通信販売は、あす楽というシステムがあるでしょ。例えば何時までに注文すれば、明日届くとか。きっと、昨日のその時間にお願いしたから、お約束通り明日来たんですよ。それで頼んだの、気が付かなかったんですか?」

「いや、全く気が付かなかった。せめて一週間先かなとか。」

「そうじゃなくて、発送のメールとか、受け取らなかったんですか?」

「ああ、昨日レポートを書いていて、忘れてしまっていて。」

「もう、ほとんどの通販会社で導入しているシステムですから、ちゃんと覚えてください。」

「ごめんごめん。それで送料がやたら高いなと思った。まあいい。早く来てくれたら、早くご飯を炊けることでいいとしよう。クレジットで払える?」

「はい、できますが。」

「じゃあ、それでお願いしたい。」

蘭は配達員にクレジットカードを渡した。

「はい、了解です。近いうちに引き落とし日の通知書が来ると思います。」

受け取って、読み取り機に通す配達員。その手際を見て、彼も配達員らしくなってきたなと感心してしまう蘭だった。支払いは、あっという間に完了した。

「ハイどうぞ。じゃあ、お品物はこちらですね。」

と、まず蘭にカードを渡し、続いて段ボールの箱を玄関に置く。意外に大型の炊飯器だった。通販というものはいつもそうだけど、大きさの感覚がつかめない。でも、過剰包装という傾向もあるので、中身である炊飯器は、規定通りの大きさだろうと思ってしまった。

「あ、あと、余計なお世話かもしれませんが、新聞がお宅のポストからはみ出そうでしたので、出して持ってきておきました。放置したら、今日はこれから雨の予報なのでびしょ濡れになっちゃいますよ。それじゃあ、読めなくて困るでしょう。」

と、配達員は持っていた新聞を下駄箱の上に置いた。蘭も愛読している岳南朝日新聞だった。これを濡らしたら、一日の楽しみがなくなってしまうのだ。いつもなら、朝早く配達に来るので、大体気が付くのだが、今日は全くだ。

「あ、ありがとうね。そうか、新聞が来たのにも気が付かなかったな。一生懸命勉強していたら、気が付かなかった。」

「あら、伯父さん、徹夜で勉強ですか?」

「そうなんだよ。つい夢中になって。」

「何か資格試験でもやるんですかね?どこかの会社に入ろうとか思ったんですか?それとも、中年の大学受験とか?」

やっぱりこの配達員は本当におしゃべりだ。勉強というと、若い人は馬鹿にしてしまう傾向があるので、ちょっと注意をしなければならないなと思った蘭は、

「いや、そういうわけではないよ。ただ、自主的にやりたくなって勉強している。」

と、言ってみた。しかし配達員は馬鹿にしたような様子もなく、

「すごいじゃないですか。俺も、今になってから、しっかり勉強しなければなと思うようになりました。学生のころは遊んでばっかりで、まるでだめです。俺もおじさんくらいの歳になったら、もう一回勉強しなおせるように、今は、しっかり働きます!」

と、返してきた。やっぱり根はまじめな男だ。決して軽いノリの、その場限りで生きている今どきの子ではない。そういう人間だからこそ傷つくことも多いと思うが、どうか負けないでくれ、と祈るばかりだった。

「はい、頑張ってね。勿論仕事も勉強も大事だが、新聞を持ってくるようなおせっかいも大事なことだからね。それが、仕事につながることも少なからずあるから。忘れないでくれよ。」

「はい、決して致しません!しっかりやりますので。今日は長居してすみませんでした。何かありましたらまた来ます!」

一礼して出て行く配達員。この態度であれば、他人の話を聞こうという態度もしっかり持っている。なので、根は曲がっていない、きちんとした若者だろう。蘭は、ああいうまじめな若者こそ、どこかで大活躍ができればいいのになあと思った。

とりあえず、彼がおいていった炊飯器を持ち上げて、台所の調理台の上に置く。電気炊飯器ではあるけれど、大型なので結構スペースがないと置けない。取り出してみると、もしかして大家族用ではないかと思われる大きさの炊飯器だった。と、いう事は昨日、ほしいものとは違うものをタップしてしまったのかもしれない。あーあ、何やっているんだ自分。こんなことでまちがえるなんて、年取ってきたな。しかし、あの青年配達員の態度を見ると、どうも返品しようという気にはならなかった。なので、これは使い続けることにした。きっと何かの縁だから。

