人間

文字数 860文字

 さようならは言いません
「いってらっしゃい」
 と、言わせてください
 たとえ、私の体が朽ちても
 私の魂はここにいます
 あなたの旅立ったこの場所に

 さようならは言いません
「おかえりなさい」
 と、言わせてください
 たとえ、あなたの体が朽ちても
 あなたの魂をここへ戻して
 私の待っているこの場所に

 さようならは言いません
「おつかれさま」
 と、言わせてください
 たとえ、互いの体が朽ちても
 ふたりの魂をここに埋めて
 ふたりが暮らしたこの場所に

 獣は耳もいい。苦しむ獣は神大島から流れる人間達の歌声を聴いた。この一帯では、旅や仕事の安全を祈願する唄だ。
 島の漁師やその家族達が唄う。兵士達が歌う。商人も農民も唱う。そこにいるものは皆、子守歌のように知っていた。森の人々もよく子ども達に聞かせていた。
「漁師たちの唄だ。懐かしいなあ。」
「チルトもよく歌ってくれたわ。」
「トットもうまかった。」
「あいつの家もによく流れていた。」
「子供のころよく子守唄で聞いたな。」
「これが、人間の愛情か。よく見えるわい。」
 獣の体の黒い玉が次々と鮮やかな赤に変わっていった。

「母さん。」
 獣は、瀕死のユナに優しく息を吹きかけた。ユナの顔に見る見る赤みが戻り、彼女は静かに目を開けた。
「お別れです。人のいない別の世界へ行きます。」
 獣は続けた。
「私に名前は付けないでください。獣でいい。人が獣とつながろうと名前を付けたとき、獣はこの真実を見る目でその鎖をたどり、戻ってくるでしょう。皆に伝えてください。獣に決して名前を付けてはならないと。」
 そう言い残して、獣は空へと去った。

「先に逝ってしまったのね。親不孝な子。」
 獣が飛び去った青く澄んだ空を見上げ、ユナはつぶやいた。ほほを涙が伝う。
「ダメね。うまく笑えないわ。」
 彼女は涙を拭うと、一人で旅にでた。わが子の最期の言葉を伝えるために。
 その手には、ゲノ、ユナそしてカナタ、親子三人の名前の入った懐中時計が握られていた。
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登場人物紹介

ユナ・バーン

カナタの母

サーベル使いで、サーベルタイガー・ユナの異名を持つ

カナタ

『器』の一人

10歳まで山奥に隠れて暮らす

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