気持ちを切り替え、持ってきてくれた新聞を読むかと思って、再び玄関へ行き、下駄箱の上から新聞をとった。岳南朝日新聞なので、基本的に富士市内のニュースしか掲載しない新聞であるが、庵主様が投稿している記事が意外と面白いので最近は読むのが楽しみになっている。ところが、今日の岳南朝日新聞は雰囲気がちょっと違っていた。まず、トップに掲載されていたのが、庵主様の投稿ではなくて、

「佐藤製紙社長三女、結婚へ」

という文字だったのである。慌てて、内容を読んでみると、遂に佐藤製紙社長の三女が、結婚することになったと書かれていた。と、いう事は、長女と次女はもうとっくにすませたのか。そういえば、母の話では、佐藤製紙の社長には、三人の娘がいたが、確かそのうちの誰か一人が、東京の大学へ行ったがどこか悪くして戻ってきたと聞かされた。それが、何番目の娘さんなのかは知らないけれど。

更に本文を読むと、三女である佐藤絢子さんの結婚相手は、御殿場市に住んでいる某弁護士の一人息子であり、同じく24歳の青年だという。職業は、法律事務所の職員。いわゆる雑役。つまりこれが小久保先生の息子さんか。確かに、父が弁護士と言えども、身分というか、経済力が違いすぎる。水穂が言った通り、品定めをしたのかと思いきや、もう来月には結婚式が執り行われるとも書かれていた。普通結婚式の前に、結納をするのが先ではと思ったが、それは行われないようである。しかも、あれだけの豪華な生活をしている佐藤一族なのに、挙式は近親者のみで行われ、非公開とも書かれていた。

蘭はいてもたってもいられなくなって、スマートフォンを手に取った。

「おい、今日の新聞読んだ?お前が言った通りの品定めで破談、なんてどころではなさそうだぞ。」

「新聞なんて読めないよ。なんて書いてあるんだ。」

聞こえてきたのは杉三の声である。あれ、と思って番号を確認すると、間違って杉三の家に電話をかけてしまったことに気が付いた。

「ごめん、杉ちゃん。今のは気にしないでくれ。」

と言って、電話を切ろうとしたが、

「気になんかできるもんか。今日の新聞に、何が載ったんだよ?品定めで破談と言ったところから見ると、小久保さんの事が載ったか?」

と返ってきた。杉ちゃん、本当になんでそういうところはすぐにわかってしまうのかなあと思ったが、まあ、自分が電話番号を間違えたのがいけないと考えなおした。

「まさしく図星だ。きっと、そのうち、他の新聞社が騒ぎ出して、佐藤製紙は大騒ぎになるぞ。もしかしたら、御殿場まで手が行くかもしれない。そうしたら、次のレポートは提出できなくなるのではないかな。」

蘭は杉三の推理に沿って急いで用件を伝えると、杉三も理解をしてくれたようだ。

「あ、ほんとだ。勉強の妨げになるな。とりあえず、小久保さんとこ電話しろ。もしかしたら、すでに報道陣が取り囲んでいるかもよ!マスコミはうるさいから。もう、安心して生活もできなくなる。蘭も、それに巻き込まれたら困るでしょ。」

その可能性は高かった。あの時、一週間後にまたレポートをとりに来ると約束を交わしたが、これではその約束は延期したほうがよさそうだ。蘭はそうすることにした。これでは、前置きなしになんでも言ってしまう杉三のほうが早く答えを出してくれる。かえって番号を間違えてよかったかもしれない。

「そうだね。じゃあ、急いで先生に電話するから、今はもう切らせてくれ。杉ちゃん、番号を間違えて申し訳なかった。」

「あいよ。次は気をつけろよ。」

蘭は、急いで電話を切ると、改めて小久保さんの番号を回した。

しかし、留守番電話サービスに接続されてしまった。多分、法律大学へでも行っているのかなと思った蘭は、メッセージ案内に従って、遂に富士でも報道されてしまったこと、そうなると、富士でも報道陣が殺到するかもしれないので、訪問は危険なこともあるから、しばらく延期してくれと伝言し、電話を切った。

ところがところが、杉三たちはいくら予測をしても、実際に止めるための具体的な行為をすることはできないのだった。翌日の朝、今度は週刊誌に、ある大企業が子捨てのために民間人に嫁がせるというタイトルの記事が掲載された。開いてみると、佐藤製紙の事がかかれていた。それによると、何でも佐藤製紙の三女は体調面で問題があり、会社内で問題を起こしたため、会社に残さず、民間人に嫁がせることが決定したという。そして、彼女を引き取る男性は、自身の教育費のために多額の負債をしていて、まだ完済しておらず、佐藤製紙が出す結納金で返済に充てるという計画をしている、ということも書かれていた。

「なっるほどね。上流階級は、こういうやり方で障碍者になった人を処分するのね。ある意味、蘭の母ちゃんも似たようなことをやったんじゃないのか。」

蘭に週刊誌を音読してもらうと、杉三がそういった。

「まあ、結婚は一見するとおめでたいが、その裏には、こういう思惑があるのね。」

「小久保先生もうれしくないと思うよ。こんなやり方で、借金を返されても。」

実は小久保さん、息子の教育問題をめぐって妻と離婚していた。これは蘭も杉三も本人から聞かされている。小久保さんは自身の経験から、無理に上級の学校へ行かせて、子供にストレスを与えるのはまずいと思っていたようだが、妻の方はそれでは恥ずかしいと思っていたらしい。多額の大金をはたいて、エスカレーター式の私立小学校に通わせたりしていた。小久保さんは、そんな息子が不憫でならなかったようだが、あんまりにもそればかり口にしているので、妻が出て行ってしまったきり帰ってこないのだと言っていた。

「しかし、そんな冷たい奥さんならさっさと拒否することだってできたと思うのに、なんで、小久保先生が、こんな大金を支払ったんだろうか。」

蘭は、どうもそこが腑に落ちないようだった。

「うちの母であれば、使えない者や謀反を起こしそうな者は、すぐにやめさせて取り潰しにしていた。その反面、使えそうな人は、大量にお金を渡して辞めさせないようにもしていたが。そういう風に、切り替えのうまい人だったと聞いている。」

「武則天母ちゃんと一緒にしちゃいかん。普通の人は、切り替えなんかすぐにできないよ。蘭の母ちゃんは、会社をしていたから、切り離しがうまいんだよ。」

「でも、小久保先生は、法律の専門家なのに。」

「うーん、女ってのは、理論でなんでもっていうわけにはいかない。それが女の色気の一つでもあるからね。それに、女が最大の武器にする「子供」がいれば、なおさら強くなれるよ。」

「杉ちゃん、どうしてわかる?」

「知らない。みんな馬鹿の一つ覚えでできているさ。」

結局、杉三の答えはいつもこれなので、蘭は、役に立たないと確信した。

「小久保先生、大丈夫かな。報道陣に囲まれていい迷惑していないかな。」

と、蘭のスマートフォンが鳴る。

「もしもし、あ、先生。ちょうど、先生の事について話していたところでした。そちらは大丈夫ですか?」

「ええ、今のところ報道関係は一人か二人しか来ていません。まあ、大したことはないでしょう。しかし、今回は驚きました。どこでうちの事情を漏らしたのかは知りませんが、なんでこのことがこんなに報道されてしまったんでしょう。しかも、息子ときたら、障害のあるお嬢さんをだまして結婚するなんて、もう情けなくて仕方ないですよ。一応、別れたとは言え、息子であることに変わりはないのですから、それなりにきちんと育ててきたつもりではあるんですけど。全くなんていうひどい手を使うようになってしまったのか。」

しっかりと発言する小久保先生であったが、かなり苦労していることも感じさせた。

「そうですよね。信じられませんよね。先生のように、人種差別をされてきた人ばかり相手にしていると、そういう手を使うとなると、許せないでしょう。僕もお気持ちはよくわかりますよ。あの、留守番電話にも入れたんですけど、ほんとに、これから報道陣がたかってくるかもしないので、そうなったら、安易に外へ出れなくなると思いますから、次のレポート提出は、延期したほうがよろしいですか?」

「いや、蘭、ちょっと貸せ。」

杉三がいきなりスマートフォンをひったくる。何をするんだと声を出す蘭を尻目に、杉三は、

「あ、小久保さん、こんにちは。僕だよ、杉三だ。あのねえ、蘭は訪問を延期してと言ったが、ぜひこっちへ来てくれないかなあ。だって、蘭に読んでもらった記事が本当に事実なら、小久保さんが悪いのではなく、悪いのは若いほうだから。まあ確かにマスコミを切り抜けるのは難しいと思うけど、そこは毅然とした態度で切り抜けてさ。弁護士さんならなんとか口実も作れるでしょ。蘭も一生懸命レポートを書くってさ。昨日なんかね、徹夜でレポート書いて、郵便配達の兄ちゃんに起こされたりしたんだよ。それをさ、ちゃんと拝見してやってくれ。蘭も、そういうところだけは真剣にやる人だから。いつもは貧乏くじばっかり引いているけど。だから、今回も貧乏くじにはしないであげようよ。え、ほんと。じゃあ、きてくれるんだね。あ、そうだね。報道陣切り抜けるのにね。それに、御殿場線って、本当に本数がすくないのね。まあ、多少遅れてもいいよ。じゃあ、予定道理の日付に蘭のうちへ来てやってください。ありがとう。」

と、朗々と話し込んで電話を切ってしまった。

「来てくれるってさ。よかったね。これで君の一生懸命書いたレポートは、無駄にならないぞ。」

にこやかに、スマートフォンを渡す杉三に、

「何てことしてくれたんだ!先生にわざわざ負担をかけるような真似をして!それに、先生に訪問を延期してと言ったのは杉ちゃんじゃないか!」

と蘭は怒鳴りつけたが、

「知らない。僕はただ、事実を言っただけの事で、延期しろと解釈したのは蘭の方でしょ。」

としか言わなかったので、杉三にはそういう考えはなかったということを初めて知る。

「杉ちゃんは、貧乏くじにはしないであげようと言ったが、これは、ものすごい貧乏くじを引いたような気がする。」

としかいうことのできない蘭だった。

「まあいいじゃないの。蘭。おかげで君はまた思いっきり勉強ができるよ。」

「でも、いくらなんでも先生に負担をかけたら。」

蘭はそう言ったが、

「いや、今やっちゃった方がいい。泥沼化したら、次に勉強する機会は絶対なくなる。その前に、レポートくらい提出させてもらっておいた方がいいよ。こういう問題は、僕らの事ではなく、小久保先生にとっては、本当に頭の痛いことだし、長期化する前に、僕らはすぐに手を退けたほうがいいと思うんだよね。」

と、杉三はいうのだった。確かにそうだ。結婚とかそういう問題は、ある意味仕事にも支障が出てしまうほど重大なものだ。自分の時もそうだけど、子供の時はもっと深刻になると思う。不思議なことに、憲法で結婚は本人の同意でするもんだと定義されるようになってからのほうが、こういう問題が泥沼化するようになった気がする。日本の結婚というものは、親と仲人さんが一から十まで全部取り仕切ってくれていたほうが、かえって問題は少なかったんじゃないかと思わざるを得ない事例も結構ある。

「要は、杉ちゃん、君の言いたいことは、小久保先生に、息子さんの事を考えることに専念させてやろうという事か。それで、僕に提出期限を前倒しにしようという事か。」

蘭が杉三にそう聞くと、

「まあ、解釈なんてどうでもいいが、蘭にこれ以上、貧乏くじは引かせたくなかったんだ。」

とだけしか答えは返ってこなかった。どこからそんなことを思いついたのか、聞いてみたかったけれど、杉ちゃんのことだから、どうせ、馬鹿の一つ覚えしか言わないだろうなと思った。

「わかった。もう、貧乏くじはしないようにするよ。」

蘭は、そう言うとなんかほっとした。そして、杉ちゃんはやっぱり親友だなあとほっと溜息をついた。
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